2020イル誕

「お疲れ様でした」
 深夜の報告所でイルカは報告を終えた上忍に頭を下げ見送り、扉が閉まったところで、手元の報告書に目を落とした。見落としがないか最後の確認をしてナンバリングと自分のサインを左端に書き加える。溜まった書類をファイルするのは、報告者が疎らになる夜間の当番の仕事だ。
 だからと言ってこの場を離れる事は出来ないから。あらかじめ書庫室から持ってきておいたファイルをイルカは足元から取り出すと、それを開いた。
 ナンバリングされた順番に、報告書をファイルしていく。その作業を黙々と続けながら、イルカはふとその手を止めた。報告書に落とす眼差しが虚ろになるのは、気分が落ち込んでいるからに他ならないが。自分でもそれを認めるのが嫌で、イルカは僅かに眉根を寄せた。

 カカシと居酒屋にいたのは先週。夕飯を誘ってきたのはカカシだった。つき合い始めたのは先月からで、つき合う前と後では二人の関係は大きく変わったものの、カカシの前と変わらない接し方は内心嬉しかった。つき合って直ぐに商店街を並んで歩いて、ふと手がカカシと触れた時、直ぐ手を引っ込めたのは自分だった。人前で手を繋ぐ行為は勿論、教員として、生徒の親の目があるような場所でそんな姿を見られたくなくて、そんな心情を誤魔化すように苦笑いして説明する自分に、カカシは少しだけ不思議そうな顔をしたが、直ぐに笑顔を見せて、そうだね、と言ってくれた。
 不快な顔もせず、ただ自分の気持ちに合わせてくれてるカカシの優しさに胸を打たれた。
 いつもと同じように居酒屋で向かい合って座り、互いに好みの合う食べ物と酒を口にする。話題は特に盛り上がる内容でもないけど、ただ、二人で話しているだけで楽しくて。今日アカデミーであった事を話していた時、よお、と声がかかり、顔を向ければ、そこにはカカシと同じ上忍師のアスマと紅が立っていた。この店で二人を見かけるのは珍しいが、同じ里で全く合わないはずがない。店の奥に案内されている途中だったのか、足を止めたアスマと紅に頭を下げれば、二人がこっちにも目を向ける。ああ、イルカか、と、声が返った。アスマはそこからカカシへ視線を戻す。二人で飲んでんのか、と当たり前の言葉をかけるアスマに、カカシはグラス片手に立て肘をつきながら、まーね、と気のない言葉を返した。ずいぶんと無愛想に感じるも、それをアスマは気にする様子もない。同じ上忍でそして上忍師で、つき合いが長いんだろうなあ、と感じた時、口を開いたのはアスマの隣に立っていた紅だった。
「デート?」
 丸で挨拶の様に、さらりと口にした言葉に、イルカは一瞬目を丸くしていた。こんなストレートに聞いてくるとは思っていなくて。それに、何て答えるべきか、考える間もなく頭が真っ白になる。こうなる事は予想出来ていたはずなのに、自分の中でまだどうすべきか答えは何も用意していなかった。焦りを必死に隠しながらも、えっと、と言い掛けたと同時に、カカシが、そんな訳ないでしょ、と笑うように言った。
「俺たちそんな関係じゃないから」
 あっさりとそう口にしながら、カカシはつまみの枝豆を口に放り込む。目を向けると、ね、と促され、イルカは慌てて笑顔を作っていた。そうです、と答えれば、挨拶代わりの冗談だったのか、アスマも紅も特に深く何も勘ぐる事もなく奥の部屋に足を向けた。

