春の雨

気分が優れない。そんな風に思いながらも今日も教壇に立って、授業を行った。
その授業も終わり、職員室に向かいながらイルカはため息を吐き出す。
あれは忘れもしない、まだ冬の寒さ残る春の日だった。
 一緒にお昼でもどうです?
上忍師に就いて間もない男。はたけカカシそう声をかけてきた時、イルカは授業を終えて職員室に向かう途中だった。
最初から掴めないような人だと思っていた。それに相手は格上の上忍で、あの手を焼いた生徒の新しい師になった男。
上手くつき合っていこうとは思っていたが。
急に誘われた言葉に、イルカは一瞬戸惑った。
警戒した顔を見せてしまったのだろうか。カカシはすぐに露わな右目を緩ませた。
「ちょうどね、新しい店が出来たんですよ。だから、どうかなって」
「はあ」
俺奢りますから。
まだ戸惑ったままのイルカを前にそう付け加えた。
「...いいんですか?」
申し訳なさそうにイルカが聞き返すと、それを承諾と取ったのか。カカシは嬉しそうに微笑んだ。
「はい。勿論です」

カカシに連れられて行ったのは、自分が予想もしていなかった上品な割烹料理の店だった。
当たり前のよう個室に通される。自分が通っているような安い居酒屋の座敷とは比べものにならない。い草の良い香りもするが、慣れない空気には違いなかった。
新しくランチも始めて、評判もいいらしいんですよ。
ニコニコしながら言うカカシは、イルカの青い顔に気がつく。
「イルカ先生?」
「いや、何か高そうな店なんで。ちょっと、」
カカシはおしぼりで手を拭きながら、不思議そうな顔をした後、カカシは笑った。
この人が笑う事があるんだと、少し驚いた。
いつもは確かにニコニコしてるけど、見えない部分がたくさんありすぎて。いや、忍びだからそれは間違った事ではないが。自分とは真逆な人間だと思っていたのだ。
カカシは笑った後、イルカを優しそうに見つめる。
「俺が奢るっていったのに、イルカ先生は真面目なんだね」
「あ、いや...確かにそうですけど」
(優しい人なんだ...)
今まで知らなかっただけで、彼の事を誤解していたのかと、申し訳なくなりながら、もごもごと口を動かしている間に料理が運ばれてくる。
最近出来た店だが、里でも高いが上手いと人気の店なのは知っていた。実際に目の前に置かれた料理は見た目だけでも上手そうで、イルカは思わず、目を丸くして、わあ、と声をだしてしまっていた。
「すみません」
うっかり声が出てしまった恥ずかしさに謝れば、カカシは目元を緩め、いいえ、と返事をする。
格下である自分への丁寧な態度に、イルカはまた頭が下がる思いがした。
これなら気軽にこれから声をかけることが出来るのかもしれない。
しかも当たり前のように料理が美味しい。
箸を休ませる事なくイルカは食べ進める。対面に座っていたカカシにふと顔を向けると、ずっとこっちを見ていたのか箸さえそのままに置かれている。ニコリと微笑まれた。
その通り、カカシは料理に手をつけていない。
「カカシさんは...食べないんですか?」
「うん。実はね、俺朝遅かったから。そこまでお腹空いてないんです」
「え、じゃあ」
なんで店に誘ったんだろう。しかもこんな高級な店。
