雨玉(あめだま)②
雨が降っていた。昨夜から降り出した雨は止む様子もなくしとしとと、時雨は地面を濡らし続けている。
職員室から窓をを眺めて、ふとトマトの苗の事が頭に浮かんだ。
カカシの手によって受け皿を設けられ置かれた鉢。確か窓際の下に置かれていた。
あいつ、外にも出さずにずっとあの場所に放置していないだろうか。窓を閉め切った部屋にずっと置かれていたら。ただでさえ蒸し暑くじめじめしている。
夏の植物は太陽の光を好むものが多く、勿論トマトも例外ではない。はち切れんばかりに実ったまだ青い実は、今はどうなっているのだろうか。
イルカの家にある苗は、部屋が一階という事もあり、外の玄関脇に置いていた。少しお尻が赤みかがってきたところだ。朝家を出る頃は雨に濡れて弾いた水玉がぷつぷつと付いていた。
「…可愛い…か…」
カカシがいつぞや呟いた言葉を不意に思い出し右手に持つ赤ペンをクルクルと回す。
あんな事言うんだな。いつも大切に持ち歩いている愛読書以外には興味はないのかと思っていた。いや、実際にはそこまで本を読んでいる姿を見かけた訳ではないが。
ナルトから聞いた話が大半になるのだが。話に色をつけている事もあるだろうが、自分のイメージにもそんなところがあった訳だ。
薬草や毒薬に知識は長けていそうたが、普通のしかもトマトに興味を抱くとは失礼ながらにも思えなかった。
鉢の前にしゃがみ込み愛出る眼差しは、イルカがわざわざ持ってきたと言う同調に依るものには見えなかった。
トマト、成熟するまで楽しみですね。
彼は嬉しそうに微笑んだ。
アカデミーから出て、気がつけば自分の家とは反対の方向の。
二階にある部屋を見上げていた。
そこまで気にする必要はないと分かっているが、念のため。などと独りごちのように言ってみる。
傘を差しながら見上げる先の窓にトマトのトの字も見えない。やはり閉め切った部屋に置かれているのは間違いがない。
顔に当たる雨水に目を細めて軽く袖で拭った。
水溜りを歩く音が背後から聞こえ、通行の邪魔にならぬよう避けたところで声が上がった。
「先生」
教員ならば誰もが振り返る言葉。無意識に呼ばれたと振り返ると、目の前に人がいた。
顔を向け傘からつたい落ちる雨水が間近まで跳ねた。
傘の柄を持つ手甲を付けた手を見て、視線を上げ顔を見て目を丸くした。
「カカシ先生」
「あ〜…、また会っちゃいました、ね」
片手をポケットに入れ、露わな目がニコリとしながらも戸惑いが感じられ、少しだけヒヤリとした。
もしかして執拗に元教え子の様子を見に来てる痛い先生だと思われているのかもしれない。言われる前に否定したいと口を開いた。
「トマトが気になって」
「あ、俺もですよ」
意外な言葉を口にした。
「でもなんか、恥ずかしいな」
こんな頻繁に会うなんて。
続けて発せられた言葉に目を丸くした。
だが、目元を緩ませたカカシの目を見たら、口に出したカカシ以上に恥ずかしさがこみ上げてきた。いや、恥ずかしさなのか、自分を見るカカシの照れ笑いのような無邪気な目がそうさせた。戸惑いではなかったその理由を知ったからだろうか。
顔の皮膚が熱を持ち、喜びが心の中で踊っているかのようで、イルカは唇をぎゅっと閉じてみた。
彼の心を汲み取りたくイルカは言葉を探す為、中途半端に口は開く。その間にも雨音は不規則なリズムを刻み続ける。
再び先手を取ったのはカカシだった。
「ナルトが羨ましいよ」
水の落ちる音の合間から聞こえるのは低く、でも穏やかな声。
「え、」
「あいつとね、話をするようになって漸く分かりました。単純に言えることじゃないんですがね、ナルトにそう在り続けたイルカ先生の姿勢。それは今ももらい続けてる。それがどんなに凄くて大切な事か」
でも言葉で俺が伝えるんじゃなく、自分でいつか気がついて欲しいよね。だから、言わないんだけどさ。
真摯な眼差しは端正な顔立ちを際立たせる。殆ど顔が見えてなかろうが、それは事実だった。イルカの目にはそう見えるのだから。
真っ直ぐに、でも熱を含んだ視線に耐えきれなくなってイルカは驚きながらぎこちなくカカシの手元に目線を落とした。
