午前0時

「お前映画観に行く気はないか」
任務の達しを執務室で受けて。それなりに値の張るSクラスの任務内容だっただけに、そこから振られた突拍子とも取れる言葉にカカシは相手関係なく相手の顔を見て眉を寄せた。
「何です、出し抜けに」
「聞いただけだろう。そんな顔をするな。映画は嫌いか?」
「お断りします」
語尾に被せるように言えば綱手の目が鋭くなった。
「話は最後まで聞くもんだよ」
「はあ、でも聞いても一緒じゃないですか」
苛立ちを隠さず溜息を漏らして、聞くだけ無駄だったかと綱手は椅子に体重を預けた。
「見合いくらい受けたらいいだろ」
減るもんじゃなし。付け加えられた台詞に、他人事過ぎやしないかとカカシは苦笑いを浮かべた。
「隠居した年寄り連中の心配事に付き合う気はありませんよ」
綱手の板挟みになる気苦労を知らない訳じゃない。ただ、仮にするとしても時期じゃないと、カカシはそう思った。
ナルト達の上忍師はお役御免になったものの、状況が良くなってはいない。ハッキリと言えば悪くなる一方だ。そこには忍びゆえの死と背面した状況が濃くなっていく。だからこそかもしれないが。
恋なんて時間がかかるものより、見合いで済ませて子孫を残す。言葉にしたらなんと詰まらない。色気もへったくりもあったものじゃない。
その長年培った経験と知識をもっと他に回すべき場所はあるはずだ。
この場にいない老人に内心ボヤいて。嘆息する。
行き場のなくなった映画のチケットをピラピラさせている綱手へ視線を上げた。
「『雪降る街』。名作らしいぞ」
カカシに出鼻をくじかれ、自分自身いかにも興味がないと言った綱手の声色に、カカシは小さく笑った。同情する気は無いが。
「どんな内容なんです?」
作品自体話題だったからカカシもなんとなく知っていたが。含み笑いして聞くカカシに、綱手はやはり興味がなかったのだろう。縦肘をついてチケットを裏返して、
「どうやら前作ヒットした作品の続編みたいだね。ヒューマンドラマと言った所じゃないかい」
「そうですか」
じゃ、と背を向けたカカシに「いつでも取りに来てもいいからな」と嫌味を追加され、返事の代わりに片手を挙げ部屋を後にした。





