言っていい事わるい事
酒と煙草の匂いがする騒がしい店内でイルカはビールを半分ほど呑む。酒が進み顔を赤くした同期が目の前でため息をついて、イルカは顔を戻した。不機嫌半分落ち込んでいるのは、今日の約束を彼女にすっぽかされたから。その愚痴を聞く為につき合わされた居酒屋で、イルカはため息をつく同僚を前につくねを一本口に入れた。
「ホント、訳わかんねえよな」
そう言われ、イルカはそのつくねをもぐもぐと咀嚼しながら同僚を見つめ、そうだなあ、と同調するように口にした。
同感するようにはしているものの、正直共感出来るようなところはない。喧嘩の発端もよく聞くようなもので、些細な事で彼女の怒りを買い、約束をすっぽかされ、大したことではないのに、と同僚は呆れ半分に怒っている。
原因は彼女が真剣に選んでいた服に対して、どっちでもいいだろう、と言ったのが原因で。
男からしたら興味のない買い物に長時間つき合わされて、どうでもいいからそれを正直言ったまでで、そこまで悪意はないのも分かるけど。
そうではなく、言い方の問題で。
ーー要は、言っても仕方のない事を口にするからこうなるのだ。
いい加減学習すればいいのに、とイルカは内心そう思いながら、同僚の愚痴に耳を傾けた。
翌日、イルカは報告所で椅子に座りながら、眠気に欠伸をしそうになり、それを噛み殺す。結局昨日はずっと同期の愚痴を聞いていた。二件目までつき合わされそうになり、それは流石に断った。あの後彼女のところに行ったのか、やめたのかは、知らない。と言うか、そこまではどうでもいい。
どうせ喧嘩していても愚痴を言っても、元の鞘に収まるのだから、さっさと謝ればいい。
イルカは既に溜まった書類を確認しては、判子を押していく。
事を荒立てたくなかったら、腹で思っている事をそのまま口にするのは避ける。それだけで済むのに。
そう、理不尽な事でやたらひっかかってくる上忍や、不機嫌なだけでそれを職場に持ち込む上司。そんなのにいちいちまともに対応して、正直に言い返しても、無駄なだけだ。
だから、口に出しても仕方のないことは出さないのが一番いい。
「イルカ先生」
声をかけられ、顔を上げる。カカシの顔にイルカは笑顔を浮かべた。
ナルトの上忍師として知り合ってから、ナルトの元担任だというだけなのに、カカシはこうして気さくに声をかけてくれる。
イルカはカカシから報告書を受け取る。夜半から受けた任務をもう終わらせている事に、カカシにとっては何でもない事なのだろうが、感心しながらイルカは目を通した。判子を押し、顔を上げる。
「問題ありません。お疲れさまでした」
笑顔を浮かべると、カカシも目元を優しく緩める。そこからカカシは背を向け、そして直ぐこっちへ振り返った。
「ねえ、先生。明日は暇？」
暇と聞かれイルカは瞬きをした。
「いや、明日はアカデミーで授業があって、」
そこまで言うと、カカシが眉を下げて笑った。
「そうじゃなくて、残業とか、ある？」
「あ、いや、たぶんそこまで遅くなるような事はないとは思いますけど」
イルカの返事にカカシは少しほっとした顔を見せる。
「だったら呑みに行かない？」
聞かれてイルカが、はい、と答えればカカシは、良かった、と微笑む。
「じゃあまた明日ね」
その言葉に、イルカがまた、はい、と元気良く答えると、カカシはにこりと微笑んだ。
カカシに呑みに誘われたのは一ヶ月ぶりだった。
七班の任務や訓練の合間に単独任務や短期の任務をこなしていて、休みはそれなりに取っているものの、忙しそうなのは知っていた。何度か約束も駄目になった事もある。それでもこうしてまた誘ってくれるのは、素直に嬉しい。
