解かれる

 昼下がりの午後カカシは外を歩いていた。所々で修復が残っている建物もちらほらと見るが、里のどこを見渡してもゆったりとした空気が流れている。平和になった事は間違いがない。そこに違和感を感じる自分に思わず苦笑いを浮かべる。
 その時聞こえてきた音に、カカシは歩きながらふと顔を上げた。風に乗って聞こえてきたのは鐘の音。それは、昔から変わらない、アカデミーの予鈴の音だ。
 以前アカデミーの近くにあった上忍待機所や任務報告所はペイン襲来の時に一部が損壊し、配置換えと共に場所が大きく変わった。それによってアカデミーへの用事がない限りそっちへ足を向ける事がなくなった。
 だから数日前、イルカを見かけたのは久しぶりだった。
「カカシさん」
 そう声をかけてきたのは、昼たまたまアカデミー近くを歩いていた時で、イルカは何週間かぶりに顔を合わせたのだが、変わらず元気そうで忍具が入った大きな袋を抱えている。
 そんなイルカに夕飯を誘われて、内心驚いた。彼自身忙しいだろうと思っていたからだ。そして自分も。
「俺今日はちょっと遅くなりそうなんだけど、いいの?」
 申し訳なくそう口にするカカシにイルカは、大丈夫です、と弾んだ声に笑顔を見せられ、それに安堵する。
 時間と店をイルカは告げると、じゃあ、と言って白い歯を見せ笑顔を浮かばせる。そこからカカシに頭を下げアカデミーへと歩き出す、その背中を見送った。
 その日の夜、店で落ち合い時間も時間でそこまで長く店にいれなかったけど、会話には沈黙はなく話が弾んだ。話題は尽きなかったし、楽しい時間を過ごせたのは確かだった。
 淡々と仕事をこなすだけの日々だからか。イルカといた数時間はゆったりと過ごせ楽しかった。
 そんな事を思いだしていれば、鳴っていた鐘の音が止む。カカシは両手をポケットに入れ、歩きながら待機所のある建物へ向かった。

 建物に入って階段を上がる。廊下を歩いてすぐ名前を呼ばれ顔を上げれば、そこには白衣を纏ったサクラが立っていた。
「久しぶりじゃない」
 言えば、先生こそ、とサクラに笑顔を浮かべ返される。歩み寄るサクラにカカシも足を止めた。
 数年前はまだまだ子供っぽかったはずなのに、笑顔を浮かべるサクラはすっかり大人びた表情を見せる。それに何故か寂しさを感じつつ、カカシはサクラへ目を向けた。
「本当、久しぶりですね」
 言われてカカシは僅かに首を傾げる。
「そーお?そりゃ忙しいけどさ、近頃ちゃんと待機所にも詰めてるよ」
 答えながら、ふと思い出した事に小さく笑うと、サクラはそれに気がつき不思議そうな顔を見せた。カカシは眉を下げる。
「いやね、この前イルカ先生にも同じ様な会話したなあって」
 はは、と笑うカカシにサクラは微かに目を丸くした。直ぐにその目を緩め、へえ、そうですか、と小さく答える。何でそんな顔をしたのか分からなかったが、カカシは続ける。
「でも俺もそれなりに非番だってもらってるよ」
 その言葉に対するサクラの反応はなく、その代わりに、
「イルカ先生とどんな事話したんですか?」
 そう聞かれ、カカシは視線をサクラから外し斜め上に漂わせる。
「まあ、そうだね。お互いの近況とかかな。ま、先生は相変わらず生徒の話ばっかりだったけど、」
「お見合いの話はしなかったんですね」
 そのサクラの台詞に、カカシは言葉を止めていた。サクラを見る。
「・・・・・・それって、俺の事を言ってる?」
 確認するように聞けば、サクラは僅かに片眉を上げた。
「他に誰かいるんですか?」
 誤魔化しようがない台詞を返される。サクラが綱手の弟子になっていた事を改めて思い出し、カカシは小さく息を吐き出した。
 
