2020カカ誕
昼休憩を終えた午後、報告所の奥で書類の整理をする。今月もまだ半ば過ぎなのにずいぶんと報告書が溜まっている。依頼も増えているのは里に信頼があるからで。忙しいが悪いことではない。
整理し終えた報告書を一纏めにしてそれを抱えると、イルカは立ち上がり、窓から見えた人影に、目を留める。
カカシが上忍仲間と一緒に歩いていた。何のことはない、上忍待機所に向かっているところなんだろう。銀色の髪を、横顔を、そこから背中を目で追い。
カカシを見かけて、ーーラッキーとか思うのは、誰にも言えない。
イルカは頬を僅かに紅潮させるが、それを隠すように、顔を伏せ書庫室へ向かった。
最初は憧れからくるものなんだろうと思っていた。
ナルトの上忍師として知り合ってから、挨拶するようになり、顔を合わせる度会話をするようになり。
それはアスマや紅に対してもそうで、誰とも変わらない関係なのに。向こうから声をかけてくれると無性に嬉しくて、自分との会話でカカシが笑うと気持ちが高揚する。
自分でも気が付かないフリをしていたけど。
そうなんだろうなあ、と思ったら。気持ちが加速した。
ただ、加速しようがさすがにこれは自分でもないと思う。口が裂けても言えっこない。まさか部下の元担任の中忍の男が、自分に好意を抱いてる、なんて。そんな事誰かに知れたら社会的に自分は終わりだろうし、カカシとも今の関係があっけなくなく終わってしまうのが目に見えている。
そう、だから今の関係が一番楽しい。
それが最良の選択だ。
「先生」
名前を呼ばれ、イルカが顔を上げればカカシがイルカに歩み寄る。待った?と聞かれイルカは首を横に振った。俺もさっき来たばっかりです、と言えば、カカシは、そっか、と微笑む。一緒に並んで歩き出した。
夕飯に誘ったのは自分からだった。
偶然ラーメン屋で居合わせた事があったが、カカシを誘った事もなかったし、カカシから声がかかった事もなかった。
それに、ここ最近の忙しさから断られるとばかり思っていたのに。
その日はたぶん仕事上がるの遅くなるかもしれないけど、いい?
無理だったら断ってもいいのに。そう口にするカカシの表情が優しくて、はい、と、大きく頷いてしまっていた。そして嬉しさを顔に出さないように必死に努めた。
それが九月に入ったばかりの頃。
そこから結構日にちが空いたのにカカシは約束を覚えてくれていた。
その事も、単純に嬉しい。
イルカはその事を思い出し、つい顔が緩みそうになる。隣に歩くカカシに気づかれないよう、ぐっと唇を結んだ。
カカシを誘ったからと言って特別な店を知っているわけでもないし、高い店には行けっこない。自分がいつも昔から通っている居酒屋を選んだのだが、カカシは嬉しそうだった。
俺ここの店何回か来たことあるけど、良い店だよね。
席に座って直ぐ、カカシがそう口にして、それだけで良かったと思い安堵する。アスマや他の上忍達と高そうな店で任務の打ち上げをしているのも知っているし、上忍は個室の店を選ぶ事が多い。
ここの店は狭いし綺麗とは言えないが、何より酒も食べ物が上手いし安い。カカシが気に入ってくれれば、また誘う口実が出来る。
そこまで思って自分がひどく厭らしい考えの人間に思え、思わず内心首を横に振った時、
「じゃあ、乾杯」
運ばれたビールジョッキをこっちに向けられ、イルカも笑顔を作る、ジョッキをカカシへ傾けた。
飲める量はそこそこだよ、とカカシが言っていた通り、ひとしきり喋りながらビールを飲んだ後は、途中から焼酎に変える。イルカもまた同じ用に焼酎の水割りの飲みながらほっけの干物へ箸を伸ばした。ほろ酔い気分で心地良い。身をほぐし口に運んだ時、俺ねえ、とカカシが酒で白い頬を少し赤くさせながら言い、イルカは顔を上げた。
「実は今日誕生日だったの」
そう口にしてテーブルへ落としてした視線をイルカに向ける。
「ま、誕生日なんて言ってもいつも任務とか、変わらない日常を送るだけなんだけどさ、」
