はじまりとは
自分の感情に気がついたのは顔を合わせる度に会話をするようになって直ぐ。
彼を見かけた時や、二人で会話をした後の、他の人には感じたことのない高揚感や心が躍る感覚は、何物にも代え難いような特別なもので。
カカシが同じ感情を自分に向けてなくとも、飯に誘い誘われ、一緒に楽しい時間を過ごしたいと、そう向こうも思ってくれている事が、何より嬉しかった。
でも人間と言うものは欲深い生き物で。最初は、叶わないものだと思っていたのに。家に招いても、迷うことなく嬉しそうに承諾してくれて、寛いで、幸せそうに自分の作った飯を食べ、酒を飲む姿を見たら、もしかしたら、カカシもそう思ってくれているんじゃないか。そう考えもしなかった希望を抱くようになり。
自分はどこまで許されるのか、それを知りたくなったのは最近だった。
最初っから、いや、途中でも、女が出来たとか、女がいるって言ってくれれば、そこで割り切る事も出来た。それでも、そんな相手はいない、としか言わないし。先生の作るご飯の方がいいな、とか言うし。
だから、脈ありだろ、って思ったってバチは当たらないはずだ。
まあ、何が言いたいかというと、要は、出来る限りのアプローチをした。
ただ、正直に言えば、あれは不発に近いものがあった。
そりゃそうだろう。
はっきり面と向かって告白なんて出来るわけがない。好きです、に俺も好きです、なんて。そんな夢は見ても実際にこの自分が行動できるはずもなくそんな都合のいい返事がもらえるわけがない。
何かの拍子でカカシと手が触れた時だって、嫌な顔しなかったのは、ただそれはカカシの優しさなのかもしれないが。指が触れた時、間近で優しく微笑むから、思わず鼻血が出そうになった。
アプローチと言っても、自信があるわけじゃないから。
飯も上手そうに食べてくれるし、好みも合うし、一緒にいて楽しいから、カカシさんみたいな人が恋人だったら、俺は幸せですね。
自分なりに考えに考え抜いた台詞を、酒を飲みながら、何気ない風を装って口にしたら。
一瞬、少しだけ驚いた、そんな顔を見せた後、眉を下げ、そうだね、と笑った。
それが自分の精一杯の表現で。カカシのその一言で、受け入れてくれた、とまではいかないが、泣きたいくらいに嬉しかった。
そこから、カカシの態度が余所余所しくなるわけでもなかった。
ただ、可能性云々ではなく、カカシは戦忍で、しかも里を誇る忍びだ。戦う上で何よりも大事なのは実力もそうだが、相手の出方や戦術、そして敵の心理を読む事で、それにもカカシは長けているはずで。
自分のこんなわかりきった態度に、カカシが気がつかないはずがない。自分だって、もし誰かに自分がカカシにしたようが言動を取られたら、気がつく。
だから、そこでカカシが自分と距離を取らないって事は、決して悪い方向には向かっていない。
そんな気持ちで高揚感を持ったまま、報告書の整理をする。
自分でも驚くくらいに慎重になっている。過去恋愛をしてきたつもりだったのに、フられても、それなりにショックだったが。まあ仕方ないか、と割り切れたし落ち込みはしなかった。
自分のあの無様なアプローチの後、もしカカシに、それはあり得ないでしょ、とか否定されるような言葉を言われたら。想像しただけで胸が痛んだ。立ち直れるかと考えたら、時間はかかるがきっと自分は立ち直るだろう。でも同時に引きずる自信もあった。
どんだけだよ、俺。
内心自嘲気味に笑いながら、整理を終えた書類を抱え報告所を後にする。
カカシを見かけたのは、その報告所がある建物から外に出た時だった。
道の端で上忍仲間と話をしている。高い背を少しだけ猫背にしたまま、両手をポケットに入れ、雨上がりのこの暑さも感じさせないような表情を相手に向けている。その姿を目にしただけで胸が高鳴った。胸の高鳴るのは、自分はカカシを好きなんだからと、はっきりと自覚している。だから、嬉しい。でもそれを顔に出さないように。自分の向かうべき場所へイルカは足を向ける。
そして、カカシの目がこっちに向けられたのは、会釈して通り過ぎようとした時。話途中だったのにも関わらず、先生、と名前を呼ばれ、イルカは足を止めた。いつものように、頭を下げると、カカシは上忍仲間との会話を終え、こっちへ歩み寄る。礼儀正しくまた挨拶をするイルカに、カカシが目を細める。ねえ、と口を開いた。
「先生明日忙しい?」