「簡単なようで簡単には出来ないよ。あいつ相手には」
自分の今までナルトに与えたものは誰にでも出来ることで大した事はしてやれなかったと、そして今も。そう感じていたから、素直に入ってこなかった。そう言う意図を含んだ目をしたイルカを見て、カカシは柔らかに笑った。
「だから凄いんじゃない」
溢れるようなカカシの吐息は暖かさがあった。同時に真っ直ぐ言い切られた自分にはむず痒さが残る。棘のない心地いいむず痒さ。
困ったな。
そのむず痒さを誤魔化すように、空いた手で鼻頭を掻いた。
ナルトと言う存在に当たり前で接する事が出来ないのは周りの殆どだと言う現実。だから当たり前の事を慎重に、与えれるだけ与えてきた。それが特別視と言われようとも。だってナルトはそれを一身に受け入れてくれる。それは俺だからなのか。いや、俺だからだと分かってる。
綱渡りの様な危うさを持っているその危険性を包み込むように。
カカシを見ると、その確信を自分も持っていると、主張するような目をし、続ける。
「あいつは俺の部下になったから、ここからは俺もあいつの成長に与していきます。同じ畑には立てないかもしれないけど、半分は俺に持たせてね」
「え、半分なんて」
きっとそれ以上なはずなのに。
雨脚が強くなる。傘に落ちる音はイルカの声を掻き消した。
「なんて、今のは自分の願望なんですよ」
カカシはそう言うと傘を少しだけ上げ、雨降る空を仰ぐように見上げた。カカシの肌を雨が少しだけ濡らす。白く透き通るような繊細な肌は、その雨粒さえ綺麗に見える。
雨が降っていなかったら、もっと話を出来ただろうに。雨のせいにしてしまいたい。自分の都合のいい考えだと分かっていても。
先ほどカカシの言った言葉を借りるのなら、時間が止まればいいと思うのは自分の願望に過ぎない。
目に見えない繋がりがあるのは素直に嬉しいからだ。
「トマトが赤くなるまでどの位って言ってましたっけ?」
空からイルカに視線は移動した。
「あ、家で調べたら20日くらいとあったんで、今からだとだいたい2週間…くらいかな」
2週間か。とカカシは呟く。
曖昧な答えを受けたカカシは、また視線を空へと上げた。雨雲の暗さにカカシの青い瞳はなんと綺麗だろうか。黒い瞳にはない輝きは自然に吸い込まれそうになる。
決めた。とカカシはまた呟いた。
「俺は赤くなったトマトをあなたと見たい」
「トマトを、ですか?」
「うん。その間も会ってくれますか?」
「はい…まあ、…勿論です」
どんな意味を持っての誘いなのか。なにがどう自分とナルトの家のトマトと繋がっているのか。関連性の答えを今見つける事は出来なかった。
イルカは取り敢えず肯定をしたく頷いていた。それにホッとした顔をしたのは気のせいだろうか。お互いが持つ傘の距離からもカカシが目を細めたのが分かった。
「トマトが赤くなったら。その時に話したい事があるんです」
「その時じゃなきゃ駄目なんですか?」
「出来れば」
困ったような目をして、カカシは頷いた。
2週間近くその話をお預けされるのは、辛いし、一体彼は何を「決めた」のだろうか。
カカシの話し方は、どうやら自分をいい意味で混乱させる力を持っているらしい。
それでもそれは嫌じゃないと自分でも分かっている。見えない繋がりからまた会って話す機会が増えたから。
考えだただけでわくわくする。とくとく心臓が軽い音を鳴らしてイルカの身体をじんわりと暖める。
ほんのりとうまく言い表せない嬉しさが、頬に浮かんだ。
「分かりました」
「良かった。...じゃあ、またね」
「はい、また」
カカシが背を向けたのを見送り自分も背を向け、お互いに来た道を歩き始める。
トマトが赤くなるまで約2週間。
言いようの無い素敵な予感がする。
空を見上げると大粒の雨粒が落ちてきていた。それは綺麗な透明の玉のようだ。
その雨玉を手のひらに落として、動くとすぐに消えてしまうような、ふわふわとした幸福感をぎゅっと手の内に閉じ込めた。
<終>