でも、こうして誰かと一緒に飲むのもいいよね。
僅かに嬉しそうに目を細めるカカシに、イルカはグラスに残っていた焼酎を全部喉に流し込む。グラスをテーブルに置き、そこでカカシへ顔を向けた。
「知ってました」
言えば、カカシが、え、と眠そうな目を丸くする。イルカは笑いながら、すみません、と後頭部を掻いた。
そう、知っていた。誘った時から。その日がカカシの誕生日だと知っていたから、誘った。
えっと、とイルカは続ける。
「知ってたんですが、気を使ってるって思って欲しくなくて、」
あ、でも勿論今日は奢るつもりでいますから。
笑いながら言うイルカの言葉を聞きながら、カカシは、少しの間の後、そっか、と呟く。その間に、言葉に、内心しまった、と思えば、カカシは笑顔を見せた。
「いやね、俺誰かに誕生日とか口にした事なくて、でもほら先月サクラにしつこく聞かれてさ」
カカシの言葉に、イルカは変に思われていない事に安堵しながら、相づちを打った。
「そうなんです、俺サクラからそれを聞いて、」
それで誘ったんです。
ちゃんと良い方向に向かっている。そう思っていたのに。
「じゃあ、三週間も前から知ってて、それで誘ったの?」
カカシの言葉にイルカの表情が固まった。心臓が、ぎゅっと縮まる。
知ったのは最近だと言えば良かったのに。そんな前から知り、その上で誘うなんて。よく考えたら気持ちが悪いに決まっている。
ただ、自分は必死だった。カカシがその日にもしかしたら別の女性と過ごすかもしれないし、当たり前に誘われるかもしれない。そう思ったら、気が付いたらカカシを呼び止めていた。
予定がなく、承諾してくれた事に、嬉しくて。勝手に自己満足で舞い上がっていて。
仕事柄困った事があっても頭を回転させて上手く乗り切れるのに、真っ白になった頭は、全く動かない。
焦りが一瞬で自分の全身に広がった。
気持ちが悪い。そう思われても仕方がない。どうにか切り抜けたくて、あの、と口を開いた時、
「でもさ、女の子ってそう言う話題好きだもんねえ」
カカシが微笑みながら、縦肘をついてグラスを傾ける。え?と聞き返せば、
「ほら、誕生日とか、血液型とか」
アカデミーの女の子達もそうじゃない?
言われて、イルカは合わせるように頷いた。ぎこちなく笑顔を浮かべる。
カカシは何でもない風に笑っているが、明らかに、話を逸らされた。
血の気が引いたのは確かで、心臓が変な音を立てている。顔に出てしまったのかもしれない。
そんな事悟らせるつもりは毛頭なかったのに。
今さら、別の話題になっているのに、違うんです、俺はそんなんじゃない、とかそんな言い訳出来るわけがない。したところで、そうだと認めるようなもので、更にカカシを嫌な気持ちにせさる。
さっきまで、上手くやれていて、すごく楽しかったのに。風船が萎む勢いで気持ちが落ち込むイルカを余所に、カカシが店員を呼び止める。空になった焼酎の追加を頼んだ。
「先生も同じのでいい?」
顔を上げれば、カカシは優しい眼差しを自分に向けている。
きっとこの人は、何かを勘付いて、それでも聞かなかったようにしている。嫌でも分かるカカシの気持ちに、その優しさに、胸が押しつぶされそうになる。それを堪えるように、イルカは笑顔を作る。
「じゃあ俺も同じので」
そう答えた。
勘定を済ませ、店を出れば東にあった月が既に頭上に上ろうとしている。
「美味かったね」
そう口にするカカシの口調が優しくて、それだけで胸が痛んだ。でも、イルカはまた笑顔を作り、頷く。
歩き出すカカシに合わせてイルカもまた歩くが、しかしその足は重い。口数が減ってしまっているのは自分でも分かっていた。気持ちを切り換える事は簡単なはずなのに。どうしようもないくらいに出来ない。
ただ、もう焦りはなかった。
ここからカカシと距離を置けばいい、ただそれだけの事だ。
「ねえ、先生」
