歩み寄る

風が吹いている。
カカシは歩きながら空を見上げた。
薄い青色の空は雲が少ないが。風が吹く度にその色を隠す。
(日暮れ前には一雨くるな)
天候は戦術にも利用出来るし、良くも悪くも戦況に影響を及ぼす事もある。微々たるものだが。
そのせいか、昔から空を見上げる度に先の天候を無意識に読むのはくせになっていた。
「カカシ」
声をかけられる。足を止め肩越しに声をかけられた方向へ顔を向ける。
アスマが立っていた。
煙草をくわえたまま、立てた親指で後ろを指さす。
「三代目が呼んでる」
怠そうな声を出した。
「飯食ってからじゃ駄目?」
「知るか」
どのみち本当にどうでもいいんだろう。冷たいじゃない、と呟けばアスマはじろりとこっちを見た。
何か言おうとして口を開け、機嫌悪そうに頭を掻く。
「俺はラーメン食ってくる」
彼なりの嫌みを吐いて、背を向けた。
カカシはその背中を横目で見つめて、鼻で小さく笑う。
くるりと向きを変えると、執務室へ向かった。

「早いな」
言われてカカシは苦笑いを浮かべた。
待ってろ、と一瞥して言われ、再び書類に目を落とした火影は、黙々とその続きを読み始めた。
聞こえるのはくわえたままのパイプから聞こえる微かな音だけで。他には何もない。沈黙が部屋に広がる。
カカシは言われたまま机から少し離れた場所で立ち、少し姿勢を崩して窓の外へ視線を向けた。
さっきより序序に、しかし確実に雲は空を埋め尽くしている。風も強まっているのが、雲の動く早さからも伺える。
そのカカシに書類をめくった紙の音が聞こえた。
「昔からそうだが」
ようやく口を開いた火影から聞こえた台詞に、姿勢を直す事もなくカカシは目線だけを向けた。
「敵を増やす事はお前の趣味みたいなものか」
言われて、カカシはじっと火影を見つめる。肌に出来た深い皺。言われている事は若かった頃と変わってないのに、目の前の火影は歳を取ったと実感する。
いや、平行して自分も同じく歳をとっているのだが。暗部の服に身を包みながら説教を受けていた自分は、今や正規の支給服に身を包み。20代後半にもなり、ここにいる。
「そんな悪趣味に見えます?」
はは、と笑ったカカシに、火影は笑うはずもない。ふう、とため息を吐き出して、持っていた書類を机に置いた。パイプを口から離す。
何もかもお見通しだと言わんばかりの顔。
それも昔から変わらない。
カカシは作った笑顔を消す。
自分の中では取り立て触れる事でもないと思っていたんだが。どうやら、目の前の爺はそうじゃないらしい。
面倒くさいな。そう思いながら火影を見た。
「俺は正論を言ったまでですよ」
渋々、ようやく口にしたカカシに、火影は素直に頷く。椅子の背もたれに体重を預けた。カカシは続ける。
「それに。今回の件で敵を作るどうこうじゃないでしょ。アンタの言いいたい事は分かるけど。俺の言いたい事とは全然違う」
違いますか?火影様。
態とらしく言葉遣いに混ざる、挑発立った表現がありがりと入っているも、それに火影は動じることはなかった。
眉さえ動かさない。煙草の煙だけが静かに上がる。
「だからここに呼んだまでだ」
だろうね。
心でそう返す。カカシは嘆息した。
中忍選抜試験での、自分の部下の元担任とのいざこざはこの男には捨て置けなかったんだろう。
