innocence

風呂にも入り、居間でテレビを見て。床に就こうとした時は、もう日付が変わろうとしていた。
寝室に向かったところで、窓をこつんと叩く音にイルカは足を止める。意識して気配を探るまでもない。イルカは軽く息を吐き出すと、足を窓に向けた。窓に鍵はかけていない。それも向こうは承知のはずなのに、そこからくみ取れるのは、相手なりの配慮なんだろうが。
イルカは窓を開けた。
今回は酷く汚れている。直ぐ見てそう思った。と同時にチャクラの薄さも感じ取る。
「風呂、入れますか?」
窓の外に張られている頼りない柵に足をかけているカカシは、小さく首を横に振った。
なるほど。
イルカはそれを改めて承知する。だからと言って自分の家に来たカカシを追い返す事は出来ない。
「じゃあ明日、一緒に洗濯出来ますか?」
聞けば、今度は小さく首を縦に振った。
「入ってください」
イルカの口から出た了承の言葉に、カカシは窓から部屋に入ると、そのまま床に身体を横たえた。病院に行ったほうがいいのでは、と、この状態のカカシに何度も言った事があるから、今回は口にはしなかった。そこまでじゃないから、来ているのだ。それでもそれはカカシだけにしか分からない判断でしかないから、イルカから目に見えて薄いチャクラに心臓が冷えるのを耐えるしか出来ない。お互い忍びを家業としているのだから、心得るべき事は頭に叩き込んで言いようとも、どうしようもなく胸を切迫する。イルカはしゃがみ込み、カカシの下足を外す。
「布団、用意しますね」
いつも以上に青白い肌を見つめながら言えば、うん、と返事が返る。すぐに声で返事があるだけいい。イルカは内心安堵した。
その通り少しだけ余裕があったのだろう。カカシは、額宛を無造作に取り口布を下げると、横たえた身体を動かしイルカへ視線を向ける。
「寝るところだった?」
薄く微笑みながら聞かれる。
「ええ、ちょうど」
そう返すと、カカシは目を細めた。
気怠そうな表情に加えられるその笑みは、ぞくりとするほど色気を感じた。銀色の睫毛をゆっくり瞬きさせる。
「ごめんね」
「何言ってるんですか」
今更です。冗談めかしてイルカは立ち上がると、奥の部屋に押入に向かう。こういうときにだけしか活躍しない予備の布団。いつも男一人寝ればいっぱいになるベットに、二人で寝ているから使うことはほとんどない。いい加減狭いからセミダブルにでも変えようとも考えたが、理由があまりにも明白過ぎて行動に移せないでいる。つまり、カカシとはそういう仲だ。
イルカは押入からそのもう一組ある予備の布団を押入から引っ張り出した。最近この布団も使っていなかった。明日天気が良ければ一緒に干そう。
あとシーツと枕カバーと、と、一式揃えると、抱えて居間へ戻る。カカシは目を瞑っていた。
寝ているのだろうか。横に布団を広げて敷く。
「カカシさん、用意出来ましたよ」
声をかけると、目を閉じたまま小さく、ん、と声を出した。それは返事なのか、もう無意識に反応したものなのか。
イルカはしゃがみ込んでカカシの顔をのぞき込んだ。それでもカカシは起きる様子はない。
手を伸ばし、そっとカカシの髪に触れる。銀色の髪は草臥れてその毛先まで疲労を見せているようだ。イルカは、ゆっくりと指で髪をといだ。猫っ毛の髪はいつも以上にすんなり指を通さない。
イルカが触れても、カカシはぴくりとも動かなかった。閉じられた瞼も反応を示すことなく開く事はない。定期的な呼吸をカカシは繰り返していた。
仕方がない。イルカは吐息を漏らし、カカシの腰につけられたままのポーチを外した。そして、ベストを脱がすべくジッパーを下ろす。起こさないように器用に腕から脱がして脇に置くと、隣の布団へそのまま移動させようとカカシを抱かえる。
締まった筋肉がアンダーウェアからもイルカに伝わる。重いが、同じ体格からそれほどでもない。
「ん....」
横に移動させたところで、カカシは声を漏らた。顔を見れば、眉を少し寄せ身じろぎをした。がカカシが反応らしい反応を示したのはそれだけだった。そのわずかな反応も直ぐに消え、カカシはまた深い眠りの中に戻っていく。