心地いい雰囲気が気に入っている小さな居酒屋でその後ろ姿を見つけた時、声をかけるべきかカカシは迷った。
理由は2つ。多少面倒な任務からの帰りで自炊する気にもなれず、1人で酒を飲みながら腹ごしらえをし直ぐ家に帰る予定だった。
あと1つは、週初めで給料日前に彼がこんな場所で、しかも1人カウンターで酒を飲んでいる。いつも目で追う相手だから分かる。
訳ありなのだ。
数秒イルカの背中を眺めて直ぐ、彼からは見えない隅のテーブルへと、視線を背中から外した。
「カカシさん」
直後に背後からかけられた、間違いようがない彼の声。惹かれた数秒が仇になったと思うのと、久しぶりに名前を呼ばれた事の嬉しさからくるのと半々。振り返り、少し驚いた顔を作った。
「あれ、イルカ先生。1人?」
「はい」
白い歯を零しイルカが笑った。イルカらしい、いつもの健康的な笑顔を見せられ、自然自分も微笑んでいた。
彼の笑顔が好きだ。
そう気がついたのはいつだったろう。何処にでもいるような普通の男で、強いて言えば年齢が多少近いくらいで。接点と呼べる接点は一つぐらいで。
いつも受付で出迎えてくれる平凡な存在のはずだった彼を。その存在が平凡なんかじゃないと自分の中で容認するのにはかなり時間がかかった。何度も打ち消した。
「良かったら」
カカシを捉えた黒い目が緩み、隣を掌で勧められる。彼から誘ってきたのだから断る理由はない。カカシはありがと、と短く答えて腰を下ろした。
カウンター越しにビールを頼み、メニューを広げる。空腹を埋めれば何でもいい。カカシは本日のオススメと書かれた焼魚と煮物を追加した。イルカの前には食べ物がほとんど置かれていない。飲みかけの酎ハイのグラスに枝豆。時間的にも飲み会だったら二次会の中盤に当たるくらいだ。ここがイルカの2軒目かもしれないし、1軒目でもきっと腹ごしらえは終えてしまったのだろう。このグラスが何杯目かはイルカを見る限り分からないが。
ビールを受け取るとイルカがグラスを傾け、それに軽く合わせた。
喉が渇いていた。カカシは勢いよく半分まで飲み、喉を潤すアルコールに息を吐き出した。
「美味い」
零した台詞にイルカが息を漏らすように笑った。
「一杯目は格別ですよね」
「まあねえ」
手甲を外して改めてお絞りで手を拭く。
「もしかして任務からの帰りですか?」
その問いに、カカシは口角を上げながらゆっくり頷いた。
「もしかして先生は悩み事?」
流れに任せて出た言葉にイルカは2回瞬きをした。苦笑いを浮かべたイルカから自分のグラスに視線を落とす。
言う言わないはイルカが決める事だ。カカシはそれ以上の詮索はないと、突き出しのモツ煮を箸で取り口に入れる。頼んでいた料理もテーブルに置かれる。
早速と秋刀魚の塩焼きから身をほぐしていると、イルカが口を開いた。
「俺って、モテないんですよね」
ため息混じりの予想外の台詞に、思わず顔を向けていた。情けない顔を見せるイルカと目が合ったところで、驚きを隠すようにカカシは笑った。
「そう?」
直ぐに落ち着きを取り戻しながら肯定は出来ないと口にして、秋刀魚を食べた。
ここの店はやはり美味い。きっと刺身でも提供できる鮮度だったのだろう。身がふっくらとして脂が程よく乗り、見れば秋刀魚の嘴の先は濃い黄色だ。
「好きな子がいたんです」
話す相手として許したのだろうか。ぼそりと口にしたイルカは、ぼんやりと前を見ながらテーブルの上で指を組んだ。無骨だが数多くの生徒を育ててきた暖かみの感じる指に目がいく。視線を上げると、またイルカと目が交わった。
話しやすいようにカカシは目元を緩める。イルカは返すように目元を綻ばせた。
「だけど、恋人が出来たって聞いて」
「告白する前に振られちゃったんだ」
ハッキリと言えば、まあそうですねとイルカは白状して笑ってグラスを傾けた。
「そっか」
真っ直ぐな彼らしい純白な内容はカカシの心を逆なでた。その気持ちを一掃させたくカカシもビールを流し込む。
「デートみたいのはしてたんです。まあ…ハッキリさせないから取られちゃったんですかね」
後悔を滲ませるイルカの表情に、胸が痛んだ。同時に選り好みしていた相手にムカつきを覚えた。イルカがどんな人柄がなんて分かってた筈だ。それでこの人がこうやって酒を飲んでるなんて知る由もないだろう。グラスを口にするイルカを横目で眺めた。
「女ってやたらハッキリさせたがるからね。その状況で男を作ったんなら二股してたって事じゃない。振られて良かったんだよ」
言い切って秋刀魚に箸を伸ばす。
「まあ、そうですけど」
「そうなんだよ。男が出来たのは事実なんだから」
さっさと忘れた方がいいと意味を込めてカカシは半面食べ終わった秋刀魚を裏返し、皿をイルカに向けた。
「食べて。美味いから」
遠慮がちに首を傾げるイルカにそう言って促すように指で指した。
焼きたてだったそれはまだ暖かい。箸を持ったイルカによって身が解され口に運ばれる。
美味しいと目で表され、
「でしょ?」
とカカシは嬉しさに微笑んだ。
単純に美味いものを共有でき嬉しい。何回か店でテーブルを共にして、食の好みが合っていると分かっていた。
「ちゃんと飯は食べた?」
秋刀魚への箸の進み方から心配して言うと、眉を下げて小さく首を横に振った。
やっぱり。
カカシはお茶漬けを店主に2つ注文する。
すみませんと謝るイルカにカカシは遠慮する事じゃないと笑った。
「米を腹に入れなきゃ。イルカ先生だって明日も仕事でしょ?」
と、親心を抱いている自分におかしくなるが。それは今始まった事じゃない。イルカといると、そうなってしまうのだ。憂慮する事を受け入れてくれている。それだけで十分だ。
「はい。そうですね」
張りのない声が返ってくる。
酒にぶつけるくらいショックが大きかったのか。それは無条件にカカシもショックを受ける。ただ、自分はどうこうしたいと思っている訳じゃない。
ただ、こうして隣で酒を飲め話をしてくれる。それだけで満足なのだ。
そう自分に言い聞かせながらビールを飲みきった。濡れた唇を親指の腹で拭う。
イルカは秋刀魚から綺麗に身を取り黙って食べていた。眼差しからイルカが何を考えているかまでは拾い上げれない。ただ無心に、秋刀魚から身を綺麗に取り出しているようにも見える。傷ついた心を癒してあげれたらと、言葉を探してみる。
「カカシさんは、モテそうですね」
その一言に驚いたが、顔に出さないようにした。
「どうだろね」
笑えば、謙遜と取ったのか、イルカは悔しそうな顔をしながら口元を緩ませた。
「俺みたいなのにも優しいくらいですから、女性にはもっと優しくされるんでしょう?」
成る程、そうきたか。眉を下げるとイルカは続けた。
「負けてばかりなんで、羨ましいです」
羨ましい。イルカの嫌味でもなんでもない素直な気持ちは、胸中複雑にさせる。自苦笑いしてイルカの目を見た。
「そうかな」
え、と小さく聞き返したイルカの黒い目を見つめた。
「恋愛でもなんでも勝ってばかりの人間なんて、ろくでもない奴ばっかりですよ。負けは必要な経験値なんだから。負けるからこそ価値を見出せるものじゃないの?」
イルカはその目が寂しげに揺れる、でもしっかりと逸らす事なくカカシを写していた。その目からゆっくりとカカシは視線をテーブルへと落とす。
「それに、どんなにモテたって好きな人に振り向いてもらえなきゃ、意味がないんですよ」
自分で漏らした本音に、カカシの胸の奥が燻った。ちりちりと確実に。
燃やす筈じゃなかった感情が、たった一言で簡単に熱くなる。今まで自制していた筈なのに。
イルカはただ目を丸くした後、眉を寄せた。
「そうですね」
吐息交じりに肯定を口にしたその息は、切なさを含み、カカシは届く筈がない思いを吐き出してしまいそうになる。イルカから分からない程度に顔を伺い見るながら、少し開いた唇は何かを言おうとしているのか。
静かな沈黙の中、2人の目の前にお茶漬けが置かれ、出汁の香りが湯気と共に食欲を刺激する。カカシが箸を取り、後に続く様にイルカも箸を取りお茶漬けを啜った。