上官にたてついたイルカが悪いとか、意見を押し通した自分が悪いとか、そんな事ではないとカカシも分かっていた。
今まで落とし続けてきた子供とは違う。あのナルトだ。
里にとっても重要な鍵に成りかねない。
そこを重視しただけだ。
「座れ」
接客用のソファに促され、そこは素直に躊躇すれば、立ち上がった火影が先にそのソファに座る。座れ、ともう一度促され、カカシはその対面に座った。
両腿に自分の腕を置き、前に体重を乗せるように指を組んだ。
こうなっては長丁場を受け入れるしかない。それでもまだ面倒くさいなあ、とカカシは心の中で渋面した。
「イルカを昔お前と同じところに放り込もうと思った事があったんだがな」
予想外の台詞にカカシは反応を示す。軽く目を見開いていた。それはしっかりと火影はその目に映っている。
「それがお前の悪いところだな、カカシよ。そんなタマではないと何故思った」
誤魔化すとか、無理なことは考えるのはやめた。そのために、火影はここに自分を座らせたのだ。
そこで諦めたカカシは、仕方なしにぼんやりとイルカの顔を思い描いた。直ぐに浮かんだのは、何故だろう。ナルトといるイルカの顔。笑った時の目の下の笑い皺。
ぼんやりと空を見つめたまま思い浮かべる。一回瞬きしてその顔を消した。
「まあ、...普通そう思うでしょ。誰だって」
「わしはそう思わんのにか」
「あんな人が、あっちの世界でやってけるなんて思える根拠は?」
「お前と正反対だからだ」
即答されたその答えに、カカシは口を閉じる。
「同じ種類の人間だけじゃ、とうてい釣り合いがとれなくなる。どの世界でも同じだ」
裏でも表でもな。
「だから俺をこっちに戻したってわけ?」
火影は深く頷いた。
「その通りだ」
はあ、と大げさにため息を吐き出して、カカシは組んでいた指を解くと、ソファに体重を預けた。行儀悪く膝を閉じていないその格好を火影は静かに眺める。
「お前とは違うタイプだからこそ、ナルトの担当をお前に打診したんだ」
「断れば良かった」
呟くように言うと、火影は鼻で笑った。
「上忍の道より教師の道を選ぶ、お前には出来るか?価値観が違えばまたそのものの見方が変わると言うもんだ」
まあ、普通は忍びであれば誰だって評価を求め、上に昇ろうとする。その称号こそが自分の評価だから。
それを断わってまで居続けたい場所でもないはずなのに。
分からない。
会話すらしようとも思っていなかった相手だ。
火影と言えど、第三者から言われようとも、カカシはそれをはっきりと対象の相手にはめ込む事はできない。
「お前の今回の判断は間違ってはない」
「それはイルカ先生も、でしょ」
名前を口に出すと思っていなかったのか、一瞬火影は驚いた顔を見せたが。直ぐに静かに頷いた。
「あれはいい教師だ」
いい教師。カカシは一回視線を落とす。そこから顔を上げた。
「にしては過剰な老婆心だと思いますがね」
火影が笑った。場違いに感じて顔を顰める。
「その理由もお前は分かってるはずだ」
手に持っていたパイプを深く吸い込む。
「覚えているか?」
その声に落としていた視線を、火影へ戻す。
最初の表情と変わって、穏やかに微笑み懐かしそうな眼差しを向けていた。カカシはその表情に眉を寄せる。
煙を吐き出しながら火影は口を開く。

