デート②

アカデミーの教室。いつも生徒達の言葉が飛び交う教室が静まりかえっているのは、テスト中だから。
 子供たちが鉛筆を走らせる音だけが教室に響く。テスト用紙とにらめっこしている生徒やどんどんと書き進めていく生徒。
 イルカはその様子を教壇の上で見つめながら。生徒を注視しているようで、しかし視線をどこかに漂わせていた。そしてふと思い出した事にイルカは羞恥に頬を赤く染めた。ぐっと口を結んで視線を下にずらす。
 少し前に、カカシの気持ちを知った。
 自分を誘ったのはデートのつもりだったと聞かされ、腰が抜けるくらいに驚いたのは先週。自分の中ではそんなつもりもなかったし、カカシをそんな目で見た事は一度だってなかった。承知しました、なんで言ったものの、胸中は複雑だった。里を誇る忍であるカカシがまさか自分にそんな気持ちを抱いてるとは未だに信じられない。
 しかし。
 何事もないようにデートだと言われてから。
 もの凄く意識している。
 そう、カカシをそんな目で見てしまっている事実。恥ずかしさにまた頬が熱くなり、イルカは教壇に目を落としたまま、ふうと息を吐き出した。
 俺のどこがいいんだろうか。
 子供たちや友人、同僚の事であればはっきりとした考えが浮かぶものの、自分の事になるとてんで考えが及ばない。あのデートだとカカシの口から出た言葉も嘘だったのでは、と思えてくる。
 それに、合コンだって何度かしているが、恋人になるまでの関係になる事もなかった。自分が積極的ではない事が問題だとは思うが、好きになると言う感情までは持った事もなければ持たれた事もない。もっと言えば相手にあんなあからさまに好意を持たれた事がない。
 だから戸惑っているんだと自分でも分かるけど、胸の苦しさに漏れるのはため息ばかり。
 大体デートって、恋人同士になってからの事だと思っていた。あんな風に嬉しそうに。堂々とデートだと言われたらとても否定なんて出来なかった。冗談だと、笑って誤魔化す事も出来たのにしなかったのは、カカシが冗談で言っているようには見えなかったから。
 だから困るんだ。
 イルカは赤らんだ頬を擦りながら生徒たちを眺めた。
 自分なんかより相手がたくさんいるはずなのに。
 ラーメン屋で初めて素顔を見た時は目を逸らすどころか、思わず見ほれていた。男の自分が見ても羨ましくなるくらいに綺麗な顔立ちをしていた。露わな目が素顔と合わさると色っぽくて。微笑むとその目が少し細くなってーー。
 て、なに考えてんだ。イルカは気持ちを切り替えるように時計を見て時刻を確認する。
 そうだ。深く考えちゃ駄目だ。意識しないように。そう。いつものようにすればいい。カカシを見かける度に変に意識している自分が嫌でつい逃げ出してしまう。普通にしなければ。
 イルカは一回息を吐き出すと、再び子供たちへ視線を向けた。

 回収したテスト用紙を持って廊下を歩く。
 考えないようにしているのに、浮かぶのはまたしてもカカシの事。
 デートだと言ったが、カカシはそれ以上の誘いを自分にしてきていないのは事実だった。カカシのデートにおける概念は分からないが、好意を向けてくれている事は確かなはずなのに。もしかして、気に入った相手がいたらそれが何人だろうと声をかけていたりするんだろうか。
「イルカ先生」
 イルカの体がびくりと揺れた。足を止め落としかけていた視線を上げ、そこにカカシが立っている事に驚く。心の準備が出来ていなかった。答案用紙をぎゅっと抱え頭を下げると、カカシはにこりと微笑みを返し、そしてイルカに向かって歩き出す。心臓が高鳴り始めた。
 普通に。普通にするんだ。
 心で唱える間にも目の前までカカシが歩み寄る。それだけで条件反射の様にまた顔が赤くなりそうで、イルカは慌てて口を開いた。
「何か」
 早口になってしまっていた。カカシは少しだけじっとこっちを見つめ、うんと返事をし、
「テストですか」
 聞きながら抱えている用紙を見た。自分とは違ってカカシの口調はいつもと変わらない。それにも恥ずかしくなりながらイルカは頷いた。
「ええ、生徒たちには不評なんですが、週明けは小テストをやってるんです」
 へえ、とカカシは反応を示した。
「で、どうでした?」
 抱えていたテストを覗き込むようにカカシが近づく。縮まった距離に思わず後ろに下がっていた。
「あ、・・・・・・」
 同時にそんな声がイルカから漏れる。
 今のはどう考えても他愛のない会話の流れだった。カカシもまた同じように近づいた事に他意はなかったはずだ。なのに。
 カカシの少しだけ驚いた顔に、勝手に反射的に意識してしまった事実に、かあ、と頬が赤くなるのを止められない。居たたまれなくなる。そこにタイミングよく聞こえたのは、予鈴の音だった。
「すみません、急ぎますので失礼します」
 イルカは頭を下げると、そそくさと職員室に急ぐようにカカシの側から離れた。
 