戸惑うイルカに、カカシは続ける。
「実はね、ここの膳は詰め折りに出来るんですよ。なので俺は後でもらいます」
「そう...ですか」
食べるイルカを縦ひじ突いたまま優しく見つめ、イルカは全て食べ終えた。
「ごちそうさまでした」
イルカは飯粒一つも残さずに平らげ、手を合わせる。
ずっと見られているのは気になったが、それよりここの料理が美味しくて。満腹感に幸せに浸る。
にしても、なんでそんなこっちを見てくるのだろうか。
最後に出されたお茶を飲みイルカは一息つくも、やはりカカシの視線が気になった。
「ねえ先生」
「はい」
湯飲みを両手で持ちながら顔を上げる。
露わな右目が優しく自分を見つめている。
名前を呼ばれて見つめられる。それだけなのに。素顔を見た訳じゃないが、女性にモテるんだろうな、と思った。
「俺とつき合ってくれませんか」
真っ直ぐ面と向かって言われた言葉は、イルカの耳には入ったが、脳内でどう解釈したらいいのか。しばらくきょとんとしたままだった。
取りあえず、とイルカは湯飲みをテーブルに置く。
「あの、つき合うって。どういう事でしょうか」
聞き直すしかない。姿勢を正してイルカは素直に問うと、カカシは目を細めて小さく笑った。
「イルカ先生が好きなんです。俺とつき合って欲しいの。恋人として」
「え、...」
最後の言葉は、決定的だった。意味が分かるが、一瞬頭の中が真っ白になる。同時にじわじわと動揺が広がる。
そこから複雑な気持ちにイルカは眉を寄せていた。
自分はノーマルだ。同性なんてそんな対象として一度たりとも考えた事もない。
カカシの言葉に嫌な事を思い出す。ノーマルの自分に、昔数回任務を共にした上忍から、告白された事があった。
勿論断った。同時にイルカは酷く傷ついた。尊敬して心を許していた相手にそんな風に見られていたのかと。
沸き起こったのは怒りと嫌悪感。イルカはそれからその上忍を避けた。正直顔も会わせたくなかった。
裏切られたような気持ちがずっとイルカを支配していた。
あれは未だに自分にトラウマのように心に残っていて忘れられなかった。そこから教師の道を選んで、何事もなく職場の先輩や同僚、後輩に囲まれながら生活をしてきて。
まさか、カカシにこんな気持ちを告白されるなんて。
昔の思い出したくない嫌な気持ちが、鮮明に自分を支配していた。
自分に優しくしたのは、自分の事をそんな目で見ていたから。
さっきまでのカカシに向けた気持ちが一気に崩れる。
(...ああ、この人はあれだ。やばい人だ)
そうイルカは心に決定づける
同性相手に恋心を抱くなんて、気持ち悪い。
表情が分かりやすい暗いに変わったのを見て、カカシは眉を下げた。
「ごめんね、突然でびっくりしたよね」
びっくりなんてものじゃない。
本当に、がっかりだ。
虚ろな表情でそんなカカシを見つめて、視線をテーブルに落とす。
「...イルカ先生?」
黙ったイルカにカカシが声をかける。
イルカはちらとカカシへ顔を向けた。
「すみません。俺、そういう気は全くないんで」
失礼します。
頭を下げイルカは立ち上がると、カカシに振り返る事なくその部屋を出て店を後にした。

