デート⑤
イルカは朝食のパンを食べ終えるとマグカップの残りのコーヒーを飲み干す。立ち上がりベストを羽織ながら、つけっぱなしにしていたテレビへふと顔を向けた。
恋人とつきあう事になったきっかけを、幸せそうな女性が街頭インタビューを受けている。
それをなんとなく眺めていれば、CMに切り替わったところで出かける時間が迫っている事に気が付く。イルカは慌てて洗面所へ向かった。
新緑が暖かい風で揺れている。その道を歩きながらイルカはアカデミーに向かう。いつもこの時間は一日のスケジュールを思い浮かべるるのだが、何故かふと今朝のテレビで目にした事が頭に浮かんだ。
今思い返せば、カカシとの始まりは自然な流れに沿ったものだったと思う。カカシに食事に誘われる事が増え、そこからカカシが自分を好意的に見てくれている事を知り、告白され、つき合って。
その今までの出来事を思い出しただけでイルカは少しだけ眉を寄せた。彼からの好意を全く気が付かなかった上に、つき合う事になったその日にカカシとキスをした。その事実にイルカは恥ずかしさに一人唇を結び、そしてため息が出る。
自分が恋愛に疎いのはもう十分過ぎるくらいに承知している。それでも思い返すだけで、これまでの過程の中での自分は本当に、酷いと思わざるを得ない。
自分はカカシとこういう事になる前に、誰かを好きになった事はなかった。こんなものなのか分からない上に、だから好意を持った人へのアプローチなんてした事もないから、因って相手からそれをされたとしても、自分は気が付かないし分からない。
自分自身、カカシの事が気になっている、好きなんだと気が付いたのは好きだと言われた時だ。
なんだよそれ、と自分でも思う。でも、心のどこかで、カカシをそういう対象として受け入れる事が出来ると気が付いていたはずなのに。同僚や友人とは違う親しみを抱いていた。ただ、こうなったらいいな、とは少しも思っていなかったから、動揺したのは事実だ。
逆を返せば、カカシからアプローチがなかったら、以前の関係のままだっただと思う。そう思うと、今カカシの恋人になれた事がとても不思議で、同時に心の中に何かがつかえた感じがした。
「イルカ先生おはよう!」
と、アカデミー近くになり、子供達が自分の横を走りながら通り過ぎていく。おはようございますだろ、と返しながら思考を切り替えるようにイルカは笑顔を浮かべた。
午前中はアカデミーで授業を受け持ったが、午後は受付だった。昼休みを終え、イルカは受付がある建物に入り、廊下を歩く。受付を済ませたら帰れる訳ではなく、そこから職員室に戻り、雑務をこなせばならず、結局なんだかんだで帰る時間は遅くなる。定時で上がれる日があれば、ラッキーだ。カカシは今日は確か待機と言っていた。出来れば雑務を明日にまわして残業なしで帰ってしまいたいが、提出を決められた書類は後回しに出来るはずがない。それだけでため息が漏れた。
受付や教員と言った内勤は自分に向いていると思っているし好きだが、周りからは楽に思われがちで、しかしそれは間違っていないとも言い切れなかった。受付は夜勤もあるし、当番制で歩哨だってある。
少し前まではこんな事を深く考えた事がなかったし、そんな事をいちいち考えに耽るタイプでもないのに。
なのに一緒に過ごす人が出来たらこれだ。
我ながら可笑しくなり苦笑いを浮かべた時、ふと聞こえた声にイルカは廊下で足を止めた。受付がある建物の裏手は裏庭があるアカデミーとは違い、普段からあまり人は通らず、雑草地になっている。
そこに、カカシがいた。
声が聞こえたのは、窓が少し開いていたからで、距離もそこまで離れておらず、自分がいる建物の外の壁側にいるからか、カカシの姿は見えない。
「どうして駄目なんですか?」
書類を抱えたまま立ち止まるイルカに、くノ一の声がイルカの耳に入る。可愛らしく若い女性の声だった。隠れて会話を盗み聞きするのは趣味ではない。しかしその口調は責めるような感じがあるも、甘いものが含まれているようで。言い争いではない事にイルカは安堵するが、ここから立ち去る事を躊躇させる。と、カカシが息を吐き出すのが聞こえた。
「どうしてって、」
「私、何番目でもいいんです」
何番目。その意味が分からず耳に入った言葉をただ聞いているイルカに、カカシの、ああ、と、くノ一の言葉を理解したような、カカシの短い声が聞こえた。