 カカシは上手く返してくれただけで。誤魔化すための嘘だって分かっている。しかも、自分でそうしたいとカカシに言ったくせに。なのにあのカカシの言葉と表情が何故か忘れられなくて。
 それなのに、胸の奥がずんと重くなるのは事実で。
 イルカは報告書を持ったまま、深いため息を吐き出していた。そんな自分にいかんいかん、と首を振る。
 夜間の仕事は単調で他の事をつい考えがちになる。
 仕事に集中しなければいけないのに、最近は気がつくといつもこうだ。
 特にあれからカカシと関係が拗れたわけでもなく、変わらずカカシは優しいし、昨日も自分の家に泊まっていって。そこまで思い出しただけで、さっきまで落ち込んでいたくせに、今度は誰かがいるわけでもないのに、変に恥ずかしさが募り顔が熱くなる。イルカは一人赤面しながら咳払いをすると、表情を引き締め、ファイリングの作業を再開した。

 三日後、イルカは執務室へ向かっていた。夜勤明けは中々普段のペースが取り戻せず眠い。
 だが、仕事中にそんな事をいってられないし、アカデミーで子供達を前にしたら尚更だった。それは火影の前でも然り。三代目の長い話に居眠りをしてきつく叱られたのはいつ頃だったか。ふと昔の事を思い出しながらイルカは執務室の扉を開けた。
 渡した資料の説明を終えた時、聞こえたのは扉をノックする音だった。火影の応答する声に扉が開く。入ってきた相手にイルカは僅かに目を丸くした。カカシもまた、執務室にいるイルカに目を向け少しだ反応を示すが、直ぐその表情は消える。いつも通りの涼しい表情で火影の前に立った。
 どんな関係性であろうとカカシは上忍だ。中忍の自分が立ち入って聞く話ではない。二人に一礼して扉へ向かおうとすれば、火影に呼び止められイルカは足を止めた。顔を向けるとパイプを口にした火影が、そう言えば、と口を開く。
「今夜ちょっと時間とってもらえんか」
 そう言われ、イルカは火影へ向き直った。今夜ですか、と確認すれば、そうだ、と直ぐに言葉が返る。
「招いた客の為に店をとってあるんだが、そこでお前も同席してもらいたくてな、」
 火影の説明に納得したのは、過去何度か同じ様な事を頼まれた事があったから。三代目が自分の接客力を買ってくれているのは知っている。木の葉のアカデミーや里の事を話し、他の里が木の葉の事を知り、理解を深めるきっかけになってくれれば、それはそれで嬉しい。
 残業があったが、明日にまわせばいい。イルカが快く頷こうとした時、あー、と間延びした声を出したのはカカシだった。
 火影とイルカ、二人の視線を浴びながらも、別に悪びれる様子もなく、ちょっといいですかね、と続るカカシに、イルカは少し内心驚いて見つめた。
 この前もそうだったが。ナルトや他の上忍仲間や、誰の前でもつき合う前と同じ様な態度を取ってくれている。勿論火影の前でもそうだ。だから、この状況でカカシが口を挟む理由が分からなかった。
 なんだ、と答える火影に、カカシは眠そうな目を向ける。
「それ、イルカ先生じゃなく誰か別の人に頼んでもらえますか」
 火影に向けたカカシの台詞が、一瞬何を言っているのか理解出来なかった。そこからその言葉を理解しようとも、やはり何を言っているのか分からない。だって、火影に頼まれたのは自分で、カカシではない。なのに、何で。
 眉を顰めるイルカにを前に、火影が、じゃあお前が代わるか、と当たり前の台詞を投げられるも、それにもカカシは首を横に振った。
「いや、俺は無理です」
 にこやかに断る意味が分からない。それは火影もそうで。眉間に皺を寄せたまま、じゃあなんでだ、と言いかける火影に、カカシが銀色の髪を掻きながら口を開く。
「先生、今日俺とデートなんですよ」
「はあ!?」
 驚いたイルカの声が執務室に響きわたった。

