不器用

 好きだと言ってきたのは向こうからで。その申し出は自分にとっては突飛な物で受け入れ難かったはずなのに、気が付いたらその気になっていて。つき合っているくせに目で追ってしまっている時点で何だか分が悪いと思ったのは最近だ。


 立ったまま手渡された書類に視線を落としたままで、説明している言葉は耳に入ってくるものの、それを目で追っている訳でもなく、イルカはぼんやりと文字を眺める。
「おい」
 その声で我に返る。視線を上げると綱手が真っ直ぐこっちを見ていた。
「どうなんだ?」
 続けて聞かれてイルカはそこで慌てて書面へ視線を戻した。そこには今週振り分けられた上忍の任務が一覧で書き記されている。
 綱手が火影に就任してから、ランクに関係なく全ての要請された任務調整の仕事をイルカが請け負っていた。前回より多少調整が加えられてはいるが、無理がない配分にはなっている。
「俺、あ、いや、私はこれで今の段階では問題ないのかと」
 その返答に綱手は少しの間の後、軽く頷く。そうか、と口にしてイルカから視線を外した。
「じゃあ取りあえずはこれで進めてくれ」
 解散とは口には出さないが、綱手のその一声で執務室に集まっていた者は部屋を出て行く。
「イルカ」
 同じように背を向けた時に綱手に呼び止められる。振り返ると綱手は書面に目を落としたまま。
「午後の会議までにはそれは直しときな」
 それ、とはもちろん書類の事ではない。気が付いてはいないとは思ってはなかったが。イルカは内心苦笑いを浮かべるしかなく、イルカは頭を下げるしかなかった。すみませんと口にしたイルカに、綱手は縦肘を付いたまま、そこで目をイルカに向ける。ただ、何も口にする事はなく、少しだけ可笑しそうに、それでいて意地悪な笑みを浮かべ手で払う仕草をされ、イルカはもう一度頭を下げると執務室の扉を閉めた。

 らしくないとは思う。あろう事か火影を前にして考え事なんて、確かに自分らしくない。
 分かってはいるが、ーー。
 イルカは建物の外に出て歩きながら息を吐き出す。
 カカシは元々モテるのは知っていた。その気がなくとも向こうから寄ってくるのも知っている。
 それでもカカシは自分を選んだ。どこを気に入ったのかは分からない。たまたまばったり帰りが一緒になった時に、夕飯に誘われて。それから何度か一緒に酒を飲むようになり。その回数が十回も満たない内にカカシに気持ちを伝えられた。
 その時激しく動揺したのを覚えている。からかっているのだと。冗談だと思った。
 それでも何回もしつこいくらいに言われて、それで、折れた。
 折れた、は少し違う。今思えば、一緒に飲みに行くようになってから。カカシの今まで見ることがなかった表情や、笑顔に、心のどこかで惹かれていた。それに気が付かないフリをしていた。
 そりゃするだろ。同性で上官で、しかも相手がはたけカカシで。俺が惹かれているなんて、可笑しい。
 なのに。
 イルカはそこでまたため息を吐き出す。
 ーー俺がどんな思いで頷いたのか、絶対分かってない。
 歩きながら眉根を寄せた。
 だって昼飯を食おうって言われたから。
 カカシは自分にそう言った。
 たまたま自分が同僚と外に昼飯を食べに出た時、定食屋でカカシが女と一緒にいるのを目にした。
 そんな光景を目にしたのは初めてじゃなかった。相手が違えど、くノ一である事には変わらない。正直面白くなく、ムカつきが胸の中に広がった。
 相手は大体後輩だったり、上忍の仲間だったり。もちろん男の上忍仲間と食べていた事もある。
 分かっている。何もないのは。夜の誘いには絶対乗らない事も知っている。それでも面白くないものは面白くなかった。
 つき合いが大切なのは自分だってよく分かっているのに。自分の器がどれだけ小さいのか思い知らされるが、胸のムカつきは治まらない。
 それがつい今朝態度に出てしまった。
 あーあ。
 イルカは思い出した苛立ちと後悔で視線を上げ空を見上げる。清々しいくらいに晴れ渡った空を見たら、自分の暗い胸中が疎ましくさえ感じる。 無意識に出てしまった自分の刺々しい態度に、カカシは少しだけ反応を示したものの、それ以上の反応はなく。自分より先に任務に家を出た。
 反応が鈍いと言うことは、カカシはきっとどうも思ってないと言うことで。
 まあ、カカシが浮気をした訳でもなく、ただ、昼飯を一緒に食べていただけで。ただ、それだけで。
 それだけなのに、はしゃいだくノ一がカカシに自分の腕を絡ませていたのを見た時は、カカシが嫌がりすぐに、やめて、と腕を離したのにも関わらず、そのくノ一とカカシを後ろから蹴り倒したくなったのは事実だ。
 ・・・・・・本当、俺って小さい。
 イルカは心で呟いた。

