一ミリ

それを見つけた時、自分の顔はすごく輝いていたんだと思う。
日帰りの任務の帰り道だった。その任務は無事完了し、予定より早くその里を出られた。急いで帰る事もない。イルカは行きとは違う、山道を使うルートを選んだ。鍛錬も兼ねてだ。
その山道で見つけてしまったのだ。
キノコを。
それは薬として使える貴重なキノコだった。高価な為なかなか木の葉でさえ入手出来ない。そのキノコは山の中に分け入った場所に生えていた。木に直接生えているから、山道から遠目でも確認できたそれを取るには、山道から逸れて山の中に入らなければならない。
イルカは躊躇うことなく山へ入った。
天然のキノコは大きく立派だった。これが手に入れば、アカデミーの授業でも使えるし、自分でも薬を調合出来る。
顔を輝かせて木に登り、キノコに手をかけたところまでは良かった。
「やっ…た!…ぅあ!?」
足を滑らせ、気がつけば穴の中にいた。
「いっ…た…」
上手く着地が出来ず壁で頭を打ち目に星が浮かんだ。どうやら穴は木の根元にあったらしい。顔を上げれると遠くに青空が浮かんでいた。穴は細く意外に深い。前の戦争で出来た穴か。剥き出しになった岩で足を捻っていた。
「…きのこ…」
そんな事よりと先のキノコを思い出し狭い辺りを見渡す。イルカが尻餅をついた横に落ちているのを見つけ、ホッとし手に取り、ぎゅーっと優しく抱きしめた。
良かった。これが一番大切。自分のポーチに入れる。
…でも。
再び顔を上げ広がる青空を見上げた。
この短時間でジンジン痛みを訴える脚首。
利き足がこれで、この深さじゃどう足掻いても出れそうにない。

時間ばかりが悪戯に過ぎていく。
山は日が落ちるのは早い。どうすることも出来ないと分かってはいるが、何もしないわけにはいかないと何度か登ろうと試みた。
指先は真っ黒になっていた。指先に力を入れたからか、爪に土が入り込み、血が滲み出ている。
痛みより、何より、心細さが先に立つ。男で教師で、何より忍びなのに。
唇をきつく結び、顔に力を入れる。

「…参った…な」
掠れる自分の声があまりにも情けなくて、涙がでそうになった。ため息まじりに泣き笑いのような息を吐き出して、顔を上に向けた。
あるのは真っ黒な夜空に輝く星。救いでもなんでもないが、イルカを慰めてくれる気がする。その星空は木の葉より比べものにならないくらい綺麗だって事だから。
「はあーあ」
途中までは問題はなかったのに。
右足首を恨めしそうに眺めて摩る。
そうして、また美しく瞬く星を仰ぐように見上げた。