聞かれて明日の予定を思い浮かべる。夜勤もなく特に立て込んでる仕事はない。イルカは笑顔を浮かべた。
「いえ、特に。飲みに行きますか?」
いつものイルカの返しに、カカシはうん、と答えながら片手をポケットから取り出す。
「俺んちに来ない?」
え?と思わず聞き返していた。カカシは銀色の髪を掻きながら、だってさ、ほら、いつも先生の家にお邪魔しちゃってるし、と続けた。良かったら、なんだだけど。そう付け加えられ、内心驚くも、先に沸き上がるのは嬉しさしかない。
「はい」
そうカカシを見つめながらはっきりと言えば、青みがかった目がまた僅かに緩む。恥ずかしそうに視線を一回外し、えーっと、と言いながら再びイルカへ視線を戻した。
「また明日ね」
言われてイルカもまた、はい、と返事をすれば、カカシは待機所の方向へ歩き出す。その背中を少しだけ見送り、そこからイルカもまた歩き出した。
カカシの家に、誘われた。
どうしよう。
無茶無茶嬉しい。
平常心を保とうとしても、嬉しさに頬が緩みそうになり、イルカは歩きながらぐっと唇を結んだ。
自分がほいほい自宅にカカシを誘っていたから、カカシもまた気を使ってくれただけなのかもしれないが。
友人や、同僚の部屋に行くのとはまた違う。
そんな顔をしたつもりもないが。
(・・・・・・変に期待した顔とか、してない、よな)
赤面したのを誤魔化すように、片手で軽く自分の頬を擦った。
翌日、仕事を終えアカデミーの建物を出たところで声をかけてきたのは、アカデミー時代からの知り合いのくノ一だった。
久しぶりの顔に、会話が弾む。相変わらず勝ち気で男っぽい性格に、話しながら声を立てて笑った時、先生?と声がかかり、振り向くとそこにカカシが立っていた。
今日どこで待ち合わせとかはしていないけど、ここまで来てくれた事に申し訳なく思いながら、イルカはカカシへ顔を向ける。カカシさん、と名前を呼ぶ前に、一緒にいた友人のくノ一が、カカシを見て、わ、と声を出した。そこからカカシに向かって頭を下げる。イルカもまたつられるように頭を下げていた。
「あの、こいつはアカデミーからの同期で、」
そうカカシに言い掛けると、くノ一が、どーも、と頭を再び下げながらも、こいつとか言うなと肘で軽く押される。誰の前でもこんな調子なのは昔からだが。呆れはするが、こんな性格だがら、里外の任務でも自分のペースでこなしているんだと感じる。と、くノ一がさっさと話を切り上げようと思ったのか、イルカへ顔を向けた。
「今日さ、イルカの家に泊まらせてよ」
カカシに気を使っているのか、少しだけ小声で、しかしあっさりと言われ、え、と思わず眉を顰めれば、だって、とそのくノ一が続けた。
「私この前短期任務で里を出る前にアパート出払っちゃったんだよね」
「中忍専用のアパートは、」
「空きがないって言うんだもん」
だからさ、ね?
手を合わせられ、無理に決まっているだろ、と直ぐに返せば、ケチ、と言われ。その昔から変わらない行き当たりばったりの性格に、当たり前だが苛立つ。お前なあ、とイルカは腕を組んでくノ一へ目を向ける。ため息を吐き出した時、
「いいじゃない」
不意にカカシが口を開き、イルカは思わず顔を向け、何がですか、と聞き返していた。
いいわけがない。
何も良くない。
こいつは昔っから都合よく自分を使ってきて、たぶんじゃなくとも、他に当てはある。
それに、今日は。
イルカの眉根に皺が寄る。
「でも、」
「泊めてあげたら?」
約束が、と言う前に続けられた言葉に、思わずイルカが視線を向ければ、一瞬だけ青みがかった目に自分が映るものの、その視線はカカシによって直ぐに外された。
そこから言葉が続かなかった。どうしても譲れない気持ちだけが浮上して、それが何故か情けなくて。躊躇ったまま視線を地面に落とせば、後ろで、ありがとうございます、とくノ一の調子の良い暢気な声が背中で聞こえた。
分かっている。
イルカは受付にある作業台で黙々と作業をしながら昨日の事を考える。
カカシは間違った事を言っていない。例えば自分がカカシと同じ立場だったら、きっと同じ事を、ーー。
そこまで思って、イルカは書類を束ねていた手を止めた。
ぼんやりと目に映る報告書の内容は一向に頭に入ってこない。
午前中、カカシが受付に来たのに。ろくに顔を見れなかった。職業柄、愛想笑いは得意なのに。それすら出来なくて。仕事なのに。しかも相手は上忍なのに。それに相応しい対応をすべきなのに。
