震える指先

「.....両手に花」
カカシは大木の木の幹でもたれていた身体を少しだけ起こして視線を下げぽつりと呟いた。
両サイドに女子生徒が囲むようにしてイルカと歩いていた。いつも通りに黒い髪を高く一括りにして額当てをきっちりと縛り。笑った顔と見える鼻にある傷を見つめた。
掃除当番をしいていた生徒はバケツや箒を手に持ち、そのいくつかはイルカが手伝うように、大きなゴミ袋も手に持っていた。
生徒の腕には包帯。
「先生なんかごめんねー」
本当は別に用事あったんでしょ?と申し訳なさそうにしていても嬉しそうな顔をしている生徒を見るだけで何となく予想が付く。
素直に甘えられるってすごい。
歳の離れた子供相手にそう思って、カカシはただ、話に花を咲かせながら歩いていくイルカ達を見送った。
声も気配もなくなって、カカシはようやくそこから降りる。アカデミーの建物をぼんやりと見つめた。
(えーっと...いつもはどうしたっけ)
銀色の頭を掻く。
飯どう?一緒に帰りませんか?
思い浮かべた誘い文句に頭を傾げる。
一緒に帰るってだけを誘うのって変な気がする。ただ、一緒に歩いて帰るだけなのに。
「どうしたもんかねえ...」
手を口に当て口布の上から唇を擦り、息を吐いた。



「せんせーありがとねー」
嬉しそうに手を振られ、ああ、と返事をし、早く帰ろよ、と付け加える。はーい、と間延びした返事に手を振った。そこから生徒は掃除用具を持って教室に向かいながら、きゃっきゃと話を再開させていた。
カカシはもう帰っただろうか。
そんな事を思い廊下を振り返ってみるが、当たり前だが誰もいない。
さっき生徒たちと歩いていて、カカシが木の上にいる事に気が付いたのは、その大木の真下に来てから。全くなかった気配が落ちるようにイルカに届き、その気配がカカシだと知る。その時点で迷ったが、生徒といる手前、特段話す必要もなかったからそのまま通り過ぎたけど。本当は、酷く緊張が走っていた。
イルカは向き直って職員室へ足を向けた。
カカシからは、時々甘い香りがする。
ナルトの上忍師として知り合ってから、彼の側にはいつも途切れる事なく女性がいたし、そんな噂も耳に入る事はしょっちゅう。
なんでいつも特定でない相手と親しく微笑んで話せるのだろうか。なんて思ってしまうのは、
なんでいつも自分を変わらず飯に誘ってくれるのか、の疑問と重なる。
それはきっと、どちらも不特定多数に埋もれているからに過ぎないって分かっているのに。
何年もそうしてきたはずなのに。
イルカは右手の手の甲を軽く上げて見つめる。未だ忘れる事が出来ないカカシの親指の感触が沸き上がり、身体の芯をゾクリとさせ、イルカは思わず目を瞑った。
あの時、たぶん初めてーー触れられた。
何でもない事。何でもない事。
念じながら触られた場所を自分の親指で強く押した。
そういえば。
そういえば、カカシとはあれから会えば話はするが、誘われなくなった。あの後からあまり日にちも経ってないからそう考える必要もないが。
気のせいかも知れないけど、カカシが自分と距離を置いている感じがする。微かなカカシのその変化はイルカの気持ちを暗くさせた。
最後に一緒に呑んだ日、カカシとの間に持つことがなかったぎこちない空気は、自分も戸惑ったのは確かだった。でも、俺は楽しかったって、正直にカカシに伝えた。
あれがいけなかったか。勘ぐられないよう自然にしたつもりだったんだけど。
やっぱり、距離を置かれてるのかもしれない。それだけで、ざらりとした感触が胸を撫で焦りを生み、イルカは親指を口元に当て、歯で軽く爪を噛んだ。