すっかり黙ってしまったイルカにカカシが声をかける。
「今度俺が奢るから、また飲みに行こうね」
その言葉に、足が止まっていた。カカシが数歩進んだことろでイルカに気が付き足を止め、振り返る。
「どうしたの?」
不思議そうに聞かれてイルカは困惑した。
カカシのそんな顔を見つめながら、思わず眉根が寄る。
どうしたのって。分かってるだろう。そう突いて出そうになり、イルカは口を結んだ。
なんで、そんな事を言うんだろうか。
「・・・・・・何でですか」
気が付いたら、自分からそんな言葉が口から出ていた。
なのに、カカシはまたしても、不思議そうな顔をする。イルカは視線を地面に落としていた。
カカシがこの気持ちに気が付いてないはずがない。あんな不自然な話の逸らし方をしておいて。
「だって、変でしょう、その優しさは、・・・・・・、」
言いながらイルカが視線を上げると、カカシはじっとこっちを見ていた。その視線に耐えきれそうにないが、奥歯をぐっと噛み、堪える。
もしかしたら、カカシはどんな女性にもそうなのかもしれないが、自分には辛い。
そう、気持ちがバレているのに、それに気が付かないフリをされるのは、辛い以外の何物でもない。
だったら、せめて、無理だとか、ごめんね、とか。有り得ないとか。はっきりと。振ってくれた方がマシだ。
そんな自分の気持ちを全部さらけ出して突っぱねてしまえば、どんなに楽か。それなのに。可能性がないのに。こんな状況になってまで、自分でこの関係を壊すのが、怖いとか。
俺って、こんなんだったか?
自分の気持ちの弱さに、泣きたくなった。身体に力を入れ歯を食いしばる。
途中まで言い掛けながら、黙ってしまったイルカに、カカシはじっと見つめていた。そして、ふいと背を向ける。何も言わずに離れていく姿を見つめ、ああ、やっちまったなあ、と思えば、身体の力が抜けた。呼び止めるつもりはない。
だって、仕方がない。これは自分の失態で、カカシは何も悪くない。せめてバレるなら別の日で、こんな日ぐらい、楽しい気持ちのまま別れたかった。
いや、そもそも自分がカカシを好きになってしまったばっかりに、ーー。
そう思っていれば、道端でカカシがしゃがみ込んだ。
そのまま去って行くのだろうとばかり思っていたから。どうしたんだろうと思っていれば、カカシが立ち上がり戻ってくる。
イルカはきょとんとしていた。目の前まで来たカカシに、あの、と言い掛ければ、
「はい」
そう言ってカカシが手を自分に差し出す。視線を下げると、カカシの手には一輪の花があった。
薄いピンク色の花。
「・・・・・・コスモス、ですか」
イルカの言葉に、うん、とカカシが返す。
何でコスモス?
内心首を傾げれば、貰って、と言われ、イルカは驚きながらも受け取るしかなかった。
帰るのかと思いきや、急に、花とか。どういう意味なのか。
ぐしゃぐしゃになり落ち込んだ気持ちに、整理がつかないし、この意図が掴めない。
「返事」
短い言葉を口にされ、イルカは秋桜へ落としていた視線をカカシへ上げた。
「返事って、」
「だから、そんな顔しないで、笑って?」
困ったように眉を下げで笑うカカシに、イルカは瞬きをした。自分は鈍い。それは昔からで、でも。何故か、今回は分かってしまった。
カカシから渡されたコスモスを手に、かあ、とイルカの顔が一瞬で真っ赤になる。いやいや、待て待て、と余りに拙速過ぎると思い直せば、カカシが笑った。
ここで笑うところか?と非難した顔を向けるイルカに、ごめん、とカカシが笑いながら言う。
「だって、青くなったり、泣きそうになったり、怒ってるかと思ったら、今度は赤くなって、忙しい人だなって、」
カカシの表情は、いかにも可笑しそう、といった顔で。そんな顔をされたら、どう返したらいいのか分からなくなり、イルカは気まずそうに俯くしかなかった。俺は、別に、と言えば、ごめん、とまたカカシが言う。イルカは怪訝そうな顔を向けた。砕けた空気に、勇気を出して口を開く、
