昼寝、のち。

あの人を目で追うようになったのはいつからだったろう。
受付から出て行くカカシの後ろ姿を見送り、その姿は見えなくなった後、小さく息を吐き出した。
カカシがいる間中、とくとくと弾む心音に恥ずかしくなった。
もういなくなったんだから、いい加減おさまってもいいのに。
誰にでも向けてるであろう、ありがと、と言って自分に向けて微笑んでくれたあの笑顔や、報告書を受け取る時に手が触れてしまった事に、
ーー何浮かれちゃってんだよ、俺。
少女漫画じゃあるまいし。
書類の束をとんとんと机で揃えながら自分に突っ込む。
元々ノーマルな性癖で、物心ついた時から自分はいつか両親のような家庭を持ちたいと、いや、持つものだと思っていた。
だから、普通に恋愛して、その女性と結婚して子供を授かって。
そんな風に将来を思い描いていたはずだったのに。
まさか同性を好きになるなんて誰が予想しようか。
相手は他国に名前が知れ渡っている忍だが、尊敬や憧れはあるものの、他の彼に秋波を送る女性のように、色眼鏡を含んで彼を見た事はなかった。
じゃあ何でカカシを好きになったかと言えば。
まあ、要は。
顔だ。
改めて認めて、そこでイルカは赤面する。
だって、顔がもろ好み。
それに話すようになって、思った以上に紳士で優しい。秀でた上忍であれがもっと鼻持ちならない人が多い中、カカシは違った。
ああ、これって結局そこらの女性と同じって事じゃねえかと落ち込む。
男相手にタイプもなかったのに、うっかり、と言えばいいのか。ときめいてしまったのだから仕方がない。
ただ女性に一目惚れした事は一度もなかった。そんな人がいたらきっと運命の相手だろうと思っていた。
でもまさか一目惚れした相手がカカシだなんて。
正直悩んだ。
俺もしかしてそっちの気があるって事なのかと、自分を見つめ直してみても、どの野郎相手に想像しても身の毛がよだつばかりだった。
なのに、カカシと思えばーー。
素直に反応した自分の股間を思い出して、身体が熱くなる。落ち着かせようとイルカは深呼吸を繰り返した。隣の同僚が不審そうな視線をこっちに送ってくるが、気がつかないフリをして深呼吸を終えたイルカは仕事の続きをする。
受付に報告にくる者がいない事を良いことに、イルカは行儀悪く縦肘をつき、同僚の視線を遮り赤面した顔を隠す。
さっきカカシと手が触れた、自分の人差し指をじっと見つめた。

昼休みは交代の為、時間がずれる。
弁当を食べるべく裏庭に足を向けた時は、すでにアカデミーは昼休みが終わり午後の授業が始まっている。よって裏庭に生徒は誰もいない。
木陰にイルカは腰を下ろすと、弁当を広げた。昨日の残りと朝焼いた卵焼きとウィンナー。野菜はキュウリとトマト。それに梅干しを入れたおにぎりが2つ。
一人手を合わせると、おにぎりを口に頬張った。毎日とはいかないが、弁当にするだけで、昼代が浮く。
食堂があるからか、イルカのように弁当を作ってくる人は少ない。それにいないと知っているくせに、彼女が出来たのかとか、ひやかしが嫌で弁当の日は外で一人で食べる事が多かった。
それに、弁当は外で食べると美味い。
それは昔からそうだった。幼い頃に両親を亡くしてから必然的に一人でご飯を食べる事になったが、同じ一人でも家で食べるより外で食べた時の方が美味しく感じた。
だから、休みの日でも昼は一人で握り飯を作っては外で食べた。流石に寒い冬は、一度風邪をひいてそれをこじらせてしまった為、そこからは控えたが。
そう言えば、カカシは午前中に単独任務の報告にきたが、その後上忍仲間に昼を誘われていたっけ。
箸を咥えながらイルカはふとさっきの事を思い出した。
