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ああ、そうだったっけ。
地味に緩く長い坂道を歩きながらカカシは目線を上げた。木漏れ日に目を眇める。
桜並木を歩くためにここを通るたびに思い出す。わざわざ通る道ではないから忘れていたが、この道のり。何でこんな坂が続く道に桜並木を作ったのか。
見上げた視界には、アカデミー入学式には間に合わずに明日の始業式に満開になった桜と、その後ろには水色の空。
「カカシさん、聞いてます?」
声に視界を戻すと、そこには黒い瞳に映る自分。カカシは僅かに目を緩めた。
「聞いてるよ。明日は新しく教員が入ってくるんでしょ?」
イルカはそれを聞いて満足そうに頷いた。
「そうなんです。しかも3人」
イルカは指を立てる。
「うん」
「ここんところ人手不足だったんで、これで少しは楽になるといいなあって思うんですけど」
まあ、あとはその中に可愛い子がいたら、言う事ないですよね。
無邪気な笑顔にカカシは苦笑いを浮かべた。呆れたような顔にイルカはむっとする。
「いや、俺もいい加減恋人とか欲しいんですって」
だから妄想くらいしたっていいじゃないですか。なんて続けるイルカの横顔を見つめていた時、黒い髪の上に乗るピンク色の花びらに目が留まった。
太陽の光を吸い込んだ、黒く輝く髪の上の桜の花びらに思わず腕を伸ばしていた。指に花びらが触れた瞬間、イルカが顔をカカシに向けた。まだ僅かに背が高い自分を見上げるように。髪と同じ、きらきらと輝きを持つ澄んだ瞳と目が合い、カカシは思わず手を止め息を呑んでいた。
舞ってきた時と同じように、また桜の花びらは風によってふわりとイルカの髪から離れる。
「何ですか?」
不思議そうに自分の髪をイルカが触った。
「あ、いや、別に。桜が、」
「あぁ、桜」
桜並木になっているこの道ではよくある事で。イルカは気にする事もなく、大した事じゃないと、軽く相づちを打った。
「それより今回新入生のクラス、俺受け持つんですよ」
だから楽しみだなあ。
イルカの横に並んで歩きながら。イルカに触れようとして上げた行き場のない手と、気持ちを誤魔化す為に。カカシは上げ手で銀色の髪を掻いて、赤く染まった耳を隠す様に、そうだね、と返した。
イルカと二人、桜並木の中を歩く。バレないように、カカシはゆっくりと深呼吸をした。
坂を上がったところでカカシの目に入ったのは、一人のくノ一だった。少し前に上忍になったばかりのくノ一で、先日一緒に任務を共にした顔だと言う事は分かる。それだけなのに、見たくないものを見てしまった気持ちと、分かりたくもないくノ一の表情から、何も聞かずともうんざりした気持ちになる。
「はたけ上忍、今いいですか?」
案の定、そのくノ一に呼び止められた。
気を使って先に行こうとするイルカの裾をカカシは掴んだ。
「すぐ済むから、待ってて」
念を押した口調にイルカは戸惑いを見せたが、頷く。少し離れた場所に移動するイルカの背を見つめ、そこからくノ一へ戻す。
「で、何?」
「あのもしよかったら、一緒に食事でも、と思って」
随分控えめな誘い方だと、そこに内心感心するが、カカシは首を横に振った。
「ごめんね、ちょっと無理」
「あ、じゃあ大丈夫な日でもあれば、」
ああ、とカカシはため息交じりに言って銀色の髪を掻く。
「そうじゃなくてさ。別に一緒にご飯食べる事は出来るよ?でもさ、それじゃああなた勘違いしちゃうでしょ?」
女は栗色の目を瞬きする。
言ってる意味、分かるよね?と、少し首を傾けて目でそう問いかければ、意味を把握したのかその大きな目を地面に落とした。
「・・・・・・分かりました」
素直な対応に、カカシはゆっくり頷く。
「じゃあね」
落胆しようがそんなものは関係ない。慣れだと言ったら変な言い方になるのかもしれないが、いい加減慣れてきてしまっているのも事実。