「あの、分かってます?俺は、あなたの事が好きで、」
最後まで言う前に、カカシは、うん、と直ぐに返した。分かってる、と続け、それに驚くイルカに一歩近づく。
「それって、肉欲的にって事でしょ?」
はっきりと言われ、でもそこまで考えてなかったといったら嘘で。またしてもイルカの顔が赤く染まった。耳まで熱い。でも身も蓋もない表現に、抵抗しか浮かばなく、いや、それは、と言い淀むイルカにカカシは、俺ね、口を開いた。
「ちょっと前からだろうなって、分かってたんだけどね。でも、それがあなたの一時の気の迷いだったとしたら、俺が辛いから、だから、ちょっとかまかけたんだけど、」
でも、先生ちゃんと言ってくれた。
そこで言葉を切ったカカシが微笑む。嬉しそうに。
え、俺かまかけられたの?と、そんな疑問が浮かぶが、それより気持ちが他へいってしまっていた。
だって。
カカシに恋人が出来たら。カカシに良い人が出来てその相手と結婚したら。
そこで気持ちは吹っ切れる。
そう思っていた。
それまでは好きでいたい。それまでは好きでいても、いい。
自分にそう思い聞かせていたのに。
正直、こうなった今も、夢見心地だ。
そして、こんな時に自分の天の邪鬼が顔を見せる。
素直に受け入れてもいいものか。戸惑うイルカに、カカシは優しく微笑んだ。
「ね、先生。おめでとうっ言って?」
顔を上げると、カカシが優しく見つめている。
「俺、誰でもない、先生におめでとうって言ってもらいたい」
あ、そうか、とカカシの言葉で誕生日だと言うのに、気持ちがバレないようにする事に必死で、何も言っていない事を思い出す。
本当は誕生日を知ってから、カカシに直接伝えたいと思っていた言葉。
イルカはぐっと唇を結び、そこからゆっくり開く。
「誕生日おめでとうございます、カカシさん」
でも、やっぱり、手に花なんか持ったこんないい歳した中忍の俺が、今さら、改めて、面と向かって言うのって変だって思うのに。
カカシは微笑む。うん、と幸せそうに答えた。
<終>
整理し終えた報告書を一纏めにしてそれを抱えると、イルカは立ち上がり、窓から見えた人影に、目を留める。
カカシが上忍仲間と一緒に歩いていた。何のことはない、上忍待機所に向かっているところなんだろう。銀色の髪を、横顔を、そこから背中を目で追い。
カカシを見かけて、ーーラッキーとか思うのは、誰にも言えない。
イルカは頬を僅かに紅潮させるが、それを隠すように、顔を伏せ書庫室へ向かった。
最初は憧れからくるものなんだろうと思っていた。
ナルトの上忍師として知り合ってから、挨拶するようになり、顔を合わせる度会話をするようになり。
それはアスマや紅に対してもそうで、誰とも変わらない関係なのに。向こうから声をかけてくれると無性に嬉しくて、自分との会話でカカシが笑うと気持ちが高揚する。
自分でも気が付かないフリをしていたけど。
そうなんだろうなあ、と思ったら。気持ちが加速した。
ただ、加速しようがさすがにこれは自分でもないと思う。口が裂けても言えっこない。まさか部下の元担任の中忍の男が、自分に好意を抱いてる、なんて。そんな事誰かに知れたら社会的に自分は終わりだろうし、カカシとも今の関係があっけなくなく終わってしまうのが目に見えている。
そう、だから今の関係が一番楽しい。
それが最良の選択だ。
「先生」
名前を呼ばれ、イルカが顔を上げればカカシがイルカに歩み寄る。待った?と聞かれイルカは首を横に振った。俺もさっき来たばっかりです、と言えば、カカシは、そっか、と微笑む。一緒に並んで歩き出した。
夕飯に誘ったのは自分からだった。
偶然ラーメン屋で居合わせた事があったが、カカシを誘った事もなかったし、カカシから声がかかった事もなかった。
それに、ここ最近の忙しさから断られるとばかり思っていたのに。
その日はたぶん仕事上がるの遅くなるかもしれないけど、いい?