その上忍仲間は、イルカが聞いた事がない店を口にしていた。て事はきっと自分が言った事もないような値が張る料亭とか、そんな所に行って昼を食べるんだろう。
そう思ったたけで、自分とは釣り合わないなあ、とそう感じざるを得ない。イルカは視線を自分の作った彩りもくそもない弁当へ落とし、小さく笑った。
本当、夢みている。
同性ってだけで論外なのは勿論、こんなもさい弁当を食べている人間に振り向く訳がない。
きっと彼に似合うのは、静かで上品な料亭で出す料理に似合う、綺麗な人。
あ、なんか悲しくなってきた。
センチメンタルになりかける気持ちに、首を振る。
昨日の夕飯の残りだった唐揚げを口に入れた。

昼休みまではあと30分。
授業を受け持っている時は、その準備もあり早々に切り上げて職員室に戻るが、今日は違う。
イルカは食べ終えた弁当を包み終えると、その場にごろりと横になった。
もうすぐ梅雨に入るが、晴れた今日は湿度もそこまでなく気持ちがいい。
春の芽吹く時期の匂いも好きだが、この時期の夏に向かう時期も好きだ。
風が吹き、目を閉じたイルカの髪を揺らし、頬を撫でる。
ゆっくり息を吸い込み、吐き出した。
子供の頃は、外で昼ご飯を食べた時はよくその後に昼寝をした。でも、大人になるにつれ、それが出来なくなった。何故だか分からない。たぶん平日と言う事ものあり、身体がオンになっているせいもある。外にいるのは気持ちが良くて好きだが、寝落ちする事はない。
だからこうして目を閉じているだけでだが、それだけでいい。

遠くで授業をする声が聞こえる。授業中でも生徒の笑い声が聞こえるのは、和やかで聞いていて気持ちがいい。自分はどちらかと言うと怒鳴ってばかりだからなあ、と一人反省を思った時、誰もいないはずの裏庭へ歩いてくる足音と気配に気がついた。
目を開けても良かった。でも、そう出来なかったのは。
その気配がカカシだと分かったから。
さっきまでの和んだ気持ちとは一転、緊張がイルカに走った。
もう昼ご飯を食べ終えたのだろうか。上忍待機室は確かにここの場所から近い。
でも、何でここに。
草を踏む足音はほとんどないが、確かにこっちに向かって歩いてきていた。他にも木陰がありベンチもあり、休む場所はある。なのに、迷う事なくイルカが寝ている方向へ近づく。
完全に起きるタイミングを失った。
こくりと唾を飲み、イルカはカカシへ意識を集中した。
足下で止まる気配。
もしかして、この木の上で休みたいのだろうか。
そう思うのは、カカシがよく木の幹の上で寝そべっているのを見かけた事があるからだ。
手に持つ小冊子がいかがわしい本だと知っている。知った当初こそそれには戸惑ったが、残念ながら自分の恋情が薄れるきっかけにはならなかった。だって男ならみんな読むし、そのギャップがいい。
とか思っちゃうから、俺駄目なんだろうな。
とかくだらない事を思って見ても、カカシがその頭上の木に向かう事はなかった。
ふと、自分に陰りが出来るのが、目を閉じていた瞼に伝わる。
心臓の動きが早くなった。
(・・・・・・・・・・・・っ)
思わず喉がひきつり声が出そうになったのは。
カカシが自分の髪に触れたから。
高く括った黒い髪の先が、仰向けに寝そべるイルカの後頭部から出ていた。その髪をカカシが触れている。
動揺がイルカを襲う。それが顔に出まいと勤める事だけに必死に集中する。
起こしたいのだろうか。でも、起こすのだったら名前を呼ぶはずだ。
ーー何で、
と、今度は指が頬に触れた。
その指は、さっき受付で触れたあの指と同じで、少し自分より冷たくて。
閉じている瞼に力が入りそうになる。
その指が動き、頬から唇へ移る。
心臓が激しく高鳴った。
さっきまで自分の弁当を食べていた唇を、カカシの指の腹がするりと撫でる。
