愛を憶える

「あー、そうだ」
ぽつりと独り言のように呟いたカカシに、イルカは顔を上げた。
焼鳥屋の炭火と煙草の煙が入り交じった空気と喧噪の中、カカシがなんと言ったのか聞き取れなくて、イルカは聞き返した。
「何ですか?」
「あー、うん・・・・・・」
自分からから口を開いたと言うのに、表情は曇っているようにも見える。何だろうとその先の言葉を待つべく、じっと見れば、カカシは口を濁しながら箸を鳥刺しに伸ばし、皿に添えられているワサビを乗せる。その箸を持つ手甲から伸びる白く長い指を、イルカは見つめた。
言うことに躊躇っている事が、カカシにしては珍しいと思った。
もう数年カカシの飲み相手としてつき合っているが、彼が思考に迷う事はなかった。少しの事で思い悩んだりする自分とは違い、普段の会話においても思考能力とそれに伴う判断能力は高い。
それは幼い頃から戦場で培ったものなのか。なんて思うのは、以前飲んでいる時に、ふとカカシから聞かされた生い立ちからだ。お互いに大戦をまたにかけて成長してきた年齢だ。だからなんとなくそうだろうとは思っていたが、彼の口から直接聞いた時には、思わず涙した。
笑って話せる事じゃないだろう、なのにカカシは眉を下げいつもの間延びした口調で穏やかに語る。
「はい、お待ち。ねぎまのたれと塩ね」
テーブルに注文していた焼き鳥が置かれた。
「美味そう。先生はどっち食べる?」
聞かれて、じゃあ俺はタレで、と答えると、カカシはそれをイルカの皿へ装った。
そのねぎまを頬張りながら、さっきの話題を再開しようとしないカカシに、別の話題を放り込むか、考える。たぶんそうなんだろうなと思い浮かぶ話題に、気分がふいに重くなった。
イルカはその重い何かを飲み込むように、口の中のねぎまをビールと共に流し込んだ。
仕方ない、と決意したイルカは密かに息を吐き出すとカカシへ顔を向ける。
「もしかして、恋人の事とかですか」
何でもないような、いつもの会話であるかのように装う。
カカシはわずかに目を丸くさせた。それは素直に肯定しているようなもので、その反応にイルカは、やっぱりな、と内心呟いた。
自分の経験上、友人や同僚が話題に口を濁す事と言えば、当然心理的に話しずらい話題か、はたまた悩んでいる話題か。仕事上の悩みもあったりはするものの、大体は色恋沙汰だ。まあ、自分は恋愛に縁がなく、聞き役に徹する事がほとんどだから、誰かに相談した経験はないが。
とにかく、その勘は当たっていたらしい。
カカシと知り合った当初、彼女がいると口にしていた事があった。カカシが女性と一緒に歩いているのを目撃した事もあるから尚更で(それが恋人かどうかは知らないが)。
しかし最近、カカシから彼女のかの字も出ることはなく、全く話題にもならない。
とりあえず、そこから聞き役に徹する上での予想を立ててみる。
カカシが恋人に不自由していない事や、恋人になる相手が全て美しい女性だと言う事は噂でしっかり耳にしていた。
よりどりみどりと言えば聞こえが悪いが、そんな環境であるにも関わらず、女遊びが激しいなんて噂は聞いた事もないから、女性関係で揉めたって線もないだろう。
浮かんだ予想を一つ消し、新たな予想を探す。
誰かに告白されて、なんて初な相談を今更カカシが話題にするとは考え難いから、それはないか。
と、また一つ×をつける。
そうなると、結婚か。
途端心臓がずきんと痛くなった。
自分の同期で結婚している人間は少なくはない。カカシが4つ上の年齢だと考慮すれば、結婚をするにはごく当たり前の年齢だ。それに、この人の血を継いだ忍びが必要だと、上から声が上がっているのもイルカは知っていた。
カカシの才能からすればそれは忍びの世界では当たり前あり、そうあるべきでだろう。
そこまで考えた時に、締め付けられる思いに息苦しさを感じ、イルカはまた息を吐き出さざるを得なくなった。
考える度に胸が締め付けられるのは今始まった事ではなかった。それはカカシと親しくなるにつれ、恋人との時間を優先すれば心地いいこの時間が少なくなる。それが自分にとって思った以上に寂しいからだ。
(とうとうカカシさんが結婚か)
そこまで考えて、しかも自分で口にしたくせに、聞きたくねえなあと思った。
イルカは残っているビールを全部飲み干し、カカシへ顔を向ける。
「いいですよ、聞かせてください」
あえて明るく相談しやすいように表情を作ったイルカに、カカシはビール傾けながら、青い目をイルカへ向けた。


