いい人
子供たちの楽しそうな笑い声が外で聞こえ、カカシは読んでいた小冊子から顔を上げた。座っていたソファから、腰の高さに作られた後ろの窓へ身体を向け、外を見ると、案の定、そこには数人の子供たちがいた。そしてその内の子供の一人が手を引っ張っている相手を見て、カカシは僅かに目を緩めた。
書類を片手に抱え、子供たちと一緒に笑ってる、ーーイルカだった。
ねえ先生、一緒に遊ぼうよ!
昼休み、昼食を終えた子供たちの、強請るような声がカカシの耳にも届く。イルカは、そうだなあ、と笑顔を浮かべた。イルカは知る限りでは、今日はアカデミーではなく、受付や報告所の事務仕事だ。仕事に追われているのだろう、この時間でもまだ書類を持って歩いている。きっと昼食だってまだなはずだ。
それを分かっていない子供たちはイルカを見つけて喜び、当たり前のように遊びに誘う。
眉を下げて困ったように笑うイルカを、カカシは二階の待機所から見つめた。その先のイルカは躊躇ったが、よし、じゃあ少しだけな、とそんな返事をした。子供たちが喜んで声を上げる。
あーあ。カカシがその歓声を聞きながらそう心で呟いたのは、イルカが自分の昼飯の時間を減らして調整するのが目に見えたからだ。内心ため息を吐き出す。
「イルカか?」
背中に声をかけられ、カカシは目で追っていたイルカから視線を外し、振り返る。同じように待機所にいたアスマが煙草を咥えながらこっちを見ていた。カカシは軽く肩を竦める。
まあね、と返すと、そのカカシの表情を見てアスマは小さく笑った。
「お前の恋人は相変わらずどこにいても忙しいな」
どこからが嫌味でどこからが嫌味ではないのか、たぶんどっちも含んでいるだろう、というか、考えるのが面倒くさい。だからカカシは、そーね、と素直に認める言葉を口にした。
ソファに座り直しながら背もたれに体重を預ける。そこからまた黙って小冊子を読み始めた。
あの人は初めて出会った時もそうだった。読み慣れた文章を目で追いながらもそんな事を思う。
実直でおおらかで子供が好きで。教師の鑑そのもの。もちろんそれは今も変わらない。
さっきの子供たちに対しても然り、イルカは仕事があり、忙しい。実際その通りなのだからそれを理由にして断ればいいたけのはずなのに、断らない。
そして昼休みに入ってもまだ仕事で立て込んでいるのは、誰かにその仕事を頼まれたからだ。
言うなれば、良い人。
くノ一がイルカに対してそんな事を口にしているのを通りすがりに聞いた事もある。褒め言葉なのかどうかは分からない。ただ、どんな内容でも嫌とは言わない。笑顔で、いいですよ、とイルカは笑顔を浮かべて頷く。
もともと優しい人だと知っていたが、つき合ってみて改めて考えてみると、イルカは確かに、周りのどんな頼みも聞いていた。
さすがにデートは優先してくれているが、それでも仕事を頼まれてドタキャンされた事も何回かある。
まあ、元々人手が足りないのも知っていたし、病欠で休んだ相手の代わりとなれば仕方がないが。
ええ、いいですよ
不意にイルカが笑顔を浮かべ、カカシにそう口にした時の事を思い出した。
過去一緒に飲んだ時の話題で、イルカが女性とつき合った過去があることも知っていた。きっとイルカは優しい女性と家庭を持ち子供を作る、そんな将来を思い描いているんだろうと、そう感じた事もしばしばだ。
だけど諦めきれなくて。イルカに自分の気持ちを伝えた。一緒に居酒屋で飲んだ帰りだった。
俺とつき合ってもらえませんか?