こっちが中忍であるのも、自分が上忍であることも、そこに拘らずカカシは声をかけてくれる。自分がナルト達の事を気にかけてくれているからだと、分かってはいるが、会話をする機会を与えてくれるのも嬉しくて。 そして、カカシは何でも話を聞いてくれる。聞き上手なのか、カカシの前では楽しい話だけをしようとしていても、今日は何かあったの？と優しく聞かれればつい愚痴のようなものも、ついこぼしてしまう。それをカカシは受け入れるように聞いてくれるから、それに甘えてしまって。それに酒や食べるものの好みが似ていて、笑うツボも同じで。
イルカは久しぶりに楽しい酒が飲めそうだと、嬉しさに顔が綻びそうになる。その口を結んで、イルカは作業を再開した。
待ち合わせた時間に向かうと、カカシは既にいた。
道の脇でいつものように小冊子を持っていたカカシが歩み寄るイルカに気がつく。本を閉じながら手を振られ、イルカは笑顔を浮かばせながら会釈をする。
「待たせてしまってすみません」
いつから待っていたのか、窺うように見ると、カカシは小さく笑って首を振った。
「そんな大して待ってないよ」
行こっか。
促されイルカは頷くと一緒に並んで歩き出す。声をかけられたのはその直後だった。
「カカシ」
振り返るとアスマが火がついた煙草を咥えて立っている。
「お前今夜暇か？」
そう聞きながら、カカシの言葉を待たずしてアスマは続けた。
「今日飲み会なんだけどよ、メンバーだったヤツが急に任務入って、お前来れないか？」
言われて、隣に立っているカカシは、ポケットに手を入れたまま小さくため息を吐き出したのが聞こえた。
困っているのだと、分かる。
アスマは同じ上忍師であり、カカシの上忍仲間で。迷う事はなかった。
カカシが、いや、あのね、と口にしたのと、あの、と自分が声を出したのは同時だったが、イルカはそのまま続ける。
「カカシさんなら、大丈夫ですよね」
え？とカカシがそう言ってイルカを見た。視線を向けると、青みがかった目が少し驚いたような目でこっちを見つめている。イルカは苦笑いを浮かべた。
「俺もよく幹事まかされるんで、分かるんです。アスマさんも困ってるみたいですし、俺はまたいつでもいいですから」
少し早口になっていた。アスマは、二人が約束をしいていた事に今更ながらに気がつき一瞬戸惑うような顔をしたが、イルカの言葉に、悪いな、とイルカの肩を叩く。
カカシは。僅かに眉根を寄せ何か言いたそうな顔をしていたものの、イルカの笑顔を受け、黙っていた。申し訳ないと思うものの、これが一番正しい選択だと分かっている。分かっているからカカシもまた何も口にしない。その通り、アスマは沈黙を肯定と受け取ると、カカシを促すように、行くか、と声をかける。
イルカはそのまま頭を下げるとその場を離れた。
仕方がないよな。
イルカはため息が出そうになる度に自分にそう言い聞かせる。そこから、どうしよっかなあ、とぼんやり黒い空を眺めながら呟いた。
カカシは今頃アスマと店に着いただろうか。上忍だから、きっと飲み会で自分が行くような安い居酒屋ではないだろう。もしかしたら、給料日後にしか行けない焼き肉屋とか、料亭とか。
気取った店は好きじゃないとカカシは以前そう言っていた。イルカ自身、足を運ぶ店は低価格で。でも美味くて、綺麗でもお洒落でも何でもない。そんな居酒屋しか知らないが、連れてきた時、カカシは酒を呑み白い頬を微かに赤く染めながら、俺こーいう店好きだよ、とそう嬉しそうに言ってくれた。それが本当に嬉しくて。それが、自分に合わせてくれているだけだとしても、やっぱり嬉しかった。
黒い目に、ゆっくりと流れる雲を映し、視線を前に戻す。