背中から下半身に甘い痺れが走り、堪えるのが必死で思わず息を止める。
カカシに心臓の音が聞こえてしまいそうで。この状況に、涙が出そうになった。
ふと、カカシの指が離れる。
そこからカカシが再び歩き出し、気配が遠のく。
しばらくして、イルカはゆっくりと目を開けた。さっき見ていた時と変わらない緑の隙間からの太陽の木漏れ日とそこから見える青空。閉じていただけなのに。目の奥がじんとして涙の幕が張っている。
指がーーカカシの指が、唇に触れた。
イルカはゆっくり自分の唇に指を寄せる。その感触を思い出し、顔が、耳が、身体が熱くなる。
起き上がり、息を吐き出した時、
「やっぱり寝たふりだったんだ」
「ひっ」
後ろで聞こえた声に、イルカの身体が漫画みたいに1センチくらい浮き上がった気がした。
勢いよく振り向くと、そこにはカカシがしゃがみ込んでこっちを見ていた。
カカシを目にして驚きに目をまん丸くするイルカに、カカシはにっこりと微笑む。
その綺麗な笑顔に、意味が分からなくて混乱すると、カカシはしゃがみ込んでその脚に縦肘をついたまま、そんなイルカをじっと見つめた。
「何で寝たふりしたの?」
「・・・・・・・・・・・・え?」
「何か、期待したって顔してる」
「・・・・・・・・・・・・え?」
期待。
その言葉に、真っ赤に熟れたトマトの様に、イルカの顔が赤く染まった。
カカシの目が嬉しそうに細くなる。
そこで、気がつく。
カカシは自分の向けていた想いに気がついていた事を。
知っていたから、こんな事をしたんだと。
気持ちを寄せていた相手の意地が悪い言動に、それにまんまと引っかかってしまった自分に。
なのに、
「それ、実現させてあげてもいいよ?」
思考が固まる。
好きな人に言われたらこんなに嬉しい事はないのに。
そうだよ。寝たふりをしたのも、唇に指が触れた時、少女漫画の様な展開に期待して胸膨らませたよ。
悪いかよ。
元々自分が持っている意固地な芽がにょきにょきと生える。
誰が、誰が認めるか。
カカシの追い打ちをかける台詞に、イルカは黒い瞳を潤ませながら睨んだ。
勢いよく立ち上がる。
「結構です。そんな事、俺は望んでません」
強い口調をカカシに告げ、背を向けイルカは大股で歩き出す。
何て人だ。
あんな事言う人だったんなんて。
自信ありげなカカシの顔に、悔しさに涙が浮かぶ。
はいそうですか、とそこで認める馬鹿なんかいるか。
ふざけるな。
惚れた弱みでそんなカカシの意地悪な顔もいいな、なんて思ったりもするけど。
あんな酷い事言うなんて。好きだけど、嫌いだ。
逃げるつもりはないが、逃げるように裏庭から出て行こうとしたイルカの前に、瞬身の術で目の前に現れたカカシに驚き脚を止める。
「待って先生、何で逃げるの?」
この期に及んで、こんな窮地に立たせておいて何をいけしゃあしゃあと言い出したのか。
腕を掴かまれ、カカシの手を振り解こうとしても、流石は上忍、簡単に振り解けない。諦めて睨んだイルカに映ったカカシは。涼しい顔をしているかと思ったのに、少しだけ、本当に困った顔をしていて、拍子抜けした。
いや、困ってるの俺だし。
「逃げてなんかいません、俺はもう昼休みが終わりなんです」
逃げていると言われて、そこも簡単に見透かされているのを知るのはいい気分ではない。
顔に出る性分だとよく仲間には言われるが、カカシにだけはばれていないつもりでいたのに。
大して何もされていないし、実際になにもされていないのが事実だが、弄ばれている感は否めない。それに傷ついたし、悔しさが滲む。
「カカシさんは何か勘違いされてませんか?」
好きじゃない、とは口には出せないから代わりの言葉を使えば、カカシは片眉を上げた。
「そう?俺の直感は間違ってないって、告げてるけど」
