5月25日。

その日はいつもより酒を飲んでいたんだと思う。
年に数回不定期に行われる上忍、中忍を含めた飲み会は突然決まったりもする。出席すると言っていても任務が入れば当然来れないし、内勤でも残業があれば然り。夜と言えど交代制で歩哨だってある。
5月に行われた今回の飲み会は、参加は今年が初めてだった。
今回は参加出来た人数が多いのか貸し切られた座敷は大勢の忍びでごったがえしていた。
人数が多くなればそれは賑わいに代わり、酒が進む。顔を赤くして皆この飲み会を楽しんでいる。
イルカもその一人だった。
最近は仕事が忙しく家と仕事場を往復する日々で、家に帰っても仕事を持ち帰っている事も多かった為、家飲みさえ出来ていなかった。
少し前は夜でも冷えていたが、ここ連日蒸し暑い日が続いていた。冷えた生ビールが本当に美味く感じる。イルカは何杯目かになるビールを飲み干し、ふう、と息を吐き出した。
「お前本当に美味そうに飲むな」
近くに座っていた同僚が感心した声を出した。
「そりゃあ美味いもん」
イルカの素直な台詞に同僚は声を立てて笑う。同じ教員で同じ職場で働き、同じ独身男であるが、飲み会で酒を飲むのは久しぶりだった。
その周りにも時間が出来たら飲みに行こうと口約束だけしていたが、実際に仕事上中々揃わないメンバーが集まっている。
それがすごく嬉しかった。
「なんかぷち同窓会みたいな」
誰かが言ってイルカも、周りも笑った。
「飲み会だってそうだけどよ、女作る時間すらないくらいにこき使われてるもんなあ」
自虐ネタを口にし笑った友人に皆も深く同感と頷いた。
「そんな時期って言ったらそれまでかもしれないけど、婚期は待ってくれないし」
女子かよ、と周りから突っ込みが入る。
「いや婚期以前にモテ期だってスルーしてんじゃねえ?」
「おいおい、それはいつだよ」
気がつけば、近くにいた上司である上忍がもその話題に食いついたのか、グラス片手に入ってきた。
「いや、いつって言われたら困るんすけど」
困る友人に上司は片眉を上げた。
「恋するうんぬんよりも、自分の好みのタイプは把握してるか?」
「あ、俺料理上手な子」
「ああ、それもいいよな。俺はー、やっぱおっぱいが大きくて自分より背か小さくて、」
「おお、それいいね。で、イルカは?」
酒を飲みながらも近くで交わされる会話の傍観者になっていた自分に矛先が向けられ、イルカは目を丸くした。
「俺?俺は・・・・・・」
イルカは考えるように、皆の視線を受けながら目を漂わせた。
聞かれてもすぐに答えが出てこなかった。いつかは誰かいい人と出会って、家庭を持てたらいいなあ、くらいは思ってはいたが。はっきりとした女性に対する好みのタイプなんて今まで持った事も考えた事もなかった。
「え、お前ないの?」
呆れたように言われて何故か焦った。この歳になって漠然とした考えしか持っていないのは、確かにおかしいのかもしれない。今時受け持っている女子生徒だったら、はっきりとタイプを言える子もきっといるに違いない。
だが、浮かばない。この二十数年生きてきていいなあ、と思った人は確かに何人かいた。だがその相手の面影に共通するものははっきりとはない。
それに、過去一人だがおつき合いした人もいた。だが、私のどこが好きと聞かれ、それに答えられなかった事が原因で相手に別れを告げられた苦い思い出がある。今思えばもっと彼女のいいところを見つけて誉めてあげれば良かったのかと思うが、その時答えられなかったのは事実だし、今思っても仕方がない。
だから、この手の会話は正直苦手だった。確かに友人が言ったように、料理が美味い子と言われればそんな子もいいとは思うし、胸だって大きい方がいいと言われればそりゃ男だからそんな子もいいとは思う。
自分の好きなタイプ。
酔った頭を必死に回転させてもぼんやりとしたシルエットしか頭には浮かばない。
考えれば考えるほど真っ白になる。
「そうだな・・・・・・」
言葉が続かない。口を濁して鼻頭を掻く。
皆の酔いに任せた好奇心の視線から誤魔化す事は難しいと悟る。それに、久しぶりのこの飲み会の空気も自分の発言でしらけさせたくはなかった。
「俺も・・・・・・やっぱり可愛くておっぱいでっかい子がいいかなー」
どんな答えを期待していたのか分からないが、イルカがそう口にした一瞬の間の後、周りが笑った。