イルカがいる場所まで歩く。
「ごめんね。お待たせ」
一緒に歩きながら、今日の夕飯を食べに行く為に目的の店へ二人で足を向ける。
「・・・・・・カカシさん、モテますねえ」
「そんな事ないよ」
またまた、と謙遜しているとでも思っているのか、イルカは笑い混じりにそう口にした。
「だってこの前ラブレターをもらったって、」
そんあ事をイルカが知っていたとは思わなくて、思わず視線をイルカに向けると、アスマさんが。とイルカが付け加える。ため息を漏らした。
ラブレターは受付の事務の女からだった。
そんなもの貰っても、正直面倒くさい、しか頭に浮かばなかった。自然にまたため息が漏れそうになる。なんでどの女も見る目がなく、諦めが悪いのか。
ポケットに手を入れ猫背で歩くカカシを、イルカが覗き込むように見る。
「嬉しくないんですか?」
「うん」
短く即答すると、心底分からないと言った顔をイルカは見せた。何でですか?続けて聞かれたカカシは、肩を竦める。
「だって、手紙って」
「え?何でですか。いいじゃないですか。手紙」
呆れ混じりのカカシとは対照的な対応。黙ったまま銀色の頭を怠そうに掻いた。イルカは続ける。
「手紙だからいいんですよ。書いたその人の気持ちが入ってるから」
俺は、手紙もらったら嬉しいです。
イルカへ視線を向けると、柔らかな、それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「で、それって確かうちの事務員なんですよね?」
どこまで言ったのか。あの髭。心の中で悪態をつく。
「その事務員の子。可愛いし気立てもいいから、うちらの間でも評判ですよ?羨ましいなあ。何で付き合わないんですか?」
丸で自分の事のように喜ぶイルカの表情に、胸が苦しくなる。カカシは視線を逸らしていた。
「まさか」
「え、何で?」
「興味ないし。知らない女だから」
「ええ!?それが理由?」
勿体ないなあ。イルカが本当にそう思っているのは知っているし、自分の為に言ってくれているのもよく分かる。友達として。だからこそ、胸にもやがどんどんとかかっていくのが、自分自身よく分かった。それが、自分でも上手く理解出来ていない状況だという事も。
だって、イルカ先生はいい人間だ。自分なんかよりずっと。見た目だって悪くない。
歩きながらイルカの横顔を見つめる。
なのに先生はモテない。
先生の良さに気がつかない馬鹿な女達。
そんな奴とつき合って何になるのか。
でも、いい人だから、それがいい人で終わる。というのも分かっていた。
優しくて明るくて、だから先生は友達も多い。一緒にいて楽しくて、気軽に相談も出来る。だから、きっと友達以上に発展しないタイプ。
・・・・・・あ、いや、違うか。
ふと思い出した事に、カカシはふと思った。
自分がいつもイルカの側にいるからよく分かる。先週からアカデミーの教員で、時々イルカに視線を送る女。密かにイルカを見ているのを知っている。それに先生は当たり前だが気が付いていない。
だから、先生が誰かに好かれたとしても、奥手とそれに気がつかない鈍感とじゃ何も始まる訳がない。
そう思っていたから。
校庭で、はしゃぎながら帰る子供たちをの姿を眺めながら教室まで行き、入りかけたその目に飛び込んできた光景に、一瞬目を疑った。目を目開き、そこからカカシは素早く身を壁に隠していた。
変に高鳴る鼓動を押さえながら、そっと教室を覗き見る。夕日が差し込みながらも暗くなり始めている教室は、目に映るその雰囲気を、嫌みなぐらいに盛り上げている様にも見え、カカシは眉を顰めた。
そこにいたのはイルカに小さな袋を渡す、いつか見たあの女性教員の姿だった。 見た目奥手で、想いを寄せる相手に声をかける事さえ出来なく、影で見ているだけで精一杯で。行動なんて起こすわけがないと思っていた、その女が。まさか行動に移すなんて誰が思おうか。