「あー、まただよ」
受付業務に向かう途中だった。同僚は廊下の窓から外を見ている。イルカも何気なく顔を覗かせて。
カカシがくノ一と一緒に歩いていた。両手をポケットに入れたカカシにくっつくように腕を絡ませている。思わず顔を顰めそうになって、イルカは目をそらして廊下を歩き始める。同僚もカカシを目で追って、そこからイルカの後に続いて歩き出しながらため息を吐いた。
「やっぱすげえな、はたけ上忍」
無言で歩くイルカの後ろで同僚は続ける。
「いっつも思うけど綺麗な女ばっかな」
確かに、人目を惹きつける顔立ちの綺麗なくノ一だった。自分に自信がなきゃ、あんな事はきっとしないだろう。
それが素直に羨ましく思えるが、思ったって仕方がない。イルカはまた黙って歩くことを選んだ。同意ととったのか、同僚は気にする事なく、また口を開く。
「でもなんかやっぱ、似合ってたよな」
”似合ってた”
実感こもる同僚の言葉を頭で繰り返す。真っ赤な口紅に黒く長い髪。胸を強調するような服装。カカシにまとわりつくような女の腕。
いつもカカシが女といる度に似合ってると、思ってた。けど。
イルカの教材を抱えるように持っていた手に力が入る。眉根を寄せ足を止めていた。
「...確かに綺麗だけど、あの人はそんな派手好きじゃないし、それに...あの女性はすごくべたべた甘える感じだけで、なんか、見苦しいし、...全然似合ってない」
言い終わった後もしばらく間があった。同僚が小さく笑う。
「....見苦しいって。イルカ、どうした?なんか...らしくねえな」
その台詞に我に返った瞬間、顔が、火を吹くかと思った。
今まで心の底で思っていたのかもしれない。いつもいつも、カカシの事を静かに手の届かない存在として見つめてきて。
なのに。なんで、こんな。
その場でイルカは、思わず俯いた。
ーー見苦しいのは...俺だ。
本当に、女みたいな事を、言ってる。
あれ、俺ってこんな時、何て言ってたんだっけ。いつも同僚の言葉に笑ってただけだったんだっけ。
「でも、あんだけモテたら妬けるわな」
背中を叩かれる。
結局、同僚の笑いに自分の疑問は、消えた。

