ひかりのにおい④

イルカはのどかな食事風景を上から見ていた。
そこにはカカシと自分がテーブルに向き合って座り、楽し気に話しながらご飯を食べている。
自分は此処にいると言うのに、不思議な光景だな、とぼんやり思った。
ーーにしても。なんて幸せそうなんだろう。
豪華な食事でもないのに、カカシは美味しそうにご飯を口に運ぶ。
カカシの前にいるイルカはその顔を見て、嬉しそうに微笑んでいた。

なんでこんな夢を見てるんだろう。
ああ、そうか。
天井から二人を見下ろしながら思い出した。
自分は死んだんだった。
だから、これは自分が望んだ幻だ。
失ってしまったーーーー大切な最後の夢なんだ。
でも、良かった。最後にカカシさんの笑顔が見れた。
だから、良かった。





ピ、ピ、ピ、ピ、ピ- -
頭の中に響く定期的な音。
規則正しく。正確に鳴り響く。
何の音なのだろう。
意識が少しづつ戻る中、イルカは瞼を開いた。途端に入り込む光に眉を顰める。
目に映る白いものをぼんやりと眺めていた。
(何だろう…ここ………さっきまで自分の家にいたのに……)
身体を動かそうと力を入れたが、上手く力が入らない。
起き上がりたい。
腕に力を込めて肘をつく。左肩の痛みに敢え無くイルカはもとの位置に戻った。
「うみのさん目が覚めたんですね。もう大丈夫ですからね」
声がすぐ近くから聞こえ、パタパタと走り寄ってきた。
覗き込む看護師に、此処が病院だと認識した。
(…俺……生きてたのか……)
改めて感じる身体の痛みに、生を実感する。
耳に聞こえていた定期的な音は、自分に繋がれた心電図だと分かった。
心臓を狙って刺したはずだが、何故助かったのか。
「あの、……俺…どうして…」
「覚えてないんですね」
「はい……確か、自分で胸を…」
「ええ、本当に危なかったんですよ。運ばれて来た時は出血量も多くて意識もなくて……でも運が良かったわ、あと数ミリズレていたら、きっと助からなかったのよ」
無意識に自ら刺した場所を手で当てていた。
その掌から伝わる自分の心音。
「……………………」
「あと、すぐにこちらに来たのも大きかったと思いますよ。…はたけさんも酷い怪我してたんですがね。……あの人の必死の形相は初めて見ました」
思い出したように看護師がくすりと笑った。それは何故か現実味がない状態で自分の耳に入る。何秒かぼんやりした後、イルカは口を開き、聞いていた。
「……カカシさんが?」
「ええ、はたけさんの怪我は応急処置しただけで、ろくに手当もさせてもらえなかっ たんですけど。うみのさんの面会には毎日来てましたよ」
それにもまた、間をおいて看護婦を見上げた。
「面会に…ですか?」
「そう、毎日。今日もさっきまでいたんですよ。きっとまた明日も来るんじゃないかしら」
「……………………」
カカシも生きてる。
安堵感が拡散されるように。身体中に広がり、イルカはゆっくりと息を吐き出した。
ーーーーカリンは、月隠れは、どうなったのだろう。
無理に起き上がるイルカを慌てて看護師が制止した。
「駄目ですよ。うみのさんはたっぷり治療に専念してもらいます」
ベットに寝かされ布団を掛けられる。看護師が出て行った後、ベットにから見える窓を見た。
真っ黒で何も見えない。
その見えない闇を見ていて、何故だか無性に不安に追い立てられた。