 見合いを勧められたのは先月で、ようやく復旧の目処がついてきた頃。恋人がいるかと聞かれ、特にいないと言ったら見合い話を持ち出された。次期火影の打診の話は既に出てはいたが、それに平行されそんな話を持ち出され心底気持ちが滅入った事を思い出す。
「無茶言わんでくださいよ」
 呆れ声で言うカカシに綱手は真っ直ぐに見返してきた。
「人生の伴侶を見つけるのがそんなに無茶な話か?」
 綱手の声は決して茶化してはいない。それが余計に憂鬱にさせた。たぶん思い切り顔にも出ていたと思う。
「必要ありませんよ」
「大切な相手を見つける事が何で必要ないなんて言える?」
 カカシは眉根を寄せた。そんなカカシを見て綱手は笑う。
「人生これから生きていく上で、自分が大切だと思える相手は必要だろ」
 大切だと思える相手。端的にも思えるが、自分にとっては酷く薄ぼけた表現だと感じる。顔も知らない相手と一緒に生活をする、そこに愛が芽生えるとはどうしても想像すら出来ない。
「俺にはそういうのは重荷ですよ」
「重荷?」
 綱手は短く笑う。
「可笑しな事を言うね。結婚は足かせなんかじゃないんだよ。お前はもしかしてずっと独り身でいるつもりだったのか?」
 こういう話題は苦手だった。黙ってカカシは銀色の髪をがしがしと掻く。ただ、綱手の言い分は分かっていた。分かるだけに逃げ出したくもなる。父親が自ら命を絶ってから、自分が長く考えないようにしてきた事なのだから。それを今更、と言っては変だがほじくり返されるような感覚は、正直不愉快だった。
「・・・・・・俺にはよく分かりません」
 一人しらけた口調のカカシに、綱手は、ふむ、とため息混じりに腕を組んだ。そして椅子の背もたれに体重を預ける。
「じゃあ明確にしてやろう」
 その言葉に嫌な予感がした。床に落としていた視線を上げると、綱手と目が合う。
「イルカに話したらどうだ」
 カカシの目が丸くなった。突拍子もない方向に進んだ気がするのは、自分だけか。なのに、綱手は至って可笑しな事を言ってはいないと、そんな顔をしている。カカシは瞬きをする。
「・・・・・・イルカ先生は相談所でも何でもないですよ」
 静かに返答するカカシの言葉を聞いて、綱手はそこで笑った。
「まさか、私もそんな風には思ってない」
「じゃあ何なんです」
「そのまんまだろう」
 苛立ちを感じてカカシはその苛立ちのまま眉間に皺を寄せ、綱手へ視線を向けた。
「そのまんまって・・・・・・言ってる意味が丸で分からないから聞いてるんですよ。イルカ先生に俺の結婚の相談をして、何の意味があるんです。迷惑ですよ。あの人もただでさえ忙しいのに、先生にこんな事で迷惑をかけるのはごめんです」
 言い終わるまで綱手は黙って聞いていた、そしてじっとカカシを見つめる。
「イルカの話題になったら随分とよく喋るじゃないか」
「そんな事は、」
「ない?」
 反射的に出た言葉に綱手はにやりと笑う。居心地の悪さに、カカシは視線を一回外し、そして戻す。
「そりゃそうでしょう」
「でも、お前の体温は上がったな」
 否定しようも、意味深な笑みを浮かべられ、今更ながらに綱手のその能力が面倒くさいと感じた。
「認めないなのか」
「何を認めるんですか」
 即答すれば、綱手は組んでいた腕を解き、机に立て肘をつく。頑固だねえ、とため息混じり呟いた。
「宇宙が提示する事実を素直に認めてこそ存在意義があるってもんだろ?事実を受け止めず誤った解釈ばかりしていると、いつまでもそうやって苛立ちが続くだけだぞ」
 諭すような口調で、綱手はそう言った。