一般職よりこの世界には多いとは思っていたが。
まさかカカシもそうだったなんて。
もうあの人ともあまり関わらないようにしよう。
それに、あんな冷たくあしらったのだ。カカシも自分の気持ちは嫌と言うほど分かったはず。近づいて来るわけがない。
優しく微笑むカカシの笑顔がふと脳裏に浮かぶ。
イルカは歩きながら、沈んだ表情でため息を吐き出した。
(忘れよう)
重くなる気持ちを切り替えるように、イルカは大股でアカデミーへ足を向けた。
もうすぐ昼休みが終わろうとしていた。

「おはようございます。イルカ先生」
翌日、そう受付で声をかけられた時は、本当に驚いた。
あれ、昨日の事は夢だったか。
そう思えたくらいに、カカシは今までと変わらない爽やかな笑顔を自分に向けている。
首を傾げるしかなかった。
「...おはようございます」
自分の前にきたカカシはニコリと微笑む。
「昨日はすみませんでした。びっくりさせて」
夢じゃなかった。
その台詞に一気に現実に引き戻される。
「ねえ、今度一緒に飲みに行きませんか?」
にこやかな笑顔が自分に向けられる。
イルカの顔はひきつった。
信じられない。
昨日断ったのに。
「いや、...俺はちょっと、」
断りの言葉に、カカシは少し残念そうな顔を浮かべる。
「そうですか。じゃあまた」
カカシはそう言って背を向ける。
周りに人がいようが関係ない。イルカは眉を寄せたまま盛大にため息を吐き出した。
その後も、何かいもカカシはイルカを誘い、話しかけてきた。
ある意味ガッツがある人だと半ば呆れ気味に関心さえしたが、自分の気持ちがそう簡単に変わるはずがない。
無理だ。
自分が冷たくしていると、カカシもいい加減気がついているはずなのに。
どうして諦めてくれないんだろうか。
もしかして鈍感な人なんだろうか。
あの時はっきり断ってさえいるのに。
それなのに、優しい態度のまま自分接してくるカカシは本当に不思議だった。
物腰柔らかいカカシを見ると、自分が悪い事してるんじゃないかと、そんな気さえしてきてしまう。しかし、気持ちが少しもないのに、それらしい態度なんて出来るはずがない。
イルカは自分の態度を変えずに一貫する事を選んだ。

イルカは職員室に着いて自分の席に着く。
教材を脇に置いて、採点をすべく答案を出した。
リズムよく赤ペンで採点をしながら、カカシの事を考えていた。
不思議な人だ。
何の特徴もない、どこにでもいる中忍の男だというのに。なぜカカシは自分の事を交際する対象なんかに出来るんだろうか。
凄腕の上忍で、稼ぎだっていい。顔もきっと悪くない。だったら普通女性が寄ってこない訳がない。
正直、自分は女性にさえモテた事がない。
それを考えると首をひねるばかりだった。
いい加減食事や飲みに行く誘いを受けた方がいいのだろうか。
一回くらい。
そこでもう一度、こんな事はやめてくれと言ったら、カカシは諦めるのかもしれない。
その時、カカシはどうするのだろうか。どんな顔をするのだろう。
イルカはペンを走らせながら、そんな事をぼんやり考えた。

