発火

 週末、込み合う狭い居酒屋の隅のテーブルで、イルカはビールを飲み干した。ジョッキをテーブルに置き、ふう、と一息つけば、小さく笑いを零され、イルカは顔を上げると紅がその通り、微笑みを浮かべてこっちを見ている。
「いい飲みっぷりね」
 そう言われイルカは少しだけ口を尖らせた。手の甲で口元についた泡を拭いながら、だって、と言葉を付け加える。
「こっちはこっちでやるべき事をして、言われた時間内に間に合うように持っていってるのに。遅いって言うんですよ?」
 日が短くなったからって、こっちの持ち時間も短くなるけじゃないんですよ。
 不機嫌な上司にとばっちりを受けたイルカの愚痴に、紅は、そうよねえ、と同調しながら眉を下げた。お疲れ様、と加え、近くを通りかかった店員に手を挙げる。追加の酒と、つまみを数品注文をし、そこからイルカへ向き直った。焼酎が入ったグラスを傾ける。
「刺身頼んだけど、食べるでしょ?」
 そう聞かれ、嬉しそうに、はい、と答えると紅はにこりと微笑んだ。
「嫌な事は飲んで忘れればいいのよ」
 そう言いながらたこわさを箸で摘み口に入れる紅を見つめながら、確かになあ、と内心ため息混じりで思う。
 今日はたまたま朝からミスが続き、それに加えて上司に嫌みを言われ。最悪な気分に、落ち込んでいた自分に声をかけてくれたのは紅だった。自分が紅が上忍師として担当してる下忍の元担任で、同性だからなのか、ちょくちょく声をかけ飲みに誘ってくれる。元々自分も男勝りな性格で、そんなところを気に入ってくれたのか。誘われた当初、上忍であるから流石に躊躇する自分に、イルカは話しやすいし可愛いからね、なんて言われてかなり聞き慣れない言葉に動揺したのを覚えている。
 可愛いとは、自分の周りにいるような他のくノ一の事で。自分にはとても見合わない言葉だ。
 それに。
 ふと前を見れば、目の前に座っている紅がグラスを傾け焼酎を飲み、何気なく肩にかかった髪を後ろで流す。その仕草が、表情が、あまりにも色っぽくて、同性であるのにも関わらず見惚れていた。
 足を組んで立て肘をついただけなのに、それだけで女性らしく妖艶で口元の赤い口紅も白い肌を引き立たせている。
 ーーそれに比べて自分は。分かり切っているのに、思わずイルカは自分の服装を改めて見た。体術の授業でズボンは汚れ、アンダーウェアも、ベストも綻びがあり、それを繕った後もある。この支給服が真新しかったのは支給されてせいぜい半年くらいだった。
 服は動き安さが一番だと支給服以外着たことがない、と言うか持っていない。それに、口紅なんて買った事もなく愛用しているのは色も付いていない薬用リップで。もし、口紅なんてしたら。野暮ったい女が更に野暮ったくなるだけだ。
 先生は可愛いよ
 ふと浮かんだカカシの言葉に、いやあれは例外だ。と慌てて一人で軽く首を横に振るが、つい頬が熱くなった。
「どうかした?」
 そうしていれば、当たり前に紅に聞かれ、イルカは何でもないです、と口にするしかない。
 紅が頼んでくれた新鮮なマグロの刺身を箸で摘み口に入れた。
 カカシは変わっている。
 高名で長身で顔もいい。素顔を見た時は女の自分より綺麗な顔に唖然とした。そして詳しくは知らないがきっと収入だっていい。周りの上忍師になってから配置換えがあったのか、カカシがよく受付や報告所に顔を出すようになり、その度に女性事務員やくノ一が黄色いため息を漏らす。色々鈍いと言われている自分だが、それに気がつかないはずもなく。それに加え、女には困らないとか、何人も女を囲っているとか、噂が絶えないのに。
 それなのに、自分にカカシはこだわった。
 カカシの周りには、目の前にいる紅のような、強さも美しさも兼ね備えたくノ一がいるのに。
 飲みに誘われ、何回もしないうちに交際を申し込まれ、当たり前だが、断った。最初ふざけているのだと思っていた。でも、何回か会って話している限りでは、カカシがそんな質の悪い冗談を言う相手ではないと分かっていた。