「俺に遊ばれていいって事?」
ーー遊ばれる。
カカシの言葉で、二人の状況が、分かる。身体がかあ、と一気に熱を持った。どくどくと心臓が鳴り始め、じわりと手のひらに汗が滲む。その指をきゅ、と握った。
「・・・・・・はい」
少し躊躇いながらも肯定するくノ一の声に、イルカの心臓がまたどくんと跳ねる。カカシがまたゆっくりとため息を吐き出したのが聞こえて、イルカは眉を僅かに寄せる。
気が付かないふりをしていたが、知っていた。カカシと話した後、嬉しそうに頬を染める女性もいれば、歩いているだけでカカシに振り返る女性だっている。と言うかこんないい男がいたら相手がいるいないに関わらず放っておくわけがない。
なんとなくでもなく、ちゃんと分かっていた事なのに。カカシは自分にとって好ましい顔を持ち、性格もよくて。それで女性から何番目でもいいと、そう言われるくらいの存在で、その事実に浮かぶのは不安だった。
カカシが何か喋ろうと口を開いた。壁を一枚隔てた場所にいるのに、それが気配で伝わって、イルカは視線を床に落としたまま、唇を結ぶ。
あのね、とカカシが言った。
「どんな噂が立ってるのか知らないけど、そういうの俺は無理なんだよね。一人だけでいいの、俺は」
イルカが俯いたまま少しだけ目を開く間に、カカシが一回そこで言葉を切り、
「俺はイルカ先生がいい」
他はいらない。そうはっきりとカカシは告げる。同時に少し遠くでアカデミーの鐘が鳴り始めた。
昼休みが終わり仕事が始まっているのに、さっさとその場を立ち去りたいのに、廊下に立ち尽くしたまま、動けなかった。
アカデミーの鐘が鳴り終わり、カカシもくノ一も、その場からいなくなった後も、一人イルカはその場に立ったまま。頬を赤く染めたまま、そして眉根を寄せた。
あの人だけがいい。
嬉しくて、仕方がなくて。それを素直に受け入れたいのに、やっぱりその言葉をどう受け取ったらいいのか。
泣きたくなった。そして、素直じゃないなあ、と自分でも思う。
馬鹿みたいに耳まで赤くしたまま、ぐっと唇を一回噛み、そこからゆっくりと歩き出す。
「て言うか名前言うなよ・・・・・・」
そう呟き、嬉しさを誤魔化すように、イルカは歩きながら涙で滲む目を、ぐいと手の甲で拭った。
<終>
恋人とつきあう事になったきっかけを、幸せそうな女性が街頭インタビューを受けている。
それをなんとなく眺めていれば、CMに切り替わったところで出かける時間が迫っている事に気が付く。イルカは慌てて洗面所へ向かった。
新緑が暖かい風で揺れている。その道を歩きながらイルカはアカデミーに向かう。いつもこの時間は一日のスケジュールを思い浮かべるるのだが、何故かふと今朝のテレビで目にした事が頭に浮かんだ。
今思い返せば、カカシとの始まりは自然な流れに沿ったものだったと思う。カカシに食事に誘われる事が増え、そこからカカシが自分を好意的に見てくれている事を知り、告白され、つき合って。
その今までの出来事を思い出しただけでイルカは少しだけ眉を寄せた。彼からの好意を全く気が付かなかった上に、つき合う事になったその日にカカシとキスをした。その事実にイルカは恥ずかしさに一人唇を結び、そしてため息が出る。
自分が恋愛に疎いのはもう十分過ぎるくらいに承知している。それでも思い返すだけで、これまでの過程の中での自分は本当に、酷いと思わざるを得ない。
自分はカカシとこういう事になる前に、誰かを好きになった事はなかった。こんなものなのか分からない上に、だから好意を持った人へのアプローチなんてした事もないから、因って相手からそれをされたとしても、自分は気が付かないし分からない。
自分自身、カカシの事が気になっている、好きなんだと気が付いたのは好きだと言われた時だ。
なんだよそれ、と自分でも思う。でも、心のどこかで、カカシをそういう対象として受け入れる事が出来ると気が付いていたはずなのに。同僚や友人とは違う親しみを抱いていた。ただ、こうなったらいいな、とは少しも思っていなかったから、動揺したのは事実だ。
逆を返せば、カカシからアプローチがなかったら、以前の関係のままだっただと思う。そう思うと、今カカシの恋人になれた事がとても不思議で、同時に心の中に何かがつかえた感じがした。
「イルカ先生おはよう!」
