春うらら

のどかな昼下がり、アカデミーの廊下をイルカは歩いていた。
「大丈夫か?」
隣に歩く男子生徒は右足を庇いながら歩いている。膝から出た血は止まり、見たところ怪我はそれだけで大した事はない。体術の授業中、クラスのみんなに良いところを見せようとしたこの生徒が、勢いが余り誤って転倒し、怪我をした。幸いな事に他の生徒も怪我をしなかったし、本人もこの膝の傷だけ。
本人はさっきから黙ったまま、項垂れた頭を見せる。イルカは小さく息を吐いて、優しい眼差しをその頭に向けた。
「ほら、着いたぞ。先生ー」
保健室のドアを開け保健の担当医を呼ぶが、返事がない。
イルカは困ったな、と思いながら一頻り保健室を眺め、目に入った机を見て、
「あ、」
と声を出した。
『今週は出張中につき不在』
無造作に書かれた紙が机に置かれ、小鳥の形をしたペーパーウェイトが乗せてある。
そうだった。今週は別の里へ出張中だったのをすっかり忘れていた。
確か先週末の朝礼で言っていたような。
「仕方ない。俺がやるか」
生徒に顔を向ければ、不安げにイルカを見ている生徒と目が合った。
「えー……」
明らか様な不満の声を出され、イルカは口をへの字にして生徒に向き直った。
「何がえー、だ。俺だって怪我の手当て位は出来る」
ほら、来い。と生徒の手をひき、丸椅子に座らせた。
ガラス戸を開け手当てする道具を机に並べていく。イルカも対面した椅子に座り、洗い流した傷痕に目を落とした。
生徒は再び黙って大人しく足を出している。これからまだまだ成長をし伸びていく脚を眺め、消毒液を含ませた綿で触れれば、生徒が息を呑んだのが分かった。痛いとか、言わずに我慢をしているのが分かる。
「お前はすごいよ」
イルカはガーゼを当て、テープで巻く手を動かしながら口を開いた。
「…何が?」
「んー?だって、怪我してまでみんなに体術を見せたかったんだろう?すごいじゃないか」
ちら、と顔を上げれば、生徒は思い切り顔を顰めていた。
「何がだよ。カッコ悪いだけだろ」
イルカは微笑みを乗せたまま首を横に振った。
「俺はそうは思わない。見たか?他のやつ」
「笑ってた」
その声には悔しさが滲んでいた。
「だからだ。たぶん笑ってたやつらにはお前みたいな事は出来ない。お前は度胸がある」
「そんなの、」
「先生には分かる」
イルカはしっかり生徒の目を見た。
「俺もな、お前みたいに無茶してよく笑われたよ」
怪我はよくないけどな、と頭を軽く叩けば、ようやく生徒が笑顔を見せた。
「馬鹿やるのは悪くない。だから明日も頑張れよ」
「うん」
イルカは立ち上がり、生徒を立たせた。
「もう大丈夫だな?」
「うん!」
すっかり元気を取り戻した生徒はドアを開け、教室へ戻って行った。
さてと。
イルカは一息つくと、ガラス戸の棚に用品を戻す。
窓から暖かい風が舞い込み、カーテンが勢いよくたなびいた。窓を閉めようと窓際まで歩けば、奥のベットが仕切りのカーテンで囲まれているのに気がついた。
誰かが寝ているからだと分かるが。
今日は保険医が不在の今、一体誰か寝ているのだろうか。
何気なく近寄りカーテンをつまんだ。中を覗いて、イルカの目が釘付けになった。
布団から銀色の髪が覗かせているのが見えた。確信が持てず、カーテンの中に入り、枕元まで歩み寄れば、そのベットに横たわり寝ているのは、思った通り、カカシだった。
今日は任務がなかったのだろうか。
でもなんでこんなアカデミーの保健室に。
いるはずがない人物に、疑問符が頭に浮かぶが。
気持ちよさそうにスヤスヤと寝息を立てるカカシに、起こす事は躊躇われた。理由どうあれ、色々な任務で疲れて寝ているのだろうと推測する。
さっきまで生徒といて、話もしていたのに、それにも気がつかず、今も近くに来ても起きることもない。
凄い忍者がこんな無防備に寝ていていいものだろうか。
イルカはぼんやりカカシの寝顔をながめた。
ナルト絡みでしか会話をした事がないし、こんなまじまじ顔を見た事がなかった。
閉じられた瞼には髪と同じ銀色の睫毛が生えている。
陽射しを受ける肌は透けるように白い。
(…あ)
カカシの額当てが少しずれている。一度だってその左目は見たことがなかった。他国が恐れるほどの写輪眼。
目は閉じているだろうが、見てみたい。
イルカはごくりと喉を鳴らした。
手を伸ばせば触れる事の出来る距離。
ナルトがカカシの素顔を見たいと言っていたのを諌めたのは自分なのに、自制よりも興味に対する欲求が勝っていた。
イルカは吸い込まれるように指をカカシの額当てに伸ばした。
あと少し。触れる寸前にカカシが身動ぎをし、イルカは指を止める。
「……ん………」
定期的に聞こえていた寝息が途切れ、漏れるような声と共に銀色の睫毛が微かに動き、ゆっくりと瞼が開いた。
開いた目にイルカはどきりとして手を引っ込めようとした時、布団から出ていたカカシの片手が上がり、イルカの指を掴んだ。
「……イルカ…せんせ……?」
報告所で話す声とは別物のような、甘い、舌ったらずな声に、胸がどきんと高鳴った。
まだ眠そうに目を細めながらイルカを見つめる。確かめるようにカカシが触れていた指を動かした。ゆっくりと、指の腹で肌を確かめるように擦る。
初めて触れられた。
動揺と驚きと共にイルカの身体はどんどんと体温が急上昇していく。聞こえるはずがない心音がカカシに聞こえてしまいそうだ。
恥ずかしさに手を振り払いたく、指を動かせば、
「…そっか、…夢だ」
ぼんやりとカカシが呟いた。細めたままの目で、微笑んだ。子供のように、幸せそうに。イルカを見つめている。
白い壁に囲まれた保健室には明るい日差しが部屋を包み込んでいる。壁からカーテンや布団も真っ白に暖かい色に包まれ、丸で別空間のような世界にいると感じてもおかしくはなかった。
握られた指は離す事なく、長い指が絡みついている。
魔法でもかかったようにイルカはただカカシから目を離せなかった。なんて嬉しそうな顔をするのか。喉から迫り出しそうな心音の為、声も発せない。
「せんせ、の夢…なら…醒めたくない…」
ゆる、とイルカの指をを掴んでいたカカシの手が緩み、ぽすんと布団に落ちた。
カカシの顔を見れば瞼は閉じられ、静かに寝息を立てている。

呆然と立ち尽くし、しばらくして後、イルカはよろよろと歩きだし、カーテンから出た。耳まで真っ赤な自分をどう鎮めたらいいのか。


『せんせ、の夢…なら…醒めたくない…』

寝言にはどのくらい真意が含まれているのだろう。

たったカカシの一言がイルカをキャパオーパになるまで追い詰めていた。

全身が心臓になったようで。
イルカはやっとの事で保健室から出て扉を閉める。
もうそんな風にしかカカシを見れない。
「…うぅ…どうしよう…」
イルカはよろめきならが、職員室へ足を向けた。


<終>



鳴門の壺の壺さんへ相互リンク記念として差し上げました。
壺さん、ありがとうございました!これからもよろしくお願いします。
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