 モテるのは本人が認めたものの、噂で聞くようなたらしでも何でもなく、優しくて、紳士で。
 だから、余計に困惑し、悩んだ。
 ただ、悩んではいたが、答えは出ていた。
 女性らしさのかけらもない、そんな自分に好意を向けてくれた事は嬉しいが、不安だったのだ。
 どうせ自分は捨てられるから。だから傷つくのが嫌で、直ぐにうんと頷く事が出来なかった。
 そんな自分にカカシは真摯に向き合って待ってくれた。
 だから、ようやく決心してつき合う事になったんだけど。半年経った今も、正直、カカシが恋人だと言う事に慣れない。
 紅は逆で、カカシにはイルカは勿体ないとは言うが。
 あんなに直向きに自分を好きになってくれた人は今までいなくて。
 これからも、カカシのような人はいないと感じる。
(いや、惚気じゃなくって)
 頬を赤くさせながら、イルカはビールのジョッキを傾け、目を伏せた。
 まあ兎に角、自分が言いたいのは。
 カカシとつきあい始めて気がついたのが、普通の女性が持っているような、女としての魅力が自分にはないと言う事。紅では色んなレベルが違いすぎて、比べる相手が間違えてると言われたらそれまでだが。悲しいかな、この性格も、容姿も、生まれ持ったものは変えられない。
 元々そこまで興味がなかった事に興味を持つ方が間違ってるのか。
 可愛いと言ってくれる恋人がいるのだから、別に考える事もないのかもしれないが。
 可愛い、大好き。
 そんな言葉を耳元で囁かれた事を迂闊に思い出し、体が一気に熱を持った。いかんいかん、と気持ちを切り替えながら、イルカは火照った頬を少しでも冷ましたくてベストのジッパーを少しだけ下げる。冷えたビールを飲み、小さく息を吐き出すと、紅が立て肘をついたままじっとこっちを見ている。どうしたのかと不思議そうな顔をすれば、
「イルカは自覚ないからあれなんだけど、気をつけなさいよ」
 ため息混じりに言われるが、意味が分からない。瞬きをすれば、紅は立て肘をついていた手を解き、その手で、なんでもない、と手のひらをひらひらさせるが、やっぱり分からない。
 そこに紅が追加注文してくれた焼き鳥が置かれ、イルカは目を輝かせながら、その焼き鳥に手を伸ばした。


 翌日、イルカは帰宅して部屋の掃除をしていた。
 珍しくシフトの為に早めに帰れ、まだ外も明るい。買い物を済ませて帰ったイルカは洗濯物を取り込むと、そのまま窓を開けたまま掃除を始める。仕事も忙しく、本当は次の休日まで放っておくはずだったが、平日にこんな時間が出来るのはラッキーだ。
 風呂釜を本格的に洗っている時に玄関を叩く音が聞こえ、イルカはスポンジを持つ手を止めた。こんな時間に誰だろうか。
 イルカは泡のついた手を洗い、濡れた手を拭くとズボンは脱いでいた為ズボンも慌てて履く。そのまま玄関へ向かった。
 そして、はいはい、と返事をしながら扉を開けて驚いたのは、カカシが立っていたから。
 週末に帰ると聞いていたから、まさかカカシが目の前にいるなんて思えなくて。ぽかんとした顔でカカシを見る。
「カカシさん、あの、」
 言い掛けたイルカに、カカシもまた口を開いた。
「その格好はどうしたの?」
 急な質問に、思わず、え?と聞き返しながら、イルカは指摘されるままに自分の格好を確認する。ベストを脱ぎ腕まくりをした状態で、慌てて出たからか、ズボンは紐を結んでいない。手は適当に拭いた為少し濡れていた。そして少し上着には泡がついたままになっている。
 イルカは苦笑いを浮かべた。
「えっと、今お風呂掃除してたところなんです」
 言いながら鼻頭を掻く。カカシさんは、と聞くと、カカシは話を振られ、ああ、と声を出した。
「俺は予定より早く帰れて。受付に行ったら先生帰ったって聞いたから」
 そう言われてイルカは慌てて笑顔を浮かべた。
「お帰りなさい。すみません、自分も今日はいつもより早く帰れたんで残業もせず帰ってきちゃってたんです」
 苦笑いを浮かべると、カカシもまた微笑む。そっか、と答えた。
 その会話を終えてイルカははっとする。
