悪戯な③
目を開けた時、目の前に写るあまり見たことのない天井の模様にイルカは眉を寄せた。
(あれ...ここ...)
頭がまだぼんやりとする。でも深い眠りから覚めた、そんな感じもする。不思議な感覚に身じろぎする。
夢を見ていた。長い夢だった気がする。
すごく嬉しくて、悲しくて。
夢の中で泣いていたはずなのに。目が熱く腫れぼったい気がする。再び瞼を閉じた。
カカシがいた。
自分の中で秘めていた、彼への想い。
それが夢の中で出てきてしまったのか。
教え子の上忍師として彼と接点が出来たのは嬉しかった。最初はほのかな憧れで。でもあの中忍選抜試験の言い争いから、どう接したらいいのか、分からなくなっていた。接し方を見失い。それでも想いが募るばかりで。しかも相手は里一の稼ぎ頭の、写輪眼のカカシ。そんな相手を好きなってしまったなんて。
きっと気持ち悪いだけだし、いい迷惑に決まっている。ひた隠しにしたいが、カカシを見ると、つい態度や表情で出てしまいそうで、それを隠そうと思えばおもうほど裏腹な態度をしてしまっていた。
ついに夢にまで。
イルカは軽く息を吐き出す。
「目が覚めたかい」
身体がその声に反射的に反応し強ばった。ガバと上半身を起こし、自分のいる場所を把握する。
どこをどう見ても火影の執務室。
寝てていい場所なんかではない。そう分かった途端、弾かれるように飛び起きると、綱手は笑った。
「気にするな。私以外は今はいない」
「いや、しかし!すみません!」
どうしてここに寝ていたのか。頭を下げながらも思いだそうと頭を巡らせる。
「気分は?」
綱手が目の前に来て、自分の顔色を伺うようにジッと見る。
「あ...、特に」
何故ここにいるのか分からない事以外、体調は良好だ。
「ならいい」
イルカから背を向ける。
「あの...私はどうしてここで...」
イルカの問いに綱手は振り返る。手には見覚えのある瓶を持っている。
「話してやるから、座りな」
意味深な眼をした綱手は口元を上げて言った。
「イルカどうした?」
受付に現れたイルカを見て同僚が首を傾げた。
誰がどう見ても青い顔をしているイルカはストンと自分の席に座る。
未だ綱手の話した事は受け入れがたい事実だった。
あれは、夢なんかじゃなかった。
本当に、本当に現実だったなんて。
チョコと間違えてシズネの試作品を口にしてしまった事は疎か、ひた隠しにしていたカカシへの感情が、想いが。子供になった事に依ってさらけ出していたなんて。
嘘だ。
そう思いたい。
一日、受付をしていてもうつろなままのイルカに周りは不審がる。だがイルカ自身どう受け止めたらいいのか未だわからない。
カカシは、カカシは一体どう思ったのだろう。
それが一番考えたくない事だった。
きっと、子供の言った事だからと。気にも留めていないに違いない。そうだ、3歳児の戯言として、流してくれる。
きっとそうだ。
一日考えてだした結論がそれだった。
そう思いたいという願望にすぎないが。
「イルカ、お前体調悪いならもう上がるか」
5時を過ぎ、一日青い顔のままのイルカにいい加減心配になったのか、声をかけられた。
「ああ、そうだな」
素直に頷いて、入り口に現れたカカシを目にして身体が固まった。
やば。
反射的にイルカは顔を逸らすように視線を机に落とした。
身体の血の気が一気に引き、心音がものすごい早さで鳴り続ける。
どうする。どうする。
腿の上に置いた拳をぎゅっと握った。
謝るか。
いつものように何食わぬようやり過ごすか。
カカシが真っ直ぐ自分に近づいているのが分かり、更に身体が強ばっていく。
お前、カカシに好き好きって抱きついてたぞ
綱手の嬉しそうな声が頭に蘇る。
気が付いたら、受付から逃げ出していた。
無理だ。無理。
顔を合わせられっこない。
好きなんて。ずっと隠していた事を、カカシに平然と謝るなんて。
出来ない。
受付から出て、アカデミーの建物から出て、必死だった。走って走って、チャクラも駆使してひたすらに駆け抜けていた。
ようやく、イルカは河原の土手で足を止めた。