無理だったら断ってもいいのに。そう口にするカカシの表情が優しくて、はい、と、大きく頷いてしまっていた。そして嬉しさを顔に出さないように必死に努めた。
それが九月に入ったばかりの頃。
そこから結構日にちが空いたのにカカシは約束を覚えてくれていた。
その事も、単純に嬉しい。
イルカはその事を思い出し、つい顔が緩みそうになる。隣に歩くカカシに気づかれないよう、ぐっと唇を結んだ。
カカシを誘ったからと言って特別な店を知っているわけでもないし、高い店には行けっこない。自分がいつも昔から通っている居酒屋を選んだのだが、カカシは嬉しそうだった。
俺ここの店何回か来たことあるけど、良い店だよね。
席に座って直ぐ、カカシがそう口にして、それだけで良かったと思い安堵する。アスマや他の上忍達と高そうな店で任務の打ち上げをしているのも知っているし、上忍は個室の店を選ぶ事が多い。
ここの店は狭いし綺麗とは言えないが、何より酒も食べ物が上手いし安い。カカシが気に入ってくれれば、また誘う口実が出来る。
そこまで思って自分がひどく厭らしい考えの人間に思え、思わず内心首を横に振った時、
「じゃあ、乾杯」
運ばれたビールジョッキをこっちに向けられ、イルカも笑顔を作る、ジョッキをカカシへ傾けた。
飲める量はそこそこだよ、とカカシが言っていた通り、ひとしきり喋りながらビールを飲んだ後は、途中から焼酎に変える。イルカもまた同じ用に焼酎の水割りの飲みながらほっけの干物へ箸を伸ばした。ほろ酔い気分で心地良い。身をほぐし口に運んだ時、俺ねえ、とカカシが酒で白い頬を少し赤くさせながら言い、イルカは顔を上げた。
「実は今日誕生日だったの」
そう口にしてテーブルへ落としてした視線をイルカに向ける。
「ま、誕生日なんて言ってもいつも任務とか、変わらない日常を送るだけなんだけどさ、」
でも、こうして誰かと一緒に飲むのもいいよね。
僅かに嬉しそうに目を細めるカカシに、イルカはグラスに残っていた焼酎を全部喉に流し込む。グラスをテーブルに置き、そこでカカシへ顔を向けた。
「知ってました」
言えば、カカシが、え、と眠そうな目を丸くする。イルカは笑いながら、すみません、と後頭部を掻いた。
そう、知っていた。誘った時から。その日がカカシの誕生日だと知っていたから、誘った。
えっと、とイルカは続ける。
「知ってたんですが、気を使ってるって思って欲しくなくて、」
あ、でも勿論今日は奢るつもりでいますから。
笑いながら言うイルカの言葉を聞きながら、カカシは、少しの間の後、そっか、と呟く。その間に、言葉に、内心しまった、と思えば、カカシは笑顔を見せた。
「いやね、俺誰かに誕生日とか口にした事なくて、でもほら先月サクラにしつこく聞かれてさ」
カカシの言葉に、イルカは変に思われていない事に安堵しながら、相づちを打った。
「そうなんです、俺サクラからそれを聞いて、」
それで誘ったんです。
ちゃんと良い方向に向かっている。そう思っていたのに。
「じゃあ、三週間も前から知ってて、それで誘ったの?」
カカシの言葉にイルカの表情が固まった。心臓が、ぎゅっと縮まる。
知ったのは最近だと言えば良かったのに。そんな前から知り、その上で誘うなんて。よく考えたら気持ちが悪いに決まっている。
ただ、自分は必死だった。カカシがその日にもしかしたら別の女性と過ごすかもしれないし、当たり前に誘われるかもしれない。そう思ったら、気が付いたらカカシを呼び止めていた。
予定がなく、承諾してくれた事に、嬉しくて。勝手に自己満足で舞い上がっていて。
仕事柄困った事があっても頭を回転させて上手く乗り切れるのに、真っ白になった頭は、全く動かない。
焦りが一瞬で自分の全身に広がった。
気持ちが悪い。そう思われても仕方がない。どうにか切り抜けたくて、あの、と口を開いた時、
「でもさ、女の子ってそう言う話題好きだもんねえ」
カカシが微笑みながら、縦肘をついてグラスを傾ける。え?と聞き返せば、
「ほら、誕生日とか、血液型とか」
アカデミーの女の子達もそうじゃない?