「すみません、あの、ちょっと散らかってるんですが上がってください」
 どうぞ、と慌てて促すイルカに、カカシは嬉しそうに、うん、と答えた。

「今、直ぐ風呂を沸かしますから」
 そう口にすれば大丈夫、と返され、イルカはカカシに振り返った。
「今回は結構汚れてたから。だから家に帰って先にシャワーだけ浴びたから」
 そう言われて見たら、確かにどこも汚れていないカカシの支給服の姿に、納得をした。
 カカシの任務内容からすれば、土埃はもちろん、相手の血や毒や、目に見えないものが付着していてもおかしくはない。
 どんな任務なのか、カカシは一度も口には出したりしないし、自分も聞かない。そして、カカシの気遣いに胸が痛んだ。痛むが忍であれば避けては通れない、血を流す事が当たり前の世界だ。
 ただ、カカシに怪我がない事に内心安堵する。
「じゃあ、先にご飯用意しますね」
 イルカは笑顔を作る。適当に座って待っていてください。そう続けたイルカに、カカシが部屋の隅に置かれた、取り込んだままになっていた洗濯物を手にし、
「じゃあ俺はこれたたんでるね」
 そう言われぎょっとした。
「だ、駄目ですっ」
 衣類をカカシから奪い取る。何で?と当たり前に口にされ、イルカは眉を寄せた。口を結ぶ。
 ぎゅう、と洗濯物を持った手に力を入れた。
「だ、だって・・・・・・見られたくない物だってあるんですから」
 分かってください。
 言いながらも恥ずかしさに語尾が小さくなる。そんなイルカに構わず、カカシは山になった洗濯物にまた手を伸ばした。イルカがまた条件反射で、あ!と声を上げる。
 駄目だと言う前に、自分の下着を手にされ、イルカの顔が赤く染まった。カカシが自分の色気のへったくりもない下着を手にしているだけで泣きたくなる。そう、色気も何もない下着だろうが恥ずかしいものは恥ずかしい。
 泣きたくなるイルカに、カカシの視線が下着からイルカに戻された。
「これ、全部今取り込んだの?」
 聞かれるも、話が飛んだように感じるが。早く下着から手を離して欲しい。そう思いながら眉を寄せながら、イルカは、そうですけど、と小さく答える。その瞬間、カカシもまた眉を寄せたかと思うと、手をイルカに伸ばす。
 気がつけばカカシの腕の内にいた。一瞬の出来事で、驚きに目を丸くすれば、イルカを抱き込んだまま、じっとこっちを見つめる。
 イルカは赤い顔のまま、瞬きをした。あの、と言い掛ける間にカカシが、信じらんない、と言葉を被せた。
「下着外に出して、見られて盗られたりでもしたらどうするの?女の一人暮らしだってバレちゃうでしょ?不用心すぎでしょ?」
 想像もしていなかった事を言われて、イルカがまた目を丸くした。
 だって、自分は忍だ。不用心とか、自分が忍で、そして忍がいる里に住んでいる時点で鍵なんかかけないし、不用心もくそもない。
 ここの老夫婦の大家に、自分がこの部屋を借りる時にも同じような事を言われ、笑って、大丈夫ですよ、と返したのを思い出す。その老夫婦なら分かるが、上忍であるカカシが分かり切っている事を言うのが信じられなくて、何て答えたらいいのかも分からなくなる。
 呆れ混じりに、何言ってるんですか?と聞き返したら、カカシはまた眉根を寄せた。白い頬が微かに赤く染まっていて、それも何でだろうと思った時、カカシが自分の口布を下ろす。顔を近づけ、そのまま唇を塞いだ。
 ん、と漏れた声もまたくぐもる。驚いている間にもカカシに舌が入り込み、油断していた口内に侵入する。自分の舌にカカシの舌が絡み、イルカは身震いした。緩くなった口に我が物顔でカカシが荒らし、とろとろになった唾液がくちゅりと音を立てる。カカシがゆっくりと口を離した。潤んだ黒い目で見上げると、カカシが眉根を寄せたままじっとイルカを見つめ、そして再び口を塞ぐ。
「こんなに無頓着なのに、俺に見られたら恥ずかしいとか、先生、何言ってるか分かってる?」