おっぱい星人がここにもいたか、と上司に背中を叩かれイルカは内心ホッとする。
そんな贅沢言ってる立場じゃないんですけど、と応えながらビールを口にした時、
「カカシはどんなタイプが好きとかあるのか?」
上司である上忍の台詞にイルカは、え、と小さく声を出していた。目を向けると上忍の後ろにカカシが背中を向けて座っていた。銀色のぼさぼさとした頭。猫背で胡座を掻いてそこに座っているのは確かにカカシだった。人数が多い中、カカシが参加しているなんて全く気がついていなかった。
もしかしたら出れるかも、とイルカが受付で聞いた時にそうカカシが答えたのを思い出す。
尋ねられたカカシもまたビールを飲んでいたのか、グラス片手に肩越しに相手を見て、そこからゆっくりと顔を向けた。
「え、俺?」
「そう、お前の好きなタイプ」
聞き返され、上忍がもう一度同じ言葉を繰り返す。上官である上にあまりこの手の飲み会で顔を見せる事がない相手に、周りの中忍も興味津々の眼差しをカカシに向けているのが、イルカから見ても分かった。
そう言えば。カカシさんはどんな女の人がタイプなんだろうか。
イルカはカカシの横顔をぼんやりと見つめた。
カカシとは一緒に食事をするようになって1年ぐらいになるが、今までそんな話題が出た事はなかった。
初めて飲みに誘われた時だったか。誘ってくれた事が不思議で、カカシさんはモテるのに俺なんかでいいんですか?と言った気がする。その時カカシは優しい笑顔を浮かべて、俺そんなモテないから、とか。そんな会話をした事をうっすら思い出した。
その時も、今も普段から顔を殆ど隠していようが、カカシが女性から人気があるのは紛れもない事実だった。
なのに色恋の話題はカカシの口から出た事もなかった。
今まで触れた事がなかった話題に、イルカも黙ってじっと答えを待つ。
カカシは。
いつもの冷静であり眠そうな目を相手に向けながら、うーん、と頭を掻いた。
「俺はタイプなんてないよ。たぶん好きになった相手がタイプになるんだと思う」
自分からはとてもじゃないけど言えそうにない歯の浮くような台詞を、カカシはさらりと口にした。
ふと、青い目がイルカに向けられる。
「先生、可愛くて胸がおっきい子が好みなんだ。知らなかった」
ニコリと微笑まれたその表情に、ふっと胸に差し込むような苦しさを覚えた。
だが、今ここでそう口にした手前、合わせて言っただけなんです、なんて言えるわけがない。
「ええ、やっぱ男ですしそんな感じの子がいいかなって」
カカシのその笑顔に釣られるようにイルカも笑顔を浮かべる。
「へえ、そっか」
そう答えたカカシにすぐに背を向けられ、それだけなのにカカシが背を向けた事で背中がすっと冷たくなった気がした。
いや、違う。だって酒の場だし。結構周りにウケたし。
盛り上がったからこれでいいはず。
そこからカカシはこっちを向くことがなかった。自分も友人と他愛のない話や仕事の話しを口にして盛り上がり、幹事の呼びかけでもう時間だと気がつく。そこでお開きとなった。
だが今日は金曜で明日は休み。ちょっとぐらい羽目を外してもいいだろうという気持ちに皆なっている。
ぞろぞろと店を出て、さて次はどこに行くかと話す仲間の横で、イルカはカカシを探した。
お開きになった時には、もうあの上忍の後ろにカカシは座っていなかった。外に出たのかもしれないと上忍が集まっている方へ目を向けてもそこにもカカシの姿はない。
今日は中忍と上忍の大規模の飲み会で、カカシと約束があったわけではない。ただ、自分の心で何かが引っかかっていた。その理由を上手く説明出来ないが、ただ、カカシの顔を見れば安心するような気がした。
だけど、彼もきっと自分の仲間と別の店に行ったのかもしれない。
店の外でたむろする上忍の中にアスマの姿を見つけた。いつものように煙草をふかして仲間と話しをしている。その背中に駆け寄った。
「アスマさん」
「おお、イルカか。どうした?」
アスマも酔っているのか、いつもより朗らかな顔をしている。
「カカシさんは、もう帰ったんですか?」
聞くと、アスマは一瞬きょとんとした顔をした。急にそんな事を聞かれるとは思ってみなかったのだろう。
「ああ、カカシな。カカシならお開きになるちょっと前に帰ったわ。数時間後に任務が入ってるんだと」
