ある夜の話。

瓦礫に埋もれた街は、復旧が早い。目覚ましいと言うには間違っているのかもしれないが。瓦礫や廃墟となった家屋はまだあるものの、ペイン来襲後のあの酷い惨状は、それほどまでになかったと、言われても分からないくらいに復興していた。
店もほとんどが通常通りに営業を再開し、商店街もまた閉めてしまった何軒かを除いては、活気に溢れている。
イルカは遅れて店に入った。
やり残した仕事はあったが、どうしても来たかった。残した仕事はきっぱりと明日にまわし、一緒に残業していた年輩の女性教員に戸締まりもお願いし、アカデミーを後にしていた。
「なんだ、来たのか」
襖を開けると同僚である友人が、イルカの顔を見つけ驚き、そして笑った。片手に持つビール瓶を持ち上げる同僚へ、軽く返事をしそのまま辺りを見渡す。
探していた相手は直ぐに見つける事が出来た。何処にいてもあの綺麗な銀髪は見つけられる。それがその髪色のせいだけじゃないと自分でも分かっている。
(あぁ、本当にいる)
アカデミーで耳にした事は嘘じゃなかったと、奥でビールを傾けている男。はたけカカシにそっと視線を送った。
あの惨状の後、初めてカカシを目にした時と同じような感情がこみ上げてきて、イルカは誤魔化すように畳に視線を落として同僚の横へと腰を下ろした。
「良かったよ。そんな気分じゃないって言ってただろ」
気遣うように、でも少し悪戯な言い方を含むような口調で、同僚はイルカにコップを手渡した。
「ああ、でも今日ぐらいはな」
本当は来るつもりなんかなかった。こんな場も必要だってそんなのは分かっている。だが、心が受け付けなかった。何度経験しても慣れない。拭えない。言葉に言い表せない何かに押しつぶされたままで。周りにそれを微塵も見せないようにしていたが。家に帰ると緊張は緩み、涙が溢れてきたのは一度や二度ではなかった。そして笑った顔の筋肉が疲れて痛かった。
アルコールは久しぶりだった。酒に溺れるのは簡単だ。でもそれはイルカには出来なかった。そしたら酒の力でぐっすり寝れる事もあるだろうに。
賑やかな、本当に賑やかな宴会場は、目的などなかった。ただこんな場が必要だと、火影が提案した。当の火影はいないのだが。
イルカはまたカカシを見た。話し声さえ聞こえないが表情はしっかりと分かる。その距離は自分には丁度いい。
カカシとは。元教え子の繋がりで話すようになってからは、一緒に夕食を食べたりしたり、杯を酌み交わす関係で。誘ったり、誘われたり。気がつけば友人にも話さないような脆い自分を見せる事が出来る存在だった。これをどんな関係と呼べばいいのだろう。自分でも不透明すぎて、相手に訊くことはなかったが、彼はどう思っているのか。優しい微笑みからは何も分からなかった。
そのカカシが、今回の襲撃で瀕死状態に陥ったと訊いたのは、数日経った後だった。それも人づてに耳にした。心肺停止状態に陥ったとも。噂なのか本当なのか。ただ、今回ばかりはそれが真実だったと、イルカは確信していた。
元教え子達が現場にいたのだから。
それなのに、カカシは普通に歩いていた。瓦礫の撤去を夜通し行い、昼間の休憩にぼんやり座り込んでいたイルカに向かって歩いてきていたその姿を目にした時。幻覚ではないのかと、思えた。だって、いつもと何ら変わらない優しい微笑みをイルカに見せ、イルカ先生、と自分の名前を呼んだのだ。見た目怪我もなくて。チャクラだって綺麗なほど整っていて。瓦礫に囲まれている自分に違和感を覚えたくらいだ。
「先生無事だったんだね、良かった」
言葉を失った自分に先に声をかけたのはカカシだった。
「...カカシさんもご無事で」
出た声は掠れていた。震えていなかったのが幸いだった。
それからカカシと会う機会もなく今日まできたのだ。だから、カカシが今回の飲み会に参加すると訊いたらいてもたってもいられなかった。取り敢えず、やりかけの仕事だけ終わらせ走ってきた。
話したいとかじゃない。ただ一緒の場所にいたかっただけだ。顔を見たかっただけだ。木の葉にカカシがいると、ちゃんといると。そう感じたかっただけだ。