言われて、イルカは合わせるように頷いた。ぎこちなく笑顔を浮かべる。
カカシは何でもない風に笑っているが、明らかに、話を逸らされた。
血の気が引いたのは確かで、心臓が変な音を立てている。顔に出てしまったのかもしれない。
そんな事悟らせるつもりは毛頭なかったのに。
今さら、別の話題になっているのに、違うんです、俺はそんなんじゃない、とかそんな言い訳出来るわけがない。したところで、そうだと認めるようなもので、更にカカシを嫌な気持ちにせさる。
さっきまで、上手くやれていて、すごく楽しかったのに。風船が萎む勢いで気持ちが落ち込むイルカを余所に、カカシが店員を呼び止める。空になった焼酎の追加を頼んだ。
「先生も同じのでいい?」
顔を上げれば、カカシは優しい眼差しを自分に向けている。
きっとこの人は、何かを勘付いて、それでも聞かなかったようにしている。嫌でも分かるカカシの気持ちに、その優しさに、胸が押しつぶされそうになる。それを堪えるように、イルカは笑顔を作る。
「じゃあ俺も同じので」
そう答えた。
勘定を済ませ、店を出れば東にあった月が既に頭上に上ろうとしている。
「美味かったね」
そう口にするカカシの口調が優しくて、それだけで胸が痛んだ。でも、イルカはまた笑顔を作り、頷く。
歩き出すカカシに合わせてイルカもまた歩くが、しかしその足は重い。口数が減ってしまっているのは自分でも分かっていた。気持ちを切り換える事は簡単なはずなのに。どうしようもないくらいに出来ない。
ただ、もう焦りはなかった。
ここからカカシと距離を置けばいい、ただそれだけの事だ。
「ねえ、先生」
すっかり黙ってしまったイルカにカカシが声をかける。
「今度俺が奢るから、また飲みに行こうね」
その言葉に、足が止まっていた。カカシが数歩進んだことろでイルカに気が付き足を止め、振り返る。
「どうしたの?」
不思議そうに聞かれてイルカは困惑した。
カカシのそんな顔を見つめながら、思わず眉根が寄る。
どうしたのって。分かってるだろう。そう突いて出そうになり、イルカは口を結んだ。
なんで、そんな事を言うんだろうか。
「・・・・・・何でですか」
気が付いたら、自分からそんな言葉が口から出ていた。
なのに、カカシはまたしても、不思議そうな顔をする。イルカは視線を地面に落としていた。
カカシがこの気持ちに気が付いてないはずがない。あんな不自然な話の逸らし方をしておいて。
「だって、変でしょう、その優しさは、・・・・・・、」
言いながらイルカが視線を上げると、カカシはじっとこっちを見ていた。その視線に耐えきれそうにないが、奥歯をぐっと噛み、堪える。
もしかしたら、カカシはどんな女性にもそうなのかもしれないが、自分には辛い。
そう、気持ちがバレているのに、それに気が付かないフリをされるのは、辛い以外の何物でもない。
だったら、せめて、無理だとか、ごめんね、とか。有り得ないとか。はっきりと。振ってくれた方がマシだ。
そんな自分の気持ちを全部さらけ出して突っぱねてしまえば、どんなに楽か。それなのに。可能性がないのに。こんな状況になってまで、自分でこの関係を壊すのが、怖いとか。
俺って、こんなんだったか?