思い浮かべるのは。
浮かびそうになった顔にイルカは勢いをつけて頭を振った。
違うだろ。
確かにあの人は木の葉を誇る忍びで、強く、勇敢で。
ナルトの新しい上忍師で。
ただ、それだけで。他に強い忍びはいるんだ。
いや、いたからって、今俺が助かるとか、関係ないんだけど。
よく分からない結論に辿り着き軽く項垂れため息を吐く。
違う。だいたいあの人がいけないんだ。
そこまで接点がない自分にやたらと話しかけてくる。最初はナルトが何かしでかしたからと構えていたが、どうやらそうじゃない。ナルトの話もまあしてくるが、天気の話とか夕飯は何を食べとか、正直自分からしたらどうでもいい話ばかり。こんなペーペーの一介の中忍に。
不思議な人だと思う。
そう言えば。この前何かを頼まれたけど。何処かに一緒に行って欲しい…とか、そんな感じだった。
頷いたのはいいが、すぐにカカシは短期の任務に出かけた。
そうだ。任務でいないから自分を捜しに来るわけがない。
それは自分を酷く落ち込ませた。
これ以上余計な事を考えていたくなくて、頭を振る。
「……本当、どうしよう」
薄ら笑いしてまた上を見上げて。
いるはずのない。でも間違えようがない顔を。ポカンと口を開けて見ていた。月を背にしてキラキラ輝くその姿は。まさしく。
「…ゆう…れい?」
口にすれば、カカシがおもむろに顔を歪めたのが分かった。
「んなわけないでしょ」
音もなく自分の横に降り立つ。まだ状況が理解出来なくて、でも目の前にいる人はどうやら本物らしい。途端気持ちが緩んでいく。
「カカシ先生…」
「あんた何してんですか。こんなとこで」
「………キノコを」
「はあ?キノコ?」
「いや、…何でもないです」
言ったら確実に呆れ果てるに決まっている。苦笑いして、話を止めた。
でも。この声、顔。
改めてカカシを見て。ようやく、自分の中にあった緊張が緩んだ。
「聞いてる?」
「はい。やっぱり本物だって、思って」
「え、俺?」
怪訝な顔のままカカシは自分の顔を指差したから、イルカは素直に一回頷いた。
「はい。だって、短期任務に行かれてたから、まさかカカシ先生が来るなんて」
そこまで聞いて、カカシは眉根を寄せたままイルカを見た。
「…早く終わって今日、着いたんです。そしたらあんたが、戻ってこないって。ナルトやサクラが泣きついてきましてね」
イルカは聞きながら、ああ、と口を開いた。
「そう言えば、あいつらと夕方約束してました。ラーメンを食いに行こうって」
ラーメンと自分で口にして反射的にお腹がぐきゅるる、と鳴る。
イルカは笑って後頭部に手を置いた。
「なんか急にお腹空いちゃいました」
そんなイルカを見て、寄せていた眉を下げて、カカシは、はあと盛大に息を吐き出した。
「どんだけ俺が心配したと思ってるの」
カカシの真意だと感じ、イルカは頭を下げた。
「…すみません」
謝って、
「でも、なんでカカシ先生が来られたんですか?俺みたいな奴の捜索なら別に他の手隙がいたはずですよね」
瞬間カカシの表情が硬くなった。まずい事を言ってしまったのか。でも分からない。
「…そう思いません?」
と伺えば険しくなった目でイルカを見た。
「恋人の捜索を他人に任すような人でなしに見えますか」
イルカは沈黙を選んだ。いや、選ぶしかなかった。
だって。
この人。
何言ってるか分からない。
たっぷり沈黙をしたあと、イルカは恐る恐る口を開いた。
「恋人って…誰ですか?」
「はあ?イルカ先生ですよ」
「俺が?恋人?」
「…違うの?」
「はい、違います」
瞬間、両肩を掴まれて驚いた。カカシがイルカを覗き込んでいる。
「先生、頭打ちました?」
「あ、少し。でもしっかりしてますよ?」
「じゃあなんで俺が恋人じゃないなんて言うの?」
勢いに押されながら、イルカは困惑した。
何を突然言い出すのか。
「だって、俺が任務行く前、付き合ってって言ったじゃない。そしたらイルカ先生いいですよって…」
何回か瞬きをして、記憶を手繰る。
確かに。言った。
そこで。ようやく合点した。カカシの言動が。
自分の明らか様な勘違いに、徐々に身体が。顔が。熱くなっていく。
カカシは肩から手を離すと、一呼吸置き、顔を上げる。青く光る目にドキとした。
「あーもー…、どうせそんな事だろうと思いましたよ」
悔しさを滲ませ、ぐしゃぐしゃと銀髪を混ぜかえすように掻いた。その髪はいつも以上に乱れる。
伏せていた目がフッと上がり、落胆に多少の怒りを含んだ目の色に、普段見ない感情の色はイルカを刺激した。場違いな感情だと、堪らず視線を下にずらした。
任務に行く前、カカシの告白だと気がつかず嬉しそうに頷いた自分が、あまりにも馬鹿で恥ずかしい。
そんな心情を誤魔化したくて、イルカは口を尖らせた。
「……だって…カカシ先生は…何処に行きたいのかとばかり思って…まさか…俺と…俺が、すっ、すっ、好き、…なんて、ぅわ!?」