友人と話ながら盗み見ると言ったら不謹慎だが、視界に入るカカシはごくごく自然だった。
顎まで下ろした口布によって形のいい薄い唇が露わになっている。上忍仲間とどんな話をしているのか分からないが、表情は穏やかだ。それはカカシだけではない。参加している忍全員に言えるのだが。カカシもまた楽しそうに話をしている。
自分は笑えているだろうか。顔の筋肉を使っているのが分かるから、笑っている。よかった。なんてぼんやり頭で思いながら、イルカは同僚の話に相槌をする。
ふとまた視線を上げる。カカシが話している上忍を見て口を開けた。読唇術を使うまでもない。そうね、と相槌を打っている。
と、カカシと話している上忍が笑った。大きな声で。それはしっかりと少し離れた自分の耳に届いた。
その後、カカシも破顔した。
声を立てて笑った。
本当に可笑しそうに。目を細めて。
カカシが、笑った。

「おい、イルカ!?イルカ!?」
何回か名前を呼ばれて、今度は肩を軽く揺さぶられ、我に返る。
視線を戻せば友人が眉を潜めて自分を見ていた。それは周りに座っていたやつらも同じだった。
「え、なに」
聞き返せば、
「なんで泣いてんだよ」
そう言った。
自分の頬が濡れていた。瞬きをすればそれはまた落ち、目から零れ落ちていく。
「ーーあ....」
戸惑い手の甲で慌てて目を擦るが、少しだけ盛り上がりが消えかけた場所に自然に視線は集まる。
誤魔化そうにも、涙が流れるのを止められず。眉を顰めながら顔を上げると、カカシと目が合った。
先ほど浮かべていた笑顔はあるはずがなく、その顔にあるのは驚き、だろうか。少し目を開いて、自分をジッと見つめていた。
「.........っ」
その視線が。カカシが自分を見ている。そう思ったら居たたまれなかった。
イルカは立ち上がり友人の制する声も無視して襖を開け部屋を出る。そのまま靴を履くと店を飛び出した。
回らない頭のまま走って、何故かアカデミーの方向に向かって走っている自分に気がつき、職業病かよ、と自分に罵りながら苦笑いを零した。そこから何処へ行くでもない、イルカはゆっくりと歩いた。
静かな所で気分を落ち着かせたい。ただそれだけだった。
小さな神社が目に入る。そこもまた、戦場の爪痕が残っている。片方の狛犬は地面に落ちたままになっており、鳥居もない。小さな神社なだけに、まだ修復が滞ってここまで手に着いていないのが現状だ。
そう、感傷に浸っている場合ではないはずだ。
やっべぇな、俺。何してんだ一体。
しっかりしろと自分に活を入れるように両手で頬を何回か叩いた時、
「イルカ先生」
しんとした空気に自分の名前が響いた。
振り返るまでもない、その声の主が分かりイルカの心拍数が上昇する。振り返ろうか何故か躊躇した時、またカカシが名前を呼んだ。
「イルカ先生」
小さく息を吐き出すとイルカは振り返った。
少し離れた場所に、カカシが立っていた。既に口布はしてあるいつものカカシの姿。返事もしないのを不審に思っていたのか、カカシは少しだけ神妙な顔つきをしてたが、顔を向けると、その表情が緩んだ気がした。
カカシはそのまま自分の目の前までゆっくり歩いてきた。その間に出来た沈黙が重い。自分に向けられたカカシの視線も。
わざとらしく手で目を擦り、イルカは笑って明るい口調で言った。
「なんかすみませんでした」
言って何謝ってんだと思うが言った後だ。その先になんて続けようか後頭部に手を当ててみる。
あんな感じにしちゃいまして。と繋げた声は小さい。
いいんじゃない、とか大丈夫でしょ、と言ってくれるのを期待した。
「んー...正直ビックリはしたよ」
悪気がないのは知っている。そんな表情もしていた。
それでも、口ごもりながらすみませんと謝るイルカに、カカシは笑った。
「だから...ま、ついてきちゃったんだけどね」
視線を地面に落としふふと笑ったカカシはまたイルカを見た。
「大丈夫?」
どう言うか迷ったが、答えは決まっていた。
「ええ、大丈夫です」