荒く肩で息を繰り返し、からからになった口の中を閉じ唾を飲み込む。
その場にしゃがみ込んだ。夕陽が赤く空も水面も土手も、同じ色で包み込んでいた。
(...カバン、忘れた)
呼吸も整ってきた中、イルカは両腕の中に顔をうなだれ、ため息を零した。今アカデミーに戻る勇気はない。
うなだれたまま目を閉じる。
おぼろげに昨日の3歳児の自分の記憶が入り込んでくる。
『カカシ、大好き』
一気に身体に熱を持った。
同時に表れる暖かく満たされた気持ち。伝える事がないと思っていたカカシへの気持ちを口にしたのは、やはり嬉しいんだ。
でもそれは打ち消さなければいけない。
(忘れなきゃ)
こんな事はあってはいけない。
明日になればきっと自分も少しは落ち着いて、カカシに会う頃にはきっと今まで通りの自分で向き合える。
今までそうしてきたように、これからもそれを貫き通さなければいけない。
絶対に。
夕暮れから夜空に空の色が変わる頃、イルカはそのまま家路に着いた。幸いな事に自宅の鍵はポケットに入れたままだった。
ポケットを探り玄関を開ける。
薄暗い部屋に入り、明日は早めに出て仕事をすればいい。そう明日の段取りを思い浮かべて。
部屋の中にある気配にギクリと身体が強ばった。
誰もいないはずの自分の部屋にいる相手。はたけカカシが窓辺に立っている。銀色の髪が窓から入る月夜に照らされていた。
あまりの驚きに喉奥が引きつり声が出ない。自分に向けられているカカシの視線を受けたまま。動けないでいると、カカシがのそりと動いた。
「待ってましたよ」
低い声が部屋に響く。耳障りの良い声だと、脳が自覚する。
一歩動いたカカシに、思わずイルカも一歩下がる。
「どうして...ここに?」
やっと出た自分の声はどこか変に掠れていた。
窓からか、玄関か、どこからか侵入したのは分かってはいるが。何を目的でここに来たのか。嫌な予感で耳鳴りがするくらいの動悸に襲われていた。
「逃げるなんてあんまりでしょ」
その台詞にイルカはカカシから目を逸らした。
だからって、こんな家にまで来て抗議する事なんじゃないか。思うが口には出せない。
「ねえ、先生。教えて?」
ゆっくりとカカシはイルカに近づいてくる。狭い部屋では後退するもすぐに背に壁が付いた。心臓は今までない以上に激しく高鳴っている。
怯えた顔をするイルカに、カカシが笑いを零し、人差し指で口布を下げる。初めて見たはずなのに。記憶に新しいカカシの素顔に緊張が高まった。
今まで近づいた事のない距離に狭まった時、イルカは思わず息を止めた。
青い目が鈍い輝きを放っている。目が離せない。
「俺の事好きって、ホント?」
聞かれてイルカは目を大きく見開いた。
やっぱり聞かれた。カカシの口から出た言葉が胸に伸し掛かった。
子供に変化してしまったとは言え、中忍のしかもぱっとしないどこにでもいるような男に懐かれて。綱手の口調からは面白がっているようにも感じた。きっと、カカシからしたら屈辱だったに違いない。
怒りを含めたような冷たい眼差し。イルカは意を決して口を開いた。
「....いえ、間違いです。....本当に....すみません」
カカシの眉がピクリと動いた。
「俺は全く覚えてなくて、綱手様から聞きましたけど、....中身も子供に戻っていたようですし、」
覚えているし自覚があるが、開いた口から出る言葉はもっともらしい内容だと、思っていたのに。喋るにつれカカシの眉間の皺が深くなる。
「....ホントに?」
威圧さえ感じる声色にイルカは喉を引きつらせた。謝って済ませようと思っていたが、カカシは引き下がらない。逆に怒りが上がったようにも見え、イルカは困惑した。
そこまで疑う必要ないじゃないか。
「本当です」
「違うでしょ」
「え?」
「あの先生の言った事は本音でしょ?違うの?」
明らかに子供になっていた事を指している。イルカはごくりと唾を飲んだ。
本当ですなんて、言えるわけない。
何でそこまで執拗に。
「ちが、」
「素直になってよ」
間近で囁かれて肌に触れたカカシの吐息に、声に、ゾクリとした。苦くて甘いカカシの誘惑に眩暈がする。