今日は外で夕飯を済ませるつもりだったから、家に買い置きした食料はそこまでない。だからと言って食材を買い込んでこのまま家に一人帰って自炊する気にもなれない。一番妥当なのはコンビニだ。缶ビールとつまみと、弁当。それか、カップラーメン。そんな事を考えながらイルカは家に近いコンビニ向かって歩き出した。
翌日、書類を持ってアカデミーの建物から出て、執務室へ向かって歩いている時、ふと前を見たらカカシがいた。
今日は火影直属の任務があるのか、数人の上忍仲間と一緒になにやら話している。
昨日の今日で、少し申し訳ないと思うのは、正しい事をしているものの、カカシの前で出しゃばって勝手な事をしてしまったのかもしれないと、そう思っているから。
ただ、ここで顔を合わせたからと言って話しかけるわけにもいかない。イルカは書類を抱え会釈をして通り過ぎる。その直後に、名前を呼ばれた。
少し驚いて足を止め振り向くと、カカシが歩み寄ってくる。静かな眼差しを向けられ、いつもと違うと感じるのは微笑んでいないからか。とにかく、せっかく声をかけてもらったのだから。昨日はどうでした、とそう聞こうとした時、カカシが、あのさ、と先に口を開いた。
「先生、今日は？」
「え？」
聞き返すとカカシはじっとイルカを見つめる。
「だって、昨日駄目になっちゃったじゃない」
だから、先生が良ければ俺都合つけるから。
まさかそんな言葉をかけてくれると思っていなかった。イルカは一瞬瞬きをして、そして、笑顔を浮かべる。
「でも、カカシさん昨日の今日だとお疲れじゃ、」
「別に昨日は大して飲んでないし、夕飯食べるだけならいいでしょ？」
微かに首を傾げて聞かれ、じゃあ、と言い掛けた時、ねえ、とまた声がかかった。
上忍仲間の一人のくノ一が後ろに立っている。
「カカシも任務達成の打ち上げ、行くわよね？」
腰に手を置いて、栗色の髪を耳にかけて問いかけるくノ一の言葉に、イルカは言い掛けた言葉を止めていた。ここで行きます。行きたいです。なんで言葉を選ぶほど自分は馬鹿じゃないし、空気を読めないヤツではない。落ち込みそうになる気持ちに内心そうじゃないと打ち消し、口を結ぶ。一回落としかけた視線を上げ、笑顔を作った。
「あの、俺今日は予定あったの、思い出しました」
誘っていただいたのに、すみません。カカシの顔を見れなかった。だから、そのまま頭を下げるとイルカは背中を見せ、執務室がある建物へ向かって歩き出す。
顔に出さないように努めてたが、ひどく落ち込んでるようだと思われただろうか。
だが、幸いな事に。笑顔を作る事は得意だ。そう安堵した時、腕を取られ驚いた。
驚き振り返ると、腕を掴んでいるのはカカシで。そしてその表情は深刻そうで。何か間違った事を言っただろうかと思う。
不思議に思ってる間にも、くノ一がまた後ろでカカシの名前を呼んだ。
行くんでしょ？そう問いかけるくノ一に、カカシは肩越しに振り返る。
「行かない」
短く答えた。自分が知っているカカシらしくない、随分突き放した言い方だと感じていると、カカシはイルカを見る。
行かないとはどういうことなのだろうか。今の状況が理解出来ず、あの、と言い掛けたイルカの腕をカカシはぐいと引っ張る。
「来て」
そう口にすると、え、と戸惑うイルカを無視して、カカシはそのまま腕を引っ張り歩き出した。
カカシは建物の陰になっている裏道まできて、手を離す。
然程歩く距離はなかったものの、話すことなく、何も言わないから。戸惑うイルカを前に手を離したカカシは、ただ、ため息を吐き出した。
それが少し不機嫌そうで。それだけで胸の奥がざわざわとしてイルカは書類を持っていない手の指先をきゅっと丸める。見つめる先で、カカシが少しだけ伏せていた目をゆっくりとイルカへ向けた。緊張するイルカを見つめ、先生さ、と口にする。
「俺に、言いたい事あるよね」