「覚えているか?お前がアカデミー入って間もない頃、わしに投げかけた言葉を」



言われても思い出せなかった。昔の記憶はそこまで心地よくなくて。思い出す事すらしたくなかった。
それでも、火影の言葉が気になって、自分の記憶をゆっくりとたぐり寄せる。
それは細い糸のようだ。自分がそうした。
任務や仕事に関係のある事柄は詳細に記憶するのが常だ。それは色々な任務や戦況で使える。
でも自分の記憶はーー。
カカシはゆったりと歩きながら、ため息と共に閉じていた目を開けた。
(酷くやらしい言い方するじゃない)
火影のあの余裕のある微笑みと言うべきか。
あの会話の後に、すぐ鳥が部屋に入り込んできた。そこで話は終わりだと、カカシは分かる。
立ち上がったカカシに、
「ちゃんと思い出してみろ」
と念を押すような台詞を背中に投げつけられた。
かんに障るが実際気になっている事で、既に火影の手中にいるって事になる。
「...火影って難儀な商売」
苛立ちをそんな台詞で吐き出した。
どん、と足に何かぶつかったのはその時だった。
考え事をしていて油断していた。前を向けば、10歳くらいの子供が地面に尻餅をついている。自分にぶつかってそのまま後ろに転んだ形だ。
子供もよほどよそ見をしていたんだろう。持っていただろう紙が何枚も地面に広がっている。
「....ってぇ」
その子供が言いながら目の前の自分を見上げ、うっと言葉を飲み込むようにカカシを見つめた。
見た目怪しいとナルト達から第一声で言われた通りで。愛想もあるわけじゃない。見下ろすカカシの目を見て、少し怯えた表情を見せた。
やれやれと、カカシはため息を吐き出して散らばった紙を拾う。
自分の目の前の紙を数枚拾い上げ、
「ほら」
とその子供に差しだそうとした時。
遠くで声が聞こえた。この目の前にいる子供の名前だろうか。その呼び声に、子供は肩を竦ませると、勢いよく立ち上がった。
カカシの差し出した紙を無視して勢いよく走り出す。
早いが上手い走り方じゃないのは、やはり子供だからか。
「あの、」
子供の走った先を目で追っていたカカシに声がかかる。
振り返ると。イルカが立っていた。肩で息をしている。
自分だとは思っていなかった顔を、見せた。
イルカの顔を見て、ここがアカデミーの裏道だと改めて気が付く。
「うちの生徒が....すみません」
イルカが深く頭を下げる。少しだけぎこちない口調。
「ああ、...いいですよ。別に。怪我したわけじゃないし。あっちも無傷みたいですし」
これは、ちょっと汚れたけど。
散らばっていた土で汚れた最後の紙を拾い上げると、あ、とイルカは声を上げまた頭を下げた。
「拾わせてしまって、すみませんっ」
両手でカカシの持っていた紙を掴む。
「...テストの答案?」
イルカの手に渡ってようやくそれが答案用紙だとカカシは気が付く。
聞かれてイルカは困った顔を見せて、はい、と頷いた。
「あいつ、職員室から盗み出そうとして、いや、...お恥ずかしい」
そこは本当に恥ずかしいと思っているらしい。少しだけ耳が赤い。
ふうん、とカカシはその姿を眺めた。
まあさっきのぶつかり方や逃げ方は点数あげれないくらいだけど、職員室に忍び込み、答案を盗んでここまで逃げてきた事は感心する。
それをしてやられたこっち側は、そう感心だけってわけにはいかないもんねえ。
「それで、あの子供はどうすんの?」
え、と問われたイルカはカカシに目を向けた。
「怒鳴って終わり?」
「...まあ、そりゃ説教はします」
少し不機嫌になるのは不甲斐なさからくるものだろうか。
忍びになって。中忍になり。火影にさえ力を認められ、上に打診されたはずなのに。
それを望まずに今のように子供の相手を望んでいる。
毎年それを繰り返して。
忍びとして、それが本望なんだろうか。
漠然とした、当然とも言える疑問。
それなのに、恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうな顔に見えてならない。
「ねえイルカ先生」
「あ、はい」
カカシに名前を呼ばれ、イルカは少し緊張した面もちでカカシの顔を見た。
「何が楽しいわけ?」
「....え?」
少しだけ固まった笑顔にカカシは続ける。
「子供と追いかけっこもいいけど。あなただったらもっと活躍する場所なんていくらだって見つけられてるんじゃないの?」
イルカの少し目が丸くなったのが分かった。
「アカデミーの教員なんて、忍びの言わば墓場みたいなもんじゃない。怪我して引退したやつらにだって出来ますよ」
口が悪いのは昔からだ。
それでどれだけ自分を嫌煙した人間がいただろうか。
言葉を選べたが、敢えてそんな言い方を選んでいた。
黒い目を丸くしたイルカは、口を閉じたまま。しばらく沈黙する。
怒るだろうか。
この前と同じように。
じっと表情を変えず探るようにイルカの顔を見つめていると、ふう、と息を吐き出した。そして、ふっと息をまた吐き出す。いや、吐き出したのではない。笑った。
白い歯を見せる。
「そうですか?」
微笑みながら逆に問われる。カカシは眉を寄せた。
「俺にはそう思いません」
きっぱりと、口にした。
「でもそれって、」
「変ですか?」
先にまた問われる。
「おかしい事を言ってるとは、俺は一切思いません」
そこでイルカは汚れた答案を大事そうに抱えて深々と頭を下げた。
「失礼します」
くるりと背中を向ける。
高く結った黒い髪が。黒いしっぽが。歩き出すと、揺れた。
 わしにはカカシがおかしい事を言ってるとは思ってはいない。
風が舞うように。思い出す火影の言葉。細い糸の中から浮かび上がる。それは一瞬の間だった。
でも。
カカシは眉根を寄せた。口を開く。
「ねえ。待って」
カカシは呼び止めていた。
イルカは足を止め、背を向けた時と同じようにくるりと身体の向きを変えカカシに向き直る。
「はい」
イルカの顔を見て、カカシは開いていた口のまま、(口布で見えてもいないが)少し言いよどんで、戸惑いがちに頭を掻いた。
この人に聞いても、いいのか。
振り向いたイルカの顔を見つめて。再び恐る恐る口を開く。
「...聞いても、いい?」
イルカは首を傾げながらも嫌な顔をする事せず、しっかりとカカシを見た。
一歩カカシに歩み寄る。
「はい。何でしょう」
どんな格上の相手でも。嫌みを言われようとも、しっかり向き合うイルカの黒い目。カカシは微かに眉を寄せ視線を外した地面に落とした視線の先にある自分の足元を見つめる。

アカデミーに入った頃。本当に最初の頃。忍術以外にもアカデミーは教える。でも。どうしても分からなかった事があった。
でも。それは。そう言うものだと自分に思いこませた。
だから。もう疑問でも何でもなかったのに。

