始まり

 カカシと他愛のない話が出来るようになったのはここ最近。
 中忍試験の件以来、挨拶はするもののそれだけで。避けていたわけではないが、会話はなかった。一因としては、自分が間違っていたと分かっていたから。ただ、謝りたいとは思っていたがその試験以降も謝る機会もなくここまで来てしまっていて。
 仕方ないのかな、と思うようになってしまうのは、時間が経てばたつほど謝りにくくなったからで。今さら敢えてその話をするのは、蒸し返すようで、向こうに取ったら迷惑なのか、とか。そんな事を考えていたら、尚更だった。
 だから、何でもない場所で不意に声をかけられ、それがカカシがと分かった時、少しどきっとした。
「何を飲むの?」
 休憩をしようと自動販売機をぼんやりと見つめ、何を飲もうかまだ考えてもいなかったから。油断したような顔で反応して、少しだけ慌てれば、コーヒー?と聞かれる。
 聞かれるがままに、ええ、はい、と答えればカカシはポケットを探り、そこから小銭を出すと自販機に投入した。
 自分はまだお金さえ入れてなかったから、先に買うものだと場所を空ければ、カカシはボタンを押す。出てきたものを取り出し、差し出したそれはコーヒーだった。
 はい、と言われ、自分に向けている言葉なのに、そんな事になるとは思っていなくて、一瞬反応が遅れる。そこからイルカは慌てて手を横に振った。
「いや、そんな。いいです」
 慌てて遠慮するイルカにカカシは、落ち着いた顔でそれを眺め、小さく笑う。
「俺も同じの飲もうと思ってたから」
 はい。
 もう一度差し出されて、カカシの立場を考えたらそれ以上拒むわけにもいかない。イルカは礼を言いながら、両手でそれを受け取った。
 自販機にもう一度小銭を入れ同じコーヒーを買うカカシに、じゃあ、今度は俺が、と口にするものの、次っていつだよ、と内心つっこめば、缶コーヒーを手に持ったカカシがこっちを見る。
「じゃあ、今度」
 そう口にしてカカシが微笑んだ。

 今考えれば、それがカカシと会話をするようになったきっかけだった。
 今まで必要もなかったが、話してみれば今まであると思っていた蟠りなんてものは感じなくて。サスケが里を去り、ナルトが修行に出ている事を淡々と受け止めて、それを話すカカシの表情に、少しだけ胸が痛んだ。
 こんな事を話する為にあなたに声をかけた訳じゃないんだけどね。
 そう苦笑しながら口にするカカシの言葉は嘘ではなく、ただ単にきっかけがつかめなかっただけで。それは自分も同じだったから。カカシの言葉にイルカはただ、頷いた。
 
 何度か互いの時間を見つめながら酒を飲むのは自分自身楽しかった。上手く言えないが、カカシと一緒い時間を過ごし、話しているだけで、自分の心に空いてしまった何かが埋まっていく感じがした。
 酒や食べ物の好みも合って、話しやすくて。ついつい時間を忘れて話してしまっている事も多く。でも、カカシは上官であり、これが友人と呼ぶべき関係なのか自分の中でも不透明なのは確かだった。
 
 先生って見合いした事ある?
 そう言われた時、少し驚いたのは確かだった。色んな話はするようになったものの、恋人とか、女とか、そっちの話はカカシから出ることはなかったから。八百屋のおばちゃんに言われた事はありますけど、と返せば、カカシに、それで?と聞かれる。押しつけられる、と言うことではないが、いきなり言われて困ったのもあり、適当に理由をつけて断りました、と言えば。カカシは、そうなんだ、と小さく答えた。
 そんな話題を口にするのだから、その先に続きがあるのだろう、とイルカが答えを待てば、実はね、とカカシが重々しく口を開く。
 綱手から数日前に見合いをしろと言われた、と口にした。自分のような中忍はともかく、カカシのような忍びにならば特におかしくもない話でもなく、どっちかと言えばよくある話だ。優秀な忍びの血を残す事は里の繁栄にも繋がる。それは確かで、昔から何も変わっていない。
 それなのに、それを話すカカシはあからさまに嫌そうな表情を浮かべるから、驚いた。普段からカカシは愚痴を言うようなタイプではない。そんな顔を見せたのは初めてで。見合いの話より、それに驚くイルカにカカシは、そんな顔も知らない女を、好きになんかなれない。そうぼやくから、それにも驚いた。
 そして同時に何となく羨ましいと思ったのは、それは、カカシにではなく、相手側にだった。好きな人がいれば見合いなんて受けたくもないだろうが、カカシは見合い相手に取っては十分過ぎるほど条件が整っているからだ。
 露骨な表現だが、里一の忍びである上に、稼ぎもあり容姿もいい。そこまでカカシを知らないが、優しく穏和で物腰も柔らかい。どこをどう取っても相手に不足はない、好条件だ。
 ただ、見合いは恋愛とは違う。綱手からの話なら尚更で。言わば政略的なものもだってあるのかもしれない。ただ相性はあるだろうから、それはどうにもならないが。
 好きになれるかなれないか、それが納得できない理由だとしたら、それはなんともロマンティックな考えだと思った。
 