悔しいのはカカシの態度で。自分とは違い、変わらずいつもと同じだった。それが、整理しきれていない自分の心のに拍車をかけた。
会釈だけで下を向いたままの自分に、先生今日は忙しい?と声をかけられ、それに被せるように、無理です、と答えていた。
そう、何もかも無理だった。
普通にするのも、笑顔を作るのも、カカシと話をするのも。そこからいつものように約束をするのも。
つくづく自分はガキだと思う。
カカシに今日はどう?なんて言われても。その誘いにどんな気持ちで応えたらいいのか、分からなくなっていた。
笑顔で、頷くなんて、到底出来ない。
それを、分かっていないような。そんなカカシを見たら、心の中に冷たいものが広がっていく感覚を覚えた。
書類をひたすら纏める作業をして一日が終わる。アカデミーで授業がある日と比べたら充実した日じゃないなあ、と感じてしまうが、この作業もまた自分達にとっては必要な仕事だ。
でも一日中椅子に座っていると身体が鈍る。
(・・・・・・腰いてえ)
イルカは腰をさすり、背伸びをしながら建物を出て、ふと目の前にいる人影に足を止めていた。
道の端に立っているのは、間違いようがない、カカシで。思わず顔を顰めていた。
ーー何がしたいんだこの人は。
でもそれが分かっていたら、こんな悩む事も、逃げ出したい衝動に駆られる事もない。
どう声をかけたらいいのかも分からなくて、ただ立ち止まったままのイルカに、カカシが歩み寄る。落とした視線の先に、カカシの足元が目に映った。そこからおずおずと顔を上げる。少しだけ心配したような顔がそこにあって、それだけで、動揺が胸に広がった。先生、と口にしたカカシに、カカシがその先何を言っても上手く応えれないと分かっていたイルカは、あの、と声を出す。
言葉を止めたカカシに、一回口を結び、そこからゆっくりと再び開いた。
「昨日は、ありがとうございました」
今日受付で会った時に、言うべきだった台詞を口にすると、カカシは少しの間の後、え?と聞き返す。躊躇いながらも、あいつと話をする時間をいただいて、そう付け加えるイルカに、カカシはまた、少しの間を開け、うん、と返す。
それだけのやりとりなのに、何故かどうしようもなくもどかしさが沸き上がった。
カカシのように、大人な対応で割り切って終わらせたいのに。
イルカは少しだけ握った拳に力を入れる。
だって、そうだろう?
あの時、自分の精一杯の気持ちをぶつけた時に見せたカカシのあの顔は、目は。間違いなく自分の気持ちに気がついていた。
思い出しただけで泣きそうになる。
そこから黙ってしまったイルカに、カカシがじっと見つめた。静かにこっちを見つめ、そこから小さく、ゆっくり息を吐き出したのが、俯いたイルカの耳に聞こえた。それだけで全身に緊張が走った。
同時に笑いたくもなる。自分とカカシは、始まっても、終わってもない。よくよく考えるも何も、どんな関係でもないんだ。
そう思ったら、笑いが勝手に零れていた。イルカ先生?とカカシから声がかかる。そりゃそうだろう。今、笑い出す場面でも何でもない。
でも、可笑しい。そう思ったらイルカは口を開いていた。
「俺たちの関係って、そんなものだったんですね」
寂しそうにそうぽつりと言えば、カカシは僅かに眉を寄せたまま、イルカの顔をじっと見つめた。何か言いたげな表情を見せたかと思えば、その目を下にずらした。だって、とカカシが呟く。
「あんな仲のいい姿見せられたら、そう言うしかないでしょ」
ぼそりと言うカカシの言葉はイルカの耳にはっきりと届いた。
耳を疑っていた。どう解釈しても、子供じみた台詞だった。だがカカシは、こんな子供じみた事をいうような人間ではない。でも、疑うも、聞き間違えようもないカカシの言葉は、イルカの頭に入り、それは苛立たせるのに十分だった。
「・・・・・・俺の気持ち分かっててあんな事言ったんですか」
静かに問えば、何をムッとしているから知らないが。カカシは少しむくれながらも、頷く。
それを目の当たりにしたら、今までにない怒りがイルカを支配した。とんだ茶番だ。それを堪えるように拳を握ると、奥歯を噛んだ。自然、こめかみに血管が浮かぶ。
「・・・・・・ならまだしも・・・・・・」
そうぼそりと呟くイルカに、カカシが、え?と聞き返す。イルカはカカシを睨んだ。
