僕のところにおいでよ

「カカシ」
名前を呼ばれたのは、里に帰還して報告を済ませ建物から出た直後だった。
振り返ったカカシは相手の顔を確認して小さくため息をついた。
「・・・・・・何」
「ちょっといい?」
「あのさ・・・・・・、俺さっき任務から帰ってきたばっかりなんだけど」
怠そうに言うカカシに、目の前の暗部の女は腕を組んだままわずかに眉を寄せた。
別に相手が機嫌を損ねようがあまり興味はないが、面倒くさい事は避けたい。
カカシはぼさぼさの頭を掻いた。
「・・・・・・分かったよ。で、何?」
そのあきらめ口調も気に入らなかったのか、女の目つきが鋭くなる。
「他に女いるでしょ」
「いるね」
「その女といつ切ってくれるの?」
何を言い出したんだろう、とカカシはぼんやり思った。
最初から体だけの付き合いって事で始めた関係だったはずだ。それなのに、何故そんな質問を自分に向けるのか。
「別に。切るつもりはないけど」
取りあえずか自分の意向だけは伝えると、女が一歩カカシに近づいた。
「私だけじゃ駄目って事?」
「・・・・・・・・・・・・」
ああ、面倒くさい。
カカシは内心ため息をつく。元々この女の気が強いところが嫌いだったが、それにつけ加え利己心が強いらしい。
体ではお互いに満足しているのだから、それでいいじゃないのか。
かと言って気が立ち始めているのを知って尚、言い争うつもりもない。ただ、疲れれていた。
「何で何も言わないのよ」
「・・・・・・俺もう帰っていい?」
女の右手が上がり振り下ろされたが、カカシは瞬間後ろに移動してそれを難なく避ける。
空振りになった手に、羞恥なのか怒りなのか。たぶんどちらもだろう女は頬に血を昇らせ、唇を噛んだ。
怒っていようが、こっちは意味分からずに叩かれるのはごめんだ。
「もう用は済んだ?俺行くね」
カカシは殺意にも取れる感情をむき出しに睨む女を無視して、背を向けた。
相手は暗部だが、暗部に身を置いているだけにカカシの強さを身を持って知っている。下手にそれ以上手を出してこないもの知っていた。
「あんた何かこっちからごめんよ!」
猫背で歩くカカシの背中に言葉をぶつける。
カカシは気にする事なくその場を去った。

女を見る目がないと、後輩には昔からよく言われていた。
カカシ自身そんな事はないと思っていたし、ぱっと見綺麗で体もそこそこならそれで十分だと思っていた。
体の相性が悪かったならそれは最悪だが。そんな事もそうなかった。
だけど、どの女も昔から関係が長く続いた事はなかった。
最初はいい。なのに、一定期間の後、突然色々な文句を自分につけ始める。
ちなみに、自分は相手に不満も不服もなく言った事もない。いつも向こうから関係を破棄する。
今回のような事もあれば、相手が別の男を作って一方的に別れを伝えてくる事もある。
理由は様々で、それを受け入れる事しかカカシはしなかった。
そうなると、何でもっと関係を長く続けるよう努力しないのか、と後輩に言われる始末。
だけど、自分に非はないし、だからと言ってどうしたいとも思わないのだから仕方がない。
ああ、また今回の事で後輩にぼやかれるのは嫌だなあ、とそれくらいしか思わなかった。

