8月

タイミング悪いな、と思った。
でも何かを期待していた自分がいたのは事実なんだから、自分がそう招いたと思うしかないのかもしれない。それでも、あんまりじゃないか。
その日は非番だった。
朝怠けて遅起きしたり部屋の掃除をした分、夜トレーニングの為に部屋を出て、決まったコースを走った。
8月だから、夜と言っても風は生ぬるく、じめじめとした湿度もある。寝苦しい夜と表現するにはぴったりな暑さを感じた。
そのコースから少し外れ、カカシの住む部屋の前を通ろうと思ったのは、単に気になったからだった。
カカシが珍しく風邪をひいたとサクラから聞いたから。図々しく部屋に訪れるつもりもない、ただ、その前を通ろうと思っただけだったのに。
少し距離が離れた場所からもよく見えた。
カカシの部屋の扉が開いてそこにいる男女二人。カカシが女を見送るように立っていた。誰が見ても分かる。恋人同士の逢瀬だ。
そこからさらにコースアウトしたことは間違いようがない事実。
ようは、あれだ。俺は、逃げた。
そして自分はとんだ勘違い野郎だと悟る。
言葉通り勘違いしていた。カカシの優しさに、飯の誘いの多さに、笑顔に。もしかしたらもしかするんじゃないか、と。それは自分の経験の浅さを物語った結果に他ならないのだが。
男女の清い(のかは勝手な想像にならないが)交際の相手に、なに同性に思い寄せてんだ俺は、と思い、ほっとけ、と思わずつっこみを入れる。
もう考えるのはよそう。本当に。
全速力で自宅に帰りながら、思った。

翌日待機所に入るとカカシがいた。その部屋には他の上忍とカカシだけでがらんとしている。体調を崩していたのを知っていたから、カカシがそこにいることに驚いた。
カカシはソファに座って、足を組んでいつもの小さな冊子に目を落としていたが、入って来たイルカに気が付くなり、顔を上げにっこりと微笑んだ。いつもと同じ笑顔。いつもながら嬉しそうに見えるのが、今日は辛い。
彼女いるんだったら、優しい顔するなよ。
思っても、言えるわけがない。
イルカはその笑顔にぺこりと会釈で返し、背を向ける。もう一人の上忍へ足を向けた。任務表を渡し、細かい説明を加える。
と、背中でカカシが咳込むのが聞こえた。一通り説明終えると、また咳をするのが聞こえる。苦しそうな咳込みに思わずカカシを見ると、上忍が苦笑気味にカカシに目を向けながらイルカに口を開いた。
「風邪なんかに喉をやられて声が出ないってさ」
直ぐにうるさいよ、と酷く掠れたカカシの声がかかる。聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声に、上忍は気にする様子もなく、ほらな、と鼻で笑った。
本当に声が出ないんだ。今年の夏風邪は喉にくると聞いてはいたが。
それくらい酷かったから、彼女が見舞いにきていたんだろう。勝手に考え勝手に落胆する。
イルカはその上忍に頭を下げカカシに身体を向ける。
何を言おうか。頭の中には昨夜の情景がばっちり浮かんでいるが。自分に向いたイルカに、カカシはまた顔を上げて、しゃべれないからか、じっとイルカを優しい目で見つめる。思わず目をそらしたくなるが、堪えてイルカは口を開いた。
「.....風邪、大丈夫ですか?」
それに、ニコ、と微笑んで右手の指で丸を作る。
だろうな。大丈夫じゃなきゃ待機所なんかに詰めれるはずがないよな。とぼけた質問に自分が嫌になるが、カカシは気にする事なく、にこにことしている。
何が嬉しいんだか。
さっきから頭から離れない情景と、この目の前のカカシの優しそうな表情に微かに苛ついていたのは事実だった。
「俺...昨日、...カカシさんがどんなパジャマ着てたか知ってますよ」
だから、そんな言葉が口から出ていた。
言ったのは自分なのに、途端心臓がばくばくと跳ね始める。イルカを見上げるカカシは目を丸くしてこっちを見ていた。
背後で上忍がこっちを窺った気配も感じた。
カカシがしゃべれないから、事実もここで言えっこないから、それを無意識に利用していた。
悔しかった。周りからも言われるくらいに鈍感な俺が勘違いするほどの、優しさを向けるカカシに。嫌味の一つも言ったっていいはずだ。
でも、言って後悔しているのには間違いないのは事実で。
逃げたくなる気持ちに従って部屋を出ていこうと、背を向けたイルカの手をカカシが掴んだ。
驚いて振り返ると、また、カカシはニコと微笑んでもう片方の手からポーチを探って紙を取り出しイルカに見せる。
紙がなんだと言うんだ。
少し怪訝な表情でそれを見るイルカに、カカシはその紙を目の前にあるテーブルに置いた。その手がイルカに伸び、持っていたペンを取ると何か書き始める。
報告書で目にするのと同じ、達筆でその文字さえもイルカの心を惹きつける。
”家に来たの?”
その一文に、どうしようかと戸惑う。でも自分で言った時点で迷っても仕方がない。イルカは素直に頷き、カカシの手からペンを取る。
その下にイルカもペンを走らせた。
”昨日は非番で、夜ジョギングしてたら目撃しました”
緊張からか、変な字になってしまった。
その変な字を、カカシの目がじっと見つめている。決まり悪くなりながらペンを置いた。
なんて思うのだろう。気持ち悪いとか、何でそのコースだとか。消極的で否定的な気持ちしかイルカの中にはなかった。
カカシはまたペンを持つ。書くとイルカに向ける。
”非番でも鍛錬するのってイルカ先生らしい”
にっこり微笑まれた。
話をそらされたようで、勝手にむっとした。それに、その笑顔反則だって言ってるだろ。
イルカはカカシからペンを取って、その下に文字を書く。
”かわいい彼女でしたね”
本当は。顔なんて見えなかった。見えたのは女性の後ろ姿だけ。自分より髪の茶色くてきちんと手入れされて毛先がカールした、女性らしい髪。
叶うはずのない想いに押しつぶされそうになり、イルカは吐き出すように小さく笑った。ペンを置きカカシへ顔を上げる。
「そうそう、サクラも心配してましたよ。カカシ先生でも風邪ひくんですね、って言ってもいましたが」
わざとらしく切り替える台詞に、カカシは一瞬目をイルカに向けたが、合わせるように微笑んだ。
”サクラらしいね”
書き込まれた文字に、イルカも微笑む。紙に落としていた目線をカカシへ向けた。
「俺これから火影様の遣いで病院行きますけど、サクラにきっと会うと思うんですよ。何か、言伝とかありますか?」
カカシが咳込みながら、ペンを持つ。
書いた文字に目を疑った。
”イルカ先生には?”
俺に何か言いたい事があるって事かよ。
気分が滅入るのを押さえながら、小さく微笑む。
「...言っていいですよ?」




