happy day
イルカはぼんやりと縦肘をついて、職員室の自分の席で窓の外を眺める。
最初、はたけカカシは凄い忍だと言う漠然とした印象しかなかった。暗部にいたという噂も聞くし風貌からしてその噂に聞く通り凄い忍である事には間違いがない。
ただ、他の上忍師とは違いそこまで感情を表に出さないし口にする言葉も少ないから、それに合わせて少し距離を置いていた。というかそうすべきなんだろうな、と思っていた。
だけどある日、たまたま任務帰りの七班に遭遇しナルトからカカシが今日誕生日なんだと知らされて。何気なくナルトを誘うようにカカシをラーメンに誘った。
乗り気ではないだろうし、断られるとばかり思っていた。でも、イルカの誘いを聞いたカカシは少し驚いた顔をした後、うん、と頷いた。そして一緒に歩き出す前にイルカを見つめにこりと微笑んだ。何故かその顔を、その表情を見入ってしまった。
そこで初めて、カカシが愛想が悪いと感じていたのは、カカシの高名な名前から、そうなんだと勝手に自分が思いこんでしまっていたからだと知った。
だってあんな人懐こい笑顔を向けてくるなんて夢にも思わなかったから。
まあ、それから。自分からカカシに声をかけるようになって。会話も増えて。それが自分がカカシを意識していたからって言うのは後になって気がついた。
イルカはむず痒さを覚えながら、窓の景色から机の上へ視線を戻した。
自分でも自分の事は鈍いと思っていたが。
これは相当だ。
同性である故、何度も意識的に違うと打ち消していた。でも自分がカカシに惹かれていると思い知らされたのは去年のバレンタインデーの日。
見目麗しい女性達に山ほどチョコをもらっていたのを目にした時。胸が痛くなった。すげえな、と思うより先にその光景を見たくなくて視界から外していた。
その時のカカシの表情が何故か目に焼き付いて離れなかった。困った顔をしながらも、眉を下げ苦笑いを浮かべていて。女性達の審美眼は恐ろしいくらい確かなもので、カカシの覆面の下が整っている事は既にお見通しなのだろう(実際自分はカカシの素顔を目にするまでこんなに整った顔をしているとは気が付かなかった)。
そう、ーーあの人は優しい。だからきっと冷たく突っぱねる事もしない。カカシの女性の好みなんて知らないが、その中で少しでもいいな、と思うような女性がいたら。その女性がアタックしてきたら。カカシは頷くのかもしれない。
そう思ったら気分が重くなる。
そこでようやく、自分がカカシにどんな気持ちを抱いているのか、思い知らされた。
そしてその日運悪くと言えばいいのか、仕事帰りに、山ほどのチョコを持ったカカシにばったりと会い、食事に誘われ。頷くも胸中は複雑だった。
当たり前だが何も知らないカカシは貰ったチョコを話題にする。心底困ったその口調に、チョコを渡した女性達に申し訳ないがホッとした。だけど、叶わない想いを抱いてしまっている自分が心底馬鹿だと感じた。
目の前のカカシは楽しそうで。自分の口にした言葉に声を立てて笑う。でもそれは自分がナルトと繋がりのある元担任だからで。話しやすいのも手伝っているからで。それ以上でもそれ以下でも何でもない。
時々一緒に酒を酌み交わす関係。それを壊す事は到底出来なかった。
ーーそれであれだ。
イルカは思い出した事に職員室で重いため息を吐き出す。
今年のバレンタイン、カカシにチョコを渡した。とは言っても前述の通りで堂々と渡せるわけがない。
でも、渡したいと。バレンタインが近づくにつれ商店街中で展開されていたうたい文句を毎日眺めていたら、こっそり渡せばいいんじゃないのかと、そう思ってしまったのだ。それくらいは許されるのではないのかと。
そう思ってしまった自分はつくづく単純だと思う。
自己嫌悪に再びため気を吐き出し、イルカは意味もなく机に広げられたままの書類に目を落とした。