翌日の夕暮れ時、カカシは受付にいた。この時間は込み合うからあまり好きではないが、今日は珍しく人が少ない。受付も担当しているのは一人らしく、その列に2、3並んでいるだけだ。カカシはその一番後ろに並んだ。
直ぐに順番はまわり、カカシの番になる。
「次の方、どうぞ」
ああ、この人か。
イルカに報告書を差し出した。
「お疲れさまです」
イルカは挨拶を済ませるとさっさと報告書の確認作業に入る。
カカシは幾ばくかの感心をイルカに持っていた。自分の部下であるナルトやサクラははもちろん、あのサスケでさえイルカに懐き心を開いている事実。それは素直にカカシの興味を引いていた。
自分はまだ出会って時間もそう経っていなにのだから、同じ様にいかない事くらいは分かってはいるが、はやり何か彼なりのコツがあるのだろう。
だた、それを聞く隙を相手は与えてくれない。
「問題ありません。お疲れさまでした」
イルカは機械的とは言わないが、それに近い挨拶を済ませるとすぐに視線を作業途中だったであろう別の書類に目を落とした。
昔からそうだった。いや、最初は違った。
ナルトの上忍師になったばかりの頃、イルカが自分に声をかけてきた。
「あいつらの事、よろしくお願いします」
深々と頭を下げられ、驚き戸惑いながらも、
「あー、はい。分かりました」
そう答えたカカシに頭を上げたイルカは、目尻を下げ恥ずかしそうにしながらも嬉しそうに微笑んだ。
ずごく先生らしい人。
それが自分の初対面の印象だった。
立場も違うし、部下の元教師だって事でそこまで関わる事がないからか、それからイルカと会話らしい会話をする機会はなかった。
ただ、もう一度あの笑顔が見たいと思った。
ふと視線を感じた時にその視線の元にはイルカがよくいる事があった。
黒い目をじっとこっちに向け、カカシが気がつくとその視線は外される。
とは言えナルトの事とか何か自分に用があるのかと思うも、イルカから話しかけて来ることはない。
視線を向けられるのは、昔からよくあることで慣れていた。だから気になる事もなかったが、そんな事が何回か続いる。
まあそれはそれで。
とにかく、今目の前にいるイルカはもう既に別の仕事に移り、黙々と書類の処理を初めている。もうカカシが目の前にいないかのように。
受付に窓から夕暮れが差し込み、赤い色が部屋を照らしている。イルカもまた夕日に照らされ、背中や黒い髪、俯いた顔が赤い色に包まれていた。
数秒見つめた後、カカシは部屋を出て行くべく視界からイルカを外しくるりと背を向けた。
「カカシさん」
呼ばれ、カカシは振り返る。
さっきまで書類に視線を落としていたイルカはカカシを見つめていた。
その黒い目がふと緩む。
「また女性と別れたそうですね」
いきなり過ぎてカカシは瞬きを数回した。急に会話にするような内容だろうか。
それにあれは別れた内に入るのか?いや、そうなるのか。
でも聞かれたのだから、とカカシは口を開く。
「・・・・・・ええ、まあ。それ、誰から聞いたんです?」
「いや、結構噂になっていますよ」
「・・・・・・そうなの」
何て答えたらいいのか分からなくなるものの、明らかに呆れているような色を含ませたイルカの視線に、カカシは苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「長続きしないおつきあいばかりなんですね」
「ええ、まあ」
眉を下げながら、何でこんな会話をしているのだろうかと、カカシは内心首を傾げる。
(喧嘩を売ってる?ってそれはないか・・・・・・)
人の心を読み解くのは得意分野なはずだが、今イルカの考えが丸で読めない。こんな会話はイルカには利点がない上に答えが見えない。
心の内を探ろうとするカカシに、イルカは笑ってはいない。ふと目を伏せ、そこからゆっくりと視線を上げ口を開いた。
「もっと人を見る目を養われたらどうですか?いつか痛い目にあいますよ」



一体なんだったんだろうか。
忠告のつもりなんだろうが。自分の仲間や後輩に言われるならともかく、挨拶を交わす程度の相手であるイルカに何でそんな事言われなければならないのか。
常に沸点が低く、そこまで相手の言動に左右もされることも少ないが、イルカに言われた言葉が妙に気に障った。
丸で喉に刺さった魚の小骨のように心に引っかかり、なかなか気分が晴れないが、それを気にしてたところで何も始まらない。
見た目通りにイルカは堅物なのだろう。それにたまたま浮ついた噂が耳に入った時に(こっちとしてはかなり不本意だが)、その張本人が目の前にいた。だからイルカの性格上口に出してしまったのだろうが。
言われて気分がいいわけがない。
大体噂って。
(・・・・・・どいつもこいつも暇だね)
思わずため息が出る。
まあそれか、後輩の言うとおり。俺が女を見る目がないって証拠なのか。
だったら前々から上がうるさく言っていた通り、潔く見合いと言う形を取れば問題なく丸く収まるのか。
ただ、正直それは嫌だった。
いつかは自分もそうずべきだとは分かっているが。今その時期ではないと、そう感じている。
幼い頃から忍びとして生きてきたからだろうか。あまり自分の身体以外の荷物を持って生きる事は、選択として選びづらいのもある。
自分は戦忍で、いつ任務で命を落とす事があるか分からない状況だ。もしそこで命を終えた時、一体そこに、子孫を残す事以外に何があると言うのか。
考えれば考えるほど、見えない糸がぐるぐると回り。仕舞いにはそれが絡まる。
所謂冷静な判断力が失われてしまう。
もう考えるのは止そう、とカカシは決めた。