 午後、会議に向かう為に受付から出たイルカにに声をかけてきたのは、昔の生徒だった二人のくノ一だった。
 教師になった年にアカデミーを卒業したそのくノ一は、生徒だったと思わせる雰囲気は既になく、話し方や笑顔に面影は残るものの、随分と大人びて見える。
「先生今度一緒に飲みに行こうよ」
 無邪気な笑顔を向けられてイルカは笑った。ただ、正直誰かと飲みに行くような気分ではなかった。笑顔を作って鼻頭を掻く。
「どうせ集るつもりだろ、遠慮しとくよ」
 イルカの言葉にもう一人のくノ一が、えーずるーい、と声を上げた。
「一緒に呑んでお前らの彼氏だの恋だの、そんな話につき合わされるのはごめんだからな」
 冗談だが、考えられなくはない答えに、あながち当たっているのだろう、二人はまた可笑しそうに笑った。
「たまにはアカデミーに顔出せよ」
 言うと、はーい、と揃って生返事が返される。イルカは笑って片手を上げると二人に背を向けたところで、
「先生」
 さっきのうちの一人が駆け寄ってきた。
「もしかして、先生恋人でも出来たんですか?」
 覗き込む様に聞かれ、少し、面食らった。
 恋人、と言う言葉に何故か上手く反応出来なかった。自分でそんな話を振ったのは確かだが。よくネタにされる事は事実なのに。一瞬答えに詰まったイルカに、目の前のくノ一が手を口に当てて、やっぱり、と笑った。
 続けて、そっかあ、と言われ、え?と聞き返すとくノ一は笑って首を横に振る。
「先生、またね!」
 手を振ってもう一人のくノ一の元へ駆けて行った。
 何がやっぱりで、何がそっかあ、なのか分からないが。二人の後ろ姿を見送り、イルカはそこからゆっくりと執務室がある建物へ向かって歩き出した。
 教師をする年数が増えれば増えるほど卒業した生徒も増える。それは忍となると言う事で、嬉しい以上に様々な思いが心を巡り、その気持ちを一言ではとても言い表せない。
 それに。そこでイルカの表情が曇った。
 カカシとのつき合いは何となく口外していないけど。彼は確かに恋人で。カカシから好きだと言われて、自分は頷いて。だから、恋人なのに。名前さえ口に出さなければ、恋人がいると、言っても良かったのに。自分の中で戸惑いを感じたのは確かだった。
 だって、今は、自分だけがカカシに気持ちを向けているように思えて。
 自分の不安をカカシに言えばいいとは分かってはいるけど。それをどう伝えたらいいのか。分からない。
 もしかしたらこのまま離れて行くのかな、とか。思ったら。
 途端目の奥が熱くなる。
 何センチメンタルになってんだ、俺。
 手の甲で目を擦ろうとしたら、急に腕を掴まれた。そのまま建物の裏に続く細い道に引っ張られ、思わず、わ、と間抜けな声を出していた。
 そして目が丸くなるのは、それがカカシだったから。
 驚くイルカを前に今朝見た時と変わらない、涼しげな目元でカカシを見つめていた。
 この展開があまりにも不意すぎて思考がついていけなくて、驚いたまま見つめる間に、目の前でカカシは口布を下ろす。どうしたのだろうと思った。カカシの左手が伸び顔に添えられ、その親指がイルカの唇に触れた。口を開かせる。傾けたカカシの顔が近づき、
「ーーカカシ、・・・・・・んっ」
 名前を呼んだその口を塞がれた。 
 目を見開く。
 夜ならまだしもこんな真っ昼間でしかもこんな場所で、口付けされるとは思わなくて。深く口付けられたまま遠慮なくカカシの舌が入り込みかあ、と体が熱くなった。顔もまた同じように熱くなる。