そう告げた時、イルカはぽかんとしていた。たまたまナルトの上忍師として知り合い、一年も経ってなくて、しかも自分はイルカからしたら上官で。そして男で。そんな相手から突然前置きもなく告白されたら誰だってそうなる。
しかも相手につき合って欲しいなんて言ったのは、これが初めてだった。
なんて答えるのか。あのふっくらとした唇からどんな言葉が出るのか。緊張にじっとイルカを見つめるカカシに、イルカは、目元を緩め、ええ、いいですよ、と、そう言った。
小冊子に目を落としたまま。その情景やイルカの表情が脳裏に浮かび、カカシはぼんやりと視線を本からずらした。
その日の夕方、カカシは受付がある建物へ向かっていた。
イルカと約束をしているからだ。
「今日早く上がれそうなんだけど、一緒に帰れそう?」
そう聞いたカカシに、イルカは少し思考を巡らせた後、
「はい、6時は過ぎそうですが、たぶん大丈夫です」
嬉しそうに笑顔を浮かべた。
彼の性格からして、そんな事はないとは分かっているけど。誰にでも、何にでも、いいよ、と言うのと同じように、自分の告白にに対してもイエスと言っただけなんじゃないか、とか。
そんな風に思ってしまうのは、被害妄想なのか。
カカシは歩きながらため息を吐きだした。だって、先生の優しさに甘えたような頼みごとをする女も少なくはない。
くノ一なんだから多少の重い荷物だろうが運べるくせに、先生に頼んで一緒に持ってもらったり。仕事を手伝ってもらったり。
ただ、自分もイルカに告白した時。無理だろうが、もしかしたらイルカ先生だったら、いいですよ、と言ってくれるんじゃないかって。心のどこかでそう思った自分がいたのは確かだ。
途端カカシの気分が鬱ぐ。
(・・・・・・もしかして、貞操観念が薄いとか。いや、でも、そーいうの誘ったのも俺からだったし)
そして、どちらかと言うと貞操観念がないのは自分の方だ。
くだらない考えが頭の中でぐるぐると回る。イルカに会うまえまでにはどうにか気持ちを切り替えないと。
少し早めに受付の建物の前に着いたカカシは、気持ちの整理がつくまでは、となんとなく建物の裏手へ足を向ける。その裏手に回り込む前に足を止めたのは、間違えようもない、イルカの気配を感じたから。同時に感じるのは知らない相手で、しかしチャクラからして女で、それは間違っていない。それだけで眉根を寄せる。と、イルカの声が聞こえた。
「・・・・・・俺の事好きって、」
「本当です、ずっと、優しくていいなって思ってて、」
嫌でも分かるその状況に、カカシは思わず聞き耳を立てていた。立ち聞きなんて最悪だ、とも思うが、足が動かない。
「つき合ってください」
緊張感のある声を女が出した。カカシにもまた緊張が漂う。思わず視線を斜め横に漂わせた。何て答えるのか。想像すらできなくて、その場にいるわけでもないくせに、心臓が駆け足にあり、息苦しさを感じる。カカシはじっと息を潜めた。
イルカは直ぐに答えない。間を空け、そして口を開いた。
「ありがとう。でもごめん。俺好きなが人がいるから」
申し訳なさそうに、イルカが言う。
「でも、まだ好きでいるくらいはいいですよね?」
僅かな可能性を捨てきれないのか。イルカの性格を知ってそう甘えているのだろう。したたかで嫌な台詞だと感じる。
いや、と、イルカが流石に困った声を出した。そして小さく笑った。
「それはどうだろう。俺その好きな人とつき合ってて、すごく大切な人だから。相手を傷つけたり不安にさせたくない。だから、出来れば他を探して欲しい」
本当にごめん。
気配でイルカが頭を下げたのが分かった。
建物の裏口の扉が開き、女が無言で立ち去るのが聞こえた。そしてイルカもまたその裏口から建物の中に入っていく。
カカシは建物の壁に背をもたれ、そして口布に覆われた口元へ手を添えた。告白してきた相手をバッサリと切り捨てたイルカの台詞が頭から離れない。
たぶん今自分の顔は真っ赤だ。
こんなに赤面したのはいつぶりだろうか。イルカに告白をした時でさえこんな顔が熱くならなかったから、記憶がない。
そして、火照った頬を冷ますように口布を下ろした。
(なんだ、先生ノーって言えるじゃない・・・・・・)
心でそうつぶやき、顔から火が出そうになるのを堪えるように、カカシはそっと銀色の睫毛を伏せた。
<終>
書類を片手に抱え、子供たちと一緒に笑ってる、ーーイルカだった。
ねえ先生、一緒に遊ぼうよ!