でも、目の前にいるのは手に入れたくても、絶対に手に入らないから。
素直になったからと言って、カカシにどうメリットがあるのか。
恐ろしい事に、カカシは自分の気持ちを分かった上で言っている。それがイルカに恐怖を与える。
男が男を好きですなんて。気持ち悪いに決まってる。 言えっこない。 意地でも吐かせるつもりなのか。それか、素直に謝れと、そう言っているのか。
冷ややかで綺麗な顔はイルカを魅了する。息を詰めるイルカを見て、カカシは目を細めた。
「俺の事嫌いなんだと思ってましたけど、冷たい態度だったのは俺が好きだから。丸で子供の発想ですね」
的を射た言い方に舌打ちしたい気持ちになった。
脅迫染みた言い方も気に入らない。眉を寄せ、諦めにイルカは一度視線を落とす。震える息をゆっくりと吐き出した。
「そうです...カカシさん。アナタの事が好きでした」
そう言ってカカシへ視線を戻した。
「カカシさんを侮辱するつもりではありませんでした。申し訳ありません」
言い切って、唇を噛む。
「もういいでしょうか。帰ってください」
「よくないよ」
即座に返されイルカは顔を顰めていた。非難した表情でカカシを見る。
何がよくないんだ。もういいだろう。
「アンタってホントに馬鹿だね」
カカシの腕が動き、長く白い指がイルカの頬に触れた。それだけで、ピリピリと身体の内部が無情にも反応する。
もうたくさんだ。
イルカはその手を払いのけるとカカシを睨んだ。
「馬鹿で結構です!いい加減....っ」
「ねえ先生、アレが毒薬だったらどうするの?」
「........え?」
「瓶を見ましたけど、明らかに薬品でしたよね。それをなんでよく見もせずに口に入れたんです。何か分からないものを....、火影様の部屋だから大丈夫だとでも言いたいの?」
驚きにカカシを見ると、苦しそうな目をしている。
「即効性の毒薬だったら、アンタ死んでるんだよ?」
言われてゾワリと鳥肌が立った。今更カカシの言っている事を理解する。勝手にチョコだと勘違いとは言え。蓋もしてあったのに。綱手様に確認さえとらなかった。
黙ったままのイルカを見て、カカシは目を眇めると小さく息を吐き出した。
「........最初はね、驚きましたよ。ちっさいイルカ先生に好きだって言われて。正直戸惑ったし周りには馬鹿にされたようでいい迷惑だって思いました。でもね、アンタと離れて。あれがもし毒薬だったらて思ったら、無性に腹が立ったんです。忍びだから戦場で死ぬのは誰だって思い描きます。でもね、あんな小さなミスで。イルカ先生が死んだらって思ったら」
そこで言葉を切って、カカシは視線を落とした。
「それなのに、アンタは呑気に子供になって無邪気な顔で俺を好き好きって....」
カカシの嘘ではない声色に胸が痛む。そんな風に考える事もなかった。改めて忍びとしての情けなさを痛感する。
「....すみません」
項垂れ小さな声で謝ると、カカシはまた嘆息した。
「逃げたアンタを見て、また無性に腹が立って、ショックだった。なんで逃げるんだって。そこで漸く気づきましたよ。これは好きだからだって」
「は?」
顔を上げるとカカシを目が合った。
「あの子供のイルカ先生が言った台詞を今のイルカ先生から聞きたいんです」
「....いや、....なに言って、」
グイとカカシが距離を縮め、イルカは顎を引いた。
「....俺もね、他人にこんな気持ちになったの初めてだから、正直何言ってるか分かんない。でも大丈夫、俺はね先生、前のアンタも子供のアンタも、ーー今のイルカ先生も全部ひっくるめて愛してあげる」
「ーーー....は、」
急な展開に頭が回らない。間の抜けた声にカカシが小さく笑う。
「ね?だから素直になんなよ。もう一回、好きって、言いなよ」
唇が触れそうな距離で、囁く。
触れたら、好きと言ったら。
全て。今までの想いが全て溶けて流れ出てしまうだろう。
そう、全てが。
困惑に黒い瞳は誘惑するかのように揺れ、その目をカカシの青い目が見つめる。
そして薄い唇の端を上げ、微笑んだ。
<終>
NOVEL TOPへ
(あれ...ここ...)