 あれは正直面白くなかった。話題が突発的過ぎるし、何よりイルカは自分の中では数少ない、友人と呼べるうちの一人だ。そして綱手の直近の部下でもある。それを良いことにあらぬ事をイルカに吹き込みやしないかとひやひやしたが、それは幸いにもなかったようだった。
 この前飲んだ時のイルカはいつも通りで。一緒に過ごした時間は楽しく有意義だったと感じる。
 綱手はらしくない、まどろっこしい事を口にして、はっきりとは言わなかったが、その意味は十分過ぎるほどに分かっていた。自分だってそっちの事に経験もろくにないし、疎い方とは言え、分からないはずがない。
 ただ、あの綱手とのやりとりは面倒くさかった。
 元々、何も求めないのは自分の性格だ。
 だからイルカを自分の中で良い友人としてその立場を定め、それ以上でもそれ以下でもない存在は、自分の中での平穏だった。
 平穏を言う言葉が、適切なのかは自分でも分からないが。
 褐色の瞳は何もかも見透かしていると、物語っているようだった。そして目の前にいるサクラもまた、瞳の色こそ違うものの、似たようなものを感じる。カカシは内心苦笑いするしかなかった。
 始まってもない感情なのに。
「もしかしてサクラも説教とかするつもり?やめてよね」
 先手を打とうと冗談混じりで笑いながら言うと、サクラは一瞬驚いた顔をした。そして笑う。
「何、先生。もしかして誰かに言われたんですか?」
 少し目を輝かせて聞かれ、カカシはため息を吐き出した。知ってるくせに、とそんな目で見ると、サクラは薄く微笑んだまま、一回口を閉じ窓へ顔を向けた。そこに映る景色を見つめる。そのまま口を開いた。
「先生、知ってました?」
 言われても何の事か分からない。カカシは首を傾げる。
「えーっと、何を?」
 素直に聞くと、目だけがカカシへ向けられた。
「イルカ先生、顔を合わせる度にカカシ先生は元気かって、聞くんですよ」
 その目が、悪戯っぽく微笑む。
「自分で聞けばいいじゃないですか、って言っても、自分はアカデミーと受付の往復でそう顔を合わす事がなくなったからなあ、って笑うの」
 思い出すようにサクラは笑顔を浮かべ、それは苦笑いに変わった。
「本当、素直になればいいのに」
 それはカカシに言っているのか、イルカに向けてなのか。独り言のように、サクラは呟き、私も人の事言えないんですけどね、と続けた。
 カカシは何も答えなかった。サクラと同じように、視界に映る里の景色を眺める。
 黙ってしまったカカシにサクラは顔をカカシに向けた。桜色の髪を耳にかけながら、先生?と、カカシを見つめる。
 カカシは、少しの間の後、ゆっくりと口を開いた。
「サクラは正しいよ」
「え?」
 カカシは視線を上げる。可愛らしく瞬きをするサクラを見つめた。カカシは目元を緩める。
「イルカ先生の事。俺はイルカ先生に惹かれてる。ずっとね」
 けしかけておいて予想外だったのか、僅かにサクラの目が丸くなった。眉を下げ微笑むカカシに、眉を寄せた。一回口を閉じ、そして開く。
「・・・・・・悪い事じゃないと思います」
「それはどうかな」
 カカシは短く笑った。
「何でですか」
 笑って否定するカカシにサクラは疑問をぶつける。カカシはため息を吐き出した。
 窓に背を向け、その壁に背を持たれる。横に並ぶサクラに顔を向けた。
「俺が感情に流されたとして、もし先生と恋愛関係になったら、先生にとってめでたく終わると思う?」
 サクラがまた眉を寄せる。
「・・・・・・どうして終わると思うんですか?」
「んー?だって、イルカ先生の運命の相手が俺?で、つき合って、生涯の伴侶とか、あり得ないでしょ」
 そこで言葉を止めサクラを見ると、ひどく真剣な顔をしていた。苦しそうに眉根を寄せられ、それが何でなのか分からない。
「・・・・・・サクラ?」
 名前を呼ぶとサクラは大きな目でカカシを見つめた。
「カカシ先生はつき合ってもないなのに別れの心配をしてる」
「いや、つき合わないから」
「だから何で?」
 強い口調だった。カカシはそのサクラの表情を静かに見つめ返す。そうだねえ、とカカシは手をポケットに入れ、視線を廊下の天井へ向けた。
「まず第一に、イルカ先生が俺のデートの誘いにのるかどうかなんて分からないでしょ?それに、俺はサクラが思っている以上につまらない男なの。きっとがっかりする」
「信じらんない」
 サクラがぼそりと口にし、カカシは、え?と聞き返した。
「そんなの間違ってる」
 きっぱりと否定され、今度はカカシが眉を寄せる番だった。
「・・・・・・どうして?」
 そう尋ねるカカシに、サクラは首を横に振ると睨む。
「じゃあ、がっかりさせない為にデートに誘わない事が、イルカ先生の為なんだって、本気でそう思ってるんですか?」
 言い返せなかった。言葉を失うカカシに、サクラは向きを変え踵を返すと廊下を歩き出す。
 サクラがいなくなった後も、その場からカカシは動かなかった。
 自分勝手とまでは言われなかったものの、サクラの目はハッキリとそう物語っていた。
 参ったなあ。
 カカシは苦笑いを浮かべながら目を閉じ、天井を仰ぐ。そして目をゆっくりと開けた。

