病室

カカシが一般病棟に移ったと訊いたのは昨夜。残業してアカデミーからの帰り道だった。
猫の面を付けた男が少し先の道の端に立っていた。街灯が少ないこの道は薄暗い。一般の人から見たら、きっと気が付かないような微妙な長さの距離で頭を下げられ、イルカも会釈を返す。
彼に会うのは確か三回目。カカシとつき合うようになってから。カカシが入院を繰り返す度に、イルカは出来る限り病院に通っている。だが、基本、カカシは程度が酷い時にしか入院しない。最初は必ず誰もが出入り禁止の病棟に入る。だから、そこから一般病棟にいつ移るのか、イルカは知る術がなかった。


「ここに来たの、イルカ先生が何人目か知ってます?」
病室に訪れて言われた、カカシの第一声は子供のような拗ねた声と顔をしていた。
「え....、いや、知りませんけど」
真顔で受け答えしたイルカにカカシははっきりと渋面を見せた。
「8人目です」
「はぁ、そうですか」
鈍い反応をするイルカに、カカシはわかりやすいため息を零す。イルカはリンゴを袋から取り出しながら眉を寄せた。
「何が言いたいんですか」
カカシの性格は把握していると思っている。薄々分かってきたそのカカシの意図に呆れもするが、敢えてイルカ訊いてみた。
「初めてはアンタがいいんだよね」
駄々を含ませるようでいて、真面目な表情は狡い。
そんな事だろうと思っていたのに、イルカは赤面を止められなかった。誤魔化すように、丸椅子に座りながら、はいはい、と答えて林檎をひとつ掴むと、その腕をカカシが引っ張った。
「イルカ先生」
名前を呼ぶと同時に唇は重なっていた。何度も優しく唇を合わせ、その柔らかい感触に意識を集中する。ぬるりとカカシの舌は当たり前のように侵入し、それを受け入れるかのようにイルカは薄く口を開いた。本当に怪我人なのか、と疑いたくなるくらいにカカシのいつものキスに夢中になる。必死で受け入れながらも自分も舌を絡ませる。恥ずかしい。頬が火照るくらいの恥ずかしさに眉根を寄せながら、それでもイルカはカカシのキスに応えた。
やがてカカシの唇が離れ、目を開けると、カカシもじっと自分を覗き込んでいる。
「もっと早く会いたいって、分かってます?」
そう言われ、イルカはとろんとした目を何回か瞬きさせながら伏せた。
「最初って訳にはいかないです。カカシさんもそれは分かってるじゃないですか」
そう言って再び顔を見れば、カカシはイルカから手を離し、決まり悪そうに頭をがしがしと掻いた。分かっているけど、納得がいかない。そんな顔だ。
そんな顔をされても。自分だって知りたいに決まっている。心配で仕方ないし、顔を見たい。それでもそんな情報、自分に都合良く流れてくる事は少ないのだ。
「考えます」
カカシはやけに真面目に、そう言った。

それからだ。あの猫の面が自分の前に現れるようになったのは。てくてくと歩いて距離を縮め、イルカはまた頭を下げた。
「今晩は」
「今晩は」
相手もまた丁寧に挨拶を返してくる。暗部に知識は薄いが、この男は中忍の自分に対しても腰が低く、物腰も柔らかだ。そして礼儀正しい。それはイルカを驚かせた。カカシの暗部時代の後輩だと想定しているが、暗部のイメージが崩れそうになる。だが、その根底に、自分がカカシの大切な人と言う代名詞がくっついているからだろう、と思った。正直、恋人と思われているのか、カカシがどう説明しているのかは分からない。でも、そんな情報を流す相手なら、想像はついてしまうのだろうな。イルカはそれを毎回考えては気持ちがやきもきする。そんなイルカを知ってか知らずか。男は口を開いた。
「先輩、明朝には一般病棟に移られるそうですので、そのご報告に参りました」
いつも通り、礼儀正しく敬語を使われ、イルカは一回頷いた。
「そうですか」
ホッと胸をなで下ろすイルカに、男は続けた。
「病室はいつもと同じです」
「はい、分かりました。いつもありがとうございます」
「いえ、では」
猫の面の男と自分が丁寧に頭を下げながら会話をしている。妙な光景にしか見えないが。男はまた頭を下げると、直ぐに身を飛躍させ、闇の中に消えた。