と、アカデミー近くになり、子供達が自分の横を走りながら通り過ぎていく。おはようございますだろ、と返しながら思考を切り替えるようにイルカは笑顔を浮かべた。
午前中はアカデミーで授業を受け持ったが、午後は受付だった。昼休みを終え、イルカは受付がある建物に入り、廊下を歩く。受付を済ませたら帰れる訳ではなく、そこから職員室に戻り、雑務をこなせばならず、結局なんだかんだで帰る時間は遅くなる。定時で上がれる日があれば、ラッキーだ。カカシは今日は確か待機と言っていた。出来れば雑務を明日にまわして残業なしで帰ってしまいたいが、提出を決められた書類は後回しに出来るはずがない。それだけでため息が漏れた。
受付や教員と言った内勤は自分に向いていると思っているし好きだが、周りからは楽に思われがちで、しかしそれは間違っていないとも言い切れなかった。受付は夜勤もあるし、当番制で歩哨だってある。
少し前まではこんな事を深く考えた事がなかったし、そんな事をいちいち考えに耽るタイプでもないのに。
なのに一緒に過ごす人が出来たらこれだ。
我ながら可笑しくなり苦笑いを浮かべた時、ふと聞こえた声にイルカは廊下で足を止めた。受付がある建物の裏手は裏庭があるアカデミーとは違い、普段からあまり人は通らず、雑草地になっている。
そこに、カカシがいた。
声が聞こえたのは、窓が少し開いていたからで、距離もそこまで離れておらず、自分がいる建物の外の壁側にいるからか、カカシの姿は見えない。
「どうして駄目なんですか?」
書類を抱えたまま立ち止まるイルカに、くノ一の声がイルカの耳に入る。可愛らしく若い女性の声だった。隠れて会話を盗み聞きするのは趣味ではない。しかしその口調は責めるような感じがあるも、甘いものが含まれているようで。言い争いではない事にイルカは安堵するが、ここから立ち去る事を躊躇させる。と、カカシが息を吐き出すのが聞こえた。
「どうしてって、」
「私、何番目でもいいんです」
何番目。その意味が分からず耳に入った言葉をただ聞いているイルカに、カカシの、ああ、と、くノ一の言葉を理解したような、カカシの短い声が聞こえた。
「俺に遊ばれていいって事?」
ーー遊ばれる。
カカシの言葉で、二人の状況が、分かる。身体がかあ、と一気に熱を持った。どくどくと心臓が鳴り始め、じわりと手のひらに汗が滲む。その指をきゅ、と握った。
「・・・・・・はい」
少し躊躇いながらも肯定するくノ一の声に、イルカの心臓がまたどくんと跳ねる。カカシがまたゆっくりとため息を吐き出したのが聞こえて、イルカは眉を僅かに寄せる。
気が付かないふりをしていたが、知っていた。カカシと話した後、嬉しそうに頬を染める女性もいれば、歩いているだけでカカシに振り返る女性だっている。と言うかこんないい男がいたら相手がいるいないに関わらず放っておくわけがない。
なんとなくでもなく、ちゃんと分かっていた事なのに。カカシは自分にとって好ましい顔を持ち、性格もよくて。それで女性から何番目でもいいと、そう言われるくらいの存在で、その事実に浮かぶのは不安だった。
カカシが何か喋ろうと口を開いた。壁を一枚隔てた場所にいるのに、それが気配で伝わって、イルカは視線を床に落としたまま、唇を結ぶ。
あのね、とカカシが言った。
「どんな噂が立ってるのか知らないけど、そういうの俺は無理なんだよね。一人だけでいいの、俺は」
イルカが俯いたまま少しだけ目を開く間に、カカシが一回そこで言葉を切り、
「俺はイルカ先生がいい」
他はいらない。そうはっきりとカカシは告げる。同時に少し遠くでアカデミーの鐘が鳴り始めた。
昼休みが終わり仕事が始まっているのに、さっさとその場を立ち去りたいのに、廊下に立ち尽くしたまま、動けなかった。
アカデミーの鐘が鳴り終わり、カカシもくノ一も、その場からいなくなった後も、一人イルカはその場に立ったまま。頬を赤く染めたまま、そして眉根を寄せた。
あの人だけがいい。
嬉しくて、仕方がなくて。それを素直に受け入れたいのに、やっぱりその言葉をどう受け取ったらいいのか。
泣きたくなった。そして、素直じゃないなあ、と自分でも思う。
馬鹿みたいに耳まで赤くしたまま、ぐっと唇を一回噛み、そこからゆっくりと歩き出す。
「て言うか名前言うなよ・・・・・・」
そう呟き、嬉しさを誤魔化すように、イルカは歩きながら涙で滲む目を、ぐいと手の甲で拭った。
<終>
スポンサードリンク