起きなかった事にホッとして、イルカは脱がせたカカシのベストとポーチを手に取った。中身がどちらも抜かれていない重みを感じる。もう報告を済ませているだろうから、機密なものはここにはないだろうが。カカシにとって必要な忍具や巻物はまだこの中にある。それを勝手にとは言ったら変な言い方だが、触ることを許してくれている。それが素直に嬉しかった。
洗うのは明日だから、取りあえず部屋の隅に畳んでおいておく。そこでまたカカシに向き直った。
本当だったら、まだ意識があったら、顔や手だけでも濡れタオルで拭いてあげたかったのだが。
少し右目の下に土だろうか。汚れていた。あとは晒していないから綺麗なまま。さっきの身じろぎで身体をくの字にして眠っている。
もうカカシが寝たことで自分の身体にあった緊迫感も薄れ、安堵に変わる。消灯にしてもよかったのだが、一応、念のために、とイルカは電灯を豆球へ切り替えた。
本当によく眠っている。関心しながら、イルカはまたカカシをじっと見た。いつも逆はよくあることで、よく考えたら、自宅でここまでカカシの寝顔をまじまじ見つめる事はあまりない。
何の気なしにイルカはカカシの横にしゃがみ込んだ。
やはり、規則正しい寝息を立てている。無防備な寝顔。それは自分にしか許されていない。
そう思っただけで胸が熱く熱風が舞い上がるような沸き立つ気持ちを覚えた。
無防備でありながらあどけない表情に見え、まるで子供のようにも見える。自分が元来子供好きからきているのだと分かっているが。きっと幼い頃この寝顔だったのだろう。
「可愛いって言ったら怒るかな」
思わず口から出ていた。が、イルカのつぶやきにも反応はしない。かなり深く眠り込んでいる。
そう思いながら銀色の髪の流れを目で追い、アンダーウエアに続く首筋に目をやった。顔と同じく自分より白い肌。
それがやけになまめかしく見えた。
不意にカカシが微かに鼻から息を漏らした。しっかりと閉じていた唇が微かに開いた。その薄い唇は、ぼんやりした橙色の豆球の下で浮き立つような色気を含んでいるように見える。
イルカは思わずごくりと喉を鳴らしていた。その行為があまりにも無意識の中で現れていただけに、イルカは動揺した。
恋人が任務で疲れて帰ってきて寝ている姿に、唾を飲み込むっておかしいだろ。攻める言葉を自分に向けるが、目は再びカカシの唇に向かう。まだ唇は薄く開いたままで静かに呼吸を続けている。
薄暗い部屋でもう目が慣れてきているせいか、さっきよりもはっきりとカカシの寝顔を見る事が出来る。
それだけなのに、心臓がどくどくと脈打ち始めている。そして何よりも情けないと思うのだが、腹の下が浅ましいほどに、じわと熱を持っていた。
カカシが何日か留守にしても、特に性欲に不満を感じる事なんて今までなかった。もともと性欲が人より薄いと思ってもいた。
なのに、下腹部に集まった熱にイルカは眉を寄せた。
不謹慎すぎる。
(駄目だ)
強く念じれば念じるほどに、焦りからか熱を持つ。
離れよう、そう思った。その時カカシがまた身じろぎした。さっきより大きく。少し肩と頭をもぞりと動かした。その動きに、ふわりと動いた空気の中に、微かにカカシの匂いをはっきりと感じた。
途端、背中がぞくぞくと粟立ち、身体の底から突き上げる欲に目眩がした。
思わず息を短く吐く。
(どうしよう。どうしよう。...いや、駄目だ。しっかりしろ)
困惑した思考から逃れたくてイルカは頭を振った。それでもカカシの匂いはイルカから離れない。
気が付けば右手が自分の股間に触れた。それだけの刺激はビリと身体を痺れさせ、イルカは思わず息を詰めた。
カカシの寝息は少しも乱れていない。
それを確認しながら、イルカは我慢出来なくなり、パジャマの下衣をずり下げた。そこからおずおずと下着に手を入れる。既に高ぶっている自身を取り出した。
あり得ない。普通だったらこんな事しない。安らかなカカシの寝顔を見るだけで罪悪感に襲われるが、同時に耐えきれないほどの欲望が覆い、明らかに罪悪感を上回っているのだから情けない事この上ない。
きっと起きない。
そう決断し、イルカは唾を飲み込んだ。
(カカシさん...)