 失敗した。
 あれは駄目だろ。
 自分に自分で突っ込むも、言った後なのだから後の祭りだ。
 駄目な上に失礼だ。何様なんだ、俺は。
 思い出して、イルカは眉根を寄せた。
 カカシのあの驚いた顔。
 確かに元はと言えばカカシの言葉でこうなってしまったのもあるが。カカシには当たり前だが悪意がない。なにも悪くない。
 ーーなのに。
 あんな顔をさせたのは自分だ。
 そう思っただけで塞いだ気分になった。
 イルカは椅子に座り、答案用紙を眺める。持っていた赤鉛筆の後ろで、ごりごりと頭を掻いた。
 答案の丸付けは一向に進んでいない。
 仕事が手につかない。それは自分の恋愛経験のなさが浮き彫りになっているようだった。いや、恋愛と呼べるものではないと分かってはいるが。
 カカシはどう思っただろうか。
 イルカは椅子の背もたれに体重を預けると視線を宙に浮かばせた。
 面倒くさい相手だと思っただろうか。デートと言っただけで過剰に反応してしまっている相手に、半ば呆れているのかもしれない。
 だけど、相手は誰でもなく自分だ。誰もが振り返る様な美人でもければ可愛いくノ一でもない。だから、カカシの事だからそこまで深く考えていないのかもしれない。
 そんな事を考えている自分に、イルカは首をふるふると振った。
 やめよう。これ以上考えても何かが変わるわけでもない。
 赤鉛筆を机に置き、答案用紙を机の上でとんとんとまとめるとそれを一番下の引き出しに入れる。机の上を片づけ鞄を取るとイルカは職員室を後にした。
 色々考えるのはやめて、今度夕飯を誘ってみよう。自分の奢りだと言って一楽に誘えばきっとカカシも頷く。
 そこでカカシと一緒に美味しいラーメンが食べれればそれでいい。
 短絡的な考えを自分の中で浮かばせながら裏口から建物の外にでる。校門を通り過ぎようとして、その校門の外に壁に背をもたれ立っている人影に気が付き顔を上げた。思わず足を止める。カカシだった。
 さっきの今で、まさかここにカカシがいるとは思わなくて。何回か瞬きをしてカカシを見つめていた。
 一日にこんなカカシに会うことは少ない。しかもそれはカカシが敢えて自分の為に待っていてくてたんだと分かった。
 立ち止まったイルカに、カカシはただニコっと微笑んだ。もたれていた壁から背中を離す。
「ごめんね、何回も」
「あ、いえ」
 眉を下げられ、イルカは首を横に振った。振りながらも、ここまでカカシに気を使わせてしまっている事に申し訳なく思う。
 きっと自分が変な反応を見せたから、わざわざ待っていたんだ。
 自分も昼間の事は謝りたかった。
 あの、と言ったのは同時だった。イルカが言葉を止めると、カカシは小さく笑う。
「ね、俺が先に言ってもいい?」
 先に謝りたかったが、言われてイルカは小さく頷いた。
「イルカ先生、好きだよ」
 カカシがイルカを優しく見つめ、口にした。
「・・・・・・・・・・・・え?」
 耳はいい方なのに、聞こえたカカシの言葉がうまく自分の頭に入らなかった。聞き返すと、カカシは銀色の髪を掻く。
「あなたが戸惑ってるのが分かったから、言わなきゃって思って」
 好きだと言ったのは、どうやら聞き間違いではなかった。脳にじわじわと伝わる。だけど、何て返したらいいのか。少しだけ口を開けたままじっと見つめる先で、カカシはまた銀色の髪を掻いた。その顔は少しだけ恥ずかしそうで。
 頬がまたしても反応し赤く染まる。勝手に纏めようとしていた気持ちをどうしたらいいのか。
 それに、なんでこの人はいつも唐突なのか。
 でも、デートだと言われた時の様に、はやり浮かぶのは嬉しい、と言うこと。それに、自分が混乱している事を分かってくれていた事がなによりも嬉しくて。
 顔を赤らめたままのイルカにカカシは眉を下げる。
「だからあんな不安そうな顔しないで?」
 言われて今度は耳まで赤くなった。
 当たり前のように全部バレている。
 俺、軽いとか思われてるかなあ。
 今までの出来事をひっくるめて考えて、そう思わざるを得なくなる。自分はなんて単純な事か。不安そうな眼差しを向けながらも、
「・・・・・・はい」
 僅かな沈黙の後、そう答えるとカカシはようやく嬉しそう微笑んだ。口布を長い人差し指で引き下ろす。
 カカシの動きに流されそうになっていたイルカは、近づく顔に慌ててぐいーっと顎を押さえた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
「なに?」
「俺たち、付き合うって事ですよね?」
 カカシは首を傾げた。
「付き合ってくれるの?」
「お、俺は恋人同士でもない相手とキスなんてしないですからっ」
 何故かカカシは不思議そうな顔をする。イルカは顔を青くした。
「あなた、もしかしてこんな感じの人が何人もいるわけじゃ、」
「まさか。え、俺ってそんなイメージなの?」
 本当に驚いている、そんな感じでカカシはイルカを見つめ、黙って肯定するイルカに参ったな、と苦笑した。
「実を言うと俺こう言うの初めてなんですよ」
「え、」
「困惑させてごめんね。俺にはあなただけです」
 眉を下げて笑った。
 確認したかったのは事実だけど。こんな言葉を返されるとは。たぶん今の顔は真っ赤だ。
「付き合うのもあなただけ。だから、いい?」
 恥ずかしさから伏せていた目をカカシに向ける。言葉なくとも受け入れてくれたのだと悟ったカカシは再び顔を近づけた。
 急展開過ぎると自分でも思う。しかし否定する理由はどこにもなかった。
 近づくその顔は何度見てもいい男で、その気になればきっとどんな女性でも振り向かせる事が出来るその顔をカカシは傾ける。そして薄く形のいい唇で、イルカの唇に確かに触れた。


<終>





 
  
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