既に涙は止まっている。でも泣いたのを見られたのは確かだ。誤魔化すつもりもない。でも何を言ったらいいのか分からない。
いつもの笑顔を作りカカシを見る。ふとカカシは眉根を少し寄せた。
「ここでは無理しないでいいんじゃないの?」
自分が無理して笑っていると、カカシはすぐに気がついた。それに動揺する。動揺して、迂闊にもまた目頭が熱くなる。
気がついてくれたのが嬉しいのに、気がついて欲しくなかった。
だって、あの涙は、この人を想って出てきたのは確かだからだ。

一回死んだのだ。

瀕死なんて曖昧な言葉では覆い尽くせない。
彼は、ーーー死を見たのだ。
その彼が見せたあの笑顔。
少し目の下に皺を作って、声を出して。
笑った。
儚くて。美しいカカシの笑顔。
その顔を見たら、堪えきれなかった。
だから、涙が勝手に溢れ出た。今まで子供達に説いてきたのは何だったんだ。酷いと自分でも分かっている。
弱い、人間だと。思い知らされた。
静まりかえった暗闇の中で、カカシの気配が動いた。顔を上げると、カカシは道ばたに倒れるように置かれている鳥居の柱に腰を下ろした。カカシは目で横に座って、と合図する。
不謹慎だと思ったが、今は何故か許される気がした。イルカは素直に従い、カカシの隣に腰を下ろした。
電灯は周りにはなかった。いや、もともとあったのだが、この神社と同じく後回しにされているのだろう。それ以外は何もなかったかのような景色が広がっていた。神社の周りは田畑が広がり、ところどころからは虫の音が聞こえる。夏が直ぐ近くに来ていると報せるように。それがすごく落ち着く。
やっぱり好きだなあ。
自分の里に想いを寄せて。イルカはただ、その景色を眺めた。
「きっと乗り越えられる」
その沈黙の中、ため息のように、抜け落ちるようにカカシは口にした。
「…え?」
思わずイルカは顔を顰めていた。
そんな言葉がカカシから出るとは思わなかった。
そんなイルカに表情を変えず、カカシは両手の指を組み、その手を座った脚の上に乗せこっちを見ていた。
何が言いたいのか。無言で見ていると、カカシは続けた。
「俺はね、先生。事あるごとそう言われてきたよ」
「........」
答えを探している間にまたカカシが口を開いた。
「最初はね、父親を亡くした時だった。その次は...戦時中に友人を亡くした時。師を亡くした時。それで...ま、この前のペイン戦の後もね」
ぽつぽつと記憶を辿るかのように。話すカカシの声はとても落ち着いていた。
あまりの内容に、今度は本当に言葉を無くしていた。カカシは小さく笑って軽く頭を振ると、またイルカに視線を戻した。その目は優しい。
「正直ね、腹が立ちました。意味が分からなかった。だってそうでしょ?乗り越えるってなに?何を乗り越えるのか。その先に何があるのか。...乗り越えたくなんかなかった。クソくらえだって、思ったよ」
カカシはそこまで言うと息を静かに吐き出した。カカシはさっきまで自分が見ていた闇に広がる田畑に視線を送ったままだ。
「でもね、ある時俺の師がね、言ったんです。悲しみって言うのは毎日持たなければいけない荷物のようなものだって」
可笑しいでしょ?と同意を求めるようにカカシは小さく笑い続けた。
「...俺たちは毎日必ずその荷物を持ち上げて運ばなければならない。丸で岩が詰まっているみたいに重くて運べないって思う日もある。でも、...別の日には...羽根みたいに軽い。それが乗り越える事だって」
そう教えてくれたんです。カカシはそこまで言うと、恥ずかしそうに微笑んだ。
「それを漸く納得出来たのは最近です」
恥ずかしながら。そう言ってカカシは軽く座ったまま伸びをした。あげた腕は銀髪を軽く搔き上げる。
あの人らしいっちゃ、らしいよねー。と懐かしむように呟いた。
あの人と呼ぶ、尊いカカシの師であった四代目の遺した言葉。まだ幼かったカカシに伝えたかったのだろう。それは確かにイルカの胸を打った。
それは何とも分かりやすく、なによりもイルカの心に染み込んだ。幼い頃両親を亡くしてから、もがくように、夢中になって前だけを見て進んできた自分には、必要な言葉だった。