 イルカが建物を出た時は既にすっかり日が暮れていた。残業の疲れもあるし、明日も仕事が山積みで、どこかで外食する訳にもいかず、かといって自炊する気にもなれず、何か適当なものを買って帰ろうとコンビニに足を向ける。
 コンビニで弁当と缶ビールとつまみを少し買った袋を下げ、イルカはゆっくりと歩き出す。少し前までは寝苦しいくらい暑かったというのに。涼しい空気に季節の移り変わりを感じ、イルカは夜空を見上げた。秋を告げ得る虫の音が遠くで聞こえる。
 しかし明日はいい加減買い出しにいかないとなあ、と思いながらふと顔を戻した時、公園がある脇の道に人影を見つける。
 カカシだった。
 今までこの道を何度も通っているが、カカシを見かけたのがこれが初めてだった。
 繁華街からも、カカシが住んでいるだろう場所からも離れているこの道に、カカシが何でいるのか。
 少し前の自分だったら、気まずくて道を変えただろうが、今は違う。イルカはカカシへ向かって歩き出した。
「こんばんは」
 どうしたのだろうと思いながら、挨拶をするイルカに、カカシはポケットに手を入れたまま、うん、と返事をする。そこから言葉を繋げないカカシに、どうすべきか迷うも、カカシさんもコンビニですか、と違うだろうと思いながら、そんな言葉を口にすれば、カカシは返事の代わりのように銀色の頭を掻いた。
「いや、違うんだけど、」
 そう口ごもるカカシに、珍しいと思った。普段も口数は確かに自分より少ないが、カカシはいつも率直だ。優しい口調もそうだが、自分に向ける言葉は迷いがなく、それが嬉しくて。
 じゃあ何ですか、と直ぐに返してもいいが、言いにくそうにしている相手にずばずば聞くのも躊躇われた。これはいよいよ自分の家に誘うべきなのか。そこまで思って、いよいよってなんだよ、と自分に突っ込みを入れる。それよりも自分にはまだ持ち帰った仕事がこの鞄の中にあり、いや、そもそも誘う事事態が失礼なのか?そんな事が頭の中で回り始めた時、
「ついさっき、また五代目に見合いをすすめられて、」
 二件も。続けられたカカシの言葉に。綱手の強引なそのやり方に思わず小さく苦笑すれば、カカシが不満そうな顔をするから、その笑いを顔に残しながらも、すみません、とイルカは返した。ただ、それ以上に、上手く反応出来ない自分がいた。
 視線を下にずらすと、カカシの格好は少し汚れていた。たぶんではなく、里外の任務からの帰りだ。そんな時に求めていない話をされたのだから、余計に疲れただろう。ただ、無事に帰還してくれて良かったと、少し思考が逸れた時、それでね、とカカシがまた口を開いた。
「どっちかを選べって言われて、帰りながら、正直、参ったなあと思ってて、」
 困った顔をしてそう口にするカカシをイルカは見つめた。
 これでカカシさんも彼女持ちかあ。とふと思った自分に、いや、嫁持ちか、と意味なく訂正する。
 自分に言わなかっただけで、カカシには女性がいたのかもしれない。いや、いない方がおかしい。
 勝手にそう思いこんでいた自分に可笑しいと思った時、
「選ばなきゃと思った時、不意に浮かんだのは先生の顔だったよね」
 カカシの口から出た言葉に。落としかけていた視線を上げた。え?と聞き返すイルカの目にカカシの顔が映る。
「それってそういうことなのかなって」
 その言葉にイルカは瞬きをした。
 小さく口を開け、そういうことって、と同じ言葉を思わず言い掛けながらも、イルカは視線をカカシから外す。
 決定的な言葉だと思うのに。それが信じられなくて。
 ただ、動揺が一気に広がった。
 それは決して不快な動揺ではなく。
 自分に予感なんてものはなかった。
 でも、カカシから見合いの話が出たときに、カカシにではなく、相手が羨ましいと思ったのは確かだった。
 独身だった友人が結婚すると聞いた時は、置いていかれるなんて思ったこともなかったのに。カカシと二人でこんな風に飲む機会や、顔を合わせて話す事がなくなるかと思ったら。素直に寂しいと思ったし、心の中のどこかが苦しくなった。
 その胸のつかえが取れた感覚に。
 イルカはグッと口を結ぶとゆっくり顔を上げる。
「あの、」
 思ったより大きい声が自分から出た。動揺を露わにしている自分とは裏腹に、カカシは静かにこっちを見ていて、その温度差にどうしようもなく恥ずかしくなるが、どうにもならない。イルカはえっと、と言いながら、続ける。
「良かったら、今から、俺の家に来ませんか?」
 変な意味ではなく。
 なんとなくそう付け加えてみる。
 そう、変な意味ではない。そんな意味ではないが。そんな意味ではないと取らないで欲しくもない。
 カカシは少し驚いた顔をしたが。嬉しそうに微笑んだ。うん、と答える。
 その、自分ににこりと微笑むその顔は、いつも向けられていた表情なのに。始まりを告げるように、イルカの胸がどきんと鳴った。


<終>
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