あまりに見慣れない光景に、カカシの心臓がどくどくと勢いよく動く。
「えっと・・・・・・じゃあ、」
「はい・・・・・・」
壁に姿を隠すカカシに聞こえるのは、言葉少ない二人の会話。柱の影に隠れ、相手が恥ずかしそうにぱたぱたと音を立て小走りで教室から出ていく女の姿を見送り。深呼吸をすると、カカシはもう一度イルカがいる教室をそっと覗いた。
ずっとイルカが望んでいた事が現実になったから。きっと恥ずかしながらも、嬉しくて無邪気に喜ぶ。そんな姿を予想したから。
イルカが一人教室で生徒の机に身体をもたれたまま、どこかを見つめながら立っている。その表情があまりにも喜びを含んでいなくて、驚き、カカシはじっとその姿を見つめた。ため息を吐き出すのも、何でなのか。分からない。
ゆっくり教室に足を踏み入れると、気配に気がついたイルカが漂わせていた視線を上げる。黒い目にカカシを映した。
途端、ぱっとイルカの表情が明るくなる。
「カカシさん」
いつもの笑顔を向けた。ちょうど良かった、とカカシに歩み寄る。
「今さっき同じ職員の人が来て。はい、カカシさん」
差し出したのは、イルカの手の中にあった小さな包み。
「え?」
何で、と視線を向けるカカシに、イルカはにっこりと微笑む。
「あなたに渡してって、頼まれたんです」
手のひらに乗せられたのは、クッキーと手紙が添えられている包み。
「何で?」
予想していなかった事に、思わず聞き返すとイルカは困ったように笑った。
「何でって、カカシさんがここによく来るから、それで気になってたみたいで。で、これはカカシさんに食べて欲しいって」
そこまでイルカに言わせてようやく気がつく。イルカはそんなカカシに不思議そうな顔で見て、小さく微笑んだ。
「良かったですね」
イルカのその微笑みで、何でもない小さな包みが、途端重く感じる。
手作りですよ、これ。上手に作ってますね。
仲介役を頼まれて、そんなに嬉しそうな顔を見せられ、カカシは思わず視線を斜め下に落とした。ため息が出そうになるを抑える。
ーーやっぱり。
やっぱり先生の良さに気がつかない女は、馬鹿だ。
何にも分かってない。
女が立ち去った、誰もいない教室で。浮かない表情を浮かべていたイルカの顔が脳裏に浮かぶ。
言葉に出来ない胸のむかつき。
何事もなかったかのように、教壇に戻って自分の教材を抱えるイルカに顔を上げた。
「ん?どうしました?」
僅かに首を傾けるイルカに、口を開き、ーー閉じる。
どうにかして、イルカの気持ちを和らげたい。
けど、言葉が上手く出ない。
「・・・・・・カカシさん?」
名前を呼ばれ、カカシは顔を上げた。
「俺は・・・・・・イルカ先生の良いところいっぱい知ってるよ」
イルカに向かって初めて口に出した、自分自身の上手く表現出来なかった言葉に、言った後に後悔する。かあ、と顔が熱くなる。鼓動が駆け足になる。思わず拳を作った指に力が入った。
やばい。
今のは、流石に変だ。
じっと向けられたイルカの視線もまた、耐えきれなくなる。睨むようにイルカを見た。
「励ましてるんだから、何か言ったら?」
少しだけきょとんとした黒い目が、緩む。ふっと笑うように微笑んだ。
「カカシさんっていい人ですね」
だからモテるんだろうなあ。
納得、とため息混じりに笑って、教室を出たイルカは廊下を歩き出す。
後について歩きながら、自分よりまだ少し背の低いイルカの後ろ姿をカカシは目で追う。イルカはあーあ、と息を吐き出した。
「でも男の人に言われても、って感じですよね」
振り返って眉を下げて笑う。
胸が、ズキンと痛んだ。
階段を下り、職員室へ向かう。
不安に揺れる青みがかった目に映るのは、いつもの調子に戻っているイルカ。
カカシは少しだけ眉根を寄せ、イルカの横顔を見つめる。
じゃあ。俺が、ーー女だったら良かったの?