 イルカは執務室の建物の外にいた。その前で腕を組んだまま出入り口の近くでうろうろと歩く。
 カカシ先生、急に何言い出すんですか。そう詰め寄るイルカにカカシは全く動じなかった。まあまあ、先生はもういいですから、何て言われカカシに執務室から出されて。よくないだろ、と思わずタメ口になりかけるイルカに何も言わずカカシはその扉を閉めた。
 でも、立場上もう一度執務室に勢いで乗り込む訳にもいかず。
 イルカは足を止めて、忌々しそうに執務室がある建物を見上げた。
 何がなんだか分からない。ただ、カカシが火影の前で口にした台詞は間違えようがない事実。
 デート。デートって言ったよな。火影の前で。イルカは眉間に皺を寄せながらその眉間を自分の指で押さえる。
 今日、そんな約束をしていただろうか。自分の記憶ではない。いや、記憶を探っている場合ではなくて。
 何でカカシは急に火影の前で何を言い出したのか。考えても分かるわけがなく、ただ、焦りが広がる。再び苛立ちを感じた時、カカシが建物の出入り口から姿を見せ、思わずイルカは詰め寄っていた。
「どういう事ですか」
 問いつめるイルカの目つきは鋭い。そんなイルカをカカシは見つめながら、少しだけ眉を下げた。その温度差にイルカが眉を寄せれば、カカシは、来て、と言ってイルカを建物の裏手へ連れて行く。連れて行かれるままにイルカはカカシについて行くしかなかった。
 建物の裏手まで来たところで足を止めると、不満そうな顔をしているイルカをカカシは見つめ返した。説明してください、と言えば、うん、と言葉が返る。
「先生、今日誕生日でしょ」
 続けて言われて、イルカは一瞬考えた。ここ数年、いやそれ以上か。自分の誕生日を忘れた分ではないが、忙しさに思い出す事さえなかった。
 この歳になれば自分の誕生日なんてその程度で、せいぜい子供達に言われて思い出すくらいだ。
「・・・・・・確かに、今日は俺の誕生日です」
 そこは間違っていないから、イルカはまだ納得できていないが、認めると、カカシは小さく息を吐き出した。
「つき合って初めての誕生日だから、一緒に過ごしたいって、そう思ったの」
 その言葉に、イルカはカカシを見つめていた。丸で駄々をこねる子供に諭すような口調で。そう、自分は駄々をこねている子供なんかではなく、正当な責める理由を持っていて。イルカは眉を寄せたまま口を結んで俯いた。
「でも、だからって、火影様の前で、」
「他人のフリしてた方が良かった?」
 アスマの時みたいに。言われてイルカは思わず顔を上げていた。気になっていたが、気にしていないフリをしていたあの事を、カカシが言っている。でも、あれは自分がお願いした事で、カカシに非はなくて。そして、思い出しただけで、胸が痛んだ。カカシの目を見つめ返せば、茶化した表情はどこにもなく、真剣で。
 自分だったら一生かかっても言えっこない事をカカシは言ってくれたのだ。自分の為に。
 それに気が付いてしまったら、思わず泣きそうになってイルカは奥歯にぐっと力を入れた。泣き顔なんて見られたくなくて俯く。
「他人のフリは、・・・・・・嫌です」
 こんな言葉しか出てこなかった。都合のいい答えだと思う。でも、自分の答えはこれしかなくて。
 そして、言った直後に聞こえたのは、カカシのため息だった。
 呆れれたのかと、ドキリと心臓が嫌な音を立てた時、
「良かったあ」
 気の抜けた声に顔を上げると、カカシはほっとしたような顔で、笑っていた。
「すごく怒ってたから、先生に嫌われて終わっちゃうのかと思った」
 眉を下げて笑うカカシを見ていたら、緊張していたものが簡単に解けていくのが分かった。じわりと胸の奥が暖かいものが広がる。火影様に知られた時はどうなるかとは思ったが。そんな事よりもなによりも、自分だけじゃなくてカカシも同じ様に、不安を抱えていたんだと知り、そしてそれは改めてカカシが自分に恋をしてくれている事を知る。
 そう思ったら、無性に嬉しくて。幸せな気持ちでいっぱいになる。イルカは涙を浮かべながら、微笑むカカシと一緒に白い歯を見せて嬉しそうに笑った。



<終>

 
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