「男友達ならまだしも、女に俺を渡すんじゃねえよって言ったんですっ」
大きな声を出すイルカに、カカシは唖然としていた。
「・・・・・・でも、泊めたんでしょ?」
「泊めるわけないでしょう?」
怒りのまま即答する。
そう、泊めれるはずがなかった。そんなつもりでもない相手でも、女性だ。それなりの歳になった教え子でさえ断っている。
それなのに、目を丸くして驚くカカシにまた苛立つ。イルカは盛大にため息を吐き出した。とにかく、と言いながらカカシを見る。
「カカシさんのその優しさは俺に取ったら残酷なんです」
俺がどんなに傷ついたか、とそこまで言った時、カカシが、じゃあ、と
口を開いた。イルカは自分の言葉を止めればカカシは続ける。
「昨日俺の部屋に誘ってもよかったの?」
そう聞かれ、イルカは、もちろんです、とはっきりと答えれば、カカシがじっとイルカを見つめ返した。
「一緒に飲むだけじゃ済まなかったかもしれないのに?」
直接的ではないが、自分もそれなりの年齢の男だ。どんな意味かは分かる。でも気恥ずかしいのは止められない。頬が熱く感じながらも、はい、とはっきりと答え頷いた。
だって自分は、それを期待していたのだ。
カカシは。何秒かは反応を見せなかったが。イルカの答えに納得するように、うん、と頷く。そこからゆっくり、大きく息を吐き出した。
「そっかー・・・・・・」
そうため息混じりに言いながら力の抜けた、安堵したような声を出すから、イルカはそれを不思議そうに見ていれば、カカシはゆっくりと視線を上げた。
「良かった」
眉を下げ、ホッとした笑みを浮かべている。イルカはその顔をじっと見つめていれば、
「だって、先生イチャパラでも出てこないような純真な事しか俺に言わなかったから。それってどういう意味かって分かってても、手を出していいのかわかんなくて。俺と違ったらどうしようって、」
そう続けられ、カカシは情けない笑みを見せる。
数秒後、イルカの顔が赤く染まった。
純真がどんなのか分からないが、自分は、自分なりの精一杯の告白があれだった。確かに無様だとは思ったけど。
あれが逆にカカシにブレーキをかけさせていたなんて。後悔が浮かぶが、あれ以上のものは今考えても浮かばない。イルカは悔しくて顔を赤くしながら口を結んだ。
「そんな言葉しか言えなくてすみません・・・・・・」
少しむくれて言えば、カカシは慌てたように、違う違うと、手を振った。
「嬉しかったんだよ?」
そう言われても。経験のない自分にはやっぱり情けなく。ぶすっとしていれば、カカシはそんなイルカを見つめながら、小さく息を吐き、一歩、イルカに歩み寄る。俺ね、と口を開いた。
「実はね、昨日、あんな事言っておきながら、先生がセックスするのを想像しながら一人で抜いたの」
ん?とイルカは反応を示し顔を上げるが。
今、目の前のカカシから、抜いた、とそんな言葉が出たとは思えなくて。きょとんとしたまま、え?と聞き返せば、カカシはまた眉を下げ微笑んだ。
「最低だよね。でも不思議なんだよね、特定の女はやだけど先生が誰かを抱いてるのを想像しながらでも抜けるんだから」
たはー、と笑うカカシに、イルカの顔が真っ赤に染まる。
「・・・・・・なに、言ってるんですか・・・・・・」
恥ずかしさに身体を震わせると、カカシはイルカを見た。
「何で?先生は俺で抜いたことない?」
「な・・・・・・っ、」
あり得ない質問に、イルカは絶句する。
絶句するが、否定は出来ない。否定はしないが、
「俺はまだ誰ともやってません」
そこだけはちゃんと否定すると、カカシは一瞬驚いた顔をするも、そこからまた眉を下げ、うん、と言う。嬉しそうに。
なんだか締まりのない、変な空気に、でもだからと言ってこればかりは簡単に割り切れない。泣きべそかきそうになりながらも怒った顔のままのイルカに、カカシは覗き込む。
「じゃあ、今から俺の部屋に来る?」
へそを曲げたイルカに優しく聞かれ、不貞腐れながらも、そこは返事を間違えるわけにはいかない。はい、と答えれば、カカシはまた嬉しそうにふわりと笑いイルカの手を握った。
「じゃ、いこーか」
二人並んでゆっくりと歩き出す。
飲んだ帰りには、2人でこうして並んで歩いていたのに。変わっていないのに、全く違う世界にも感じる。
ああ、こうやってはじまっていくんだなあ、とイルカは心地よい感情に満たされながら、夜空を見上げた。
<終>