もう、カカシはここには来ないかもしれない。
いや、カカシはーー来ない。

その瞬間身体が震えた。包帯に巻かれた掌から見える指は、静かに震えている。
この手で自ら離したのに。
なんでこんなにも怖いのか。
イルカは身体に力を入れて起き上がると、ベットから立ち上がった。
さっきよりは身体が動く。
窓を開けると、冷たい空気が身体を包んだ。
窓から身を出し、高さを確かめた。此処が二階だと分かり、怪我をしているが、この程度ならたぶん問題はないと解釈する。
イルカは裸足のまま窓枠に手をかけて飛び降りた。
「………っ……」
地面に着いた衝撃は多少なりとも身体に響き、胸に痛みが走る。地面には芝生で覆われていた。ほっと息を吐き立ち上がる。
裏庭に面したこの場所は街灯も何もなく闇に包まれて静寂が漂う。
イルカはゆっくり走り出した。
どこへ行き何をすべきか。
そんなのは、とっくに分かっていた。
迷いなくイルカは歩を進める。
次第にイルカの姿は闇の中に消える様に呑まれていった。







扉は激しく開けられた。
部屋に明かりが点いていた為、イルカは躊躇なく、ノックもせずに開けていた。
「……イルカか?」
「…っ、イルカ先生!?アンタ何で……」
火影は驚きを隠せない様子でイルカを見ていた。その横にいるカカシが目を開き慌ててイルカに駆け寄り腕を支えた。
火影に話をする為に来たが、カカシがいるとは思わなかった。イルカも驚いてカカシを見た。
荒い息を整えながらカカシの腕を振り払った。
「…大丈夫です」
「大丈夫って、」
イルカは首を横に振り、火影を見た。
まずは火影に話がある。もはやカカシがいても関係がない。
「……お前病院から…出てきたのか」
火影はイルカの身体を上から下へ眺めて裸足のままの姿に眉を顰めた。
「……火影様。伝えたい事があり参りました」
イルカは床に膝をつき両手を床につけ頭を下げた。
突然の土下座にカカシはぎょっとしてイルカを見た。
「ちょっと……」
「申し訳ありません。…今回の事態は俺の失態が原因です。報告を省き勝手に解決しようと」
「イルカ先生、それはもう終わった事ですよ、アンタは何もしてない。罪には問われません」
再び肩に手をかけられたが、イルカは拒否した。頑ななイルカに微かに眉を寄せたが、カカシは素直に手を戻す。
「左様。イルカが巻き込まれたのは予想外であったが、事態は予測していた。月隠れのクーデターは既に収拾した。被害もそこまで大きくない」
「……クーデター?」
「そうだ。ある事件より月隠れの動きは水面下であるが把握していた。あの女は……泳がせていたに過ぎん」
「…カリンは……」
「オレが殺しました」
顔を上げたイルカに、カカシがあっさり言った。
「……アンタが自害しようとするのは想定外でしたよ。お陰で怪我した身体で人一人背負う羽目になりましたからね」
カカシはじっとイルカを見下ろしながら言った。
「よいか、イルカ。この件に関して気を病める必要はない。忘れろとは言わんーー忍びとして学ぶべきことが増えただけだ。とにかくお前は身体を休める事が先決だ」
話はすんだとばかりに火影が席を立ち、カカシに手で合図をする。
カカシは言われるままにイルカの腕を取るが、イルカは再びその手を振り払った。
「話はまだです。火影様」
イルカは土下座の姿勢を崩さない。
「……俺はっ、……カカシさんと結婚したい!」
「………は?…」
カカシの目は大きく見開かれた。
火影も口をぽかんと開けている。
「…イルカお主今何て…」
イルカは大きく息を吸った。
「カカシさんが好きです。これ以上自分に嘘はつけない。…どんな懲罰も受ける覚悟です。…抜け忍にしていただいても構いません」
「…………………………………」
3人がいる部屋に沈黙が流れた。
「イルカ……いや、待て」
「あ~、イルカ先生、アンタちょっと疲れてるみたいですね」
「え?俺はそんな、」
慌ててイルカは首を横に振った。
「いいからいいから、取り敢えず戻りましょう。火影様、いいですよね?」
カカシはイルカの腕を掴み立ち上がらせると、有無を言わさない力で引っ張られ部屋から連れだされた。
「カカシさんっ、離してください」
話を切り上げられイルカは慌てた。
覚悟を決めた告白を勝手に終わられては困る。火影が何と言おうと貫くつもりだったのに。
「手をっ、離してくださいっ…まだ話が終わってません…わっ」
カカシは応えない代わりに、両腕でイルカを抱き上げスタスタと歩き出した。
病院ではない方向に頭を傾げると、連れて来られたのはーーカカシの家だった。