そして馬鹿だ。
バレなかったから良かったものの。
あんな事をして、相手は上忍でありトップクラスの忍だ。気がつかれでもしたら、どうなるかくらい分かっていたのに。
それに相手の気持ちも考えないであんな事をするなんて。そこらのカカシにチョコを渡していた女性より、自分の方がよっぽど質が悪い。
自己嫌悪に陥るが、もう渡した後で後悔しようが後の祭りだ。
一人職員室で残業しながら、イルカは手に着かないまま広げられた書類を、ぼんやりと眺めた。
ただ、カカシがいつも通りだった事は幸いだった。
最近任務要請が増え忙しそうにはしているが、この前久しぶりに廊下で顔を合わせた時に、カカシはニコリと目を細め微笑んだ。
その場では自分もカカシに笑顔で会釈を返しただけに留まったが、その後受付に顔を出したカカシに食事に誘われた。それだけで内心舞い上がったのは内緒だ。
改めて単純だと思う。
カカシの自分に向けられる笑顔に、そして食事を誘うことは、カカシにとって何でもないって事なんだと。何度も自分に言い聞かせてきた事だ。
(でも。あれは反則だよな)
定時を過ぎ、イルカは一人建物の外に出て歩きながらカカシのあの表情を思い出して密かに頬を染めた。
女性だったら勘違いしてもおかしくはない。いや、勘違いする。
ただの知り合いである自分でさえ、勘違いするくらいなのだ。
数日前、ホワイトデーだった。
そして、そわそわしていたり、お返しをもらいはしゃいでいる子供達を見ながら、関係ないのに何故か自分も少しだけそわそわした気持ちになって可笑しくなった。
ただここ数日カカシが任務で里を出ている事を知っていたから、そこで関係なく安堵した。カカシは貰った女性にお返しをあげたりするかは知らないが、そんなところは目撃したくない。
去年は、上忍仲間のくノ一が飯を奢れってうるさいんだよね、とカカシがぼやいていたのを思い出す。
正直、それでもカカシと飯を一緒に食べれるのは羨ましい。
心を許す女性の前ではどんな顔をするのだろうか。
そこまで思って、イルカは馬鹿らしく感じ小さく笑いながら頭を振る。
そう、どんなやり方であれ自分はカカシにチョコを渡したのだ。それだけで、もう十分だと自分に言い聞かせた。
「ごめんね、待った?」
自分より少しだけ遅れてきたカカシがイルカの横のカウンター席に座る。
少しだけ緩むカカシの目元に、優しい口調に、勝手に心臓がどくんと跳ね、同時にその優しさに胸が痛くなる。いえ、とイルカは首を振った。
頼んでいたホッケの一夜干しがテーブルに置かれる。以前も二人で頼んだ事のあるそのホッケには、皿にレモンが添えられている。そのレモンをカカシが片手で絞りながら、そういえばさ、と口を開いた。
「ホワイトデーは誰かにお返しとかあげたの?」
心臓が嫌な音を立てた。
よりによって一番触れて欲しくなかった話題に、心臓がそこから駆け足になりそうで。それを抑えたくてイルカはゆっくりと口を結んだ。
何も問題はない、話題はホワイトデーなのだ。それに、横顔を見る限りカカシは特に自分の内心に気が付いてはいない。絞り終えたレモンを置き、軽くその指をカカシが濡れたお絞りで拭くをの見ながら、イルカ酒でほのかに赤らんだ頬を緩ませ笑顔を作った。
「ええ、確か子供達に飴を」
まあ、いつも持ち歩いてるんですけどね。
笑ってビールを飲むと、カカシもまた表情を緩めた。
「そっか、子供達からたくさんもらってるもんね。じゃあ、誰かにお返しとか貰った?」
「お返しですか?いや、まさか」
イルカは笑った。カカシも微笑んでいる。成立する何気ない会話に内心安堵した時、
「じゃあ誰かにチョコをあげたとか」
思わず笑顔が貼り付きそうになった。ジョッキを持つその手が緊張で汗を掻く。そう言わんばかりで。しかしその質問は既に生徒達から、からかいを含めて聞かれてはいた。