頭がまだぼんやりとする。でも深い眠りから覚めた、そんな感じもする。不思議な感覚に身じろぎする。
夢を見ていた。長い夢だった気がする。
すごく嬉しくて、悲しくて。
夢の中で泣いていたはずなのに。目が熱く腫れぼったい気がする。再び瞼を閉じた。
カカシがいた。
自分の中で秘めていた、彼への想い。
それが夢の中で出てきてしまったのか。
教え子の上忍師として彼と接点が出来たのは嬉しかった。最初はほのかな憧れで。でもあの中忍選抜試験の言い争いから、どう接したらいいのか、分からなくなっていた。接し方を見失い。それでも想いが募るばかりで。しかも相手は里一の稼ぎ頭の、写輪眼のカカシ。そんな相手を好きなってしまったなんて。
きっと気持ち悪いだけだし、いい迷惑に決まっている。ひた隠しにしたいが、カカシを見ると、つい態度や表情で出てしまいそうで、それを隠そうと思えばおもうほど裏腹な態度をしてしまっていた。
ついに夢にまで。
イルカは軽く息を吐き出す。
「目が覚めたかい」
身体がその声に反射的に反応し強ばった。ガバと上半身を起こし、自分のいる場所を把握する。
どこをどう見ても火影の執務室。
寝てていい場所なんかではない。そう分かった途端、弾かれるように飛び起きると、綱手は笑った。
「気にするな。私以外は今はいない」
「いや、しかし!すみません!」
どうしてここに寝ていたのか。頭を下げながらも思いだそうと頭を巡らせる。
「気分は?」
綱手が目の前に来て、自分の顔色を伺うようにジッと見る。
「あ...、特に」
何故ここにいるのか分からない事以外、体調は良好だ。
「ならいい」
イルカから背を向ける。
「あの...私はどうしてここで...」
イルカの問いに綱手は振り返る。手には見覚えのある瓶を持っている。
「話してやるから、座りな」
意味深な眼をした綱手は口元を上げて言った。
「イルカどうした?」
受付に現れたイルカを見て同僚が首を傾げた。
誰がどう見ても青い顔をしているイルカはストンと自分の席に座る。
未だ綱手の話した事は受け入れがたい事実だった。
あれは、夢なんかじゃなかった。
本当に、本当に現実だったなんて。
チョコと間違えてシズネの試作品を口にしてしまった事は疎か、ひた隠しにしていたカカシへの感情が、想いが。子供になった事に依ってさらけ出していたなんて。
嘘だ。
そう思いたい。
一日、受付をしていてもうつろなままのイルカに周りは不審がる。だがイルカ自身どう受け止めたらいいのか未だわからない。
カカシは、カカシは一体どう思ったのだろう。
それが一番考えたくない事だった。
きっと、子供の言った事だからと。気にも留めていないに違いない。そうだ、3歳児の戯言として、流してくれる。
きっとそうだ。
一日考えてだした結論がそれだった。
そう思いたいという願望にすぎないが。
「イルカ、お前体調悪いならもう上がるか」
5時を過ぎ、一日青い顔のままのイルカにいい加減心配になったのか、声をかけられた。
「ああ、そうだな」
素直に頷いて、入り口に現れたカカシを目にして身体が固まった。
やば。
反射的にイルカは顔を逸らすように視線を机に落とした。
身体の血の気が一気に引き、心音がものすごい早さで鳴り続ける。
どうする。どうする。
腿の上に置いた拳をぎゅっと握った。
謝るか。
いつものように何食わぬようやり過ごすか。
カカシが真っ直ぐ自分に近づいているのが分かり、更に身体が強ばっていく。
お前、カカシに好き好きって抱きついてたぞ
綱手の嬉しそうな声が頭に蘇る。
気が付いたら、受付から逃げ出していた。
無理だ。無理。
顔を合わせられっこない。
好きなんて。ずっと隠していた事を、カカシに平然と謝るなんて。
出来ない。
受付から出て、アカデミーの建物から出て、必死だった。走って走って、チャクラも駆使してひたすらに駆け抜けていた。
ようやく、イルカは河原の土手で足を止めた。
荒く肩で息を繰り返し、からからになった口の中を閉じ唾を飲み込む。
