if②

耳にしたのは、たまたま受付にいた時。煙草を吸うアスマに付き合って、受け付け内の隅に設置された灰皿の近くで、壁にもたれかかっていた。
「マジかよ、それやべーな」
受付に並んでいた人が途切れ、隣にいるイルカに笑いながら向けた言葉。イルカは書類を束ねる手を動かしながら、だろ?と、笑う。嬉しそうに。
何がやばいのか。相手がイルカでなければ興味も湧かなかったが。両手をポケットに突っ込んだまま、部屋の隅から眠そうな目をイルカがいる方向へ向ける。
アスマもまた、煙草を咥えながら顔を上げた。
「何だ?」
「いや?別に。何か楽しそうだなーって」
その通り、言葉を投げかけられている当のイルカは何故か少し嬉しそうだ。目線を動かし雑談するイルカ達を眺め、
「中忍連中は仲がいいもんなあ」
のんびりと煙草の煙を吐き出す。
「気になるのか?」
「んー?別に」
否定しながらも、視線は受付で話に花を咲かせているイルカに向けられている。アスマは一人息を吐き出すように短く笑った。
「気になるなら聞いてくればいいじゃねえか」
僅かにカカシは眉を寄せる。
「何で。やだよ」
気になってないって言ってるでしょ。
苛立っている、とはいかなくとも、不機嫌な口調だった。それにアスマが片眉を上げると、
ほら、もう行くよ。
控えている任務の時間が近づいている。顎で促すと背を向けさっさと受付から出て行くカカシに、アスマは灰皿に煙草の灰を落とし、ため息混じりにのそりと椅子から立ち上がる。カカシの後を追った。


数日後、待機所に向かう途中に見かけたのは、受付で見たイルカの隣にいた中忍だった。イルカはしばらくは夜勤で顔を合わせる機会もなくて。会えたからって聞きたい話題を出せるかどうかも分からない。
そんな時に立ち止まったのは、イルカ名前がその中忍から出たから。足を止めて。少し離れた場所で自ら立ち止まったくせに、どうしようか躊躇い、カカシはゆっくりと中忍へ足を向けた。
「ねえ」
「え?あっ、はいっ」
カカシの顔を見て姿勢を正す男に、構わず眠そうな目を向けた。
「先生がどうのって聞こえたんだけどさ、何?」
イルカとカカシが飲みに行ったりする間柄だと知っているが、相手が相手でどう答えるべきなのか、男は迷いを見せながら口を開く。
「あー、……、いや、あいつ気になる女が出来たみたいで」
僅かに目を見開いていた。この前の任務に就く前に見た、イルカの同僚とはしゃぐ表情が頭に浮かぶ。それを相手に悟られないようカカシは、ふーん、と相槌を打ち頭を掻いた。
「それだけで騒ぐ事?」
銀色の髪から手を離し、相手を見る。
「それが、相手が上忍で、凄い綺麗な人らしくて、」
あ、えっと、たまたま一人で入ったバーで、酒をこぼして向こうがそれを笑って許してくれたとか、
どこまで説明したらいいのか分からないまま、男が話す内容は、途中からカカシの耳に入ってなかった。

ぼんやりとしたまま、待機所に向かう。
上忍?
女?
誰?どいつよ。
暗部まで入れたらそれなりの数がいる。関わった相手でさえ、そこまで記憶に留めてないから、予想さえ出来るわけがない。
虚ろになっている自分に気がつき、カカシは軽く頭を振った。
いつか、こうなる日がくるだろうと分かっていた事なのに。
そう、あの人に好きな人が出来るのは、いい事だ。優しくて暖かい人なのに、そのくせ仕事優先で恋愛ろくになんてしてこなかったから。
だからそんなクソ女に。
そこまで心で呟いてカカシは眉根を寄せた。
これじゃあ丸で十代の恋愛感情だ。
視線を地面に落とす。
モテるのが羨ましいとか。恋人が欲しいとか。口ではそんな事言うくせに、どんな時だって先生は生徒の事ばかりで。
でも。
だから。
そんな人が落ちたら、どうなるのか。
考えたくなくて、考えようともしなかったのに。
幸せならいい。
イルカ先生が幸せなら。
そう思うことは正しいのに。
途端目の前が真っ暗になりそうな錯覚に、その中にある感情の一部が、怖いと感じている。その事実を受け止めきれずに、カカシは笑いを零した。