 キスの合間にそう言われるも、間違った事を言ったつもりはなくて。ぼんやりとしてきた思考にどう返したらいいのか分からない。ただ、キスを受け入れていれば、カカシの手がするりと上着の中に入り込み、イルカは閉じていた目を開けた。驚き身を固くするも、カカシの手は難なく上に肌の上を這うように動き、背中に回る。背中のホックを器用に外され、イルカは思わず唇を浮かせた。
 待って、と言おうとしたが、カカシの指が胸の先端に触れ、イルカは声を漏らす。
「それに、さっきもこんな格好で出てきて。俺じゃなかったら、どうするの?」
 こんな格好とはどういう格好の事なのか。そう考える間にも首もとをねろりと舐められ、軽く吸われ、カカシの言葉が聞こえてはいたが頭に入るのが遅れる。というかそれどころじゃなくなっていた。
 冗談のつもりかと思ったのに。カカシは途中でやめる気配もない。
「カカシさ、まっ、」
 言う間に上着を捲り上げられ、胸が露わになる。カカシが柔らかい胸に手を添えながら先端を口に含み、ん、とイルカは短く声をまた漏らした。指だけで赤く固くなったそれを口に含まれちゅうちゅうと吸われ、それだけで体がびくびくと反応する。
 まだ日が明るい中、胸をはだけさせられ、胸を吸われている。久しぶりのカカシのキスは甘くて、気持ちよくて、愛撫もまたカカシに触れられるだけで体の奥がじんじんと疼く。力が抜けた体に、ズボンにカカシのもう片方の手がかかる。下着ごとずり下げられた。
 キスをされたままカカシの固くて長い指が太股からその奥に入り込む。確かめるように触られ、その指がゆっくりと入り込むの感触に目眩がした。
「濡れてる・・・・・・」
 ぼそりとカカシが呟き、イルカの顔がさらに赤く染まる。恥ずかしさと快楽と、会えてこうして触れてもられる嬉しさと、感情がごちゃ混ぜになり泣きそうになっているイルカを見つめ、カカシが微笑む。先生も入れて欲しかったんだね、そう言われ、ちが、と言いながら、また泣きたくなるくらい恥ずかしくなった。
「まだ、お風呂に入ってないから、」
「いいじゃない。俺は気にしない」
 それに、このままじゃ先生も辛いでしょ?耳元で低い声で囁かれ、背中が震えた。
 濡れて柔らかくなったそこにカカシの指が二本難なく入り込み、ぬるりとした舌が赤く固くなった乳首の先をねぶる。濡れた音が部屋に響き、内壁を指が擦る快感に目潤んだ。イルカはぎゅっとその目を閉じる。頬は燃えるように熱い。カカシの首に自分の腕を回し、
「はい」
 とか細い声でそう答えた。

 すっかり日も暮れた後、イルカは布団の中にいた。体中が怠い。怠いが心地良い倦怠感だった。呼吸は既に整っているものの、額にはまだうっすらと汗が滲んでいる。
 カカシは一度イルカの中で果てたが、それだけではおさまらなかったのかイルカの体を離さなかった。そろそろ起きて洗いかけの風呂を綺麗にしたいし、夕飯の支度もしたい。
 せっかく早く上がれたと言うのに、気がつけばいつもと同じような時間になってしまっている。それが少し勿体なく感じ、ため息を吐き出すと背中から抱き込むように腕を回していたカカシがもぞりと動いた。
「どうしたの?」
 うとうとしていたのか、カカシはいつもよりものんびりとした口調だった。どうしたのと言われたら、言いたい事はたくさんある。今日カカシが帰ってくるとは思わなかったし、こんな風になるなんて思わなかった。でも。
 カカシに押し倒される前に言われた事を思い返してみるも、結局、何がきっかけでこうなってしまったのか分からない。
 疲れているカカシが満足しているならそれでいいか、と思えてきてしまう。イルカは再び息を吐き出し、何でもありません、と答えた。
 それをどう捉えたのか分からないけど、それを聞いたカカシは、うん、とだけ返事をし、寝息を立て始める。
 カカシが気を許して寝ている。
 これだけの事がひどく幸せに感じた。
 不安なのは変わらないし、先の事は分からないが、今幸せならそれでいい。
 そう思ったイルカもまたゆっくりと目を閉じた。


<終>


 
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