採点を終えイルカは帰り支度を整えてアカデミーを出た。
どんよりとした灰色の雲が空を覆っている。丸で自分の心の中のようだ。苦笑しながら商店街へ向かった。
買い物を済ませて自宅に向かって歩いてすぐ雨が降り出す。降るのは夜だと思っていたのに。イルカは雨の中走り出した。走りながら、少し先にいるのがカカシだと気がついた。
(う...)
それだけで勝手に気持ちが構えてしまった。イルカは足を止めカカシの背中を見つめる。
カカシはいつものように片手をポケットに入れたまま猫背で歩いていた。傘も差さずに。
カカシも商店街の帰りなんだろうか。いや、手には何も持っていない。
じゃあ、きっと任務の帰りなのだろう。報告に行くのか、それとも自宅へ向かっているのか。
自宅はこっちなのかな、と考えを及ばせ、首をふるふると振る。
自分には関係のない事だ。
しかし、雨が降り出しているのにも関わらず、カカシは走ることもせず、歩いている。しかも、歩調がゆっくりしている。イルカは歩いてみたが、普通に歩いていれば、自分がすぐにカカシに追いついてしまう。
それは避けたいと、イルカも少し歩調を緩めて。
じっとカカシの背中を見つめた。
やはり、いつもと何かが違うような気がする。
雨の中あんなにゆっくりと。
そんな事が気になる自分は、やっぱりお節介な人間だと思い知らされる。だって、気になると言えど、相手はあのカカシだ。気にする必要なんかないはずなのに。
でも。
イルカは意を決するように、短く息を吐き出す。そこから、緩めていた歩調を早め、カカシに向けた。
「あの...」
そう声をかけて、カカシをのぞき込む。
眠そうな目がイルカへ向いた。少し驚いた顔をして、直ぐに小さくにこと微笑んだ。
「ああ、イルカ先生」
もう帰り?
お互い雨に濡れながら呑気そうに言われた言葉に驚いた。
しかし、そう続けるカカシは、明らかに元気がない。イルカはじっとそんなカカシを見つめた。どうしたのだろうか。
「どこか具合でも悪いんですか?」
元々色が白い人だ。しかし、少し普段よりも顔色が悪い。
「え?そうかな。別に大丈夫ですよ」
心配そうに聞くイルカに、カカシは薄い微笑みを浮かべてそう答えた。
そう言われても。
カカシの大丈夫と言うのだから、そのまま帰る道を選んでもいいのだが。
やめればいいとは思うのに。イルカはまた口を開いた。
「失礼ですが、カカシさん。熱がありますよね」
「え?あー...まあ、そうかもしれないですね」
にへらと微笑まれる。イルカは眉を寄せた。
「かもって」
「ああ、そうか。熱があるんだ。だからなんかいつもより歩きにくいなあって思ってたんですよ。...あ、ほら、俺って実は風邪引いた事なくて」
あははと笑う。カカシのその笑い方にイルカは呆れた。
「歩きにくいって」
「でも、まあ。大丈夫です。雨も降ってるし、イルカ先生早く家に帰らないと、風邪引いちゃうよ?」
「でも、」
自分の事より人の心配をしてくるカカシに、戸惑った。
大の大人が大丈夫と言うのだから大丈夫だろう。
しかし。
関係ないのない自分が見て、カカシの体調に気がつくくらいなのに。当の本人のカカシは全く気がついていない様子だ。
少しイルカは心配になった。
「じゃあ、これで」
ふらりと歩き出したカカシの歩みが余りにも頼りなくて、イルカは反射的に支えようと手を差し出した。
ただ、それだけだったのに。
掴もうとした腕が、凄い勢いで遠のいた。
避けられた。
俊敏なのは当たり前だろう。忍びなのだ。
しかし、カカシが自分に触れられるのを避けたような動きに驚き、そこからカカシを見ると、もごもごとそんなイルカを見て口を開いた。
「あー、えっと....ごめんね、心配かけて。でもほら、大丈夫だから」
そんなはずはないだろうなのに。
イルカはその明らかな嘘をつくカカシを呆然を見ていた。言いよどみながらカカシは続けた。
「だって...俺を触るの、嫌かなって」
申し訳なさそうに、悲しそうに微笑みながら。カカシは言った。
頭をガンと打たれたような衝撃が走った。
やはり、カカシは自分が避けたり、冷たくしていた事に気がついていたのだ。
今まで自分がしてきた事や自分の気持ちを、カカシは分かっていた。
そんな言い方しなくたっていいじゃないですか。
そう怒ってもいいのかもしれない。でも言えない。
そんな風にさせたのは自分なのだ。
「カカシさん」
名前を呼ぶと、ん?と聞き返すカカシを見つめながら、口を開く。
「俺の家は直ぐそこなんです」
「...そうですか」
「雨足も強まっていますし、そこで、少し休んでいってください」
「....え?」
カカシは目を見開いた。
「よく効く風邪薬もあります。なので、どうぞ」
はっきりと、言い切る。
カカシは戸惑いを含みながら、暫く考え込み。強い意志を持っているイルカの瞳を見つめながら、まだ戸惑いの表情を変えずに、小さく頷いた。