それぞれに支払いをして店を出れば、外気の寒さに温度差を感じるものの、肺に入る空気の冷たさは気持ちを鎮めさせてくれる。
「あ〜、お茶漬け美味かったですね」
イルカは伸びをして黒い空を仰いだ。横でカカシも、イルカが見ている夜空を見上げる。白い息が口布から漏れた。
お互いに口数は少ないが、カカシは居心地が悪いとは思えなかった。手を伸ばしたら触れる距離にいるイルカは、伸ばした腕を戻す。
何もない夜道に懐かしむような眼差しを向けながら、ふっと笑いを零した。
「…いっその事恋愛じゃなく見合いでもしたら、いいんですかね」
投げやりな言葉にカカシは傷付いた。簡単に投げ出すように感じていなかったからだ。
カカシはイルカに顔を向けた。
「イルカ先生は結婚したいの?」
反射的にカカシを見たが、イルカは考え込みしばらく沈黙した。そして直ぐに考えが纏まったのか、ゆっくりと口を開いた。
「結婚…に執着してる訳じゃないです。ただ、いつかはいい人が欲しい、が今の自分の本音です」
緩い笑顔を見せははと笑う。
いつかは。
カカシはイルカに分からない程度に息を吐き出した。彼なりに前を向いているハッキリとした答え。
いい人が欲しいと言うのは、恋愛を求めていると言う事だ。
短絡的に出した結論に、上向きになるイルカへの気持ちをその言葉で再認識する。胸が苦しくなった。
「そう言えば…、レイトショーって何時までですかね?」
「え?」
聞き返すと、イルカはポケットを探りながら何かを取り出した。
見た覚えがある映画のチケットを、イルカが持っている。
「今から映画見に行くの?」
「実はこれ、綱手様に貰ったんです。今日みたいな日には気分転換にはいいですし、これ、実は観たかったんですよ」
嬉しそうに微笑みながら、イルカはチケットを眺めた。
「『雪降る街』。知ってます?」
イルカは嬉しそうに目を細めカカシを見た。
知ってるも何も。
でも。
心に浮かぶ選択肢に軽く心音が高鳴った。
「えっと、…それって確か…、ロボットの映画だっけ?」
カカシの言葉に、予想通りにイルカは驚いた表情を見せた。
「もしかして観たことないんですか?」
「うん」
「この有名な映画、話題なのに知らないんですか?原作もかなり売れたんですよ?」
「ホント?」
とぼけるカカシに、知らないと分かったイルカは浮いた顔をしている。
「知らないなんて勿体無いですよ!」
「でも初めて聞いたよ」
「じゃあ、…一緒に観に行きます?」
カカシの導いた答えを口にしたイルカに、頷いた。
「観てみようかな」
「じゃあ行きましょう」
知らないなんて信じられないです。と子供の様に顔を輝かせる。
きっとイルカの中では、この先も知り合い止まりなのかもしれない。
「絶対カカシさん気に入りますよ。一応シリーズものなんですが、前作見てなくても観れるような内容ですし、」
熱く語るイルカを眺めながら。
こんな顔を側で見れるなら。いいのかもしれない。
そう、今はまだ。
しのばせる想いに、カカシはそっと疼く胸を押さえる。
その時どこかで時計の鳴る音が聞こえ、カカシに午前0時を報せた。


<終>


鈴さん4周年おめでとうございます~^^本当はサプライズしたかったですがそんな根性ないまま素直にリクをお聞きする形になってしまいました。気に入っていただけたら嬉しいです。
これからも素敵なカカイル楽しみにしています!!
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