イルカは廊下を歩いていた。身体が微かに震えている。心臓が恐ろしいくらい心拍数もあがって、手先は冷たくなるくらい緊張している。
馬鹿正直過ぎる身体に嫌になる。
廊下の隅で立ち止まった。掌の中にある紙。カカシにあの場で見せずに渡されて、受け取るしかなかった。
あの優しそうな目のカカシが、何を書いたのか。怖くて開けない。
ーーでも。
何でも言えばいい。
彼女とつき合ってるとか。
もうすぐ結婚するんですとか。
思ってる事をなんでも。
右手の中にある小さな紙。掌を広げれば、手は情けないくらいに震えていた。

そう、なんでもーー言えばいい。

ゆっくりと、紙を広げる。

”オレはイルカ先生がいちばんかわいい”

目を見張るようにして、しばらく動けなかった。
身体が、顔が、じわじわと確実に熱くなる。
見間違えようがない、カカシの綺麗な文字は、少しだけ崩れてるように見えるのは、気のせいか。
湯気がでるんじゃなかと言うくらいに全身が火照る。
手紙を手の内に封じ込め、拳を作る。その紙の中にあるカカシの言葉を封じ込めたくても、全身に染み渡ってしまっている。
せっかく諦めがつくと思ったのに。拍車をかけらてどうすんだ、俺は。
涙目で歯を食いしばった。
(....俺のばーか。...カカシのばーか)
握りしめた拳を額に当て目を瞑る。
蝉の声が空高く鳴り響いている。それは8月のある日の午後だった。

<終>

とまこさんお誕生日おめでとうございます~!!と、知ってからどんな作品を差し上げようか、こっそり考え書いていたら遅くなってしまいました><
8月生まれとのことなので、8月を入れて書いたのですが、内容自体はあまり8月に関係ない感じに。。ですが、受け取っていただけて嬉しかったですっっ。
とまこさん、これからもよろしくお願いしますww
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。