予想以上に事は早急に動いていたのか。
じゃあちょっとつき合ってもらってもいい?
聞かれたカカシに店を出ようとよう促され、何がなんだか分からないまま、勘定を済ませ店を出たカカシの後を追った。
店に入った時は道や建物が夕暮れに赤く染まっていたが、そこまで遅くない時間ではないものの、繁華街は店やネオンの光に変わっていた。
その中をカカシは歩き始める。
「あのね」
ゆっくりと歩きながら、カカシはいつものようにポケットに手を入れながら口を開いた。
視線はどこか浮かないような表情で、歩いている先の景色をぼんやりと見つめているようにも見える。
横顔を隣で窺いながら。はい、と答えるとその目がイルカへ向けられた。
「今つき合ってる彼女なんだけど」
その言葉に、ああやっぱりそうなんだ、と身体の力が抜けていくのを感じた。が、ここまで話を切り出されてふにゃけている場合ではない。イルカは腹に力を入れ、もう一度、はい、と答える。
思ったよりも少し大きくなってしまった返事に、カカシは少し驚いた目をした後、にこりと微笑んだ。
「この前久しぶりに会ったら何を思ったのか、形がある愛が欲しい、なんて言い出してね。よく分かんないじゃない」
いや、俺にも分からない。大いに気分が下がった中どうにか小さく、ええ、と返すと、カカシは続ける。
「よくよく聞いたら指輪が欲しいんだって。俺誰かに何かをあげた事なかったし。正直、指輪とか言われても疎くて。先生は詳しい?」
ふっと視線と共に問いかけられ、目を丸くしたイルカはぶんぶんと首を横に振れば、だよね、とカカシが眉を下げた。
「だからさ、一緒に店行ってもらってもいい?」
そこでようやく相談内容が分かる。
カカシに相談役として選ばれた事は嬉しいのに、なんでこんなに胸が痛いんだろう。
今日はカカシと一緒に酒を飲んで、楽しい時間を過ごすはずだったのに。気がつけばカカシと、カカシ恋人の為に宝飾品の店へ向かっている。
なんて日なんだろうか。
ぐんぐんと気分が落ち込むが、それを踏ん張る為にイルカは無理に笑顔を作った。
「もちろんです。店は決まってるんですか?」
「うん、こっち」
カカシの向かった先の店はまだ開いていた。カカシは躊躇わずにその店に入っていく。
ガラスのショウケースに入っている様々な色の宝石をつけた宝飾品は、持ち主を待つかのようにきらきらと輝きを放っている。
その中で指輪が飾られている場所でカカシが足を止めると、すぐに店員が側につく。
丁寧に説明を始めた。
それに、カカシはよく分かっていないような表情で、曖昧に返事をする。
「これなんかはいかがでしょうか」
ショウケースから取り出し目の前に指輪が並べられる。
「恋人への贈り物ですか?」
店員からカカシへかけられる言葉を後ろで聞きながら、ひどく胸が痛む。
カカシは、はあ、と気のない返事をまた繰り返した。
この場から立ち去りたい衝動に駆られるものの、ここにいなくてはいけないと思う。
ここにいる事でふっきる事が出来るからだ。
いや、違うだろ。
自分の言葉に否定しながらイルカは可笑しくなってきた。カカシが幸せになる事に祝福する立場であるのに、何トチ狂ったことを言ってんだ俺は。内心苦笑いするイルカの前で、店員は穏やかに話を続ける。
「指輪を恋人からプレゼントされると、嬉しいものですよ。愛の証ですから。サイズはいくつになりますか」
聞かれてカカシは、うーん、と唸り銀色の髪を掻いた。
サイズを知らなかったのだろう、
「また来ます」
そう答えたカカシはイルカに振り返る。
「ごめんね。いこっか」
優しく微笑まれイルカは頷くしかなかった。
宝飾店を出て商店街を歩きながら、カカシは一言も発しなかった。
何も話そうとしないカカシに、そっと横顔を窺ってみるも、カカシは何か考え事をしているかのような顔で真っ直ぐ前を向いたまま。
思いつきで行動してみたものの、サイズが分からずに店に行ってしまった事を悔いているのだろうか。
また来ればいいじゃないですか。今度は彼女と一緒に。
そう言えばいいはずなのに。その一言が自分の口から出なかった。
ただ今は、カカシの隣にいることが居心地が悪く、泣きたいとさえ思う。だが、残念ながら感傷的なってるのはカカシなのだ。イルカは自分に言い聞かせるようにに首を振ってカカシへ顔を向けた。
「さーって、今からどうします?」
と、わざとらしく明るい声を出した。
「俺実はまだ腹減ってるんですよ。もう一件行くか、それかラーメンでも行きますか」
「そっか」
「え?」
不意に呟いたかと思ったら、立ち止まったカカシにイルカも足を止めた。
「やっと分かった」
「……何を……ですか」
返答の代わりに、手を握られ驚いた。
え?と聞き返す間もなくカカシは手を引き歩き出す。
「ちょっ、ちょっと、カカシさん?」
慌てて問うイルカにカカシは歩きながら肩越しにイルカへ視線を向けた。
「さっきの店に戻るの」
「へ?何でまた、」
思わずまぬけな声が出たが、カカシは続ける。
「先生へ指輪を買う。いいよね」
「はぁ!?」
拍子抜けしたイルカに、カカシが手に力を入れる。
「だってあなたが好きだって気がついちゃったんだから、仕方がないでしょ」
目をまん丸にしたイルカに構わず、カカシは前を向く。手をぎゅうと握り、そのまま装飾店へとカカシに引っ張り始めた。
初めてカカシに手を握られたまま、ずんずんと歩くカカシの背中を見つめ、え、だって指輪は愛の証で、とか、俺指輪って柄じゃねえし、とか。いや俺の意見は、いやいやその前に順番は、なんて言いたいことが一気に頭に駆けめぐるのに、イルカは何も言えなかった。
抵抗出来ないのには、肯定となる理由がイルカの中に確かに存在したからで。
だから、イルカは困惑し頬を紅潮させながらも、カカシの決断力の凄さと正確さにただただ感心するしかなかった。


<終>
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