一番

 執務室に入り、提出した書類の説明を始めたイルカに、パイプを吹かしながら椅子に座っている火影がふと視線をこっちに向ける。
「もういいのか」
 そう言われてイルカは、説明を止めた。説明の内容とは違う言葉を不意に言われ。だが、何の事なのか分からない。えっと、とイルカは言葉を漏らした。そこから、もういいのかと言うのは、と火影に聞くと、軽く顎で指すように、それだ、と言われる。
 それは、自分の左腕を指していて、イルカは苦笑いを浮かべた。先週、授業で手裏剣の練習していた際に、事故で生徒に当たりそうになり。それを庇った時に出来た傷。その傷は意外に深く、しかし一週間経ち、ようやく今朝包帯を取ることが出来た。
「はい、お騒がせしました」
 すっきりとした笑顔を浮かべるイルカに、ならいい、と火影は納得したように頷く。心配してくれていた事に嬉しく思いながらも、イルカはそこから説明の続きをするべく口を開いた。
 
 午後、イルカは仕事を終えアカデミーを出る。授業を受け持っていない生徒にも、怪我が直って良かったね、と顔を合わせる度に言われて、イルカはそれに笑顔で応えた。忍びとなれば怪我は日常的なものになるし、その対処法も勉強する内容の一つだ。怪我をしないことに越したことはないが、怖がって欲しくもない。そんな事を今回自分は怪我をした事で生徒たちに教えられたならいいんだが。
 そんな事を思いながら、商店街に向かい、顔を合わせたのはナルト達だった。ちょうど七班の任務が終わったのか。どんな内容の任務にしろ達成感が見える表情に、イルカは目を細めながら声をかける。
「なんだ先生やっと包帯取れたのかよ」
 自分が労いの言葉をかける前に、ナルトにそんな事を言われ、イルカは呆れるように笑った。
「何言ってんだ、何針縫ったと思ってんだ」
 左手を上げ傷跡と見せれば、
「俺だって昔頭ぶって縫った事あるってば!」
 昔取った杵柄のような言い方に、その相変わらずな見栄っ張りな性格に、イルカはため息を吐き出す。お前なあ、とその金色の頭をぐりぐりと撫でた。
「それはお前が授業でふざけたから怪我したんだろうが」
 偉そうに言うな。思い出し怒りではないが、過去の事だろうが反省してない言動に、イルカは髪を撫でくり回す。
 卒業した子供達の成長している姿は素直に嬉しいが。相変わらずな部分はイルカを安心させる。力任せに撫でられ髪をぼさぼさにされながらも、でも治って良かったじゃん。そう言われ、イルカは白い歯を見せて笑った。

 商店街に入ったところで、声をかけてきたのは上忍師のアスマだった。紅も並んで歩いている。
「お、ようやく治ったか」
 お疲れさまです、と会釈するイルカに、そんな言葉を返され、相手が上忍ある故に、イルカは、はあ、と恥ずかしそうに後頭部を掻いた。生徒を庇って出来た傷とは言え、そもそも自分が授業を始める前にもっと注意を促すべきで、その授業を監督していた自分に責任があり。情けない気持ちに返す言葉も歯切れが悪くなる。
 そんなイルカに、アスマは片眉を上げた。
「何だ、名誉の負傷なんだから、そんな顔しなくてもいーだろうが」
 そう言われても、名誉とは言えない。ますます何とも言えない気持ちになれば、
「それがお前の仕事だろ」
 大きな手で背中を叩かれる。強い力に多少驚くと、笑いながらアスマは、じゃあな、と背中を向ける。アスマはその背中を会釈しながら見送った。
 確かに、読み書きやそろばんだけが授業内容であれば、こんな怪我や事故が起こる事もない。自分が教えているのは忍びになる為の授業だ。経験がなければ成長は出来ないのも事実で。
 でも上司に怒られた事も事実。
 もっと注意を払うべきだよなあ。とイルカもまたゆっくり歩き出した。

「お、先生。もう治ったのかい」
 ラーメン屋の暖簾をくぐって直ぐに言われ、イルカは苦笑いを浮かべた。歩いた先で八百屋のおばさんや、魚屋の店主。何回目かになる同じ様な台詞を言われ、恥ずかしいし、ただ当たり前に悪気があるわけではないのだから、それを素直に受け入れるしかない。そう、こんな風に日常の中で目をかけてもらっているようで。いや、実際その通りだ。こんな怪我に声をかけてもらえるのは有り難い。
 だから、はい、有り難うございます、と礼と共に注文をすれば、じゃあ快気祝いで焼き豚一枚おまけしとくね、と返される。
 イルカは嬉しさ半分、申し訳なさに、なんかすみません、と素直に受け入れる。照れながら鼻頭を掻いた。

「あ、先生」
 ラーメンを勢いよく啜っている時に、背中から声をかけられる。
 振り返れば、そこにカカシがいた。自分の隣にカカシが座り、店主へ注文を口にした。麺を飲み込んでから、お疲れ様です、と言えば、うん、とカカシから声が返る。
 ナルト達にあの場所で顔を合わせた事を考えると、きっとカカシは任務の報告をしていたんだろう。
 そして、上忍師であるカカシやアスマは下忍との任務に加え、単独で任務をこなしている。まだ出会って日は浅いものの、自分の知りうる限りでは、そこまで大きな怪我もなく、日々里を守ってくれている。
 そう思うと、同じ里を守っている立場が違うとは言え、自分はまだまだだなあ、とそんな思いに悶々としながらもラーメンを啜れば、自分の注文を待っているカカシが、立て肘をつきながら。あれ、と声を出す。
「先生、怪我治ったんだ」
 カカシがどんぶりに添えるイルカの左手へ目を向けていた。
 その視線に、治ったとしても、不甲斐ものしか感じなくて。ええ、まあ、と返した時、
「良かったね」
 カカシがふわりと微笑む。
 その表情を目にしながら、何故か息を呑んだ。
 そこから同時に聞こえるのは自分の胸がとくとくと高鳴り始める音で。
 今日一日、色んな人に声をかけられたけど。
 どの言葉にも感謝をしているが。
 なんだろう。
 ーーカカシさんのが一番、嬉しい。
 それが何でなのか分からない。
 分からないけど。嬉しさに、頬が紅潮する。
 分からないからもどかしくて、ぐっと口を結べば、
「どうしたの?」
 カカシに不思議そうな顔で聞かれる。その青みかがった目を、カカシの顔を見ているだけで、ドキドキが止まりそうにない。
 だから、
「いえ、何でも」
 イルカは首を横に振り、そう返すと勢いよくラーメンを食べ始めるしかなかった。

<終>
 
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