答えが出るわけがないその問いに、目を伏せるとカカシは小さく笑った。
<終>
地味に緩く長い坂道を歩きながらカカシは目線を上げた。木漏れ日に目を眇める。
桜並木を歩くためにここを通るたびに思い出す。わざわざ通る道ではないから忘れていたが、この道のり。何でこんな坂が続く道に桜並木を作ったのか。
見上げた視界には、アカデミー入学式には間に合わずに明日の始業式に満開になった桜と、その後ろには水色の空。
「カカシさん、聞いてます?」
声に視界を戻すと、そこには黒い瞳に映る自分。カカシは僅かに目を緩めた。
「聞いてるよ。明日は新しく教員が入ってくるんでしょ?」
イルカはそれを聞いて満足そうに頷いた。
「そうなんです。しかも3人」
イルカは指を立てる。
「うん」
「ここんところ人手不足だったんで、これで少しは楽になるといいなあって思うんですけど」
まあ、あとはその中に可愛い子がいたら、言う事ないですよね。
無邪気な笑顔にカカシは苦笑いを浮かべた。呆れたような顔にイルカはむっとする。
「いや、俺もいい加減恋人とか欲しいんですって」
だから妄想くらいしたっていいじゃないですか。なんて続けるイルカの横顔を見つめていた時、黒い髪の上に乗るピンク色の花びらに目が留まった。
太陽の光を吸い込んだ、黒く輝く髪の上の桜の花びらに思わず腕を伸ばしていた。指に花びらが触れた瞬間、イルカが顔をカカシに向けた。まだ僅かに背が高い自分を見上げるように。髪と同じ、きらきらと輝きを持つ澄んだ瞳と目が合い、カカシは思わず手を止め息を呑んでいた。
舞ってきた時と同じように、また桜の花びらは風によってふわりとイルカの髪から離れる。
「何ですか?」
不思議そうに自分の髪をイルカが触った。
「あ、いや、別に。桜が、」
「あぁ、桜」
桜並木になっているこの道ではよくある事で。イルカは気にする事もなく、大した事じゃないと、軽く相づちを打った。
「それより今回新入生のクラス、俺受け持つんですよ」
だから楽しみだなあ。
イルカの横に並んで歩きながら。イルカに触れようとして上げた行き場のない手と、気持ちを誤魔化す為に。カカシは上げ手で銀色の髪を掻いて、赤く染まった耳を隠す様に、そうだね、と返した。
イルカと二人、桜並木の中を歩く。バレないように、カカシはゆっくりと深呼吸をした。
坂を上がったところでカカシの目に入ったのは、一人のくノ一だった。少し前に上忍になったばかりのくノ一で、先日一緒に任務を共にした顔だと言う事は分かる。それだけなのに、見たくないものを見てしまった気持ちと、分かりたくもないくノ一の表情から、何も聞かずともうんざりした気持ちになる。
「はたけ上忍、今いいですか?」
案の定、そのくノ一に呼び止められた。
気を使って先に行こうとするイルカの裾をカカシは掴んだ。
「すぐ済むから、待ってて」
念を押した口調にイルカは戸惑いを見せたが、頷く。少し離れた場所に移動するイルカの背を見つめ、そこからくノ一へ戻す。
「で、何?」
「あのもしよかったら、一緒に食事でも、と思って」
随分控えめな誘い方だと、そこに内心感心するが、カカシは首を横に振った。
「ごめんね、ちょっと無理」
「あ、じゃあ大丈夫な日でもあれば、」
ああ、とカカシはため息交じりに言って銀色の髪を掻く。
「そうじゃなくてさ。別に一緒にご飯食べる事は出来るよ?でもさ、それじゃああなた勘違いしちゃうでしょ?」
女は栗色の目を瞬きする。
言ってる意味、分かるよね?と、少し首を傾けて目でそう問いかければ、意味を把握したのかその大きな目を地面に落とした。
「・・・・・・分かりました」
素直な対応に、カカシはゆっくり頷く。
「じゃあね」
落胆しようがそんなものは関係ない。慣れだと言ったら変な言い方になるのかもしれないが、いい加減慣れてきてしまっているのも事実。
イルカがいる場所まで歩く。
「ごめんね。お待たせ」
