駄目

カカシは資料室にいた。
明日の七班の任務に伴い、少し調べたい事があったからだ。
まだ成長過程で忍びの雛鳥に近いあの部下達にも、そろそろ任務に伴う調査報告を書かせようと思っていた。
過去の資料を見れば、どんな感じか。どの程度が妥当か、とか。
カカシは手を伸ばし棚からファイルを取り出すと、ぺらぺらとページをめくった。
本当は、部下の元担任で、この手に詳しいイルカに聞けば早いのかも知れないが、躊躇われた。だから聞けずに、カカシはここで調べる事を選んだ。
だって、それはーー。
バタン
扉が勢いよく開く。
ファイルを棚に戻そうとしたカカシは少し驚いた。
全く予測していなかったからだ。
アカデミー敷地内の建物だった事もあるし、何より、捉えていた気配がこの部屋に入る、と言う気配を持っていなかった。はずだ。
急に。不意の行動に他ならない。
その不意な行動をとった相手。ーー小さな子供がそこに立っていた。
全速力で走ってきただろう小さな男の子は肩で息をしている。
その子は開けた扉を閉めると、不思議そうに見ているカカシを余所に部屋をきょろきょろと眺め始めた。
「ーー?」
アカデミーの生徒かと思うも。見た目生徒より少し幼い。
それを不思議に思ったが、今朝、イルカから聞いた事を思い出した。
来年アカデミーに入学を控えている子供達が、アカデミーで体験授業をすると。
(ああ、その子供ね)
と、納得した瞬間。誰かが走る廊下の音が遠くで聞こえ。
それに気がついた男の子は、嬉しそうに、きゃあ、と言いながら声を発し、ファイルを持って立ったままのカカシめがけて走ってきた。
「え?ちょっと、」
前述の通り、予測出来ない動きにカカシが驚くのもつかの間。男の子はカカシの背後に周り、カカシもそれを追うように身体の向きを返ると、男の子は逃げるようにまたカカシの周りをくるくる回って、最後にぴょんと飛び跳ねる。
カカシの背中にぴたりとくっついた。
素早く敏速な動きなのは、将来忍びになるには向いてる、と思いながらも、急に背中にくっつかれてカカシはまた驚いた。
「ここにいるの内緒ね」
小声で嬉しそうに背中から声をかけられる。
内緒って何の事?、と聞き返そうとした瞬間。
バタン
またしても大きな音を立てて扉が開いた。
開けたイルカは、そこに立っているカカシを見て一瞬目を丸くする。
カカシもそれは同じだった。
同じ屋根の下で暮らしている相手が、こんなところにいるとは思ってもみなかったのだろう。
少し息を切らしているのは、廊下を走ってきたのか。ファイルを持ったままのカカシをじっと見た。
「....あの...急に、すみません」
普段廊下を走るな、とか、扉は静かに閉める、とか生徒に言っている手前もあったのだろうか。
イルカは申し訳なさそうに、そう口にした。
そこから静かに扉を閉めると、カカシのいる資料室をきょろきょろと見渡す。
カカシの背中にひっついたままの子供は、じっとしたまま。息を詰めているのが分かる。
何となく分かってきたものの、背中の子供には内緒だと言われた手前、どうしようか、と考える。
イルカはそこから誰もいないと思ったのか。カカシに視線を戻した。
「カカシさんは…何か探しものだったんですか?」
「あ、うん。今度のあいつらの任務でちょっと知りたい事があって」
そうですか。と答えるイルカは少し元気がない。
気まずい、の方が正しいのかもしれない。
今朝、イルカと喧嘩をしたばかりなのだから。

最近忙しいと、残業に加えて家にまで仕事を持ち帰ってくる。あまり相手にされない事もあり、カカシに不満が溜まった。恋人になって一緒に住み始めたばかりで。いちゃいちゃしたいのは当たり前で。
それなのに、カカシが甘えてちょっかいをかけようとするとイルカは怒った。
それに加え、朝もまた早く出かけようとしていた。
「先生、行ってきますのチューしてください」
そう言うカカシに、イルカはぐっと眉を寄せた。
基本、イルカは恥ずかしがり屋だ。恋人同士でならあり得るこの手の言動は死ぬほど恥ずかしいと思っているらしく、いつも動揺する。
カカシからしたらそれは可愛かった。
自分に好意があって。好きな相手だから。だから恥ずかしいのだから。
「嫌です」
それでも。そう断ってきたイルカに、今朝は少しカチンときた。
忙しくて一緒にいる時間が少ないのだ。
だから、少しでも甘い空気に寄り添ってくれたっていいはずなのに。
「なんで?昨日だって、忙しいからって言って甘えさせてくれなかったじゃないですか。せめてキスくらいはいいでしょ」
イルカは眉をしかめたまま、困った表情でカカシを睨んだ。
「キスくらいって...だって急に言われても困ります」
それに、とイルカは続ける。
「忙しいのは、仕方ないじゃないですか。今週は入学前の生徒を預かっていて、それが結構大変で、仕事も溜まる一方で、疲れてるんです」
うんざりとした口調に、カカシは少し胸が痛くなった。険悪な雰囲気のままも嫌だけれど、それ以上に悲しい。
子供っぽく考えてしまう自分が嫌で、そんな自分を誤魔化すように、カカシはため息を吐き出し頭を掻く。
イルカは。どうしたらいいのか分からなかったのか。黙ってしまったカカシに、いってきます、と小さく言って、そのままアカデミーへ向かった。