その場にしゃがみ込んだ。夕陽が赤く空も水面も土手も、同じ色で包み込んでいた。
(...カバン、忘れた)
呼吸も整ってきた中、イルカは両腕の中に顔をうなだれ、ため息を零した。今アカデミーに戻る勇気はない。
うなだれたまま目を閉じる。
おぼろげに昨日の3歳児の自分の記憶が入り込んでくる。
『カカシ、大好き』
一気に身体に熱を持った。
同時に表れる暖かく満たされた気持ち。伝える事がないと思っていたカカシへの気持ちを口にしたのは、やはり嬉しいんだ。
でもそれは打ち消さなければいけない。
(忘れなきゃ)
こんな事はあってはいけない。
明日になればきっと自分も少しは落ち着いて、カカシに会う頃にはきっと今まで通りの自分で向き合える。
今までそうしてきたように、これからもそれを貫き通さなければいけない。
絶対に。
夕暮れから夜空に空の色が変わる頃、イルカはそのまま家路に着いた。幸いな事に自宅の鍵はポケットに入れたままだった。
ポケットを探り玄関を開ける。
薄暗い部屋に入り、明日は早めに出て仕事をすればいい。そう明日の段取りを思い浮かべて。
部屋の中にある気配にギクリと身体が強ばった。
誰もいないはずの自分の部屋にいる相手。はたけカカシが窓辺に立っている。銀色の髪が窓から入る月夜に照らされていた。
あまりの驚きに喉奥が引きつり声が出ない。自分に向けられているカカシの視線を受けたまま。動けないでいると、カカシがのそりと動いた。
「待ってましたよ」
低い声が部屋に響く。耳障りの良い声だと、脳が自覚する。
一歩動いたカカシに、思わずイルカも一歩下がる。
「どうして...ここに?」
やっと出た自分の声はどこか変に掠れていた。
窓からか、玄関か、どこからか侵入したのは分かってはいるが。何を目的でここに来たのか。嫌な予感で耳鳴りがするくらいの動悸に襲われていた。
「逃げるなんてあんまりでしょ」
その台詞にイルカはカカシから目を逸らした。
だからって、こんな家にまで来て抗議する事なんじゃないか。思うが口には出せない。
「ねえ、先生。教えて?」
ゆっくりとカカシはイルカに近づいてくる。狭い部屋では後退するもすぐに背に壁が付いた。心臓は今までない以上に激しく高鳴っている。
怯えた顔をするイルカに、カカシが笑いを零し、人差し指で口布を下げる。初めて見たはずなのに。記憶に新しいカカシの素顔に緊張が高まった。
今まで近づいた事のない距離に狭まった時、イルカは思わず息を止めた。
青い目が鈍い輝きを放っている。目が離せない。
「俺の事好きって、ホント?」
聞かれてイルカは目を大きく見開いた。
やっぱり聞かれた。カカシの口から出た言葉が胸に伸し掛かった。
子供に変化してしまったとは言え、中忍のしかもぱっとしないどこにでもいるような男に懐かれて。綱手の口調からは面白がっているようにも感じた。きっと、カカシからしたら屈辱だったに違いない。
怒りを含めたような冷たい眼差し。イルカは意を決して口を開いた。
「....いえ、間違いです。....本当に....すみません」
カカシの眉がピクリと動いた。
「俺は全く覚えてなくて、綱手様から聞きましたけど、....中身も子供に戻っていたようですし、」
覚えているし自覚があるが、開いた口から出る言葉はもっともらしい内容だと、思っていたのに。喋るにつれカカシの眉間の皺が深くなる。
「....ホントに?」
威圧さえ感じる声色にイルカは喉を引きつらせた。謝って済ませようと思っていたが、カカシは引き下がらない。逆に怒りが上がったようにも見え、イルカは困惑した。
そこまで疑う必要ないじゃないか。
「本当です」
「違うでしょ」
「え?」
「あの先生の言った事は本音でしょ?違うの?」
明らかに子供になっていた事を指している。イルカはごくりと唾を飲んだ。
本当ですなんて、言えるわけない。
何でそこまで執拗に。
「ちが、」
「素直になってよ」
間近で囁かれて肌に触れたカカシの吐息に、声に、ゾクリとした。苦くて甘いカカシの誘惑に眩暈がする。
でも、目の前にいるのは手に入れたくても、絶対に手に入らないから。