一緒に歩きながら、今日の夕飯を食べに行く為に目的の店へ二人で足を向ける。
「・・・・・・カカシさん、モテますねえ」
「そんな事ないよ」
またまた、と謙遜しているとでも思っているのか、イルカは笑い混じりにそう口にした。
「だってこの前ラブレターをもらったって、」
そんあ事をイルカが知っていたとは思わなくて、思わず視線をイルカに向けると、アスマさんが。とイルカが付け加える。ため息を漏らした。
ラブレターは受付の事務の女からだった。
そんなもの貰っても、正直面倒くさい、しか頭に浮かばなかった。自然にまたため息が漏れそうになる。なんでどの女も見る目がなく、諦めが悪いのか。
ポケットに手を入れ猫背で歩くカカシを、イルカが覗き込むように見る。
「嬉しくないんですか?」
「うん」
短く即答すると、心底分からないと言った顔をイルカは見せた。何でですか?続けて聞かれたカカシは、肩を竦める。
「だって、手紙って」
「え?何でですか。いいじゃないですか。手紙」
呆れ混じりのカカシとは対照的な対応。黙ったまま銀色の頭を怠そうに掻いた。イルカは続ける。
「手紙だからいいんですよ。書いたその人の気持ちが入ってるから」
俺は、手紙もらったら嬉しいです。
イルカへ視線を向けると、柔らかな、それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「で、それって確かうちの事務員なんですよね?」
どこまで言ったのか。あの髭。心の中で悪態をつく。
「その事務員の子。可愛いし気立てもいいから、うちらの間でも評判ですよ?羨ましいなあ。何で付き合わないんですか?」
丸で自分の事のように喜ぶイルカの表情に、胸が苦しくなる。カカシは視線を逸らしていた。
「まさか」
「え、何で?」
「興味ないし。知らない女だから」
「ええ!?それが理由?」
勿体ないなあ。イルカが本当にそう思っているのは知っているし、自分の為に言ってくれているのもよく分かる。友達として。だからこそ、胸にもやがどんどんとかかっていくのが、自分自身よく分かった。それが、自分でも上手く理解出来ていない状況だという事も。
だって、イルカ先生はいい人間だ。自分なんかよりずっと。見た目だって悪くない。
歩きながらイルカの横顔を見つめる。
なのに先生はモテない。
先生の良さに気がつかない馬鹿な女達。
そんな奴とつき合って何になるのか。
でも、いい人だから、それがいい人で終わる。というのも分かっていた。
優しくて明るくて、だから先生は友達も多い。一緒にいて楽しくて、気軽に相談も出来る。だから、きっと友達以上に発展しないタイプ。
・・・・・・あ、いや、違うか。
ふと思い出した事に、カカシはふと思った。
自分がいつもイルカの側にいるからよく分かる。先週からアカデミーの教員で、時々イルカに視線を送る女。密かにイルカを見ているのを知っている。それに先生は当たり前だが気が付いていない。
だから、先生が誰かに好かれたとしても、奥手とそれに気がつかない鈍感とじゃ何も始まる訳がない。
そう思っていたから。
校庭で、はしゃぎながら帰る子供たちをの姿を眺めながら教室まで行き、入りかけたその目に飛び込んできた光景に、一瞬目を疑った。目を目開き、そこからカカシは素早く身を壁に隠していた。
変に高鳴る鼓動を押さえながら、そっと教室を覗き見る。夕日が差し込みながらも暗くなり始めている教室は、目に映るその雰囲気を、嫌みなぐらいに盛り上げている様にも見え、カカシは眉を顰めた。
そこにいたのはイルカに小さな袋を渡す、いつか見たあの女性教員の姿だった。 見た目奥手で、想いを寄せる相手に声をかける事さえ出来なく、影で見ているだけで精一杯で。行動なんて起こすわけがないと思っていた、その女が。まさか行動に移すなんて誰が思おうか。
あまりに見慣れない光景に、カカシの心臓がどくどくと勢いよく動く。
「えっと・・・・・・じゃあ、」