名前を心の中で呼び、自身をしごけば、カカシに抱かれているような錯覚を覚える。また背中がぞくぞくと痺れが走った。
興奮しているからだろうか。希に一人で処理する事があったが、いままでにないくらいに気持ちがいい。
イルカは目を強く瞑り、漏れそうになる息を詰め、短く吐き出す。
起きたらどうしよう。もし、何かの拍子で起きて、目を開けたら。自分の痴態を目にしたら。
あの青い目が開いたところを想像する。それはいつも自分を抱く時に見せるカカシの切なげな眼差しに変わり、快楽にのまれた。
普段飄々としているあの目は、自分を抱くときにだけ、野性的に変わる。欲火の灯した目でじっと自分を見つめて。あの唇が何度も名前を呼ぶ。そう思った時、身体が震えた。
触られてもいない乳首が硬くなり、立っているのが分かる。左手を胸に動かし、片方の乳首をパジャマの上から指で擦っただけで、電気が走ったような快感が背中を走った。
「あっ.....っ」
思わず漏れた声に、イルカは慌てて目を開ける。カカシは反応がない。定期的な呼吸を繰り返している。それにほっと安堵し、また自身をしごき始める。その動きに勝手に腰が揺れる。
羞恥が沸き上がるが、手も腰もやめられない。
「...ふっ....んっ....」
小さく声を漏らす。
もしこの痴態を見たら、カカシはなんと言うのだろうか。驚き罵るに違いない。
イルカさん、やらしい。寝てる俺でそんな事するなんて知らなかった。
(...違う...こんな事、初めてで....いつもしてるんじゃ...)
勝手に言い訳が頭に浮かぶ。
こんな恥ずかしい姿、とても生徒には見せられないね。
あの耳障りのいい低い声が棘を含ませて心の中で囁かれる。
自分を諫めるはずの台詞さえもイルカは興奮し、さらに水音が部屋に響いた。
抱かれていて、今も頭ではカカシに抱かれているはずなのに、前しか刺激がないからか、自分が上になる錯覚さえ覚える。
それくらい、頭がゆだっていた。身体も、頭も、すごく熱い。全身から汗が噴き出し、肌をしっとりと包んだ。
「んっ...んっ、」
呼吸が短くなる。気持ちよさに意識が朦朧としそうになる。
(カカシさん、カカシさ...っ)
名前を強く心で呼んだ。それだけで高みが一気に引き寄せられた。
いけない。
溶けそうになる頭で、高ぶる身体にそう思ったが、遅かった。手で覆うとか、別の何かで押さえなければいけなかったのに。それを思ったのは解放される時で。
「....んっ...!」
勢いよく白濁が吐き出され、飛び散る。カカシが寝ている布団に、アンダーウェアに、それはかかった。
「......っ」
その光景に思わず喉が引き攣るも、吐き出される脱力感に見つめる事だけしか出来ない。
指先が、腰が、快楽に浸るように震えた。
そこから一気に頭が冷静さを取り戻し始め、身体に入っていた力を緩める。目の前の自分が犯したあり得ない痴態に身体が再び一気に熱くなった。
心臓が激しく鼓動を繰り返している。それに合わせるように、整えるように呼吸を繰り返した。
あまりの快楽に脳がぼーっとする。カカシはその安らかで美しい寝顔のまま、眠りから覚めていない。それに酷く安堵するも後悔の波に押しつぶされそうになり、ぎゅっと目を瞑った。
そして、しばらくして再び目を開ける。カカシの胸辺りには、飛び散った粘液がついたまま。
そう、自分が汚した。