が、今回は相手が違う。
イルカは頭を巡らせた。
何でそんな質問をしてくるんだろうと思ってしまうのは、こっそり本人に渡してしまっていると言うやましいところがある為で。視界に映るカカシは何かを勘ぐるような口調でもなく、目の前のホッケを箸で身を取り出している。向けられている質問も、純粋にただ会話の流れで聞いている、そんな感じだ。
大丈夫、と心で唱え一呼吸置く。
「いえ、誰にも。俺にはそんな相手いませんから」
にっこりと笑う。嘘は苦手だ。もとよりカカシの前で気持ちを隠している時点で嘘をついている事にはなるが、それはもうどうにもならない事だって知っている。
それに、もうチョコをカカシに密かに渡したあの時点で気持ちに整理をつけたつもりだった。この関係を崩したくない。そう、自分の気持ちに一区切りをつけた。だから今こうしてカカシと酒を酌み交わす。それだけで幸せだ。
笑顔を浮かべで答えるイルカに、カカシはホッケを食べながら、そっか、と小さく答えた。
「やっぱりこれ、美味いね」
カカシがイルカを見た。ニコリと笑う。
その優しい微笑みが。自分に向けられ、そして隣で見れる事はなによりも嬉しくて。
だからこのままでいいと、再認識しながら安堵する。
イルカもホッケに箸を伸ばした。脂がのっていて、そしてレモンをかけられた身は柔らかくさっぱりしていて、その旨味が口の中で広がる。
イルカも自然笑顔になった。その笑顔をカカシに向ける。
ね?と聞かれ、イルカは満足そうに頷いた。
たかが酒のつまみでも穏やかにそして弾む会話に微笑みながら、二杯目のジョッキがイルカの前に置かれる。
その生ビールを一口飲んだ時、
「ねえ、先生」
と、カカシが口を開きイルカが目線をカカシに向ける。
「どうして諦めるの?」
視線が交わった瞬間、カカシがそう口にした。
とても短い言葉なのに。うまく飲み込むことが出来なくて。口からグラスを浮かせながら、青みがかった目を見つめ返し、瞬きをする。
「あの、・・・・・・諦めるって、何を、」
聞き返すイルカにカカシは縦肘をつきながらじっと見つめ、形のいい薄い唇が開く。
「俺を」
カカシの言葉にイルカの目が驚きに丸くなった。そして、その言葉に一瞬にして頭が真っ白になる
心臓がどくどくと激しく鳴り始めた。
間違って心で思っていた言葉を口に出したはずはない。多少なりとも酔っているのは確かだから、何か滑らせてしまったのか。
額に汗が滲む。
「なんの、・・・・・・話ですか?」
声は震えていなかったのが幸いだった。だがカカシの目を真っ直ぐ目れない。カウンターに視線を落としたイルカをカカシがじっと見ているのが分かった。
「なんの話って、先生もう分かってるでしょ?」
カカシの言葉に更に心臓が早鐘を打つ。なんとか切り抜けたいのに。もう嫌な予感しかしない。だいたいカカシの口から出る次の台詞も分かった。同時に絶望感に襲われる。それだけで逃げ出したい衝動に駆られた。ただ、今このタイミングで逃げ出したところで、何かが解決するわけではない事は分かっていた。
うたた寝していようが上忍が自分の気配に気が付かないはずがなかったのだ。
イルカは、拳を作っていた左手の指先に力を入れた。
「俺ね、すごく嬉しかったんです」
「え……?」
勢いよく顔を上げていた。
「……あ、」
認めると言わんばかりの自分の反応に頬が熱くなった。思わず視線を落とすと、カカシが隣で息を吐き出す音が聞こえ、ますます混乱しカカシの顔が見れなくなる。
と、視界に入ったのは小さな箱だった。金色のリボンがついていて、その箱にカカシの指が添えられている。
激しく動揺しているものの、カカシによって目の前に置かれた箱に思わず眉を寄せていた。