彼を見かけた時や、二人で会話をした後の、他の人には感じたことのない高揚感や心が躍る感覚は、何物にも代え難いような特別なもので。
カカシが同じ感情を自分に向けてなくとも、飯に誘い誘われ、一緒に楽しい時間を過ごしたいと、そう向こうも思ってくれている事が、何より嬉しかった。
でも人間と言うものは欲深い生き物で。最初は、叶わないものだと思っていたのに。家に招いても、迷うことなく嬉しそうに承諾してくれて、寛いで、幸せそうに自分の作った飯を食べ、酒を飲む姿を見たら、もしかしたら、カカシもそう思ってくれているんじゃないか。そう考えもしなかった希望を抱くようになり。
自分はどこまで許されるのか、それを知りたくなったのは最近だった。
最初っから、いや、途中でも、女が出来たとか、女がいるって言ってくれれば、そこで割り切る事も出来た。それでも、そんな相手はいない、としか言わないし。先生の作るご飯の方がいいな、とか言うし。
だから、脈ありだろ、って思ったってバチは当たらないはずだ。
まあ、何が言いたいかというと、要は、出来る限りのアプローチをした。
ただ、正直に言えば、あれは不発に近いものがあった。
そりゃそうだろう。
はっきり面と向かって告白なんて出来るわけがない。好きです、に俺も好きです、なんて。そんな夢は見ても実際にこの自分が行動できるはずもなくそんな都合のいい返事がもらえるわけがない。
何かの拍子でカカシと手が触れた時だって、嫌な顔しなかったのは、ただそれはカカシの優しさなのかもしれないが。指が触れた時、間近で優しく微笑むから、思わず鼻血が出そうになった。
アプローチと言っても、自信があるわけじゃないから。
飯も上手そうに食べてくれるし、好みも合うし、一緒にいて楽しいから、カカシさんみたいな人が恋人だったら、俺は幸せですね。
自分なりに考えに考え抜いた台詞を、酒を飲みながら、何気ない風を装って口にしたら。
一瞬、少しだけ驚いた、そんな顔を見せた後、眉を下げ、そうだね、と笑った。
それが自分の精一杯の表現で。カカシのその一言で、受け入れてくれた、とまではいかないが、泣きたいくらいに嬉しかった。
そこから、カカシの態度が余所余所しくなるわけでもなかった。
ただ、可能性云々ではなく、カカシは戦忍で、しかも里を誇る忍びだ。戦う上で何よりも大事なのは実力もそうだが、相手の出方や戦術、そして敵の心理を読む事で、それにもカカシは長けているはずで。
自分のこんなわかりきった態度に、カカシが気がつかないはずがない。自分だって、もし誰かに自分がカカシにしたようが言動を取られたら、気がつく。
だから、そこでカカシが自分と距離を取らないって事は、決して悪い方向には向かっていない。
そんな気持ちで高揚感を持ったまま、報告書の整理をする。
自分でも驚くくらいに慎重になっている。過去恋愛をしてきたつもりだったのに、フられても、それなりにショックだったが。まあ仕方ないか、と割り切れたし落ち込みはしなかった。
自分のあの無様なアプローチの後、もしカカシに、それはあり得ないでしょ、とか否定されるような言葉を言われたら。想像しただけで胸が痛んだ。立ち直れるかと考えたら、時間はかかるがきっと自分は立ち直るだろう。でも同時に引きずる自信もあった。
どんだけだよ、俺。
内心自嘲気味に笑いながら、整理を終えた書類を抱え報告所を後にする。
カカシを見かけたのは、その報告所がある建物から外に出た時だった。
道の端で上忍仲間と話をしている。高い背を少しだけ猫背にしたまま、両手をポケットに入れ、雨上がりのこの暑さも感じさせないような表情を相手に向けている。その姿を目にしただけで胸が高鳴った。胸の高鳴るのは、自分はカカシを好きなんだからと、はっきりと自覚している。だから、嬉しい。でもそれを顔に出さないように。自分の向かうべき場所へイルカは足を向ける。
そして、カカシの目がこっちに向けられたのは、会釈して通り過ぎようとした時。話途中だったのにも関わらず、先生、と名前を呼ばれ、イルカは足を止めた。いつものように、頭を下げると、カカシは上忍仲間との会話を終え、こっちへ歩み寄る。礼儀正しくまた挨拶をするイルカに、カカシが目を細める。ねえ、と口を開いた。
「先生明日忙しい?」
聞かれて明日の予定を思い浮かべる。夜勤もなく特に立て込んでる仕事はない。イルカは笑顔を浮かべた。
