ある夏の日

 蝉の声がけたたましく頭上から聞こえてくる。つんざくような声にイルカは額に汗を滲ませながら青空を見上げた。
 まだ一限目とは言え、日差しが痛いくらいに突き刺さる。イルカは燦々と降り注ぐ日光に目を眇め、そして外で組を作り体術を行う子供達へ視線を戻した。
 冬より夏の方が好きだ。それは昔から変わらない。なのにここ最近この連日の暑さに、夏真っ盛りのこの気候に、ひどく苛立ちさえ感じるのは自分の体調の問題があると、分かっていた。
 歩くだけで下半身の怠さが伝わってくる。走ろうともなれば、その足が地に着いた衝撃に痛みとも言えない痛みが嫌でも分かり、朝からその感覚にまた苛立ちを募らせる。
 イルカは困ったように密かに眉根を寄せ、ため息を吐き出した。そして
、そんな苛立ちとは裏腹に頬を染める自分にも嫌になった。
 この怠さは数ヶ月前にできた恋人、はたけカカシによってもたらされたものだ。する事自体は何も問題はない、自分も男だ。性欲もある。しかしここ最近、回数が明らかに増えていた。
 最初はこんなんじゃなかった。つきあい始めはそれなりに、お互いに急がしいのもあり、節度を考えていたはずだったのに。
 要は、ーーやりすぎだと言う事。
 イルカはそこでまた一つため息を吐き出した。
 女性との経験こそあったものの、男相手に足を広げたのは初めてだった。上か下かとかそんなのもは、経験から言えば遙かにカカシが上回っているのは明らかで、下になることに特に問題ではなかった。ただ、カカシがもたらす快感は想像を遙かに上回ったのは事実だった。
 最初は痛みしか感じなかったはずなのに、そんな用途では使わない場所は、今やカカシの指を入れられるだけで感じる。最初、カカシも手探りだった事は知っていた。だから、出来るだけカカシに協力すべきだと、従った。やがて自分から勝手に漏れる甘い声や身体の反応に(不本意だが)ひどく嬉しそうな顔をした。そして戸惑う自分に構わず先に進め、それに自分の身体はカカシの全てに従順に反応し、自分ではないような快感に、カカシに縋るしかなかった。
 嵐のような激しさについて行くのが精一杯で、でも終わった後、残るのは痛みではなく、甘い痺れのようなもの。
 だが、その余韻に浸る時間はカカシは与えてくれない。
 ね、先生。後一回だけ。
 回数が増えれば軽い運動どころでは済まない。明日は体術の授業があるから、とか理由を付けても素直に聞いてくれもしない。さらにその上、もっと声を聞きたいなどと言ってくる。それには出来ない訳が当然あった。
 自分の家にはまだエアコンがない。と言うか、そもそも今住んでいるアパートは古く、元々エアコンを設置する前提で作られているアパートはなかった。
 ここ数年気温が上がっているのは感じていて、毎年今年こそは買おうと思うものの、質素な暮らしが染み着いているからか、どうしても二の足を踏んでしまう。日頃働いている為、日中はアパートにいる事もない。夜どうにか扇風機で過ごしていれば何とか夏を越せると、そう思いながら数年。そして今年はそれ以前に問題が起きたのは、言うまでもなく、カカシだった。
 つき合った当初は春先でまだ寒さが残っている頃で、そこまで気にした事がなく、カカシもまた何も言わなかったが、梅雨明けした頃、
「エアコン買おうよ」
 何の気なしに提案され、イルカはむっとした。
 そんなのはここに昔から住んでいる自分がよく分かっていたし、しかしそう出来ないのはエアコン自体が高価で簡単に手が出ないからだ。かと言って副業は禁止されている。長年使っていた冷蔵庫を買い換えたばかりで。それも結構痛手だった。
 だからもう一年は買うつもりはなかった。
「分かってます」
 そう一言返して持ち帰った仕事を再開させれば、カカシに、ホントに?と追加されイルカはペンを止めた。つき合って日が浅いものの、適当に流していると気がついてカカシは言っている、それが分かったからだ。だったら尚更買う気がないんだって分かっているのなら、そのまま放っておいて欲しいのに。突っかかった口調に、暑さもあって、イライラする。だから、
「エアコンをぽんと買えるような給料じゃないんだから、仕方がないじゃないですか」
 そんな言葉がイルカの口から出ていた。嫌味を受け、カカシは少し驚いた顔をして団扇を扇いでいた手を止める。
「中忍専用のアパートにしたら?」
 あそこは冷暖房完備でしょ。正論をあっさりと口にされ、イルカはまたむっとして視線を机の上に広げた書類に戻した。自分が幼い頃、両親を亡くした所謂孤児を預かる施設を三代目が立ち上げ、そこに住んでいた時もあったが、それは短い間だった。アカデミーを卒業している頃には既に一人で住んでいた。
 元々人に甘えるのが苦手で、誰かを頼りたくないからこそ一人暮らしを選んだが、助けてもらっているからこそ、今があるのも十分分かっている。
 とにかく、今更里が用意した施設に入るつもりは少しもなかった。それにここの大家は老夫婦だが、随分とお世話になっている。
「・・・・・・俺はここを引き払う事は考えてません」
 低い声で答えると、カカシは直ぐに何かを返してはこなかった。ただ、少し間を置き、じゃあさ、と短く口にする。
「俺のところにくる?」
 続けて言われた言葉に、イルカはカカシへ顔を向けていた。カカシの顔は同じ気温の部屋にいるにも関わらず、暑いのだろうが、汗を滲ませている自分とは違い涼しげに見える顔をこっちに向けている。イルカは素直に眉根を寄せた。
「俺は周りから通い妻なんて言われたくありませんから」
 そう答えるのは、カカシが住んでいるのがアパートで、そこは里の用意したアパートではないが、上忍が多く住んでいるのを知っているから。そんな場所に足繁く通う自分を他の上忍が見逃さないはずがない。
 あっさりと拒否をしたイルカに、カカシが小さく笑ったのが聞こえた。だよねえ、とそんな言葉が暢気な口調と共に追加される。イルカは視線をゆっくりと外し、自分の手元に戻した。無骨で既に日焼けした自分の手が視界に映る。
 そこからカカシがのそりと動き、イルカのその無骨な手に自分の手を添えた。躊躇うことなくカカシの唇がイルカの項に押し当てられる。汗を掻いている身体はじっとりとして、その感触を確かめるようにカカシが舌で舐める。イルカは軽く目を伏せた。
「カカシさん、暑いです。それに俺まだこれやりたいんです」
 可愛げもない声を出すイルカに、カカシはまた小さく笑った。
「うん、知ってる。ちょっとだけ」
 嘘つけよ。
 これでちょっとで終わった試しなんてない。心の中で悪態をつくが、カカシの手は既に上着に入り込み、もう片方の手は頬に添えられ、その手が顔を上げさせる。唇を塞がれた。