「ホワイトデーに渡したかったけど、任務で渡せなかったから」
カカシの言葉にイルカは顔を上げる。はあ、と間の抜けた返事をした。
まさかお返しを貰えるのは思っていなかったから、嬉しい。
「クッキーです。先生クッキー好き?」
「え、あ、はいもちろんです」
その箱を手に取りこくこくと頷きながら、あれ?と心の中で首を傾げた。
最初のカカシの言葉を思い出しながらよくよく考えると、何か、ーー。
と、隣で、ったく、とカカシがため息混じりに呟いた声が聞こえた。カカシに視線を向けると、縦肘をつきながら少し呆れ気味に、しかし微笑みながらこっちを見ていた。なんかいつもとは違う、ゆるゆるな表情に頬を赤らめながら見つめていると、カカシのもう片方の手がイルカに伸びた。頬をその手の甲と指で触れられ、イルカの目が丸くなった。どきんと心臓が跳ねる。
「勝手に終わらせないでって言ってるの」
少しだけ咎めるような口調に、え、と聞き返すと、
「俺、今までたくさんチョコ貰ったけど、お返しはこれが初めてなんだよ?」
「・・・・・・はあ」
それは尚更有り難い、と素直にその言葉を受け止めれば今度は鼻を摘まれ、ふあ、とイルカは声を出した。
「だから、このお返しはありがとうだけじゃなく、俺もですって意味」
白い頬を赤く染め、明らかに照れた顔で、カカシは言った。そして困った顔でイルカを見る。
俺もです。
(・・・・・・あ・・・・・・)
イルカの中でようやく色々なものが結びつく。
その瞬間、顔が分かりやすいくらいにかあ、と赤く染まった。
カカシもまた恥ずかしそうに、こっちまで恥ずかしくなるからやめてよ、と自分の大きな手のひらでその口元を覆う。
「チョコ渡す度胸はあるくせになんでこんなに鈍いの」
恨めしそうにイルカを見た。
「にぶちん先生」
そう言って、耳まで真っ赤なイルカを見て、目を細め、嬉しそうに笑った。
<終>
最初、はたけカカシは凄い忍だと言う漠然とした印象しかなかった。暗部にいたという噂も聞くし風貌からしてその噂に聞く通り凄い忍である事には間違いがない。
ただ、他の上忍師とは違いそこまで感情を表に出さないし口にする言葉も少ないから、それに合わせて少し距離を置いていた。というかそうすべきなんだろうな、と思っていた。
だけどある日、たまたま任務帰りの七班に遭遇しナルトからカカシが今日誕生日なんだと知らされて。何気なくナルトを誘うようにカカシをラーメンに誘った。
乗り気ではないだろうし、断られるとばかり思っていた。でも、イルカの誘いを聞いたカカシは少し驚いた顔をした後、うん、と頷いた。そして一緒に歩き出す前にイルカを見つめにこりと微笑んだ。何故かその顔を、その表情を見入ってしまった。
そこで初めて、カカシが愛想が悪いと感じていたのは、カカシの高名な名前から、そうなんだと勝手に自分が思いこんでしまっていたからだと知った。
だってあんな人懐こい笑顔を向けてくるなんて夢にも思わなかったから。
まあ、それから。自分からカカシに声をかけるようになって。会話も増えて。それが自分がカカシを意識していたからって言うのは後になって気がついた。
イルカはむず痒さを覚えながら、窓の景色から机の上へ視線を戻した。
自分でも自分の事は鈍いと思っていたが。
これは相当だ。
同性である故、何度も意識的に違うと打ち消していた。でも自分がカカシに惹かれていると思い知らされたのは去年のバレンタインデーの日。
見目麗しい女性達に山ほどチョコをもらっていたのを目にした時。胸が痛くなった。すげえな、と思うより先にその光景を見たくなくて視界から外していた。
その時のカカシの表情が何故か目に焼き付いて離れなかった。困った顔をしながらも、眉を下げ苦笑いを浮かべていて。女性達の審美眼は恐ろしいくらい確かなもので、カカシの覆面の下が整っている事は既にお見通しなのだろう(実際自分はカカシの素顔を目にするまでこんなに整った顔をしているとは気が付かなかった)。