「いえ、特に。飲みに行きますか?」
いつものイルカの返しに、カカシはうん、と答えながら片手をポケットから取り出す。
「俺んちに来ない?」
え?と思わず聞き返していた。カカシは銀色の髪を掻きながら、だってさ、ほら、いつも先生の家にお邪魔しちゃってるし、と続けた。良かったら、なんだだけど。そう付け加えられ、内心驚くも、先に沸き上がるのは嬉しさしかない。
「はい」
そうカカシを見つめながらはっきりと言えば、青みがかった目がまた僅かに緩む。恥ずかしそうに視線を一回外し、えーっと、と言いながら再びイルカへ視線を戻した。
「また明日ね」
言われてイルカもまた、はい、と返事をすれば、カカシは待機所の方向へ歩き出す。その背中を少しだけ見送り、そこからイルカもまた歩き出した。
カカシの家に、誘われた。
どうしよう。
無茶無茶嬉しい。
平常心を保とうとしても、嬉しさに頬が緩みそうになり、イルカは歩きながらぐっと唇を結んだ。
自分がほいほい自宅にカカシを誘っていたから、カカシもまた気を使ってくれただけなのかもしれないが。
友人や、同僚の部屋に行くのとはまた違う。
そんな顔をしたつもりもないが。
(・・・・・・変に期待した顔とか、してない、よな)
赤面したのを誤魔化すように、片手で軽く自分の頬を擦った。
翌日、仕事を終えアカデミーの建物を出たところで声をかけてきたのは、アカデミー時代からの知り合いのくノ一だった。
久しぶりの顔に、会話が弾む。相変わらず勝ち気で男っぽい性格に、話しながら声を立てて笑った時、先生?と声がかかり、振り向くとそこにカカシが立っていた。
今日どこで待ち合わせとかはしていないけど、ここまで来てくれた事に申し訳なく思いながら、イルカはカカシへ顔を向ける。カカシさん、と名前を呼ぶ前に、一緒にいた友人のくノ一が、カカシを見て、わ、と声を出した。そこからカカシに向かって頭を下げる。イルカもまたつられるように頭を下げていた。
「あの、こいつはアカデミーからの同期で、」
そうカカシに言い掛けると、くノ一が、どーも、と頭を再び下げながらも、こいつとか言うなと肘で軽く押される。誰の前でもこんな調子なのは昔からだが。呆れはするが、こんな性格だがら、里外の任務でも自分のペースでこなしているんだと感じる。と、くノ一がさっさと話を切り上げようと思ったのか、イルカへ顔を向けた。
「今日さ、イルカの家に泊まらせてよ」
カカシに気を使っているのか、少しだけ小声で、しかしあっさりと言われ、え、と思わず眉を顰めれば、だって、とそのくノ一が続けた。
「私この前短期任務で里を出る前にアパート出払っちゃったんだよね」
「中忍専用のアパートは、」
「空きがないって言うんだもん」
だからさ、ね?
手を合わせられ、無理に決まっているだろ、と直ぐに返せば、ケチ、と言われ。その昔から変わらない行き当たりばったりの性格に、当たり前だが苛立つ。お前なあ、とイルカは腕を組んでくノ一へ目を向ける。ため息を吐き出した時、
「いいじゃない」
不意にカカシが口を開き、イルカは思わず顔を向け、何がですか、と聞き返していた。
いいわけがない。
何も良くない。
こいつは昔っから都合よく自分を使ってきて、たぶんじゃなくとも、他に当てはある。
それに、今日は。
イルカの眉根に皺が寄る。
「でも、」
「泊めてあげたら?」
約束が、と言う前に続けられた言葉に、思わずイルカが視線を向ければ、一瞬だけ青みがかった目に自分が映るものの、その視線はカカシによって直ぐに外された。
そこから言葉が続かなかった。どうしても譲れない気持ちだけが浮上して、それが何故か情けなくて。躊躇ったまま視線を地面に落とせば、後ろで、ありがとうございます、とくノ一の調子の良い暢気な声が背中で聞こえた。
分かっている。
イルカは受付にある作業台で黙々と作業をしながら昨日の事を考える。
カカシは間違った事を言っていない。例えば自分がカカシと同じ立場だったら、きっと同じ事を、ーー。
そこまで思って、イルカは書類を束ねていた手を止めた。
ぼんやりと目に映る報告書の内容は一向に頭に入ってこない。
午前中、カカシが受付に来たのに。ろくに顔を見れなかった。職業柄、愛想笑いは得意なのに。それすら出来なくて。仕事なのに。しかも相手は上忍なのに。それに相応しい対応をすべきなのに。