顔を上げれば、カカシに抱きかかえられ、飛んでいた。穴から出て、ふわりと降ろされる。
挫いた足を庇い片足で立つイルカを眺めて、カカシはポケットをゴソゴソと探った。
「はい」
ずいと手を差し出され、よく見るとそこには一本の小さなペロペロキャンデー。
「……飴ですか」
思わず見たままの台詞が出ていた。うん、とカカシが頷く。
「ナルトがね、探しに行く前に渡してきたのよ。イルカ先生はきっと腹減ってるだろうからって」
俺が見つけ出せるかなんて分からないってーのにさ。
小さくつぶやいて掌に握らされる。
カカシの見えない心情が今更ながらに伝わってきて、イルカは飴を握りしめうな垂れた。
でも、お腹が空いているのは変わらない事で。
イルカは封を開けるとパクリと口にした。
久しぶりに食べたからだろうか。
空腹だからだろうか。
甘くて。
心に染みるくらいに甘い。
フッと聞こえた笑い声に顔を向ける。
カカシが目を細めて自分を見ていた。
「じゃ、行こっか」
「え?」
再び抱きかかえられ、今度は木の上に飛んだ。そこから素早く、軽く、跳躍しながら移動していく。
何を言ったらいいのか。気まずい。流れる景色から、上手い跳躍だとか、音も立てず、木も揺らさない事に関心が及びながらも、カカシに掴まる腕に力を入れた。
誰が見たって情けない姿だと思う。男が足を挫いただけで抱えられて。でも、確かに伝わるカカシの暖かさや彼の存在が、今自分にこの上なく安堵感を与えてくれている。
気にしないようにしていたけど、1人でいた時はやっぱり心細かったのだ。口にした飴を咥えながら。静かに枝から枝に飛躍するのをカカシの身体越しに感じながら目を閉じた。
無言が続く中、カカシがひっそりと声を漏らすように出した。
「…寝ちゃったの?」
「いいえ…」
そう答えながら、何て言うんだろう。包まれるこの気持ちを。カカシに伝えたい。でも何て言えば。
「…気持ちいい」
「…は……?」
「すっごく…気持ちいいです。なんか、あったかくて…風呂に入ってるみたいで…」
素直な気持ちを口に出せ、イルカは満足気に口元を緩ませた。
さっきよりもカカシの心音がはっきり聞こえてくる。それがまた心地いい。イルカは無意識にカカシに頬をすり寄せた。
「ちょ、」
「…しました」
カカシが何か言いかけたが、イルカの声にそれは止まった。
「え?」
またボソと口にしたイルカに、目だけをカカシは向けた。
「ホッとしました。…あなたを見て。すごく」
思った事を話していた。
「だから…」
「だから?」
少しだけソワソワしながら、しっかり飛躍をしながらも、カカシは目だけをしっかりイルカを見る。
「えっと、ですね…」
イルカは思案しながら下唇を噛み、やがて離す。一瞬でも噛み跡が残ったそのぽてっとした唇に目を奪われそうになり、カカシは視線をイルカから前方へ移した。
同時に視界に入り込んだ物に、イルカは反射的にあ、と声を上げ、会話が中断された。
「カカシ先生、もう阿吽の門ですよ」
肉眼で確認出来る木の葉の灯りにイルカは声を弾ませていた。
「……分かってますよ」
そう落胆気味に呟いて。門の近くまで来ると、カカシは大きな枝で弾みをつけ地面に静かに降り立った。
門の側でナルトの声が聞こえた。それに驚くが、名前を呼び手を振る相手にイルカの顔が綻んだ。嬉しさに手を挙げ答えた。不意に小さな嘆息を漏らし、カカシは抱えていた腕を解いてイルカを立たせた。
急にカカシの体温が離れたからか、心細さにカカシを見ると、カカシは寂しそうに微笑んだ。
「生徒の前で抱えられてちゃあね」
カカシの背からはナルトが走ってくる光景が映る。その意図に、恥ずかしいとは思っていなかったが、カカシの心遣いにイルカは眉を下げた。
「あと、」
そう言って、ひょいとイルカの咥えていた飴の棒を掴んで取った。
舐めて半分にまで減った飴を、カカシはそのままパクリと自分の口に入れた。
「腹が立つけど、今日はあいつに譲りますよ。…、それに、」
俺にもそんな笑顔、見せてくれるって約束してね。
恨めしそうな眼差しから、顔を綻ばせ、飴を咥えたまま笑った。
そのカカシの表情に、イルカは勝手に顔が熱くなる。
だくど、そんな笑顔の意味がよく掴めない。
困りながら答えを探して黙ったイルカに、カカシは背を向け歩き出した。自分より少しだけ広い背中。銀色の髪を見つめていると、走ってきたナルトがカカシを通り過ぎ、脚を痛めているイルカに遠慮なしに抱き着いてきた。

木の葉に着いた安堵感や、ナルトの表情よりも。
金色の少年を腕の内に入れながら、イルカはまたカカシの背中を見つめた。
ほんの少し、自分の心が動いた気がするのは気のせいだろうか。
水面下にある揺れた心。一ミリ、一ミリ。彼に向かっているなんて、イルカはまだ気が付いていない。

<終>
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