昼休み、昼食を終えた子供たちの、強請るような声がカカシの耳にも届く。イルカは、そうだなあ、と笑顔を浮かべた。イルカは知る限りでは、今日はアカデミーではなく、受付や報告所の事務仕事だ。仕事に追われているのだろう、この時間でもまだ書類を持って歩いている。きっと昼食だってまだなはずだ。
それを分かっていない子供たちはイルカを見つけて喜び、当たり前のように遊びに誘う。
眉を下げて困ったように笑うイルカを、カカシは二階の待機所から見つめた。その先のイルカは躊躇ったが、よし、じゃあ少しだけな、とそんな返事をした。子供たちが喜んで声を上げる。
あーあ。カカシがその歓声を聞きながらそう心で呟いたのは、イルカが自分の昼飯の時間を減らして調整するのが目に見えたからだ。内心ため息を吐き出す。
「イルカか?」
背中に声をかけられ、カカシは目で追っていたイルカから視線を外し、振り返る。同じように待機所にいたアスマが煙草を咥えながらこっちを見ていた。カカシは軽く肩を竦める。
まあね、と返すと、そのカカシの表情を見てアスマは小さく笑った。
「お前の恋人は相変わらずどこにいても忙しいな」
どこからが嫌味でどこからが嫌味ではないのか、たぶんどっちも含んでいるだろう、というか、考えるのが面倒くさい。だからカカシは、そーね、と素直に認める言葉を口にした。
ソファに座り直しながら背もたれに体重を預ける。そこからまた黙って小冊子を読み始めた。
あの人は初めて出会った時もそうだった。読み慣れた文章を目で追いながらもそんな事を思う。
実直でおおらかで子供が好きで。教師の鑑そのもの。もちろんそれは今も変わらない。
さっきの子供たちに対しても然り、イルカは仕事があり、忙しい。実際その通りなのだからそれを理由にして断ればいいたけのはずなのに、断らない。
そして昼休みに入ってもまだ仕事で立て込んでいるのは、誰かにその仕事を頼まれたからだ。
言うなれば、良い人。
くノ一がイルカに対してそんな事を口にしているのを通りすがりに聞いた事もある。褒め言葉なのかどうかは分からない。ただ、どんな内容でも嫌とは言わない。笑顔で、いいですよ、とイルカは笑顔を浮かべて頷く。
もともと優しい人だと知っていたが、つき合ってみて改めて考えてみると、イルカは確かに、周りのどんな頼みも聞いていた。
さすがにデートは優先してくれているが、それでも仕事を頼まれてドタキャンされた事も何回かある。
まあ、元々人手が足りないのも知っていたし、病欠で休んだ相手の代わりとなれば仕方がないが。
ええ、いいですよ
不意にイルカが笑顔を浮かべ、カカシにそう口にした時の事を思い出した。
過去一緒に飲んだ時の話題で、イルカが女性とつき合った過去があることも知っていた。きっとイルカは優しい女性と家庭を持ち子供を作る、そんな将来を思い描いているんだろうと、そう感じた事もしばしばだ。
だけど諦めきれなくて。イルカに自分の気持ちを伝えた。一緒に居酒屋で飲んだ帰りだった。
俺とつき合ってもらえませんか?