余裕たっぷりの答えに、イルカは眉を寄せる。思うように事は進まない。いや、進めさせてくれないらしい。
正直この気持ちを伝えるつもりなんてなかった。それは今もそうだ。なのに180度方向転換させられても困る。
目を反らして口を結んでしまったイルカに、カカシは顔をのぞき込む。今まで縮まった事のない距離に動揺がわき上がるが、それを必死に隠すしかない。
「俺の事よく見てたよね?」
「・・・・・・・・・・・・」
「目で追ってたよね?」
「・・・・・・・・・・・・」
「俺の事、好きでしょ?」
「・・・・・・まさか」
顔を引きつらせそう答えるだけで精一杯だった。自分が傷つきたくないばかりの情けない答えだとも思うが。
この場を回避したい、それだけだった。
カカシの視線が、痛い。
「・・・・・・ふうん」
反らされない視線がじりじりとイルカを突き刺す。ゆっくりとカカシへ目を向けると、予想通りに余裕ありげなカカシの視線とぶつかる。
「どうしても認めないんだ。いいよそれも」
更に予想外な言葉に、僅かに目を丸くするとカカシは続ける。
「俺があんたを落とすから」
目がまん丸になったイルカに、カカシは目を細めた。


「・・・・・・お前さあ。どうすんの?」
あの人。
受付で。隣にいた同僚がイルカに声をかける。その台詞はからかいは微塵もない。あの人とは、もちろんカカシを指していた。
あの日から、カカシはイルカに会う度に声をかけてくるようになった。
挨拶から始まり、今日はちょっと暑いね、とかそんな話しから始まり最後には必ずイルカを食事に誘う。
もう何度断っただろうか。
何度断っても態度を変えないカカシに、自分を本気で落とそうとしているのだと、悟る。
カカシの口調もまた軽い誘いでもなく、色を明らかに含み、聞いているだけで赤面してしまいそうになる。
カカシのその方向転換はイルカ以上に周りを驚かせていた。
女性しかつき合ってこなかったカカシが、急にイルカにだけ固執し始めたのだから、当たり前だ。それはイルカ自身一番驚いている。自分はそんな対象には絶対ならないと、そう思っていた。
そんなカカシのアピールに全くなびかないイルカにも注目が集まっているのも知っていた。
カカシに誘われてるのに何様なの、と陰でくノ一に悪口を叩かれ、とうとう直接文句を言われるようになる始末。
彼女達の言い分もよく分かる。
カカシを意識しないようにしようとすればするほど、それはしっかりと態度に出てしまうようで。
顔を赤くして断ってんじゃないわよ、と言われても、当たり前だ。
あんな意地悪したのだから、意地悪仕返してもバチは当たらないだろうけど。
こんな事になるなんて。思っても見なかった。
本当に俺、ーーどうしよう。
そう思っている合間にも、カカシは受付に顔を出す。
俺に会いに。
先日も美人で有名な上忍のくノ一が、カカシに振られたと聞いた。
誰もが羨むような女性に誘われようが、どんないい女を目の前にしても、カカシはなびかない。
諦めなよ、と女性に言うカカシは俺に決して諦めない。
どの列に並ぶか迷うことなくカカシは真っ直ぐにイルカの列に並ぶ。
一人、また一人と目の前から受付を済ませた人間が去り、とうとうカカシの番になる。
いつものように、ぼさぼさの銀色の髪に露わな青い右目はじっとイルカを見つめる。
今日こそは射止めると言わんばかりの眼差しと、優しく綺麗なカカシの微笑みに目が眩む。
イルカはカカシを見つめ返しながら、その姿にこくりと唾を飲み込んだ。

そしてーー次の人、と呼ぶイルカに、報告書を持ったカカシが嬉しそうに目を細め、脚を一歩イルカに向けて踏み出した。
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