進む事はできたのに、カカシの生死の戦闘を訊いて、どうしたらいいのか分からなくなっていた。
怖かった。
カカシは立ち上がった。夜空を見上げているのだろうか。少し上を向いてるように見えた。広く見えるカカシの背中が振り返る。
「あんたは間違ってないよ」
イルカはただ青い目を見つめた。
その言葉を素直に受け止めていいものか。鼻がつんとする。涙腺が一気に緩み、イルカは身体に力を入れた。
「でしょ?」
そう言われカカシを見上げれば、青い目が悪戯に笑った。
「カカシさん、もしかしてあなた俺を泣かそうとしてます?」
歪んだ唇を誤魔化すように見上げて言えば、カカシは嬉しそうに微笑んだ。
「うん。バレた?」
「からかわないでください」
抗議の目するイルカにカカシがまた小さな微笑みを浮かべた。
「っていう話はもう終わりで」
そう切り替えた口調で言うと、カカシがイルカに向かって手を差し出した。話が終わったと告げられ、イルカは躊躇う事なくその手を掴んだ。
そして立ち上がりカカシと同じ目線になる。手を離そうとしたが、カカシは離さなかった。
「........?」
薄く微笑んだままのカカシを見る。
「さっきの涙は俺の為?」
虚を突かれた顔をしたと思う。言われた意味が分かる。カカシの意図が。
何秒か遅れてイルカは曖昧な首の振り方をした。
「いや…」
「うわ、明らか様に困んないでくださいよ」
参ったなと、眉を下げてカカシは言った。
困らせてんのはあなただろうが。と思うも、イルカはまた黙るしかなく、言葉を濁す。
それでもまだカカシは手を離そうとしない。
握手したまま伝わるカカシの指先は冷たいが温かい。
「...じゃあさ、俺の為って事にするってのは、あり?」
「...ありって」
「そう思ったらきっとお互いにとっていいと思うんですよ。絶対」
自信過剰な内容なのに、必死にも見えるカカシの言い方。イルカは吹き出した。
「変な事言わんでください」
「いや、本気なんですって」
「カカシさんズルいですよ」
言った後しまったと思った。カカシを見るとジッとイルカを見つめている。その目から何を言わんとしているか分かってイルカは慌てた。
が、カカシは逃すまいと更にイルカを掴む手に力を入れる。
焦ったままのイルカを見つめていたが、カカシはやがて口を開いた。
「…ズルいのはイルカ先生じゃない」
手は離さないくせに、顔をふいと横に向けた。拗ねた感じが実に子供らしい。
イルカはまた小さく笑った。
笑いながら心の奥では必死に考える。冷静に。
カカシの言葉を認めたら。
きっと。
手放したくなくなってしまう。絶対に。
なのに、この手を離さないで欲しいと思う自分もいる。
イルカは笑いながらも、視線を漂わせながら黙っていた。
カカシはイルカの手を掴む指にぎゅっと力を入れた。力強いのに優しく包まれた手に、イルカは視線を落とした。彼の白く長い指がしっかりと自分の指を掴んでいる。
「あーもう。笑って誤魔化すのはなし。…うんって言って。それで俺のものになって」
意を決したようにカカシは言った。有耶無耶だった表現なしに。ズルいなんて言えないように。
「いるかせんせ」
それでいて甘えた声。
愛しい人を呼ぶように、イルカの名前を呼ぶ。それが可愛いと思えるのは俺だけだと分かっている。
だから困るんじゃないか。
「...えー....っとですね」
その通りイルカは困った声を出していた。
上がった心音は確実に彼に伝わっているだろう。でも繋がったままのカカシの手だって分かりやすいくらいに熱いのだ。
これって結構大事な分岐点。
そうなんだ。さあ、どうする、俺。イエスかノーか。
高鳴り続ける心音に合わせて振り子は動く。それは明らかに一方に強く振れている。
ああ、くそ。
「……はい」
消え入りそうな俺の声。
「うん」
可愛らしい微笑みを浮かべ、恥ずかしそうにカカシは笑った。

それが、俺とカカシさんがぎこちなくも恋人同士になった、ある夜の話だ。
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