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職員室から窓をを眺めて、ふとトマトの苗の事が頭に浮かんだ。
カカシの手によって受け皿を設けられ置かれた鉢。確か窓際の下に置かれていた。
あいつ、外にも出さずにずっとあの場所に放置していないだろうか。窓を閉め切った部屋にずっと置かれていたら。ただでさえ蒸し暑くじめじめしている。
夏の植物は太陽の光を好むものが多く、勿論トマトも例外ではない。はち切れんばかりに実ったまだ青い実は、今はどうなっているのだろうか。
イルカの家にある苗は、部屋が一階という事もあり、外の玄関脇に置いていた。少しお尻が赤みかがってきたところだ。朝家を出る頃は雨に濡れて弾いた水玉がぷつぷつと付いていた。
「…可愛い…か…」
カカシがいつぞや呟いた言葉を不意に思い出し右手に持つ赤ペンをクルクルと回す。
あんな事言うんだな。いつも大切に持ち歩いている愛読書以外には興味はないのかと思っていた。いや、実際にはそこまで本を読んでいる姿を見かけた訳ではないが。
ナルトから聞いた話が大半になるのだが。話に色をつけている事もあるだろうが、自分のイメージにもそんなところがあった訳だ。
薬草や毒薬に知識は長けていそうたが、普通のしかもトマトに興味を抱くとは失礼ながらにも思えなかった。
鉢の前にしゃがみ込み愛出る眼差しは、イルカがわざわざ持ってきたと言う同調に依るものには見えなかった。
トマト、成熟するまで楽しみですね。
彼は嬉しそうに微笑んだ。
アカデミーから出て、気がつけば自分の家とは反対の方向の。
二階にある部屋を見上げていた。
そこまで気にする必要はないと分かっているが、念のため。などと独りごちのように言ってみる。
傘を差しながら見上げる先の窓にトマトのトの字も見えない。やはり閉め切った部屋に置かれているのは間違いがない。
顔に当たる雨水に目を細めて軽く袖で拭った。
水溜りを歩く音が背後から聞こえ、通行の邪魔にならぬよう避けたところで声が上がった。
「先生」
教員ならば誰もが振り返る言葉。無意識に呼ばれたと振り返ると、目の前に人がいた。
顔を向け傘からつたい落ちる雨水が間近まで跳ねた。
傘の柄を持つ手甲を付けた手を見て、視線を上げ顔を見て目を丸くした。
「カカシ先生」
「あ〜…、また会っちゃいました、ね」
片手をポケットに入れ、露わな目がニコリとしながらも戸惑いが感じられ、少しだけヒヤリとした。
もしかして執拗に元教え子の様子を見に来てる痛い先生だと思われているのかもしれない。言われる前に否定したいと口を開いた。
「トマトが気になって」
「あ、俺もですよ」
意外な言葉を口にした。
「でもなんか、恥ずかしいな」
こんな頻繁に会うなんて。
続けて発せられた言葉に目を丸くした。
だが、目元を緩ませたカカシの目を見たら、口に出したカカシ以上に恥ずかしさがこみ上げてきた。いや、恥ずかしさなのか、自分を見るカカシの照れ笑いのような無邪気な目がそうさせた。戸惑いではなかったその理由を知ったからだろうか。
顔の皮膚が熱を持ち、喜びが心の中で踊っているかのようで、イルカは唇をぎゅっと閉じてみた。
彼の心を汲み取りたくイルカは言葉を探す為、中途半端に口は開く。その間にも雨音は不規則なリズムを刻み続ける。
再び先手を取ったのはカカシだった。
「ナルトが羨ましいよ」
水の落ちる音の合間から聞こえるのは低く、でも穏やかな声。
「え、」
「あいつとね、話をするようになって漸く分かりました。単純に言えることじゃないんですがね、ナルトにそう在り続けたイルカ先生の姿勢。それは今ももらい続けてる。それがどんなに凄くて大切な事か」
でも言葉で俺が伝えるんじゃなく、自分でいつか気がついて欲しいよね。だから、言わないんだけどさ。
真摯な眼差しは端正な顔立ちを際立たせる。殆ど顔が見えてなかろうが、それは事実だった。イルカの目にはそう見えるのだから。
真っ直ぐに、でも熱を含んだ視線に耐えきれなくなってイルカは驚きながらぎこちなくカカシの手元に目線を落とした。