気の毒なこった。
軽く笑ってアスマは眉を下げる。
「・・・・・・そうですか」
「何だ。カカシに用か?」
声のトーンが低くなったイルカにアスマは少し不思議そうな顔を向ける。
イルカは慌てて笑って首を横に振った。
「いえ、特に何も」
「そうか、お前ももう一軒行くか?」
上忍が集まって歩き出す方へアスマは親指を向けた。
「あ、俺は仲間と」
「そうか、じゃあな」
「はい」
頭を下げアスマ達を見送る。そのイルカの背中にも仲間から声がかかり、イルカもまたその声の方へ手を上げ、次の店へ向かった。

次の店で仲間とさっきの延長のように思い出話しや自分の近況、酒をちびちび飲みながら話す。昔は二軒目でもペースが落ちなかったのに。さすがにそんな歳になってるんだな、とお互いに言って笑いながら。
話がほとんど頭に入ってこなかった。
何で俺はあんな事を言ってしまったんだろう。
グラスを傾けながら自問するも、話しの流れとしか言い訳しようがない。言い訳なんて誰も自分を責めていないのに何で、と思うのは。
あのカカシの表情が頭から離れなかったから。
それもそうだが、その後の。
カカシの言葉も。
好きになった人がタイプ。
確かにその通りだと思う。別にタイプがあるわけでもないのに。下手な嘘をついている自分はなんと情けないんだろうか。
その嘘で、カカシさんに思ってもない事を知られたから。
瞬間、胸が痛んだ。
ーーそうだ。
ふっと濁った水が透明になるように、自分自身の見えなかった部分が見えた。そしてイルカの脳裏に浮かんだ一つの予感。
上司や同僚や、飲んでいる仲間に聞かれても平気だったのに、カカシにだけは聞かれたくなかった。
カカシにだけは。
(・・・・・・なんだよそれ)
行き着いた答えに頭を抱えたくなる。
でも。
気がついてしまったら、いてもたってもいられなかった。
席から立ち上がる。
「・・・・・・イルカ?」
「悪い、帰る」
「え、おい」
呼び止める友人に構わずイルカは懐から財布を取り出し、自分の酒代を置くと店を飛び出した。

向かったのはカカシの住んでいる上忍アパートだった。
そこに住んでいる事はカカシからではなく、ナルトから聞いた事があったから。
聞いたのはカカシがナルトの上忍師になってすぐの事だから、もうそこに住んでいるかは分からないけど。
荒い息を吐きながら、足を動かしながら。イルカは夜の色に染まった道を走った。
女のタイプを訂正する為に走る自分は馬鹿みたいだと思う。こんな事、急いで伝えに行く事でもないんだと。
でも、どうしてもカカシに伝えたかった。
次の日になったら、次にカカシに会う時は。そんな話題誰も覚えていないだろうし、たぶん自分もなかった事のようにカカシに振る舞い、カカシもまた同じだろう。
たがら、尚更。今が良かった。
カカシはもう任務に発ったのかもしれない。
だから、上忍アパートの前まできてその建物の近くにいる後ろ姿を目にした時、
「カカシさんっ」
思わず声を出していた。
黒い後ろ姿が振り返り、カカシが少し驚いた顔をしたのが分かった。だが、名前を呼んだのがイルカだと分かった瞬間、カカシの顔が優しく緩む。
その表情が胸に迫った。同時に感じるのは、予感が確信に変わったと言う事。
「イルカ先生。どうしたの?」
何かあった?苦しそうに呼吸を繰り返すイルカへカカシは心配そうに歩み寄った。
カカシはいつもと変わらない制服に、背中にリュックを背負っていた。
「任務だって、アスマさんから聞いて。でも、すみません、少しだけどうしても言いたくて」
「うん」
呼吸が整うまで待ってくれているのか、カカシは少しまだ不思議そうな表情のままだが、じっとイルカを見つめていた。
ふう、ともう一呼吸おいたイルカは改めてカカシへ顔を向けた。露わな青い目と視線が交わる。
「俺、あなたにちゃんと訂正したくて」
カカシは首を傾げた。
「えっと・・・・・・何を?」
「女性のタイプです。違うんです。確かに可愛くておっぱ、いや、胸が大きい子もいいと思いますが、俺が思ってるのはそんなんじゃないんです」
カカシは、何を言い出したのかと驚いたのか目を丸くして。そこから少しだけ目を緩ませたのが分かった。ホッとしたような表情。
「うん、そうなんだ」