素直になったからと言って、カカシにどうメリットがあるのか。
恐ろしい事に、カカシは自分の気持ちを分かった上で言っている。それがイルカに恐怖を与える。
男が男を好きですなんて。気持ち悪いに決まってる。 言えっこない。 意地でも吐かせるつもりなのか。それか、素直に謝れと、そう言っているのか。
冷ややかで綺麗な顔はイルカを魅了する。息を詰めるイルカを見て、カカシは目を細めた。
「俺の事嫌いなんだと思ってましたけど、冷たい態度だったのは俺が好きだから。丸で子供の発想ですね」
的を射た言い方に舌打ちしたい気持ちになった。
脅迫染みた言い方も気に入らない。眉を寄せ、諦めにイルカは一度視線を落とす。震える息をゆっくりと吐き出した。
「そうです...カカシさん。アナタの事が好きでした」
そう言ってカカシへ視線を戻した。
「カカシさんを侮辱するつもりではありませんでした。申し訳ありません」
言い切って、唇を噛む。
「もういいでしょうか。帰ってください」
「よくないよ」
即座に返されイルカは顔を顰めていた。非難した表情でカカシを見る。
何がよくないんだ。もういいだろう。
「アンタってホントに馬鹿だね」
カカシの腕が動き、長く白い指がイルカの頬に触れた。それだけで、ピリピリと身体の内部が無情にも反応する。
もうたくさんだ。
イルカはその手を払いのけるとカカシを睨んだ。
「馬鹿で結構です!いい加減....っ」
「ねえ先生、アレが毒薬だったらどうするの?」
「........え?」
「瓶を見ましたけど、明らかに薬品でしたよね。それをなんでよく見もせずに口に入れたんです。何か分からないものを....、火影様の部屋だから大丈夫だとでも言いたいの?」
驚きにカカシを見ると、苦しそうな目をしている。
「即効性の毒薬だったら、アンタ死んでるんだよ?」
言われてゾワリと鳥肌が立った。今更カカシの言っている事を理解する。勝手にチョコだと勘違いとは言え。蓋もしてあったのに。綱手様に確認さえとらなかった。
黙ったままのイルカを見て、カカシは目を眇めると小さく息を吐き出した。
「........最初はね、驚きましたよ。ちっさいイルカ先生に好きだって言われて。正直戸惑ったし周りには馬鹿にされたようでいい迷惑だって思いました。でもね、アンタと離れて。あれがもし毒薬だったらて思ったら、無性に腹が立ったんです。忍びだから戦場で死ぬのは誰だって思い描きます。でもね、あんな小さなミスで。イルカ先生が死んだらって思ったら」
そこで言葉を切って、カカシは視線を落とした。
「それなのに、アンタは呑気に子供になって無邪気な顔で俺を好き好きって....」
カカシの嘘ではない声色に胸が痛む。そんな風に考える事もなかった。改めて忍びとしての情けなさを痛感する。
「....すみません」
項垂れ小さな声で謝ると、カカシはまた嘆息した。
「逃げたアンタを見て、また無性に腹が立って、ショックだった。なんで逃げるんだって。そこで漸く気づきましたよ。これは好きだからだって」
「は?」
顔を上げるとカカシを目が合った。
「あの子供のイルカ先生が言った台詞を今のイルカ先生から聞きたいんです」
「....いや、....なに言って、」
グイとカカシが距離を縮め、イルカは顎を引いた。
「....俺もね、他人にこんな気持ちになったの初めてだから、正直何言ってるか分かんない。でも大丈夫、俺はね先生、前のアンタも子供のアンタも、ーー今のイルカ先生も全部ひっくるめて愛してあげる」
「ーーー....は、」
急な展開に頭が回らない。間の抜けた声にカカシが小さく笑う。
「ね?だから素直になんなよ。もう一回、好きって、言いなよ」
唇が触れそうな距離で、囁く。
触れたら、好きと言ったら。
全て。今までの想いが全て溶けて流れ出てしまうだろう。
そう、全てが。
困惑に黒い瞳は誘惑するかのように揺れ、その目をカカシの青い目が見つめる。
そして薄い唇の端を上げ、微笑んだ。
<終>
NOVEL TOPへ
スポンサードリンク