「はい、やめ!」
 イルカは時間を見計らい、生徒に声をかける。休憩を促せば、子供達は各々に水分を摂り日陰で身体を休める。
 イルカもまた同じように演習場の隅で腰を下ろし、持ってきた水筒で水分を摂り、軽く目を閉じた。どうしようもなく、眠い。
 今週は体術を主とした身体を使う授業が多い。この暑い中太陽の元で過ごす事が多くなり辛くもなるが、それは毎年の事だった。体力には自信があったのに。こんな時間から眠くなる事自体情けなくもなる。
 しかし、去年と明らかに違うのは休養出来る時間に出来ていないからだ。イルカは目を開けながらため息を吐き出した。
 身体はこんなに素直なんだから、先生も素直になればいいのに。
 果てた後、中でゆっくりと律動しながら固くなるカカシのそれに、お願いだからもうやめてくれ、と言ったらそう返された。確かに、中を緩く擦られる感覚にそれだけで喉が引き攣り、勝手に声が漏れる。それは、止めたくともどうしようもならない。カカシによってすっかり教え込まれてしまった身体は、嫌だと言う自分とは裏腹に中を締め付ける。後ろから突き入れられたまま、それは徐徐に固さを取り戻し、ゆるゆると動かすだけで。その誇示した形そのものを感じてしまい、それが恥ずかしい。背中から耳まで真っ赤にして耐えている自分をカカシは後ろからじっと見つめている。それが分かって更に羞恥心が増す。そこからカカシが覆い被さり、背中に浮かんだ汗を舌で掬った。
 ただでさえ暑くて、夜になっても多少は温度が下がるが、暑いものには変わらない。寝室も窓を開け放ってはいるが時折吹く夜風も生ぬるく湿度も高い。ベットの上でもカカシは寝ることを許してくれない。ただ、外に聞こえる事を怖れ漏れる声を必死に耐え、そして体力だけが奪われていく。
 やりすぎだと責めれば、カカシは、先生だって悪いんだよ、と悪びれるわけでもなく、そう返してくる。
 どうして自分が悪くなるんのか、全く分からない。カカシだって暑いはずなのに。
 任務でカカシがしばらく里を出ていたり、お互いの仕事で会えなかったりするから、その反動みたいになるのは分からなくもないが、限度ってものがあるだろ、普通。
 イルカは下腹部に溜まるような何とも言えない痛みと眠気に耐えながら、イルカは授業を再開した。