静かに返され、それだけでイルカは少し落ち着きを取り戻した。またゆっくりと深呼吸する。
「俺は、・・・・・・俺が、好きなのは、」
そこで言葉が喉で詰まる。一生懸命説明しようとしたいのに。それ以上に緊張していた。その緊張が上回り口の中をからからにさせる。
イルカは一回口を結び、唾を飲み込んだ。
その様もカカシはじっと見つめている。
「・・・・・・一緒に酒を飲んだりご飯食べたりするだけで嬉しくて、楽しくて、そんなに話題が弾んでなくても、・・・・・・苦じゃなくて。ずっと一緒にいたいなあって、思えて、」
上手く説明できたのか分からないが、カカシが僅かに目を見開いた。
「そんな人が俺はいいんです」
少し自分の声が震えていた。
どうしても伝えたかった。任務から帰った後にはもう改めて言える勇気はたぶん自分になないと分かっていた。
だから、どうしても今日、カカシに言いたかった。
僅かな沈黙の中。自分の心臓の音がカカシに聞こえてしまいそうで何か話そうと口を開いた時、聞こえたのはカカシの息を漏らすような笑った音だった。
「すごい・・・・・・すごいね」
「・・・・・・え?」
意味が分からなくて瞬きをするイルカに、カカシは微笑む。それがひどく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「俺もね、全く同じです。・・・・・・受付やアカデミーの廊下や、帰り道、どこで会って声をかけても、笑顔を見せてくれて。それで一緒にご飯食べて、酒を飲んで。その一緒の時間をくつろげる人が、俺の今好きな人です」
ゆっくりと静かに話す言葉が、しっかりとイルカの脳に入ってくる。誰の事だと言われていないのに。泣きたいくらい嬉しくて。優しい眼差しと共に、好きと口にしたカカシに、じわじわとイルカの頬が赤く染まった。
とくとくと、心音が心地いい音を鳴らす。
なんて答えたらいいのだろうか。
「あの、」
言い掛けたイルカの頬にカカシの手のひらが触れた。手甲をつけたままの布地とカカシの指の体温が頬から直接伝わり、またイルカの心臓が跳ねた。
もう片方の手で覆面を下ろしながらカカシの顔が近づいてくる。何をされるかなんて、分かっていた。それでもイルカは拒むこともなく、目と閉じた。カカシの唇が自分の唇に触れる。
イルカの胸が、心が、身体が。ぼわあ、と熱くなったのが分かった。
その柔らかい唇が離れ、ゆっくりと目を開けると間近でカカシの青い目と目が合った。
「・・・・・・先生も俺と同じ気持ち?」
鼻と鼻がつきそうな距離で囁くように聞かれ、それが少し不安を含んでいるようで、イルカは気持ちを伝えるようにこくこくと何度も頷いた。
カカシは嬉しさに笑いを零し、もう一度唇を重ねて、そこでイルカから顔を離した。赤い顔のまま見つめるイルカを前に、覆面を直す。
「イルカ先生誕生日おめでとう、ってたぶん明日言えないから、先に言います」
「・・・・・・え、」
「明日。先生の誕生日ですよね?」
言われて、ああ、そうだ。と自分の事なのにそこで思い出した。誕生日は知ってはいても、この歳になるとそこまで気にしなくなる。少し前に思い出しても仕事で追われて気がつけば過ぎている事が殆どで。
久しぶりにお祝いの言葉を言われて。それがカカシなのがすごく嬉しく感じた。
誕生日を知ってくれた事が、嬉しい。
「ありがとうございます」
頭を下げると、カカシは目を細めて微笑んだ。
「また帰ってきたらお祝いさせてね?」
「・・・・・・はい」
頷くのを確認したカカシはニコリと微笑んだ後、片足を踏み込み、闇夜に飛ぶ。
その姿はすぐに見えなくなった。


雲の上にいるような、ふわふわした足取りで、一人イルカは夜道を歩く。
一体いつからカカシを好きになっていたのだろうか。
初めてカカシに会った時から?
ご飯に誘われるようななってから?
それとも最近?
でも、カカシに向けていた感情が「好き」だと気がついたのは紛れもなく今日だ。
可愛い女の子でも、おっぱいの大きい子でもなく。
カカシさんが好き。

そんな大切な事に気がつけた、誕生日より一日前の今日のこの日を、俺はきっと忘れないだろう。


<終>
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。