「簡単なようで簡単には出来ないよ。あいつ相手には」
自分の今までナルトに与えたものは誰にでも出来ることで大した事はしてやれなかったと、そして今も。そう感じていたから、素直に入ってこなかった。そう言う意図を含んだ目をしたイルカを見て、カカシは柔らかに笑った。
「だから凄いんじゃない」
溢れるようなカカシの吐息は暖かさがあった。同時に真っ直ぐ言い切られた自分にはむず痒さが残る。棘のない心地いいむず痒さ。
困ったな。
そのむず痒さを誤魔化すように、空いた手で鼻頭を掻いた。
ナルトと言う存在に当たり前で接する事が出来ないのは周りの殆どだと言う現実。だから当たり前の事を慎重に、与えれるだけ与えてきた。それが特別視と言われようとも。だってナルトはそれを一身に受け入れてくれる。それは俺だからなのか。いや、俺だからだと分かってる。
綱渡りの様な危うさを持っているその危険性を包み込むように。
カカシを見ると、その確信を自分も持っていると、主張するような目をし、続ける。
「あいつは俺の部下になったから、ここからは俺もあいつの成長に与していきます。同じ畑には立てないかもしれないけど、半分は俺に持たせてね」
「え、半分なんて」
きっとそれ以上なはずなのに。
雨脚が強くなる。傘に落ちる音はイルカの声を掻き消した。
「なんて、今のは自分の願望なんですよ」
カカシはそう言うと傘を少しだけ上げ、雨降る空を仰ぐように見上げた。カカシの肌を雨が少しだけ濡らす。白く透き通るような繊細な肌は、その雨粒さえ綺麗に見える。
雨が降っていなかったら、もっと話を出来ただろうに。雨のせいにしてしまいたい。自分の都合のいい考えだと分かっていても。
先ほどカカシの言った言葉を借りるのなら、時間が止まればいいと思うのは自分の願望に過ぎない。
目に見えない繋がりがあるのは素直に嬉しいからだ。
「トマトが赤くなるまでどの位って言ってましたっけ?」
空からイルカに視線は移動した。
「あ、家で調べたら20日くらいとあったんで、今からだとだいたい2週間…くらいかな」
2週間か。とカカシは呟く。
曖昧な答えを受けたカカシは、また視線を空へと上げた。雨雲の暗さにカカシの青い瞳はなんと綺麗だろうか。黒い瞳にはない輝きは自然に吸い込まれそうになる。
決めた。とカカシはまた呟いた。
「俺は赤くなったトマトをあなたと見たい」
「トマトを、ですか?」
「うん。その間も会ってくれますか?」
「はい…まあ、…勿論です」
どんな意味を持っての誘いなのか。なにがどう自分とナルトの家のトマトと繋がっているのか。関連性の答えを今見つける事は出来なかった。
イルカは取り敢えず肯定をしたく頷いていた。それにホッとした顔をしたのは気のせいだろうか。お互いが持つ傘の距離からもカカシが目を細めたのが分かった。
「トマトが赤くなったら。その時に話したい事があるんです」
「その時じゃなきゃ駄目なんですか?」
「出来れば」
困ったような目をして、カカシは頷いた。
2週間近くその話をお預けされるのは、辛いし、一体彼は何を「決めた」のだろうか。
カカシの話し方は、どうやら自分をいい意味で混乱させる力を持っているらしい。
それでもそれは嫌じゃないと自分でも分かっている。見えない繋がりからまた会って話す機会が増えたから。
考えだただけでわくわくする。とくとく心臓が軽い音を鳴らしてイルカの身体をじんわりと暖める。
ほんのりとうまく言い表せない嬉しさが、頬に浮かんだ。
「分かりました」
「良かった。...じゃあ、またね」
「はい、また」
カカシが背を向けたのを見送り自分も背を向け、お互いに来た道を歩き始める。
トマトが赤くなるまで約2週間。
言いようの無い素敵な予感がする。
空を見上げると大粒の雨粒が落ちてきていた。それは綺麗な透明の玉のようだ。
その雨玉を手のひらに落として、動くとすぐに消えてしまうような、ふわふわとした幸福感をぎゅっと手の内に閉じ込めた。
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