悔しいのはカカシの態度で。自分とは違い、変わらずいつもと同じだった。それが、整理しきれていない自分の心のに拍車をかけた。
会釈だけで下を向いたままの自分に、先生今日は忙しい?と声をかけられ、それに被せるように、無理です、と答えていた。
そう、何もかも無理だった。
普通にするのも、笑顔を作るのも、カカシと話をするのも。そこからいつものように約束をするのも。
つくづく自分はガキだと思う。
カカシに今日はどう?なんて言われても。その誘いにどんな気持ちで応えたらいいのか、分からなくなっていた。
笑顔で、頷くなんて、到底出来ない。
それを、分かっていないような。そんなカカシを見たら、心の中に冷たいものが広がっていく感覚を覚えた。
書類をひたすら纏める作業をして一日が終わる。アカデミーで授業がある日と比べたら充実した日じゃないなあ、と感じてしまうが、この作業もまた自分達にとっては必要な仕事だ。
でも一日中椅子に座っていると身体が鈍る。
(・・・・・・腰いてえ)
イルカは腰をさすり、背伸びをしながら建物を出て、ふと目の前にいる人影に足を止めていた。
道の端に立っているのは、間違いようがない、カカシで。思わず顔を顰めていた。
ーー何がしたいんだこの人は。
でもそれが分かっていたら、こんな悩む事も、逃げ出したい衝動に駆られる事もない。
どう声をかけたらいいのかも分からなくて、ただ立ち止まったままのイルカに、カカシが歩み寄る。落とした視線の先に、カカシの足元が目に映った。そこからおずおずと顔を上げる。少しだけ心配したような顔がそこにあって、それだけで、動揺が胸に広がった。先生、と口にしたカカシに、カカシがその先何を言っても上手く応えれないと分かっていたイルカは、あの、と声を出す。
言葉を止めたカカシに、一回口を結び、そこからゆっくりと再び開いた。
「昨日は、ありがとうございました」
今日受付で会った時に、言うべきだった台詞を口にすると、カカシは少しの間の後、え?と聞き返す。躊躇いながらも、あいつと話をする時間をいただいて、そう付け加えるイルカに、カカシはまた、少しの間を開け、うん、と返す。
それだけのやりとりなのに、何故かどうしようもなくもどかしさが沸き上がった。
カカシのように、大人な対応で割り切って終わらせたいのに。
イルカは少しだけ握った拳に力を入れる。
だって、そうだろう?
あの時、自分の精一杯の気持ちをぶつけた時に見せたカカシのあの顔は、目は。間違いなく自分の気持ちに気がついていた。
思い出しただけで泣きそうになる。
そこから黙ってしまったイルカに、カカシがじっと見つめた。静かにこっちを見つめ、そこから小さく、ゆっくり息を吐き出したのが、俯いたイルカの耳に聞こえた。それだけで全身に緊張が走った。
同時に笑いたくもなる。自分とカカシは、始まっても、終わってもない。よくよく考えるも何も、どんな関係でもないんだ。
そう思ったら、笑いが勝手に零れていた。イルカ先生?とカカシから声がかかる。そりゃそうだろう。今、笑い出す場面でも何でもない。
でも、可笑しい。そう思ったらイルカは口を開いていた。
「俺たちの関係って、そんなものだったんですね」
寂しそうにそうぽつりと言えば、カカシは僅かに眉を寄せたまま、イルカの顔をじっと見つめた。何か言いたげな表情を見せたかと思えば、その目を下にずらした。だって、とカカシが呟く。
「あんな仲のいい姿見せられたら、そう言うしかないでしょ」
ぼそりと言うカカシの言葉はイルカの耳にはっきりと届いた。
耳を疑っていた。どう解釈しても、子供じみた台詞だった。だがカカシは、こんな子供じみた事をいうような人間ではない。でも、疑うも、聞き間違えようもないカカシの言葉は、イルカの頭に入り、それは苛立たせるのに十分だった。
「・・・・・・俺の気持ち分かっててあんな事言ったんですか」
静かに問えば、何をムッとしているから知らないが。カカシは少しむくれながらも、頷く。
それを目の当たりにしたら、今までにない怒りがイルカを支配した。とんだ茶番だ。それを堪えるように拳を握ると、奥歯を噛んだ。自然、こめかみに血管が浮かぶ。
「・・・・・・ならまだしも・・・・・・」
そうぼそりと呟くイルカに、カカシが、え?と聞き返す。イルカはカカシを睨んだ。
「男友達ならまだしも、女に俺を渡すんじゃねえよって言ったんですっ」
大きな声を出すイルカに、カカシは唖然としていた。