「…カカシさんどう言う事ですか?とにかく、降ろしてくださいっ」
降ろせと言うイルカを有無を言わさず、玄関を開けて部屋に上がる。カカシは土足のまま上がり込み寝台へゆっくりイルカを降ろした。
勢いでカカシと接していたが、暗い寝室に座らされ、狭い空間にカカシといる現実に、ふと気持ちが冷めてきた。
(……怒ってる…よな…)
火影の前で勝手にカカシと結婚したいなんて、改めて考えたらおかしい発言だ。
あれは一種の反発だった。本当は火影に直談判しに行くだけだった。カカシがあの場にいたのは余りにも予想外だった。
だが、自分の気持ちが抑えきれなくなっていたのも事実だ。
「……………」
黙ったままのカカシはイルカを見下ろしている。イルカは居心地悪く両腕を擦った。カカシは口布を顎までずらすと、大袈裟なほど息を吐き出した。
「結婚って何ですか」
低い声が寝室に響く。
イルカは完全にひるんでいた。カカシには責める権利がある。
どう答えるべきか言い淀んだ。
「…勘弁してよ…アンタどれだけ振り回すのよ」
うんざりとした口調で呟く。
胸がズキズキと痛んだ。
「…すみません」
消えるような声がイルカから出た。
「…アンタ付き合った当初、よくオレに言いましたよね。自分勝手、横暴、自意識過剰、…あと何でしたかね、……何様?とか。それぜーんぶアンタにそのまま返しますよ」
ポケットに手を入れたままのカカシは、冷たい目でイルカを見下ろしていた。土足で踏み入れた靴は脱いでいない。
カカシの棘がイルカに突き刺さる。
なんて痛いのだろう。
「…怒る気持ちは分かります」
「分かる?何が分かるの?」
顔を上げると鋭い目がイルカを見ていた。が、カカシはその目を微かに細める。薄い唇をゆっくりと開いた。
「俺が怒ってるのは……」
「…え?」
小さな囁きのようなカカシの声。聞き返すとカカシの青い目がイルカをしっかりと見た。
「…死にそうなアンタを、間近で見てたんだ。……気持ちが分かる?失うと思ったんだ。自分の…大切な……人を」
カカシの言葉に息をつめた。苦しそうに眉間に皺をよせ、床に視線を落としている。銀色の伏せられた睫毛から、ポタリと落ちたのは、涙だった。
何でだろう。涙だって分かるのに。信じられなかった。そんな気持ちを自分に向ける事はないと、信じ込んでいたからだろうか。
「カカシさん…?」
「アンタに分かる訳がない」
隠すように顔を伏せたカカシ。立ち上がりカカシを抱きしめていた。強く逞しいカカシの身体を自分の腕の内に引き寄せる。閉じ込めるように。
「ごめんなさい」
カカシからは何も返ってこなかった。
傷つけていた。それを言われるまで分からない俺は何て馬鹿なんだろうか。なのに嬉しいと思うなんて。
イルカはそっとカカシの頭に触れた。柔らかい銀色の髪。指で撫でると拒否するように、イルカの腕の中で首を動かした。
「よしてよ。…俺はアンタの生徒じゃないんです」
それでもイルカは頭を撫でた。数回頭を軽く振ったが、カカシはそれ以上拒む事はなく、黙って受け入れる。
愛おしさが溢れ、ただ、撫でているだけでカカシが愛おしくて。イルカは顔を歪ませた。
「ごめんなさい…カカシさん」
絞り出すように言えば、自分の目からも知らず涙が零れた。
許されようなんて思わない。でも、カカシが好きだ。
なんて不器用なんだろうか。カカシを傷つけ自らも傷つけて。それでめたやっぱりこの人が好きなんだ。
回された強く暖かい腕。カカシの掌がイルカの背中に触れ、それは暖かくまた涙が零れ落ちた。この温もりがカカシの腕が、ずっと欲しかった。
こみ上げる安堵感に嗚咽が漏れる。
「ごめんなさい…ごめんなさい…、」
「勝手だ、アンタは」
吐き出された言葉。震えている声に、抱き締められている為泣いているのか分からない。勝手だと言われて返す言葉は見つからなかった。抱き締められる腕に力が入る。ぐいと体重をかけられ、そのまま寝台へ押し倒された。覆いかぶさったカカシが首元に顔を埋める。
「こんなに俺を傷つけて」
「…はい」
「勝手だよ。何にも考えないで、自分で全部背負って、相談もなくて。自分で全部決めて。…別れるのもっ、死ぬのもっ、最後には、結婚って…っ!」
ぐりぐりと首元にカカシは顔を押し付ける。
「遅いよ。こんなになるまで放っておいて。俺じゃなかったら、呆れられてるよ?分かってる?」
口調も子供みたいで。少しだけ吹き出したくなった。ごめんなさいと、また言えば。カカシが起き上がり顔を覗き込んだ。
「ホントに分かってる?」
真面目な顔に思わず顔を緩ませていた。
「はい」
そう言ってイルカが微笑めば、皺を寄せていたカカシの眉が緩み、下がる。そしてほうと息を吐き出した。
「じゃあ何か言ってよ」
「だって…返す言葉が見つからないです。あなたに迷惑しかかけれなかった。情けないです」
「そんな事ない。アンタは凄いよ」
「え……?」
カカシは薄っすら微笑んだ。
微笑む顔を見るのが余りにも久しぶりで、戸惑いから抜け出せないまま、カカシを見つめた。
「あのジジイの前で。俺イルカ先生にプロポーズされちゃったんだね」
嬉しそうに目を細めた。カカシに言われようやく事態を冷静に理解する。一気に身体が熱くなった。顔も。
「好き、好きだよ…イルカ先生、アンタの為だって必死に頭から切り離そうとしたけど、無理だった」
アンタじゃなきゃ、生きてけない。
情けない程のカカシの本音が。脆い部分が。顔中にキスを降らせながら零す。くすぐったい愛撫に内心可笑しくて笑い出したいのに、はずなのに。
涙がするすると頬を伝っていた。
「---イルカ先生」
上からカカシが心配そうな顔を見せた。
「ごめんなさい、何か安心して」
カカシが目を細めて優しく抱き締めた。
「うん」
そう言うと性急に唇を押し付けられる。イルカは拒まずそれを受け止めた。嬉しさにまた涙が滲む。
「靴、履いたままですよ?」