それが今朝の事で。
だから多少の気まずさもカカシにはあった。
あんな言い争いの後なのだ。
イルカは少し考えるように、軽く唇を噛んで視線を下にずらす。
イルカが今朝大変だと言っていた理由が、この背中の子供を見ただけで分かった気がした。
いつもの業務に加え、こんなやんちゃな子供達の面倒を見なければいけないのだ。
とにかく、背中にひっついてる子をイルカに渡そうと、口を開いた時、イルカが顔をカカシに向けた。
「今朝はすみませんでした」
すまなそうなイルカの表情に、驚きながら、心が温かくなる。少しでも自分の寂しさが分かってくれたのなら、それでいい。
「ううん。こっちこそ、ごめんね」
何か俺も色々言い過ぎちゃって、と眉を下げてそう口にしていると、イルカが一歩自分に近づいた。
少しだけ上目遣いでカカシを見つめる。
「キス、していいですか?」
「へ?」
間抜けな声が出てしまっていた。
あの恥ずかしがり屋のイルカから、そんな台詞が聞けるとは思ってもみないし、何より初めて言われた。
うんと頷きたいのは山々だが、今はそんな状況じゃないのはよく分かっている。
甘えるような眼差しを見せるイルカを見ながら、素直に心音が高鳴り、変な緊張がカカシだけに走った。
「だって、今朝できなかったから」
そう言いながら、固まったままのカカシに赤く火照った頬のイルカの顔が少しずつ近づく。
口布の上から、ゆっくりとイルカの唇が重なった。
布越しに感じる息が熱いのは、イルカも緊張しているからだろうか。
間接的に触れられた感触が焦ったく、直接イルカに触れたいと思ってしまう。
だけど。今の状況は無理だ。
押し上がる気持ちを堪える。
そこから唇が離れ少しホッとした時、イルカの手が動きカカシの口布にかかる。少し目を見開いたカカシは、声を出そうかと思ったが、イルカのその積極的な行動に、ただ呆然と見るしか出来なかった。
露わになったカカシの口元に、再びイルカは口づける。
むにゅ、と柔らかいイルカの唇の感触が気持ちいい。拙い動きで何度も重ねられ、間近で見るイルカの恥ずかしさを含む、切なげな表情に、身体がかあっと熱くなった。
固まって、されるがままになっていたカカシは顔の向きを変え、ちゅ、ちゅ、とキスを返す。
(少しだけ...少しだけなら)
そんな言葉を頭に掠めながらも、今まで溜まっていたこともあり、カカシはイルカとのキスに夢中になっていた。
舌を割り入れ、それもイルカは簡単に受け入れる。
「...んっ...ん....」
漏れるその声がまたカカシを煽った。
激しくなるキスに、口内を貪るような動きに、イルカは眉を寄せながら必死に受け入れる。
カカシの手がベストにかかる。ジッパーを下ろし、胸を探った。カカシの指の動きは、どこを探し当てようとしているのか、イルカは分かったのか。
閉じていた目にぎゅっと力を入れる。カカシのその探る手を塞ぐように押さえ、イルカが唇を浮かせた。
「駄目、...カカシさん。もう、いや、」
そう言った。
次の瞬間。
「うわーーーーーーっ」
カカシの背中から火がついたような泣き声。
存在を忘れつつあった男の子がカカシの背中から飛び降りる。
イルカは目をまん丸にして驚愕した顔を見せた。
まさか、カカシの背中から探していた子供が飛び出てくるなんて、思わなかったのだろう。
「お、お前!なん、なんでそんなところに」
動揺マックスのイルカが目を白黒させて口をぱくぱくさせる。そんなイルカに構わず、男の子はカカシめがけて両腕を振り落とす。半べそをかきながら叩き出した。
「イルカ先生をいじめるな!」
離れろ!
必死に叩く男の子を唖然と見下ろす。
そして分かる。
カカシの背中でイルカがいじめられていると、そう思ったのだ。
俺が大好きなイルカ先生に嫌がるような事をしていると。
抵抗を見せないカカシをぽこぽこ叩き続ける子供に、イルカがしゃがみ込み、抱きしめる。
「大丈夫。な?俺は平気だ」
イルカも子供のそうする意図が分かったのだろう。慰めるように抱きしめると、男の子は、本当に?と、心配そうにイルカをのぞき込む。
イルカは優しくにっこり微笑んだ。
「ああ、大丈夫」
ほら、もう帰る時間だ。いくぞ。
イルカはそう促すと、子供の手を引き扉に向かって歩き、ふと足を止める。
「カカシさん」
背中を向けたまま名前を呼ばれ、
「はい」
答えると、ゆっくりカカシに振り返った。
「後で、話がありますから。ここで待っててくださいね」
その笑顔が怖い。
「...はあ...」
カカシは苦笑いを浮かべて、それに答える。
ぴしゃりと資料室のドアが閉まり、カカシは息を吐き出した。
(怒られるよね...絶対)
子供背負ったままキスを続行したのだ。あわよくばいけるところまでいこうと思ってたのは事実で。

間違いない予感に、カカシは資料室で一人、嘆息するしかなかった。


<終>
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