「・・・・・・でも、泊めたんでしょ?」
「泊めるわけないでしょう?」
怒りのまま即答する。
そう、泊めれるはずがなかった。そんなつもりでもない相手でも、女性だ。それなりの歳になった教え子でさえ断っている。
それなのに、目を丸くして驚くカカシにまた苛立つ。イルカは盛大にため息を吐き出した。とにかく、と言いながらカカシを見る。
「カカシさんのその優しさは俺に取ったら残酷なんです」
俺がどんなに傷ついたか、とそこまで言った時、カカシが、じゃあ、と
口を開いた。イルカは自分の言葉を止めればカカシは続ける。
「昨日俺の部屋に誘ってもよかったの?」
そう聞かれ、イルカは、もちろんです、とはっきりと答えれば、カカシがじっとイルカを見つめ返した。
「一緒に飲むだけじゃ済まなかったかもしれないのに?」
直接的ではないが、自分もそれなりの年齢の男だ。どんな意味かは分かる。でも気恥ずかしいのは止められない。頬が熱く感じながらも、はい、とはっきりと答え頷いた。
だって自分は、それを期待していたのだ。
カカシは。何秒かは反応を見せなかったが。イルカの答えに納得するように、うん、と頷く。そこからゆっくり、大きく息を吐き出した。
「そっかー・・・・・・」
そうため息混じりに言いながら力の抜けた、安堵したような声を出すから、イルカはそれを不思議そうに見ていれば、カカシはゆっくりと視線を上げた。
「良かった」
眉を下げ、ホッとした笑みを浮かべている。イルカはその顔をじっと見つめていれば、
「だって、先生イチャパラでも出てこないような純真な事しか俺に言わなかったから。それってどういう意味かって分かってても、手を出していいのかわかんなくて。俺と違ったらどうしようって、」
そう続けられ、カカシは情けない笑みを見せる。
数秒後、イルカの顔が赤く染まった。
純真がどんなのか分からないが、自分は、自分なりの精一杯の告白があれだった。確かに無様だとは思ったけど。
あれが逆にカカシにブレーキをかけさせていたなんて。後悔が浮かぶが、あれ以上のものは今考えても浮かばない。イルカは悔しくて顔を赤くしながら口を結んだ。
「そんな言葉しか言えなくてすみません・・・・・・」
少しむくれて言えば、カカシは慌てたように、違う違うと、手を振った。
「嬉しかったんだよ?」
そう言われても。経験のない自分にはやっぱり情けなく。ぶすっとしていれば、カカシはそんなイルカを見つめながら、小さく息を吐き、一歩、イルカに歩み寄る。俺ね、と口を開いた。
「実はね、昨日、あんな事言っておきながら、先生がセックスするのを想像しながら一人で抜いたの」
ん?とイルカは反応を示し顔を上げるが。
今、目の前のカカシから、抜いた、とそんな言葉が出たとは思えなくて。きょとんとしたまま、え?と聞き返せば、カカシはまた眉を下げ微笑んだ。
「最低だよね。でも不思議なんだよね、特定の女はやだけど先生が誰かを抱いてるのを想像しながらでも抜けるんだから」
たはー、と笑うカカシに、イルカの顔が真っ赤に染まる。
「・・・・・・なに、言ってるんですか・・・・・・」
恥ずかしさに身体を震わせると、カカシはイルカを見た。
「何で?先生は俺で抜いたことない?」
「な・・・・・・っ、」
あり得ない質問に、イルカは絶句する。
絶句するが、否定は出来ない。否定はしないが、
「俺はまだ誰ともやってません」
そこだけはちゃんと否定すると、カカシは一瞬驚いた顔をするも、そこからまた眉を下げ、うん、と言う。嬉しそうに。
なんだか締まりのない、変な空気に、でもだからと言ってこればかりは簡単に割り切れない。泣きべそかきそうになりながらも怒った顔のままのイルカに、カカシは覗き込む。
「じゃあ、今から俺の部屋に来る?」
へそを曲げたイルカに優しく聞かれ、不貞腐れながらも、そこは返事を間違えるわけにはいかない。はい、と答えれば、カカシはまた嬉しそうにふわりと笑いイルカの手を握った。
「じゃ、いこーか」
二人並んでゆっくりと歩き出す。
飲んだ帰りには、2人でこうして並んで歩いていたのに。変わっていないのに、全く違う世界にも感じる。
ああ、こうやってはじまっていくんだなあ、とイルカは心地よい感情に満たされながら、夜空を見上げた。
<終>
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