だってそうなんだもん②

そこまで部屋は暑くないがイルカの額には薄っすら汗が浮かんでいた。
カカシも頭も身体も暑かった。興奮している。血が巡っているからだろうか。身体の内に熱が含んでいる。だが心の中は動転していた。後悔の波が押し寄せる。
こんなつもりじゃなかった。
今まで人に対してこんな事をしようなんて考えた事もなかった。だから抑えられなかった自分に驚き動揺し、困惑している。
抑えきれない衝動は酒のせいだと。都合よく切り替えればいいはずなのに、うまく理由付けする事が出来ない。
自分の心の内に現れ過ぎった事は自分でも整理しきれていないのに、どうイルカに言えばいいのか。
イルカは目を伏せたままだ。イルカからどんな言葉が出てくるのか怖くなっていた。イルカの唇が動きかけたのを視界で捉えた時、咄嗟にカカシは口を開いた。
「ごめん」
「え…?」
顔を上げたイルカはほわんとした顔をしていた。何もかも把握していない、そんな顔のイルカに、さらにカカシは続けた。
「本当に、ごめんね」
イルカの乱れた服を整えると、部屋を見渡しティッシュの箱を見つけ、取りに行こうとした時、身体を触られカカシはビクリと強張らせた。
驚いた。
「…え?」
触れた場所は、イルカへ施した行為によって反応し熱を持ち出した場所だった。
ぎこちなく、だかゆっくりとカカシの高まりつつある熱に手をかけている。
そのイルカの行動に目を見張った。家に帰ってからイルカは然程酒を口にしていない。イルカの酒の強さからして、もう酔いも醒めてきているはずだろう。
なのに、何故。
自分から仕掛けたとは言え、困惑はカカシの平常心を乱していた。
「カカシ先生」
「……はい」
上目遣いに見上げるイルカに素直に返答を返せば、親指で強めにカカシの熱を擦られ、カカシは知らず眉頭を寄せた。
「…カカシ先生は、」
いいんですか。
その言葉の先が頭を掠め、カカシの手が熱に触れているイルカの手を塞ぐ様に掴んだ。
これ以上の事は余りにも怖い。
それはカカシの本心だった。
が、掴まれた瞬間、イルカは表情を分かりやすいくらいに曇らせた。
視線を外し、目を泳がせながら唇を噤むように閉じる。
再びカカシに顔を上げた時、意を決した眼差しを向けられた。

「この先の事をっ、……俺は、したいですっ」

今度はカカシが口を噤む番だった。息を飲みイルカを見つめる。
きっと、自分は困り果てた表情をみせているだろう。いつもの平常心が保てない。眉を下げたまま、涙だろうか輝きを留めた黒く濡れた瞳を食い入るように見詰めた。
彼は何を思いそう口にしたのだろう。
表情から読み取ろうとも、騒めいている心では何も見出す事が出来ない。
「カカシ先生」
甘える様な声で名前を呼ばれ、背中がゾクリとする。
心の中では未だ葛藤は続いている。理性は動いている。だが、欲求に従うように、カカシは眉を顰めながら恐る恐る顔を傾け、ゆっくりとイルカの唇を塞いだ。
軽く触れさせるように。
自分でも情けなくなるくらいにぎこちないキスは、自分の吐息を漏らしていた。
柔らかい、イルカの唇。再びゾクゾクと背中に痺れが走る。浮いた唇にイルカはもどかしいのか、強く自分の唇を押し付けてきた。
イルカの行為に動揺が広がる。堪らずカカシは唇を離した。
「…イルカ先生、…駄目だよこんなの、…ね、やめましょう」
そんな言葉を口にしていた。傷つけたくないと、出来るだけ優しく言い聞かせるように。ただ、それは自分自身への言い聞かせでもある。
お願い。そうですね、って終わりにしてよ。
そう都合よくイルカに答えを求める。
きっかけを作ったのも自分だし、キスをしたのも自分だ。だがカカシは未だ困惑を残していた。
今ならまだ止められる。
不安がのしかかる行為にブレーキが何度もかかる。
「……じゃあ、キスだけ、キスだけでいいです。してください」
イルカは眉間に皺を寄せ黒い瞳にカカシを写した。
キスだけ。
イルカは強請るように懇願した。
もうどうしたらいいのか分からない。
カカシは言われるままに唇を重ねた。舌を割り込ませて閉じているイルカの口を開かせる。
……熱い。
熱を帯びた舌は滑らかで、慣れていないと直ぐに分かった。イルカはその慣れない行為に必死に応えようとしている。
女のような口紅の嫌な味もしない。あるのはイルカの熱い息と甘味なイルカの舌と唇。
その口内を味わい尽くすように、気がつけば夢中になってイルカにキスをしていた。
蠢くイルカの舌はぎこちないのに、カカシを誘うように絡みつく。
自分の身体が徐々に熱を帯び、やがてそれは
思考さえも呑み込んでいく。
頭が沸騰しそうだ。
薄っすら瞼を開けイルカの顔を盗み見る。
途端、カカシはイルカの腕を掴み突っぱねるようにイルカを離した。
「…カカシ先生?」
キスにより惚けた顔のままのイルカをジッと見る。