カカシの言葉に、イルカは何を言われているか理解しているものの、どう捉えたらいいのか分からず、思わず泳がせた視線を地面へ落とした。
カカシの言う言いたい事が、何なのか。考えたくなくて沈黙を選んでいると、カカシがまた小さく息を吐き出したのが聞こえた。がしがしと髪を掻いたのが分かる。イルカは軽く唇を噛んだ。視線をおずおずと上げる。
「俺は、別に、」
「じゃあ何であんな顔するの」
言い終わらないうちにそう口にされ、イルカは閉口した。心臓が、嫌な予感を感じ取ってるかのように、どくどくと激しく心音を鳴らす。
どんな顔したのかなんて分からないし、言いたい事なんて何もない。カカシの顔を見る事がきなくて、視線が自然と下がる。
だって、言っても良い事と悪い事の区別くらい、そんなのは自分でもよく分かって、ーー。
「俺と一緒に飲みに行きたいって、言ってよ」
懇願するような眼差しに、イルカは眉を寄せていた。開きかけた口を結び、そしてゆっくり開く。
「･･････だって、そんなの、ただの俺の我が儘で、」
「それでいいじゃない」
「そんな、」
思わず顔を上げていた。青みがかった目がイルカを見ていた。
「俺はね、先生。あなたが寂しそう顔をしたり、落ち込んだ後ろ姿を見る方が辛い」
かあ、と体が熱くなった。そんなカカシが言うような顔や態度を取ったつもりなんかないのに。
「俺は先生にその我が儘を言って欲しいの」
想像もしていなかった。カカシのその言葉に、瞬きを忘れてただ、カカシを見つめた。目の奥がひりひりとする。でもどうしても信じられないくて、言葉が、出てこない。でも、
俺の言っている意味、分かるよね？
そう口にする言うカカシの口調は優しく訴えかける。
自分のと約束なんて、カカシの上忍仲間と比べたら、いや、比べるものでもないとすら思っていたのに。
「俺、･･････カカシさんと飲みに行きたいです」
今までずっと言いたかった言葉を、おずおずと口に出す。言ってはいけない、そう思っていたのに。
カカシは。うん、と口にしてふわりと笑った。嬉しそうに。
瞬間、胸がどきんと高鳴った。
そしてまだ戸惑う表情を残したままのイルカにカカシがじゃあ行こっかと声をかける。
顔を赤くしたまま、イルカはカカシと並んで歩き出した。
薄々気がついていたけど、気のせいだと胸の奥に押し込んでいた気持ちがゆっくりと動き出す。
カカシと恋人同士になったのは、この半月後の事だった。
<終>
「ホント、訳わかんねえよな」
そう言われ、イルカはそのつくねをもぐもぐと咀嚼しながら同僚を見つめ、そうだなあ、と同調するように口にした。
同感するようにはしているものの、正直共感出来るようなところはない。喧嘩の発端もよく聞くようなもので、些細な事で彼女の怒りを買い、約束をすっぽかされ、大したことではないのに、と同僚は呆れ半分に怒っている。
原因は彼女が真剣に選んでいた服に対して、どっちでもいいだろう、と言ったのが原因で。
男からしたら興味のない買い物に長時間つき合わされて、どうでもいいからそれを正直言ったまでで、そこまで悪意はないのも分かるけど。
そうではなく、言い方の問題で。
ーー要は、言っても仕方のない事を口にするからこうなるのだ。
いい加減学習すればいいのに、とイルカは内心そう思いながら、同僚の愚痴に耳を傾けた。
翌日、イルカは報告所で椅子に座りながら、眠気に欠伸をしそうになり、それを噛み殺す。結局昨日はずっと同期の愚痴を聞いていた。二件目までつき合わされそうになり、それは流石に断った。あの後彼女のところに行ったのか、やめたのかは、知らない。と言うか、そこまではどうでもいい。
どうせ喧嘩していても愚痴を言っても、元の鞘に収まるのだから、さっさと謝ればいい。
イルカは既に溜まった書類を確認しては、判子を押していく。