カカシは目線をイルカに戻した。
「ねえ先生。どうして1+1は2なんだと思う?」
全てを理解しないと納得出来なかった自分は、そんな事で最初躓いた。今思えば馬鹿で愚かな子供だったと今でも思う。
素朴な疑問だった。周りの生徒にも馬鹿にされ笑われた。消したい。最初の記憶。
それを、火影はずっと覚えていた。怖いくらいの記憶力だと内心苦笑いするが。自分もまた、覚えていた。
この人は、何て答えるのだろうか。
それとも、ーー笑うのか。試されてると、そう受け取るのかもしれない。
「それは、はたけ上忍の、」
「いいから、言ってよ。もし生徒からそう聞かれたら、何て答えるの?」
早口に言われ、イルカは少し口を尖らせた。
考えるように真面目な表情で少し視線を落としたイルカは、直ぐにカカシへ目を向ける。
「俺にも分かりません」
「....え?」
イルカは苦笑いを浮かべた。
「そんなの俺も知りません。でもそう言うものだってただ記憶してるだけです。それをそのまま生徒にも教えてる。だから、分からない」
瞼を伏せるように、イルカは下を向く。
「あなたがどんな答えを求めてるか知りませんが、」
言いながらゆっくりとカカシの目を見た。
「その疑問が出る。その子はすばらしいと俺は思います。それすら疑問に思わないで受け止めるのが当たり前です。この子の着目点はすばらしい。だって誰も不思議に思わない事を、ちゃんと立ち止まって考える事が出来るんですから」
 わしにはカカシがおかしい事を言ってるとは思ってはいない。
火影の言葉が再び蘇る。
 だがな、その質問に答えてくれる先生はきっと現れる。
それが22年後だなんて。誰が予想しようか。
笑わせてくれる。
「もういいでしょうか」
その声に我に返った。
「あ、...うん」
丁寧に頭を下げる。その後ろ姿を見送ってーーいたはずなのに。
気が付けば、イルカの腕を掴んでいた。
「ーーまだ、何か」
少し怪訝そうになったイルカの表情。掴まれている腕を眉を寄せて見ている。ぱっとイルカから手を離した。
「あの、さ。...今日、飲みに行きませんか?」
自分から誰かを誘う事なんて今まであっただろうか。
イルカは。虚を突かれたように目を一瞬丸くした。が、その口元に笑みが浮かぶ。
「お断りします」
「え、何で?」
「何で?....そうですね。じゃあ聞いてもいいですか?それってどんなつもりで俺を誘ってるんでしょうか」
「どんな....つもりって...」
「友達ですか?それとも上官として?」
カカシは言葉に詰まる。そんな事すら考えもしてなかった。
が、イルカに問われ自分の中で恐る恐る自分の気持ちを探る。
「....じゃあ、友達で」
「結構です」
「え、ちょっとっ」
ふいと顔を背けられ、またカカシはイルカの腕を掴む形になった。
「何でよ」
「命令でしたら行きましょう。でもあなたと友人としておつきあいする事は俺には出来ませんから」
「だから何で」
カカシの眉間に皺が寄っている。それをイルカは涼しい顔をして眺めた。それに何故か焦りを覚える。
「上官ですから言えません」
「何それズルいじゃない」
その台詞にイルカが笑った。可笑しそうに。少し弓なりになった黒い目。
何でだ。顔が熱い。変にむずむずした気持ちに内心困惑する。
「子供みたいな事言うんですね。はたけ上忍は」
くすくす笑って。でも、すっと顔を元に戻した。
「じゃあ、これで」
掴まれていた手をイルカの手が払い、しかしきちんと会釈をされ。
思わず後を追う。
アカデミーへ向かって歩くイルカの横に付いた。
「ねえ、イルカ先生何で駄目なの?」
イルカは鼻で笑う。
「しつこいですね」
「じゃあ上忍命令」
「今さらです」
再びイルカが笑いを零す。
その笑顔を見ただけで諦めがつかなくなる。感じた事のない意地も同時に湧きあがる。
何で俺必死になってるの。
でも。
カカシはイルカの顔を覗きこんだ。
「ね、お願い」

人の職場を墓場扱いしたくせに、何言ってんだ。ばーか。
イルカは心の中で悪態をついて。でも何だか憎めないなあ、と思いながら。まとわりつくカカシを無視してアカデミーへ急ぐ。

ここからしばらく変な光景が繰り広げられ、歩み寄らせるつもりがなんでああなったのか。
難儀だな。と、火影が嘆息したのは誰も知らない。



<終>

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