 イルカ先生、顔を合わせる度にカカシ先生は元気かって、聞くんですよ

 その台詞をサクラに言われた時、イルカが目に浮かんだ。そして、想像できた。
 この前イルカが話しかけてきた時、本当に久しぶりで。その声と表情から緊張しているのが読みとれた。本当は時間なんてなかった。でもせっかくだから、時間を作ってでも行きたくて。承諾したら、イルカは嬉しそうに笑顔を浮かべて。大丈夫です、そう口にした声のトーンも喜びで溢れていた。分かったくせに、気がつかないフリをした。
 いつの頃からか、出会って間もなく、イルカが自分に向ける好意には気がついていた。イルカのそんな存在になれた事は素直に嬉しかった。
 気がつかないフリをしたのは、その方がきっと自分にとって楽だと思ったから。
 忙しさから顔を合わす機会は減り、離れてしまったものの、それはそれでいいと思った。自分は勝手に割り切っていたのに、この前会ったら、イルカが見えない何かを必死につなぎ止めてくれているように感じて、胸が苦しくなった。どうしようもなく、その笑顔が愛おしいと思った。
 そう。もう何年も、ずっと、気がつかないフリをしてきたのに。
 なのに、今こうしてサクラに話題をふられただけなのに。先生に会いたいと、そう思ってしまったら認めていた。
 認めるが、浮かぶ限りの逃げる言葉を口にして、否定したのに。それが簡単にことごとく覆されてしまった。サクラが間違っていないのもとっくに分かっていた。
 そして。胸の奥がむずむずと痒くなる感覚は、これは何と言ったらいいのだろう。
 カカシは銀色の睫毛を伏せた。
 綱手のあの一件から、何も変えるつもりがなかった、心の奥底が揺らいでいたのは知っていた。
 絶対に気持ちは変えない。そう決めていたのに。
 固く、きつく、結ばれた、心の紐が確実に緩んでいる。
(・・・・・・あーあ)
 カカシは息を吐き出し呟くと、壁から背中を離した。ゆっくりと待機所に向かって歩き出す。

 ここから、カカシの心の紐が解かれるまで、そう間はなかった。


<終>
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