出来れば本人の口から聞きたくない。
そう思っていればいるほどその機会は早く訪れる。
中忍と上忍を含む飲み会で、任務で少し遅れたカカシはアスマと共に店に入った。
盛り上がってる座敷を歩き、空いている席に適当に腰を下ろす。その隣のテーブルに、イルカがいた。
ビールを半分くらい飲んだ時、イルカがカカシに気がつく。
「カカシさん」
既に酒が入っているイルカの顔は赤くなっていた。名前を呼ばれ、ジョッキを持ったままニコリと微笑みを返すだけにしたのに、隣のテーブルの話題に、アスマが興味を示した。
「何の話でそんな盛り上がってんだ?」
そう尋ねてビールを喉に流し込むアスマに近くの中忍もまた、ジョッキ片手にアスマへ顔を向けた。
「イルカです。あいつ何か恋の盲目になってて、」
「そんなんじゃねえって言ってるだろ」
イルカがムッとして反応した。
「大体さあ、付き合ってもないのにさあ。向こうは何とも思ってないって可能性だって、あ、イルカ無視すんな」
「だって、仕方ねえって。あんな綺麗な人だったら、誰だってその気になっちゃうもんなあ」
しかも年上で、上官で。シチュがエロい。
酔っているとは言え、青臭い中忍の台詞に皆が笑う。心配をしているとは言え、酒の肴にされているのが面白くないのだろう。イルカは周りに囲まれながらそんな顔でビールを飲んでいた。
会話で察しがついたアスマは関心を示し、へえイルカがねえ。と言って煙草を吸う。
「上忍って、名前は?」
「確か、アンズ、だよな?」
その名前に、カカシの指がピクリと反応した。
暗部の頃から。身体だけの関係で繋がっていた事があった。だらだらした意味のない関係。関係をカカシから切ったのは数ヶ月前。それを知っているのは数少なく、アスマはその一人で。黙ってカカシへ視線を向けた。
あの女はあまりよろしくないだろう、と目で語るアスマの視線を受けながら、カカシは無言でやり過ごす。ジョッキを持つ手に力を入れた。
んな事は分かってる。でも、イルカに何を伝えたら。
マスマさん達からも何とか言ってやってくださいよ。
何も知らない連中の声が思考に被さってくる。アスマは、どうだろうなあ、と曖昧な返事をした。
何かって。心配とか励ましとか?
それとも。
ろくな女じゃないって?
言葉が何も出てこない。
でもさあ、と少し離れた席に座っているイルカが、口を開いた。
「子ども達の話をしても親身になって聞いてくれるし、優しいんだよな」
黒い目をビールに落としながら言う。
「えー、ろくに会ってもないのに、もう本気で好きになったとか言わないよな?」
青春だな。冗談めかした中忍に、イルカは否定をしない。
「好き……、好き、なのかなあ」
イルカは僅かに首を傾け、それが周りの笑いを誘った。
「今更恥ずかしがるとか、意味が分からん」
だな、とイルカも笑って頬をこりこりと掻く。
「でも、ちょっとした事で励ましてくれるから、向こうが辛い時は励ましてあげたいよな」
イルカを視界に入れたくなくて、視線をテーブルに落としていた、その耳に入るイルカの言葉。その口から溢れる全ての言葉が胸に突き刺さる。
よく言った。男だな、と盛り上がりを見せる空気に耐えられなくて、カカシは立ち上がった。座敷を出て襖を締める。僅かながらでも宴会から遮断された空気に、カカシは息をゆっくりと吐き出した。
襖越しに聞こえる喧騒を背に、廊下を歩き出した時、背後で襖が開きそれだけで誰なのか分かる気配に、足を止めようとも思わなかった。
「カカシさん、俺もトイレ、」
「じゃないから」
背後からかけられた言葉をカカシは遮っていた。
振り向かずに。
イルカの戸惑う気配。でも、とイルカは続けた。
「カカシさんにも俺、相談したくて、」
「先生。悪いけどその話、もう聞いてらんないから、一人にさせて」
突き放した言い方だと分かっていたが、止めれなかった。
言うつもりもなかった本音。
口布の下で軽く唇を噛む。
カカシはそのまま一度も振り返る事なく、その場を離れた。


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。