言われた通り、朝早くイルカは病院を訪れていた。授業前にはアカデミーへ戻らなければいけないから、そんな長く病室にはいられないが。葡萄を手に、まだ静かな廊下を歩く。顔見知りになってしまった看護婦に苦笑いをされ、イルカも気まずさを抱えながら頭を下げる。本当だったらこんな早くに病院には来ない。それでもカカシはそれを望んでいるのだ。
イルカはドアをそっと開けた。ノックをしなかったのは、朝早い時間だから、カカシが寝ているかもしれないと思ったからだ。
「イルカ先生」
カカシはむくりと起きあがった。
治療が明けたばかりだったのだろうか。寝起きだっただからだろうか。カカシの表情も声もいつもの生気があまり感じなかった。
部屋は広く、当たり前だが一つのベットしか存在していない。窓際にぽつんとベットが置かれ、備え付けの棚と丸椅子が一つあるだけで。他は何もない為、異様に部屋が広く感じる。
起きあがったカカシを見つめて、イルカは密かに息を呑んだ。
カカシはいつも入院している時は、入院用の寝間着を来ていた。それ以外見たことがなかった。でもカカシは、袖のない、肩が見えている服を着ていた。暗部の服だった。その肩には普段見ることがない暗部であった証が見えた。
自分の知っているカカシでないような、不思議な雰囲気に思わずのまれそうになるが、イルカは笑顔を作ってカカシの前まで来た。
「体調はどうですか」
「うん、平気」
それ以上はカカシは答えない、その変わり、
「わ、葡萄」
と、嬉しそうに目を細められ、初めて見るその格好と重ねられた表情にドキリとした。気だるさが残るカカシはいつもの調子がなく、それさえ見慣れない。
「はい。まだ高かったですけど。奮発しちゃいました」
へへと笑って丸椅子に座る。カカシに駄々をこねられていてこうして早く彼に会えるようになったのだが、それはやはりイルカも嬉しかった。任務から入院で何日もカカシと会ってなかったのだ。結局、少しでも早く会いたいのは、彼だけではない。自分もそうであり、カカシよりその思いは強いのかもしれない。
なんだろう。そう思っただけで、目の前のカカシを見ただけで。イルカの気持ちがもやもやしたものが生まれた。
カカシは男であるイルカが見ても格好良いと思う。カカシはそれを鼻にかけるわけでもなく、それでいて実力も名声もあり、いわゆるモテる男だ。だが、イルカはそんなカカシとつき合う事になっても、今までそんな事を気にしたことはなかった。
だが、何故だろう。今目の前にいるカカシが自分以外の人に、特に女性に見られるのが異様に嫌だと思った。
これは独占欲と言えばいいのだろうか。初めて持った感情はイルカ自身を困惑させた。
こんな服装で、色っぽい表情でベットにいるのだ。
自分の情けない思考を振り切りたくて、イルカは葡萄を棚から出したお皿に乗せた。
「もう洗ってありますから。皮さら食べられますよ」
そう言って差し出せば、カカシはうん、と素直に答えて手を伸ばす。もう片方の手で口布を下げて、カカシは一粒大きめの葡萄を口に入れた。
それだけなのに。
それだけなのに、形のいい唇がもごもごと動いて、洗った葡萄の為か唇を薄っすらと濡れているのを見た途端、下半身に血が巡っていくのが分かった。
「この格好、寒いんですよね」
後で着替えなきゃ。そう言うカカシはのほほんとしながら微笑んだ。
バレてはいけない。丸椅子に座った脚に力を入れ、踏ん張るようにしながらもカカシから視線を外そうとして、カカシの胸元に目を止めていた。
乳首が立っていた。きっと寒いからだろう。黒い薄地の布にくっきりと見えるそれに、ドキンと胸が迂闊にも高鳴った。
そんな事よくある事で、どうでもいい。そうだ、自分だってよくある。
落ち着け。落ち着け、自分。
そう言い聞かせても、コントロール出来るはずもない。自分が雄だと、嫌と言うくらいに自覚する。
「イルカ先生」
「は、はいっ」
床の一点を見つめていたイルカは、カカシへ素早く視線を戻した。カカシは少し心配そうな顔をしてイルカを見ていた。
「何か、怒ってます?」
予想外の言葉にイルカは慌てて首を横に振る。
「そう?だってこんな朝早かったし。来て欲しいって言ったのは俺のわがままだし」
「いえ。そんな事ないですよ」
「本当に?」
カカシはイルカに少し身を乗り出した。体重が偏った為、ギシとベットが音を立てる。その眼差しにさらに胸が高鳴った。
距離が縮まり、イルカは立ち上がった。
「授業、授業の準備があるのでもう行きます!また、夕方、来ますから」
イルカは笑顔を崩さないよう努めながら、カカシの部屋を後にした。廊下を歩きながらも。イルカの心臓はばくばくとすごい音を立てている。
信じられない。信じられない。
こんな事バカバカしいと思うけど。あんなカカシを見れたのはやっぱり嬉しい。なんて思ってしまう。これっておかしいだろうか。
兎に角、思考がダダ漏れする前に退散して良かった。

「あ~あ、逃げられちゃった」
イルカのいなくなった部屋で、カカシは唇の端を上げながら、ボソリと呟いた。


<終>

まにとばさん誕生日おめでとうございます(o^^o)ラッキースケベをベースに書いたSS、受け取ってください!
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