部屋に着くと、カカシを奥にある寝室へ移動させ、さすがにそのままの濡れた格好では寝かせられない。バスタオルを渡し、自分の部屋着に着替えたらベットで休むよう言い、イルカも脱衣所で服を着替える。タオルで頭を拭きながら、そこからキッチンへと向かった。
食べるものを用意して薬を飲んでもらおう。
正直、自分のやっている事に驚いていた。
カカシを家に招いたのは勢いだった。
あんな風に避けられると、思っていなかった。そして、あの表情。
悲しそうに微笑んでいるのを見たら、自分が酷いことをしていたんだと、思った。
馬鹿みたいな事をしていると思う。
そんな自分に苛立ちもする。
イルカは顔を顰めながら土鍋を探す。最後に使ったのはたしか去年の暮れ。鍋をやって、それきりだ。
イルカはしゃがみ込んで鍋を探り、棚の置くから引っ張り出した。
息を吐き出し、立ち上がる。
そこで流しが視界に入り、気がついた。
そうだ。
しまったと額に手を当てた。
流しの排水溝が詰まっていたんだ。
今朝気がついたが、出勤時間が迫っていたので大家に言うのは後回しにしようと思ったんだ。
どうしよう。これじゃあ米を研げない。
しばらく考えるも埒があかない。
薬だけでも飲ませようか。
イルカは仕方がないと、薬と水を持って寝室の襖を開けた。
(...寝てる?)
カカシは着替えを済ませ、額宛を外して寝ていた。アンダーウェアも脱いだのだから、当たり前だが口布もしていない。
素顔を見ていいものか戸惑いながらも、イルカは視線をカカシに向けた。
布団は定期的に上下している。
イルカはそっとカカシに近づき顔をのぞき込んだ。
その通り、カカシは寝ている。
自分がそうしろと言ったのだから当たり前だが。この人はこんな風に寝るんだ。内心関心しながら見つめた。他国に恐れられる忍びだとも聞く、そんな男がこんな無防備に。
イルカは床に薬をのせたお盆を置く。
床にイルカは座り込んだ。カカシの寝顔を見つめる。
自分はどうかしてる。
ぐっと眉根を寄せた。
どう考えてもおかしいだろ。
こんな事。
もやもやした気持ちが色濃くなる。こんな感じは少し前から続いていた。
カカシの事を考えると、どうしてもそうなってしまう。
重いため息が出そうになり、イルカはそれを留めた。
布団から出ているカカシの手のひらの上に、自分の手を重ねた。
手甲を外したカカシの手は温かい。
そう、すごくーー暖かい。
しばらく、そのまま動けなかった。カカシの自分より少し大きな、綺麗で細く長い指を見つめる。
カカシは起きない。
イルカはそこで、首を振った。
(何やってんだ俺は)
立ち上がるとキッチンへ向かった。取りあえず暖かい飲み物は用意できる。
やかんに水を入れ火をつけて。
後は、排水溝のつまりを取れば。なんとか流せるようになってお粥を作れるかもしれない。
そう考え流しの前に立ってみる。
少し試しに水を流してみよう。そう思い蛇口をひねって、ギクリとした。
気配を感じたからだ。
その通り、振り向けば真後ろにカカシがいた。
直ぐそこまで来て気がつくなんて忍び失格だ、と思うが、体調は大丈夫なんだろうか。そんな心配が頭によぎり、
「カカシさん体調は、」
「先生は優しいね」
言い掛けた言葉はカカシに遮られた。
「え?」
「だってそうでしょ?俺みたいのを部屋に上がらせて」
言われて、イルカは黒い目でカカシを見返した。
「俺は...そんな人でなしなんかじゃありませんよ」
「ホントにそれだけ?」
その言葉に目を大きくさせていた。
言った当のカカシは少し不安そうに、イルカを見ている。
「何が言いたいんですか?」
「だって、俺はあなたが好きなんですよ?」
そうだ。カカシは俺を好きだ。
あの時、始めて気持ちを打ち明けられた時、カカシは確かに俺の事が好きだと、そう言った。
嬉しそうな顔をしていた。幸せそうな顔で。
忘れるわけがない。
「...カカシさんは何で俺みたいのなんか、まだ好きなんですか」
カカシは驚いた顔をした。当たり前の疑問なのに、何で驚いたのか。そこで銀色の頭を掻く。
「理由なんてありませんよ。好きになるのに理由なんてないでしょ?」
真っ直ぐ見つめ返された。当たり前だと、そんな口調で。
「理由なんてない。俺はイルカ先生が好きなだけなんです」
胸が苦しくなった。
始めてカカシが自分を好きだと言った、あの時と同じように。
心がむず痒いような、でも心地よくて。
心が暖かくなって。
でもそれは間違っていると思っていた。
だって俺は男なんて好きにならない。
気持ち悪いだけだ。
そのはずなのに。
心の奥で分かっていた。気がついていたけど、気がつかないふりをしていた。
イルカは握った拳に力を入れた。
「ねえ、先生。聞いていい?」
俯いたイルカにカカシが問う。
「さっき俺に触れたのは何で?」
ああ、やはりあの時カカシは起きていたのだ。
胸が掴まれた思いになる。
苦しい。
カカシに触れたいと思った。
触れて、確かめたかった。
自分の気持ちを。
そして、ーーもう気がついてしまっている。
触れて、気持ち悪くなんかなるはずもなかった。
カカシに会う度にふわふわした気持ちになった時点で。
誘いを断る度に胸が痛くなった時点で。
カカシに触れるのを拒まれてショックを受けた時点で。
雨が降っているからと家に誘った時点で。
同性とか関係なしに、もとより最初から、きっと自分はカカシに惹かれていた。