カカシに誘われる事がないまま1ヶ月。休日にイルカは買い物に出た。
朝のうちに掃除はしたものの、そこから持ち帰った仕事をしていたら、日が傾き始めていた。とりあえずと、スウェットのまま着替えずイルカは財布を持って外に出た。
(トイレットペーパーと洗剤と。あ、あとシャンプーもなくなりそうだったな)
商店街に向かいながら買う物を頭で整理して、ふと視界に入った銀色に目を留めれば、カカシがいた。こんなところで会うとは思いもよらなくて。たぶん気が付いたのは同じくらい。驚くイルカに、カカシも目を丸くした。そこから目を細めて微笑まれる。
久しぶりに向けられた笑みに、無性に恥ずかしさがこみ上げる。なのに、嬉しい。イルカはそれらを誤魔化すように苦笑いした。ぺこりと頭を下げると、カカシも小さく会釈を返した。
「こんにちは」
「こんにちは。イルカ先生、今日は非番だったんだ」
そう言う理由が自分の格好にあると気が付き、イルカは頬に血が上るのを感じた。それくらい、適当な格好をしていた。カカシの目が自分のそんな格好を見ていてさらに恥ずかしさは募る。いつもは高く括った髪も、今は下で緩く結ばれている程度だ。こんな格好で出てきた事に後悔を覚えるが、仕方がない。イルカは笑顔をカカシに向けた。
「ええ、今日は...ちょっと無精しまして」
情けないと笑って頭に手を当てるイルカに、カカシは嫌な顔を見せるかと思ったが、少しだけ眉を下げ、小さく微笑んだ。
「そっか」
その一言だけで、何も言わない。カカシはいつもと変わらない制服を着ていると言うことは、仕事だったのだろう。いつも以上にカカシの話し方は謙虚に感じて、イルカは胸が詰まる思いがする。
商店街にカカシが足を向けていると言う事は、カカシも買い物だったのか。それとも、奥に続く繁華街に夕飯を食べに行くつもりだったのだろうか。それは一人なんだろうか。また、綺麗な女性と約束があるのかもしれない。でも、誘われていないのだから、自分には関係のない事だ。
色々な憶測がイルカの頭に浮かぶが、それを押し込める。
「えっと...俺、買い物がありますんで」
「そうなんだ。じゃあ途中まで一緒に歩こ?」
言われて、一瞬考えたが、カカシを前にしたら首をこくこく振って頷いていた。
「あ、はい。じゃ、行きましょうか」
イルカが言うと、カカシはうん、と一回だけ頷いた。
声をかけてくれたのは嬉しかった。これだけの関係と分かっていても、この関係を崩したくないとも思う。
一緒に並んで歩いているだけで、嬉しい。単純な自分。
「どうしたの?」
二人で並んで歩きながら、ただいつものように生徒の話をしていただけなのにそう言われて、イルカは笑顔のまま、不思議そうにカカシを見た。
穏やかな笑顔をカカシは見せる。
「だって、先生いつも以上によく話すから」
そうだろうか。言われても気が付かなかった。何て言えばいいのか、考えながら鼻頭を掻いて、
「嬉しいからですね」
情けない顔を見せながら素直に言うと、カカシは一瞬目を開いた気がした。が、直ぐに目元が緩んでそれは分からなくなる。驚くことじゃないのに、とまた不思議に思えば、カカシは一回そらした目をイルカに視線を戻して、そして片眉を上げた。
「分かった、それって俺の事好きだからでしょ」
自信過剰な台詞は嫌味に聞こえなくもないのに、その言葉にイルカの心臓は敏感に反応した。
普通に、普通にしろ。自分に唱える。
だって今までそんな冗談、カカシは言った事がない。動揺に飲み込まれないように、必死に頭をフル回転させる。
過剰な反応はカカシにまた変な誤解を与えてしまう。
冗談でしかない。そう分かってるから、一番正解だと思う答えを導き出して、イルカも一緒に合わせるように微笑んだ。
「そうかもしれないですね」
冗談を冗談で返しただけだった。
たぶん。と、そう続けたかった。が、カカシの腕がにゅっと伸び、自分の二の腕を掴んだ。なんで腕なんか、と呆然と思っているうちに、気が付けば路地裏に引っ張りこまれていた。
「カカシ先生、どうし、....」
言葉が途中から出てこなくなった。だって、カカシが目の前で口布を引き下ろしている。驚きに、ただじっと見つめた。
少しだけ苦しげに眉を顰めた表情に、薄く形のいい唇。その唇が開き、ゆっくりと自分の唇と重なる。
カカシが自分にキスをしている。思ったよりも暖かいその感触に脳が理解し、イルカは目を開いた。
ぬるりと舌が入り込んで驚きに身体を離そうとしても無駄だった。カカシの腕がものすごい力でイルカを封じ込めている。
「....んっ....」
入り込む舌に逃げようとしたら、今度は強く吸われて鼻から息が漏れた。何が一体どうなったのか。
抵抗する間さえも与えないような荒々しい口づけに、たださせるがままに口内を荒らされ、唇が離れたときは、放心した状態でイルカは口をだらしなく開けたまま、カカシを目で追っていた。青いのに燃えるような色を含んだ目がイルカを見つめ、伏せた。
「ごめん」
呟かれ、イルカを強くつなぎ止めていたカカシの手がするりと離れる。顎辺りまで下げられていた口布を元に戻したカカシは、そのまま背を向けた。
カカシにキスをされただけで、背中を駆け抜ける感覚に身体が痺れていて、脳もまた同じで。だから、待ってください、と口から出す事が出来なかった。ただその後ろ姿を見つめるだけしか出来なくて。カカシがいなくなって。まだイルカはその場から動けなかった。
(.....カカシ先生と、キス....した...?)
いったい何でそうなったのか。何があったのか。思考が停止した脳では上手く考えることが出来なかった。

未だカカシによってしっとりと濡らされた唇を指で触れた。その指先も、震えていた。
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