異様とも言える光景をイルカは潤んだ目でぼんやりと見つめた。



「....カさん、...イルカさん」
名前を呼ばれ、意識が眠りから解かれる。瞼を閉じたままでも明るさが脳に伝わる。再び名前を呼ばれ、イルカは薄っすら目を開けた。
自分をカカシがのぞき込んでいた。カカシは眉を寄せ、その表情には困惑を含んでいる。
そう、あのままイルカは自分のベットに戻る事をやめ、カカシの横で寝た。拭き取ろうとも思ったが、それでカカシが起きるのが怖かったし、もし起きたとしてそこから何食わぬ顔で対応出来るか自信がなかった。夜中カカシは目が覚めた時の事も考えるとバレるのが怖い。だから、カカシにかけるはずだったタオルケットで布団とカカシを隠すように覆い、そのままイルカも横で寝ることにしたのだ。自分かカカシの寝相でタオルケットに擦れれば、ただの汚れになる。
そう判断し、カカシの横に寝たのだ。
「おはようございます。身体はどうですか?」
イルカの問いに、困惑気味の表情から、カカシは戸惑いながら微笑んだ。
「ああ、ありがとね。もうすっかりいいみたいです」
でも、とそこでカカシは言葉を切る。そして口を開いた。
「イルカさん、ベットで寝たんじゃなかったの?」
「あ、...ええ、寂しくなって。横にお邪魔しちゃいました」
酷い言い訳だと思う。それでも時間が経っているせいか、イルカは何事もなかったように、カカシと話せた。
イルカの言葉に、カカシの目が驚きに見開き、それからふっと柔らんだ。
「そう。起きて隣にいたからびっくりした」
何も疑ってないカカシに、素直に喜んだ表情を見せられ、チクリと胸が痛む。
「すみません。寝苦しかったですか?」
言えば、ううん、と首を横に振る。
カカシもまだ少し寝起きの声だ。だから、まだ気が付いていない。むくりと上半身だけ起こしたカカシのアンダーをちらとみやり、昨夜汚した場所を確認する。思った通り、シーツかタオルケットで擦れてそこまで目立つ汚れになっていない。
バレるわけにはいかない。イルカはカカシに合わせるように起き上がると、
「天気がいいから朝から洗濯出来ますね」
とカカシの服を脱がせる。
「洗っちゃいますから、シャワー浴びてきてください」
さり気なく、しかし有無をいわさない流れに、カカシは多少困惑の表情を見せたが、イルカに素直に従うように腰を上げた。シーツもタオルケットも。全て洗えば、もう何もなかったように出来る。
朝日がやけに眩しく神々しく感じるのは、昨日の恥ずかしい自分を思い返してしまうからか。
ふと脱衣所に向かうカカシの背中を見つめる。自分が脱がしたのだから、裸なのは当たり前なのだが。引き締まり、逞しく広い背中を見ていたらとくとく心臓が走る。昨日の性欲を引きずっているみたいで嫌になる。
「洗濯終わったら、一緒に干しましょう」
その声に、カカシは振り返りそうだったね、と、優しく微笑んだ。
「あと、布団も干しますから」
だから、今日も泊まっていってください。
消えそうな声だと、自分でも思った。誘い文句なんて言えっこない。だからこれが精一杯で、カカシへの罪滅ぼしで。
そして、たぶん初めて言った台詞に、頬が紅潮する。それを誤魔化すように布団をたたみ始めたイルカを、カカシは目を見開きじっと見つめる。
罪滅ぼしだとか、昨夜イルカが見せた欲望なんて何も知らないカカシは、純真にしか見えないイルカに、恍惚としながらただ嬉しそうに頷いた。

<終>