そう、ーーあの人は優しい。だからきっと冷たく突っぱねる事もしない。カカシの女性の好みなんて知らないが、その中で少しでもいいな、と思うような女性がいたら。その女性がアタックしてきたら。カカシは頷くのかもしれない。
そう思ったら気分が重くなる。
そこでようやく、自分がカカシにどんな気持ちを抱いているのか、思い知らされた。
そしてその日運悪くと言えばいいのか、仕事帰りに、山ほどのチョコを持ったカカシにばったりと会い、食事に誘われ。頷くも胸中は複雑だった。
当たり前だが何も知らないカカシは貰ったチョコを話題にする。心底困ったその口調に、チョコを渡した女性達に申し訳ないがホッとした。だけど、叶わない想いを抱いてしまっている自分が心底馬鹿だと感じた。
目の前のカカシは楽しそうで。自分の口にした言葉に声を立てて笑う。でもそれは自分がナルトと繋がりのある元担任だからで。話しやすいのも手伝っているからで。それ以上でもそれ以下でも何でもない。
時々一緒に酒を酌み交わす関係。それを壊す事は到底出来なかった。
ーーそれであれだ。
イルカは思い出した事に職員室で重いため息を吐き出す。
今年のバレンタイン、カカシにチョコを渡した。とは言っても前述の通りで堂々と渡せるわけがない。
でも、渡したいと。バレンタインが近づくにつれ商店街中で展開されていたうたい文句を毎日眺めていたら、こっそり渡せばいいんじゃないのかと、そう思ってしまったのだ。それくらいは許されるのではないのかと。
そう思ってしまった自分はつくづく単純だと思う。
自己嫌悪に再びため気を吐き出し、イルカは意味もなく机に広げられたままの書類に目を落とした。
そして馬鹿だ。
バレなかったから良かったものの。
あんな事をして、相手は上忍でありトップクラスの忍だ。気がつかれでもしたら、どうなるかくらい分かっていたのに。
それに相手の気持ちも考えないであんな事をするなんて。そこらのカカシにチョコを渡していた女性より、自分の方がよっぽど質が悪い。
自己嫌悪に陥るが、もう渡した後で後悔しようが後の祭りだ。
一人職員室で残業しながら、イルカは手に着かないまま広げられた書類を、ぼんやりと眺めた。
ただ、カカシがいつも通りだった事は幸いだった。
最近任務要請が増え忙しそうにはしているが、この前久しぶりに廊下で顔を合わせた時に、カカシはニコリと目を細め微笑んだ。
その場では自分もカカシに笑顔で会釈を返しただけに留まったが、その後受付に顔を出したカカシに食事に誘われた。それだけで内心舞い上がったのは内緒だ。
改めて単純だと思う。
カカシの自分に向けられる笑顔に、そして食事を誘うことは、カカシにとって何でもないって事なんだと。何度も自分に言い聞かせてきた事だ。
(でも。あれは反則だよな)
定時を過ぎ、イルカは一人建物の外に出て歩きながらカカシのあの表情を思い出して密かに頬を染めた。
女性だったら勘違いしてもおかしくはない。いや、勘違いする。
ただの知り合いである自分でさえ、勘違いするくらいなのだ。
数日前、ホワイトデーだった。
そして、そわそわしていたり、お返しをもらいはしゃいでいる子供達を見ながら、関係ないのに何故か自分も少しだけそわそわした気持ちになって可笑しくなった。
ただここ数日カカシが任務で里を出ている事を知っていたから、そこで関係なく安堵した。カカシは貰った女性にお返しをあげたりするかは知らないが、そんなところは目撃したくない。
去年は、上忍仲間のくノ一が飯を奢れってうるさいんだよね、とカカシがぼやいていたのを思い出す。
正直、それでもカカシと飯を一緒に食べれるのは羨ましい。