自分の気持ちの弱さに、泣きたくなった。身体に力を入れ歯を食いしばる。
途中まで言い掛けながら、黙ってしまったイルカに、カカシはじっと見つめていた。そして、ふいと背を向ける。何も言わずに離れていく姿を見つめ、ああ、やっちまったなあ、と思えば、身体の力が抜けた。呼び止めるつもりはない。
だって、仕方がない。これは自分の失態で、カカシは何も悪くない。せめてバレるなら別の日で、こんな日ぐらい、楽しい気持ちのまま別れたかった。
いや、そもそも自分がカカシを好きになってしまったばっかりに、ーー。
そう思っていれば、道端でカカシがしゃがみ込んだ。
そのまま去って行くのだろうとばかり思っていたから。どうしたんだろうと思っていれば、カカシが立ち上がり戻ってくる。
イルカはきょとんとしていた。目の前まで来たカカシに、あの、と言い掛ければ、
「はい」
そう言ってカカシが手を自分に差し出す。視線を下げると、カカシの手には一輪の花があった。
薄いピンク色の花。
「・・・・・・コスモス、ですか」
イルカの言葉に、うん、とカカシが返す。
何でコスモス?
内心首を傾げれば、貰って、と言われ、イルカは驚きながらも受け取るしかなかった。
帰るのかと思いきや、急に、花とか。どういう意味なのか。
ぐしゃぐしゃになり落ち込んだ気持ちに、整理がつかないし、この意図が掴めない。
「返事」
短い言葉を口にされ、イルカは秋桜へ落としていた視線をカカシへ上げた。
「返事って、」
「だから、そんな顔しないで、笑って?」
困ったように眉を下げで笑うカカシに、イルカは瞬きをした。自分は鈍い。それは昔からで、でも。何故か、今回は分かってしまった。
カカシから渡されたコスモスを手に、かあ、とイルカの顔が一瞬で真っ赤になる。いやいや、待て待て、と余りに拙速過ぎると思い直せば、カカシが笑った。
ここで笑うところか?と非難した顔を向けるイルカに、ごめん、とカカシが笑いながら言う。
「だって、青くなったり、泣きそうになったり、怒ってるかと思ったら、今度は赤くなって、忙しい人だなって、」
カカシの表情は、いかにも可笑しそう、といった顔で。そんな顔をされたら、どう返したらいいのか分からなくなり、イルカは気まずそうに俯くしかなかった。俺は、別に、と言えば、ごめん、とまたカカシが言う。イルカは怪訝そうな顔を向けた。砕けた空気に、勇気を出して口を開く、
「あの、分かってます?俺は、あなたの事が好きで、」
最後まで言う前に、カカシは、うん、と直ぐに返した。分かってる、と続け、それに驚くイルカに一歩近づく。
「それって、肉欲的にって事でしょ?」
はっきりと言われ、でもそこまで考えてなかったといったら嘘で。またしてもイルカの顔が赤く染まった。耳まで熱い。でも身も蓋もない表現に、抵抗しか浮かばなく、いや、それは、と言い淀むイルカにカカシは、俺ね、口を開いた。
「ちょっと前からだろうなって、分かってたんだけどね。でも、それがあなたの一時の気の迷いだったとしたら、俺が辛いから、だから、ちょっとかまかけたんだけど、」
でも、先生ちゃんと言ってくれた。
そこで言葉を切ったカカシが微笑む。嬉しそうに。
え、俺かまかけられたの?と、そんな疑問が浮かぶが、それより気持ちが他へいってしまっていた。
だって。
カカシに恋人が出来たら。カカシに良い人が出来てその相手と結婚したら。
そこで気持ちは吹っ切れる。
そう思っていた。
それまでは好きでいたい。それまでは好きでいても、いい。
自分にそう思い聞かせていたのに。
正直、こうなった今も、夢見心地だ。
そして、こんな時に自分の天の邪鬼が顔を見せる。
素直に受け入れてもいいものか。戸惑うイルカに、カカシは優しく微笑んだ。
「ね、先生。おめでとうっ言って?」
顔を上げると、カカシが優しく見つめている。
「俺、誰でもない、先生におめでとうって言ってもらいたい」
あ、そうか、とカカシの言葉で誕生日だと言うのに、気持ちがバレないようにする事に必死で、何も言っていない事を思い出す。
本当は誕生日を知ってから、カカシに直接伝えたいと思っていた言葉。
イルカはぐっと唇を結び、そこからゆっくり開く。
「誕生日おめでとうございます、カカシさん」
でも、やっぱり、手に花なんか持ったこんないい歳した中忍の俺が、今さら、改めて、面と向かって言うのって変だって思うのに。
カカシは微笑む。うん、と幸せそうに答えた。
<終>
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