「うん…気が動転してて、それにどうでも良かったから」
いいんですよ、どうせ俺の家だし。と付け足してカカシは片手で器用に靴を脱ぐと床に落とした。
イルカの首元に唇を押し付け、深く息を吸い込む。
戻ってきた愛おしい人の匂い。それだけで安堵している自分に気が付いた。深い睡魔がカカシを襲う。イルカと離れてから、ろくに寝れていなかった。それに加えあのクーデターにイルカの入院。機械のようにただ動く事しか出来ていなかった。
この人がいないと、俺はまともに息さえ吸えない。それが、よく分かった。
「センセ、眠い」
甘えた声を出すとイルカも微笑んでカカシの腕の内で身じろぎした。
「少しだけ寝たら、アンタの脚洗って、病院行って」
三代目には、ーーもう何も言う必要はないだろう。親が子供に裏切られたような、酷いショックを受けた顔をしていたのが頭に浮かびカカシは思わず笑いを漏らした。
「カカシさん…?」
「なんでもない」
このイルカに言われたんだ。諦めるほかないだろう。懲罰や抜け忍になんて出来るはずがない。
思いながらカカシは瞼を閉じる。開けてられない。
静まり返った部屋に、感じるのはイルカの呼吸音とリズム良く打つ心音。
何て心地いいのだろう。
イルカの肌に頬をつけ、カカシは眠りに落ちていく。
イルカの匂いはーー太陽だ。
そう、ひかりのにおいに包まれて、カカシは小さく微笑んだ。


<終>

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