そう告げた時、イルカはぽかんとしていた。たまたまナルトの上忍師として知り合い、一年も経ってなくて、しかも自分はイルカからしたら上官で。そして男で。そんな相手から突然前置きもなく告白されたら誰だってそうなる。
しかも相手につき合って欲しいなんて言ったのは、これが初めてだった。
なんて答えるのか。あのふっくらとした唇からどんな言葉が出るのか。緊張にじっとイルカを見つめるカカシに、イルカは、目元を緩め、ええ、いいですよ、と、そう言った。
小冊子に目を落としたまま。その情景やイルカの表情が脳裏に浮かび、カカシはぼんやりと視線を本からずらした。
その日の夕方、カカシは受付がある建物へ向かっていた。
イルカと約束をしているからだ。
「今日早く上がれそうなんだけど、一緒に帰れそう?」
そう聞いたカカシに、イルカは少し思考を巡らせた後、
「はい、6時は過ぎそうですが、たぶん大丈夫です」
嬉しそうに笑顔を浮かべた。
彼の性格からして、そんな事はないとは分かっているけど。誰にでも、何にでも、いいよ、と言うのと同じように、自分の告白にに対してもイエスと言っただけなんじゃないか、とか。
そんな風に思ってしまうのは、被害妄想なのか。
カカシは歩きながらため息を吐きだした。だって、先生の優しさに甘えたような頼みごとをする女も少なくはない。
くノ一なんだから多少の重い荷物だろうが運べるくせに、先生に頼んで一緒に持ってもらったり。仕事を手伝ってもらったり。
ただ、自分もイルカに告白した時。無理だろうが、もしかしたらイルカ先生だったら、いいですよ、と言ってくれるんじゃないかって。心のどこかでそう思った自分がいたのは確かだ。
途端カカシの気分が鬱ぐ。
(・・・・・・もしかして、貞操観念が薄いとか。いや、でも、そーいうの誘ったのも俺からだったし)
そして、どちらかと言うと貞操観念がないのは自分の方だ。
くだらない考えが頭の中でぐるぐると回る。イルカに会うまえまでにはどうにか気持ちを切り替えないと。
少し早めに受付の建物の前に着いたカカシは、気持ちの整理がつくまでは、となんとなく建物の裏手へ足を向ける。その裏手に回り込む前に足を止めたのは、間違えようもない、イルカの気配を感じたから。同時に感じるのは知らない相手で、しかしチャクラからして女で、それは間違っていない。それだけで眉根を寄せる。と、イルカの声が聞こえた。
「・・・・・・俺の事好きって、」
「本当です、ずっと、優しくていいなって思ってて、」
嫌でも分かるその状況に、カカシは思わず聞き耳を立てていた。立ち聞きなんて最悪だ、とも思うが、足が動かない。
「つき合ってください」
緊張感のある声を女が出した。カカシにもまた緊張が漂う。思わず視線を斜め横に漂わせた。何て答えるのか。想像すらできなくて、その場にいるわけでもないくせに、心臓が駆け足にあり、息苦しさを感じる。カカシはじっと息を潜めた。
イルカは直ぐに答えない。間を空け、そして口を開いた。
「ありがとう。でもごめん。俺好きなが人がいるから」
申し訳なさそうに、イルカが言う。
「でも、まだ好きでいるくらいはいいですよね?」
僅かな可能性を捨てきれないのか。イルカの性格を知ってそう甘えているのだろう。したたかで嫌な台詞だと感じる。
いや、と、イルカが流石に困った声を出した。そして小さく笑った。
「それはどうだろう。俺その好きな人とつき合ってて、すごく大切な人だから。相手を傷つけたり不安にさせたくない。だから、出来れば他を探して欲しい」
本当にごめん。
気配でイルカが頭を下げたのが分かった。
建物の裏口の扉が開き、女が無言で立ち去るのが聞こえた。そしてイルカもまたその裏口から建物の中に入っていく。
カカシは建物の壁に背をもたれ、そして口布に覆われた口元へ手を添えた。告白してきた相手をバッサリと切り捨てたイルカの台詞が頭から離れない。
たぶん今自分の顔は真っ赤だ。
こんなに赤面したのはいつぶりだろうか。イルカに告白をした時でさえこんな顔が熱くならなかったから、記憶がない。
そして、火照った頬を冷ますように口布を下ろした。
(なんだ、先生ノーって言えるじゃない・・・・・・)
心でそうつぶやき、顔から火が出そうになるのを堪えるように、カカシはそっと銀色の睫毛を伏せた。
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