心を許す女性の前ではどんな顔をするのだろうか。
そこまで思って、イルカは馬鹿らしく感じ小さく笑いながら頭を振る。
そう、どんなやり方であれ自分はカカシにチョコを渡したのだ。それだけで、もう十分だと自分に言い聞かせた。
「ごめんね、待った?」
自分より少しだけ遅れてきたカカシがイルカの横のカウンター席に座る。
少しだけ緩むカカシの目元に、優しい口調に、勝手に心臓がどくんと跳ね、同時にその優しさに胸が痛くなる。いえ、とイルカは首を振った。
頼んでいたホッケの一夜干しがテーブルに置かれる。以前も二人で頼んだ事のあるそのホッケには、皿にレモンが添えられている。そのレモンをカカシが片手で絞りながら、そういえばさ、と口を開いた。
「ホワイトデーは誰かにお返しとかあげたの?」
心臓が嫌な音を立てた。
よりによって一番触れて欲しくなかった話題に、心臓がそこから駆け足になりそうで。それを抑えたくてイルカはゆっくりと口を結んだ。
何も問題はない、話題はホワイトデーなのだ。それに、横顔を見る限りカカシは特に自分の内心に気が付いてはいない。絞り終えたレモンを置き、軽くその指をカカシが濡れたお絞りで拭くをの見ながら、イルカ酒でほのかに赤らんだ頬を緩ませ笑顔を作った。
「ええ、確か子供達に飴を」
まあ、いつも持ち歩いてるんですけどね。
笑ってビールを飲むと、カカシもまた表情を緩めた。
「そっか、子供達からたくさんもらってるもんね。じゃあ、誰かにお返しとか貰った?」
「お返しですか?いや、まさか」
イルカは笑った。カカシも微笑んでいる。成立する何気ない会話に内心安堵した時、
「じゃあ誰かにチョコをあげたとか」
思わず笑顔が貼り付きそうになった。ジョッキを持つその手が緊張で汗を掻く。そう言わんばかりで。しかしその質問は既に生徒達から、からかいを含めて聞かれてはいた。
が、今回は相手が違う。
イルカは頭を巡らせた。
何でそんな質問をしてくるんだろうと思ってしまうのは、こっそり本人に渡してしまっていると言うやましいところがある為で。視界に映るカカシは何かを勘ぐるような口調でもなく、目の前のホッケを箸で身を取り出している。向けられている質問も、純粋にただ会話の流れで聞いている、そんな感じだ。
大丈夫、と心で唱え一呼吸置く。
「いえ、誰にも。俺にはそんな相手いませんから」
にっこりと笑う。嘘は苦手だ。もとよりカカシの前で気持ちを隠している時点で嘘をついている事にはなるが、それはもうどうにもならない事だって知っている。
それに、もうチョコをカカシに密かに渡したあの時点で気持ちに整理をつけたつもりだった。この関係を崩したくない。そう、自分の気持ちに一区切りをつけた。だから今こうしてカカシと酒を酌み交わす。それだけで幸せだ。
笑顔を浮かべで答えるイルカに、カカシはホッケを食べながら、そっか、と小さく答えた。
「やっぱりこれ、美味いね」
カカシがイルカを見た。ニコリと笑う。
その優しい微笑みが。自分に向けられ、そして隣で見れる事はなによりも嬉しくて。
だからこのままでいいと、再認識しながら安堵する。
イルカもホッケに箸を伸ばした。脂がのっていて、そしてレモンをかけられた身は柔らかくさっぱりしていて、その旨味が口の中で広がる。
イルカも自然笑顔になった。その笑顔をカカシに向ける。
ね?と聞かれ、イルカは満足そうに頷いた。
たかが酒のつまみでも穏やかにそして弾む会話に微笑みながら、二杯目のジョッキがイルカの前に置かれる。
その生ビールを一口飲んだ時、
「ねえ、先生」
と、カカシが口を開きイルカが目線をカカシに向ける。
「どうして諦めるの?」
視線が交わった瞬間、カカシがそう口にした。
とても短い言葉なのに。うまく飲み込むことが出来なくて。口からグラスを浮かせながら、青みがかった目を見つめ返し、瞬きをする。