「はい・・・・・・」
壁に姿を隠すカカシに聞こえるのは、言葉少ない二人の会話。柱の影に隠れ、相手が恥ずかしそうにぱたぱたと音を立て小走りで教室から出ていく女の姿を見送り。深呼吸をすると、カカシはもう一度イルカがいる教室をそっと覗いた。
ずっとイルカが望んでいた事が現実になったから。きっと恥ずかしながらも、嬉しくて無邪気に喜ぶ。そんな姿を予想したから。
イルカが一人教室で生徒の机に身体をもたれたまま、どこかを見つめながら立っている。その表情があまりにも喜びを含んでいなくて、驚き、カカシはじっとその姿を見つめた。ため息を吐き出すのも、何でなのか。分からない。
ゆっくり教室に足を踏み入れると、気配に気がついたイルカが漂わせていた視線を上げる。黒い目にカカシを映した。
途端、ぱっとイルカの表情が明るくなる。
「カカシさん」
いつもの笑顔を向けた。ちょうど良かった、とカカシに歩み寄る。
「今さっき同じ職員の人が来て。はい、カカシさん」
差し出したのは、イルカの手の中にあった小さな包み。
「え?」
何で、と視線を向けるカカシに、イルカはにっこりと微笑む。
「あなたに渡してって、頼まれたんです」
手のひらに乗せられたのは、クッキーと手紙が添えられている包み。
「何で?」
予想していなかった事に、思わず聞き返すとイルカは困ったように笑った。
「何でって、カカシさんがここによく来るから、それで気になってたみたいで。で、これはカカシさんに食べて欲しいって」
そこまでイルカに言わせてようやく気がつく。イルカはそんなカカシに不思議そうな顔で見て、小さく微笑んだ。
「良かったですね」
イルカのその微笑みで、何でもない小さな包みが、途端重く感じる。
手作りですよ、これ。上手に作ってますね。
仲介役を頼まれて、そんなに嬉しそうな顔を見せられ、カカシは思わず視線を斜め下に落とした。ため息が出そうになるを抑える。
ーーやっぱり。
やっぱり先生の良さに気がつかない女は、馬鹿だ。
何にも分かってない。
女が立ち去った、誰もいない教室で。浮かない表情を浮かべていたイルカの顔が脳裏に浮かぶ。
言葉に出来ない胸のむかつき。
何事もなかったかのように、教壇に戻って自分の教材を抱えるイルカに顔を上げた。
「ん?どうしました?」
僅かに首を傾けるイルカに、口を開き、ーー閉じる。
どうにかして、イルカの気持ちを和らげたい。
けど、言葉が上手く出ない。
「・・・・・・カカシさん?」
名前を呼ばれ、カカシは顔を上げた。
「俺は・・・・・・イルカ先生の良いところいっぱい知ってるよ」
イルカに向かって初めて口に出した、自分自身の上手く表現出来なかった言葉に、言った後に後悔する。かあ、と顔が熱くなる。鼓動が駆け足になる。思わず拳を作った指に力が入った。
やばい。
今のは、流石に変だ。
じっと向けられたイルカの視線もまた、耐えきれなくなる。睨むようにイルカを見た。
「励ましてるんだから、何か言ったら?」
少しだけきょとんとした黒い目が、緩む。ふっと笑うように微笑んだ。
「カカシさんっていい人ですね」
だからモテるんだろうなあ。
納得、とため息混じりに笑って、教室を出たイルカは廊下を歩き出す。
後について歩きながら、自分よりまだ少し背の低いイルカの後ろ姿をカカシは目で追う。イルカはあーあ、と息を吐き出した。
「でも男の人に言われても、って感じですよね」
振り返って眉を下げて笑う。
胸が、ズキンと痛んだ。
階段を下り、職員室へ向かう。
不安に揺れる青みがかった目に映るのは、いつもの調子に戻っているイルカ。
カカシは少しだけ眉根を寄せ、イルカの横顔を見つめる。
じゃあ。俺が、ーー女だったら良かったの?
答えが出るわけがないその問いに、目を伏せるとカカシは小さく笑った。
<終>
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