これが人を好きなる気持ちなんだと、カカシの手に触れて、分かってしまった。

背後では火にかけたままのやかんが沸騰しそうな音を出している。流しでは水が流れ続けている。排水溝は直っていない。直きに水があふれてしまう。
流しに振り返ろうとした手を、カカシが止めた。
「誤魔化さないで」
カカシに顔を向ければ、真剣な眼差しがイルカを見ていた。
「でも、」
「だって、この期を逃したら、あんたきっとこのままずっと俺に気持ちを隠すじゃない」
そうだろう。その通りだ。
今までカカシに冷たくして、どうして気持ちを伝えれようか。
好きだと気がついたとしても。
ぎゅっと、握った手に力を入れられた。
不安そうなカカシの目を見たら。こんな顔をさせているのは、俺だ。
そう思ったら、口が開いていた。
「たぶん...俺は、あながた好きなんだと思います」
やっと気持ちを口に出した自分の唇は震えていた。ぐっと下唇を噛む。ゆっくりと口を開いた。
「でも、それとは別にあなたはきっとすぐ自分以外の人を好きになるんだろうと。そう考えたら不安でたまらなくなる。だったらこのままでいいんじゃないんだろうかと思えたんです」
言い終ると同時に抱きしめられた。優しく。力強く。
「他の人を好きになんかならい。なるわけがない」
「断ったくせに、都合がいいと思いますよね」
カカシはイルカの顔を覗きこんだ。きっと今自分は情けないくらいに不安な顔を見せてしまっているだろう。カカシはふっと緩め微笑んだ。
幸せそうに。
「思うわけない。あなたの気持ちが聞けて嬉しいんです。ありがとう」
眉を下げて、そう言われて。イルカは胸が熱くなった。
カカシの顔が近づいてくる。
拒む理由はなかった。
重なる唇が心地良い。カカシの手が自分の上着にかかり、唇が項に移動する。
後ろで流しから水が溢れる音が聞える。
やかんもまた蒸気を吹き出している。
でも。もう少しだけ。
暖かいカカシの温もりと首元に触れる唇に応えるように、優しく背中を抱きしめ返す。
外から雨音が静かに聞こえてくる。
春の雨に耳を傾けながら、イルカは思う。

カカシを好きになってよかった。



<終>

賽の目屋pinさんのイメージイラストです!!このイラストから「春の雨」を書きました。
昨年末にこのイラストと共に雲さんへ捧げた話です。
イルカの部屋、しかも台所の描写が細かくて思わず見入ってしまうほど。二人ともジャージ!イルカが抱きしめてる...!と萌えポイントでにやにやしつつお話を書きました!
雲さんおめでとうございますーー!!
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