「あの、・・・・・・諦めるって、何を、」
聞き返すイルカにカカシは縦肘をつきながらじっと見つめ、形のいい薄い唇が開く。
「俺を」
カカシの言葉にイルカの目が驚きに丸くなった。そして、その言葉に一瞬にして頭が真っ白になる
心臓がどくどくと激しく鳴り始めた。
間違って心で思っていた言葉を口に出したはずはない。多少なりとも酔っているのは確かだから、何か滑らせてしまったのか。
額に汗が滲む。
「なんの、・・・・・・話ですか?」
声は震えていなかったのが幸いだった。だがカカシの目を真っ直ぐ目れない。カウンターに視線を落としたイルカをカカシがじっと見ているのが分かった。
「なんの話って、先生もう分かってるでしょ?」
カカシの言葉に更に心臓が早鐘を打つ。なんとか切り抜けたいのに。もう嫌な予感しかしない。だいたいカカシの口から出る次の台詞も分かった。同時に絶望感に襲われる。それだけで逃げ出したい衝動に駆られた。ただ、今このタイミングで逃げ出したところで、何かが解決するわけではない事は分かっていた。
うたた寝していようが上忍が自分の気配に気が付かないはずがなかったのだ。
イルカは、拳を作っていた左手の指先に力を入れた。
「俺ね、すごく嬉しかったんです」
「え……?」
勢いよく顔を上げていた。
「……あ、」
認めると言わんばかりの自分の反応に頬が熱くなった。思わず視線を落とすと、カカシが隣で息を吐き出す音が聞こえ、ますます混乱しカカシの顔が見れなくなる。
と、視界に入ったのは小さな箱だった。金色のリボンがついていて、その箱にカカシの指が添えられている。
激しく動揺しているものの、カカシによって目の前に置かれた箱に思わず眉を寄せていた。
「ホワイトデーに渡したかったけど、任務で渡せなかったから」
カカシの言葉にイルカは顔を上げる。はあ、と間の抜けた返事をした。
まさかお返しを貰えるのは思っていなかったから、嬉しい。
「クッキーです。先生クッキー好き?」
「え、あ、はいもちろんです」
その箱を手に取りこくこくと頷きながら、あれ?と心の中で首を傾げた。
最初のカカシの言葉を思い出しながらよくよく考えると、何か、ーー。
と、隣で、ったく、とカカシがため息混じりに呟いた声が聞こえた。カカシに視線を向けると、縦肘をつきながら少し呆れ気味に、しかし微笑みながらこっちを見ていた。なんかいつもとは違う、ゆるゆるな表情に頬を赤らめながら見つめていると、カカシのもう片方の手がイルカに伸びた。頬をその手の甲と指で触れられ、イルカの目が丸くなった。どきんと心臓が跳ねる。
「勝手に終わらせないでって言ってるの」
少しだけ咎めるような口調に、え、と聞き返すと、
「俺、今までたくさんチョコ貰ったけど、お返しはこれが初めてなんだよ?」
「・・・・・・はあ」
それは尚更有り難い、と素直にその言葉を受け止めれば今度は鼻を摘まれ、ふあ、とイルカは声を出した。
「だから、このお返しはありがとうだけじゃなく、俺もですって意味」
白い頬を赤く染め、明らかに照れた顔で、カカシは言った。そして困った顔でイルカを見る。
俺もです。
(・・・・・・あ・・・・・・)
イルカの中でようやく色々なものが結びつく。
その瞬間、顔が分かりやすいくらいにかあ、と赤く染まった。
カカシもまた恥ずかしそうに、こっちまで恥ずかしくなるからやめてよ、と自分の大きな手のひらでその口元を覆う。
「チョコ渡す度胸はあるくせになんでこんなに鈍いの」
恨めしそうにイルカを見た。
「にぶちん先生」
そう言って、耳まで真っ赤なイルカを見て、目を細め、嬉しそうに笑った。
<終>
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