 目を覚ました時、見慣れた天井がぼんやりした視界に入ったのにも関わらず、自分が何処にいるのか分からなかった。
 だって、自分はさっきまで外で授業をしていたはずで。それになにより、自分の部屋だったら蝉の声や大家さんの軒下にある風鈴の音とか。もっと外の音が聞こえていいはずなのに、それが遠くに聞こえる。
 それに、ーー。
「やっと目を覚ましましたか」
 聞こえたのは聞き慣れた声だった。その声はぼんやりとしていた意識を引き戻すのに十分だった。
 起きあがろうとすると、視界に現れたカカシによって、まだダメだよ、と肩を優しく押される。自分のベットに戻された。
「あの、……俺どうしたんですかね」
 どうも要領が得ない。だから目の前にいるカカシに聞くしかない。尋ねると、カカシはイルカを見つめながら、銀色の頭を掻いた。
「倒れたの、覚えてないの?」
 言われてイルカは目を丸くする。記憶を辿ろうとすれば、演習場で授業を再開して、子供達に新しい組み手を教えていた辺りから記憶がぷっつりと途切れている。いや、そこで目の前が真っ暗になって子供達が自分の名前を呼ぶ声が聞こえたような、ーー。
「倒れたのは、軽い熱中症だから。で、俺がたまたま通りかかったんですよ」
 カカシの声がイルカの思考を遮る。顔を上げると、青みがかった目と視線が交わった。
「西の森から抜けて報告に向かおうとした時に子供達の騒いでいる声が聞こえたからなんなのかと思ったらさ、あなたが倒れてて。驚いたよ。だから、俺が保健室に運んだの」
 あ、ちゃんとアカデミーには伝えてあるよ。
 淡々と話すカカシの内容に驚くが、でも何で今は自分の家なのか。
 それもイルカの表情で分かったのか、
「どうせ仕事なんて出来ないし、ずっと夜まで保健室で休むくらいだったらここの方がいいでしょ?」
 カカシに言われるがままに考えながら、いや、でも自分の家はうだるような暑さでしかない、とそこまで思って部屋の涼しさに気がつく。
 湿度もなく爽やかで涼しい温度に保たれている。それは何故なのか、すぐに分かった。
 寝室に今までなかったエアコンが取り付けられている。イルカはそれを丸で生まれて初めてみるかのようにじっと見つめた。
 そこから涼しい空気がそよそよと部屋を冷やしてくれている。エアコン自体は知っていったのに、こんなに涼しく快適にしてくれている。あんなに欲しかったものが自分の家にある不思議。
「折半ですよ」
 またしてもカカシから出た言葉に、イルカは視線を戻した。
「先生が倒れたのって熱中症からだけど、寝不足と肉体疲労からきてるんだって、保険医が言ってた。だから、」
 そこで言葉を切られて、イルカがぼんやり見つめると、
「俺のせいでしょ?」
 何も言っていないのに。カカシはそう言って銀色の髪をがしがしと掻いた。
「だから全部俺持ちにしようと思ったんだけど、先生きっとそれ許さないだろうし、だから、折半。工事費用は俺持ち。ま、それにどーせあんたは俺のところにこないだろうしね」
 そう言われたらその通りで何も言い返せなかった。体力が自慢だった自分が倒れたのは、体調管理が出来ないくらいに追い込まれていたからのかもしれない。
 それに、エアコンの費用の事も、そしてカカシのアパートに誘ったその提案の事も。何もかも見透かされたような感覚に内心驚き素直に嬉しくもなるが、やっぱり元々こうなったのはカカシのせいなんだと一周回って答えが返ってくる。何故かちょっとだけむくれたような顔をするカカシを見つめた。
 過去付き合ったたった一人の女に、生活スタイルが古臭いと言われた。仕事一筋で節約しながら今の生活を維持している、ただそれだけだったが、女性から見たら恋人として付き合う男として相応しくないのだ。
 カカシがなんで自分に好意を抱いたのか知らない。カカシほどの地位や名声や、誰もが見惚れるくらいの顔を持っていれば、望めばいくらでも華やかな相手を選ぶことができるはずなのに。自分のような所帯染みた男を何故かカカシは選んだ。
 でもカカシもいつかは、過去の女と同じように自分から離れていくんだと思えば思うほど可愛げのない態度ばかりとっていた。
 ーー不安だったから。
 布団に横になりながら端正な顔を眺めていると、カカシはその視線に気がつく。軽く首を傾げながらイルカを見つめ返し、そして目元を緩ませた。
 胸がきゅんとする。
 そう、問題は自分が単純すぎるところだ。分かっている。分かっているが、それはきっと弱みになる。だから、見せたくない。
 誤魔化そうと目を伏せようとした時、
「こういう時は好きだって言えばいいんですよ」
 言われてイルカはギョッとしてカカシへ視線を戻した。そんなイルカにカカシは僅かに微笑む。
「頑固なあんたも嫌いじゃないけど、たまには素直になりなよ。付き合ってるくせに俺は別になんとも思ってません、みたいな態度するから意地悪したくなるの」
「そんな……っ、」
 かあ、と体温が上昇したのが分かった。目を見張りながらも、黒い瞳が揺れる。カカシがイルカを見つめながら目を細めた。
「俺は浮気もしないし飽きたりもしない。あんたが思ってる以上に入れ込んでるの」
 分からない?
 顔を真っ赤にして言葉を失うイルカを見つめ、にんまりと笑う。不安を払拭する笑顔でもあり、意地悪くもあり。
 そして、またしても迂闊に自分の胸が高鳴った時、窓の外で風鈴の音がリリン、と涼しげに鳴ったのが聞こえた。


<終>


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