その矢先だった。
酒を女と飲んでいた。久しぶりに会った女は一般の女性で、関係を持つようになって数ヶ月。もちろん向こうから好意を寄せてきて、利発なところが気に入っていた。
「ねえ、私ことをどう考えてるの?」
聞かれてカカシはグラスを傾けながらその女を見つめた。
「どうって・・・・・・」
いつもいつも思うのが、どんな言葉を期待しているのかいまいち分からない。
「別に、何も」
素直に答えると、女の顔色が変わった。
だから最近会ってくれなかったの、と強く問われる。カカシは小さく首を振った。
「いや、だって最近忙しかったし」
「そんなの知らないわよ、それに時間なんて作ればいくらでもあるでしょ?」
カカシを責める女の声が次第に大きくなる。
里は常に人手不足で、それに自分の階級になれば任務が立て続けに入るのはざらだった。しかも相手にそれを説明とか、任務の内容なんて言えるわけがない。
どうしようか。
考える間もなく、相手が持っていたグラスの中身をカカシに向かって投げた。
もちろん避ける事も出来た。それをしなかったには、回りはほぼ満席でカカシの後ろにも人がいたからだ。
女の注文していたウーロンハイが見事に頭にかかり、銀色の髪からぽたぽたと滴が垂れる。
「嘘ばっかり。浮気してるってはっきり言えばいいじゃない」
言うだけ言うと、女はグラスを勢いよくテーブルに置き、バックを持ち店を出ていく。
内容はどうあれ、きっと自分の噂をどこかで耳にしていたのだろう。
しん、と店内が静まりかえったのは一瞬で。店員がカカシにおしぼりを持って駆け寄ると、そこから次第に賑やかさが戻ってくる。
大丈夫ですか、と店員に聞かれて大丈夫じゃないです、なんて言えるわけもない。
カカシは黙ってそのおしぼりを受け取り髪と顔を拭いた。周りはカカシを気にしながらも、酒を飲み興味本位な視線をちらほらと向ける。
そんなものは痛くも痒くもないが、参ったね、と心の中で愚痴った。
ため息を吐き出しながら、まあ仕方ないか、とも思う。
さっさと店を出て家に帰って着替えして。
カカシは席を立とうとした。が、さっき自分に酒をぶちまけた女が座っていた席に。カカシの目の前にすとんと座ったのは、イルカだった。
里に酒を飲む店はそう多くない。だからイルカがこの店にいてもおかしくはないが。
驚き目を丸くするカカシを前に、イルカはじっとカカシを見つめた。少し潤んだ黒い目。
数日前に受付で見てきた時と同じ目。
「だから言ったじゃないですか。痛い目を見るって」
そして前と同じような、少し呆れたような声。
固まるカカシを前にテーブルに両肘をついた。少しだけイルカの上半身が近づく。
「あなたは女を見る目が丸でない。変な噂まで立てられて。挙げ句に酒ぶっかけられて」
イルカは立て肘を解くと、ズボンのポケットからハンドタオルを取り出しカカシに差し出し、まだ濡れていたカカシの髪を頬を、優しく拭く。
「だからカカシさんは俺にすればいいんです」
黒い目を緩ませ、居酒屋の暖かな灯にその目を輝かせながら、そう言った。


今俺はイルカ先生とつき合っている。
言われた時は何をふざけた事を、と思ったし。自分は至ってノーマルな性癖で同性には興味すらなかった。
でも、つき合ったどの女も見ての通りひどい結果ばかり招くし、髪は酒臭いし冷たいし。嫌気が差していた。
だからお試しで。
そんな軽い気持ちでOKをした。
つき合って半年になるが、未だ関係は続いている。
イルカ先生のアパートは狭いがそれがイルカ先生と一緒に過ごしているとひどく居心地が良い。イルカ先生の作る料理は色鮮やかさはないが、和食中心で栄養バランスも取れていて、それでいて自分の好みのものばかりでどれも美味い。
どんなに忙しくてもイルカ先生は理解を示してくれるし、他の女のように責めることはない。そしてあのアパートで俺の好物の料理を作って自分の帰りを待ってくれている。
疲れた自分に頼んでいなくてもマッサージをしてくれるが、それが絶妙な力加減で気がついたら寝てしまう事も時折。
だからお返しにと、時々俺も先に帰った時は掃除をしたり夕飯を作る。大したものを作っているつもりはないが、イルカ先生はにっこり全開の笑みを浮かべ喜んでくれる。あの、もう一度見たかった笑顔以上の笑顔だ。

あと。身体の相性が良かった。最初同性だからと抵抗があったが、そんな不安が一気に吹っ飛んだ。自分からあんな誘い文句を口にしたくせに、初めてだった事には驚いたが。
イルカ先生はキスもセックスも、毎回初めての時のように恥じらい頬を染め、身体も赤く染める。それが堪らなく可愛いなんて思う。
俺は束縛なんてしませんから、って言のに、何となく他の女の名前を口に出した途端、イルカ先生の黒い目が悲しみに満ちた。もともとイルカ先生と付き合い始めた時は、既に他なんていなかったけど、声をかけてくる女は何人もいた。だが、イルカ先生のそんな目を見たら罪悪感に胸が締め付けられ、浮気していないけど、一生浮気はしないと心に誓った。

以前は女の噂が絶たなかった自分だが、今はイルカ先生の恋人だと自ら公言している。イルカ先生は顔を赤らめながらやめてください、と困った声で怒るけど、そこはしっかり公言しておかないと、どんな虫が近づくか分からないから、そこは絶対に外せない。

そんな事を。
任務で久しぶりに会った後輩に、もう女運が悪いだの女を見る目がないだの言わせないと、イルカ先生の事を話した。
既に俺とイルカ先生との事を耳にしていたのだろう、見たこともない表情で戸惑いながらも笑顔を浮かべ、お幸せに、と言った。
そこで気がつく。
自分の中にある幸せの存在に。
途端無性にイルカ先生に会いたくなった。
だから俺は、ありがと、と微笑んで答え家路へ向かった。
イルカ先生が待つアパートに。


<終>
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