 抵抗したくとも、イルカの口内を荒らされその感覚に体が素直に情けないくらいに反応する。自分が口付けが弱いのだと、カカシとつき合ってから知った。絡まる舌に唾液が熱くなり目元に涙が浮かぶ。カカシが角度を変え口付ける合間にイルカは首を捻り、それから逃れた。
 潤んだ目に、自分との口付けで熱に浮かされたような眼差しに変わったカカシが映る。それだけで背中がぞくりと震えた。
「・・・・・・や、」
 嫌だと言おうとしたその言葉もまたカカシに寄って再び口付けられ、言葉が続かない。カカシの手のてらがイルカの後頭部に移りもう片方の手で背中から抱き込まれる。
 裏道とは言え、昼間で皆勤務中だ。誰かが通ったら、ーー。そう思うのに、カカシは我が物顔で貪るようなキスをする。
 イルカは堪らず抱き込まれたままカカシの胸の前にある自分の手を、拳に変えた。それでカカシの顎をぐいと押すと、カカシがようやく口付けを止めた。
 真っ赤な顔でカカシを睨む。
「あんた・・・・・・急に何考えてんだ!」
 羞恥に震えながら責める言葉を口にすると、カカシが眉を寄せた。
「だって、先生があんな若い女二人と楽しそうに話してるんだもん。妬いて当たり前でしょ」
「・・・・・・は?」
 言われた意味が分からなかった。女と言われてすぐに繋がらなかったが、それがさっきの昔の生徒を指しているのだと気がつく。
「なに・・・・・・言ってんですか。あれは昔の生徒ですよ?」
 瞬きをしながら呆れた声を出すと、カカシが少し怪訝そうに胡乱な目をイルカに向ける。
「そうなの。知らない。遠くから見たから」
 説明したのにも関わらず、そうぶっきらぼうに返すカカシはひどく不機嫌そうで。
「もしかして・・・・・・妬いてるんですか?」
 あり得ないと思いながら口にしたら、カカシが僅かに眉を寄せた。
「悪い?」
 耳を疑った。そんな事言われた事なんて一度もなかった。信じられなくて、なのに胸がドキドキして。じっと見つめると、怪訝そうな顔のまま、何?とカカシは首を傾げた。その耳は少し赤い。
 嬉しくて、なんて言えっこなくて。イルカは頬を赤くしながら、いえ、と返した時、カカシの赤い舌がイルカの上げたままの拳を舐めた。思わずイルカの体がビクリと跳ねる。体を強ばらせたイルカへ青い目を向けた。
「あれ、ホントに元生徒?」
 繰り返される子供のような質問に、むず痒さすら覚えて。自分もこんな風に素直に嫉妬していると、言えば良かったのか。
 と言うか、塞ぎ込んでいた自分が馬鹿らしくなった。
「ふっ、はは、」
 急に笑い出したイルカにカカシは少しだけぎょっとした。そんなカカシに、イルカは身を寄せてカカシの首もとに顔を埋めた。
「あの・・・・・・せんせ?」
 滅多に自分から甘える事すら滅多にしないイルカに、カカシが驚いたように、抱きつかれた体をもぞりと動かした。イルカはぴったりと体を寄せたままくすくすと笑い首を軽く横に振る。
「何でもないですから」
 囁くように言われ、カカシは諦めたのか、口を閉じたのが分かった。そして両手をイルカの背中に回した。抱き込められたまま、イルカは目を閉じる。
 カカシの温もりが、心音が伝わり心地良い。
 取りあえず今夜、カカシに嫌なものは嫌だと、色々伝えるところから始めなきゃなあ、とイルカは心に決め密かに微笑んだ。



<終>