怖い。

それは決定的な自分の答えだった。
今まで自分に近寄ってきた女にはこんな考えは微塵も感じなかった。
そう、同じ様に抱いていいはずがない。
女と同じ様に自分に求めるイルカの姿を見て怖くなった。
自分は違う。同じではない。この人は今までの女とは違う。同じように抱いていいはずかない。
求めるものを与えて、そしたらこの人は俺をどうするのだろう。
「カカシせ、」
「イルカ先生、あなたを抱いたら、俺たちどうなるの?」
ぎりぎりのラインで踏みとどまるカカシは、イルカの言葉を遮り、ありのままの気持ちを口にした。
少し目を丸くして見詰められる。
「言ってる意味分かる?イルカ先生。あなたはそこらの安っぽい女とは違うでしょ。俺に抱かれてどうなるの」
カカシは眉頭を寄せた。
「先程あなたにした事は謝ります。でも、身体を簡単に許さないで。大事にして」
丸くしたままの黒い瞳をゆっくりと床に落とした。
ぼんやりとした表情にさえ見えるイルカは、黙ったまま。長い沈黙に覗き込もうと首を傾げた時、イルカは顔を上げた。
真剣な、そして酷く怒りを含んでいるような、そんな顔をしている。
イルカの腕が上がったかと思った瞬間、頬にピリピリとした痛みが走った。
叩かれると分かったが、動けず受け止めていた。今の行為は本当にイルカがしたのか。未だ半信半疑の気持ちのまま、カカシはイルカを見詰めた。
苦しそうに顔を顰め、イルカは俯いた。
「…カカシ先生のおっしゃる安っぽいの意味は分かりませんが…っ、俺はっ、軽々しく口にした訳では…ないです」
苦しそうにイルカはそう吐き出すと、更に顔を俯かせ表情が見えなくなった。
伏せた睫毛は微かに震えているように見える。
頬は赤みが残ってはいるが、酔いも感じさせない、いつもの凜としたイルカの声色だった。
そうだ。
知っている。
この人は簡単に自分を許す人ではないと。
短いながらもカカシが見てきたイルカは確かに本人が口にした通り、軽々しい言葉は口にしない。
自分をしっかりともっている。
だから、怖くなった。
「でも、俺は…確かに最低です」
弱々しい声をイルカが出した。
「酔いに任せなきゃ、あなたを家に誘えないし、気持ちを伝えれない。…本当、そうですね。俺は最低だ」
知らずじわじわと手に汗をかいていた。変に緊張が高まっている。
あれ、どうしてこんな局面になっているんだ、と頭の冷静な部分で思い返していた。
さっきまでは、自分はこの人と飲み仲間として楽しく過ごしていたのに。
今まで接した事のない緊迫した空気に、息苦しささえ感じ、唇が乾く。
「ね、先生…それって…どう言う意味?」
勘違いしたくない。
この人に関しては、絶対に間違えたくない。
しっかりと聞き出したい。
カカシは慎重になっていた。
イルカはぐっとへの字のように口を閉じ、鼻から息を漏らした。
カカシから見たらとても怖かった。
先程感じた恐怖とはまた全く別の怖さ。
もう、何が怖いのか分からない。今自分はどんな顔をしているのだろう。
黒い眼差しがカカシを写した。
「あなたとそういう関係になりたい。…と言う意味です」
「そういう関係ってどういう関係?」
「だからっ!こ、恋人同士になりたい……っていう事です!」
初めて見せる表情だった。怒りと恥ずかしさが混じったそんな顔。怒り口調で恋人同士と言うイルカ。
途端カカシの身体から力が抜ける。
「……なんだ」
ポツリと口に出た。
「な、なんだとは何ですか!」
カカシの惚けた口調に、イルカは更に目を釣り上げた。
カカシはぎこちなく笑みを浮かべた。
「あなたからそんな言葉が出るなんて、夢みたいだ」
イルカは目を見開き、次の瞬間、首から耳まで真っ赤に染まった。
「ゆ、夢なんかじゃ、」
「うん。じゃ続きしていい?」
こくりと頷いてイルカはカカシに抱きついた。それだけでカカシの胸はきゅう、と締め付けられる。
「好きです」
イルカから囁かれた言葉。
ああ、そうか。
これが「好き」なんだ。
この歳になって初めてその言葉の意味を知る。
いや、イルカによって知らされた。愛おしい人の唇を塞ぎながらカカシは改めて感じる。
これが初恋だと。

翌朝、その事を目を覚ましたイルカに直ぐに伝えたら、彼は目を細めて微笑んだ。
それが9月15日の一日の始まりだった。



<終>







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