事を荒立てたくなかったら、腹で思っている事をそのまま口にするのは避ける。それだけで済むのに。
そう、理不尽な事でやたらひっかかってくる上忍や、不機嫌なだけでそれを職場に持ち込む上司。そんなのにいちいちまともに対応して、正直に言い返しても、無駄なだけだ。
だから、口に出しても仕方のないことは出さないのが一番いい。
「イルカ先生」
声をかけられ、顔を上げる。カカシの顔にイルカは笑顔を浮かべた。
ナルトの上忍師として知り合ってから、ナルトの元担任だというだけなのに、カカシはこうして気さくに声をかけてくれる。
イルカはカカシから報告書を受け取る。夜半から受けた任務をもう終わらせている事に、カカシにとっては何でもない事なのだろうが、感心しながらイルカは目を通した。判子を押し、顔を上げる。
「問題ありません。お疲れさまでした」
笑顔を浮かべると、カカシも目元を優しく緩める。そこからカカシは背を向け、そして直ぐこっちへ振り返った。
「ねえ、先生。明日は暇？」
暇と聞かれイルカは瞬きをした。
「いや、明日はアカデミーで授業があって、」
そこまで言うと、カカシが眉を下げて笑った。
「そうじゃなくて、残業とか、ある？」
「あ、いや、たぶんそこまで遅くなるような事はないとは思いますけど」
イルカの返事にカカシは少しほっとした顔を見せる。
「だったら呑みに行かない？」
聞かれてイルカが、はい、と答えればカカシは、良かった、と微笑む。
「じゃあまた明日ね」
その言葉に、イルカがまた、はい、と元気良く答えると、カカシはにこりと微笑んだ。
カカシに呑みに誘われたのは一ヶ月ぶりだった。
七班の任務や訓練の合間に単独任務や短期の任務をこなしていて、休みはそれなりに取っているものの、忙しそうなのは知っていた。何度か約束も駄目になった事もある。それでもこうしてまた誘ってくれるのは、素直に嬉しい。
こっちが中忍であるのも、自分が上忍であることも、そこに拘らずカカシは声をかけてくれる。自分がナルト達の事を気にかけてくれているからだと、分かってはいるが、会話をする機会を与えてくれるのも嬉しくて。 そして、カカシは何でも話を聞いてくれる。聞き上手なのか、カカシの前では楽しい話だけをしようとしていても、今日は何かあったの？と優しく聞かれればつい愚痴のようなものも、ついこぼしてしまう。それをカカシは受け入れるように聞いてくれるから、それに甘えてしまって。それに酒や食べるものの好みが似ていて、笑うツボも同じで。
イルカは久しぶりに楽しい酒が飲めそうだと、嬉しさに顔が綻びそうになる。その口を結んで、イルカは作業を再開した。
待ち合わせた時間に向かうと、カカシは既にいた。
道の脇でいつものように小冊子を持っていたカカシが歩み寄るイルカに気がつく。本を閉じながら手を振られ、イルカは笑顔を浮かばせながら会釈をする。
「待たせてしまってすみません」
いつから待っていたのか、窺うように見ると、カカシは小さく笑って首を振った。
「そんな大して待ってないよ」
行こっか。
促されイルカは頷くと一緒に並んで歩き出す。声をかけられたのはその直後だった。
「カカシ」
振り返るとアスマが火がついた煙草を咥えて立っている。
「お前今夜暇か？」
そう聞きながら、カカシの言葉を待たずしてアスマは続けた。
「今日飲み会なんだけどよ、メンバーだったヤツが急に任務入って、お前来れないか？」
言われて、隣に立っているカカシは、ポケットに手を入れたまま小さくため息を吐き出したのが聞こえた。
困っているのだと、分かる。
アスマは同じ上忍師であり、カカシの上忍仲間で。迷う事はなかった。
カカシが、いや、あのね、と口にしたのと、あの、と自分が声を出したのは同時だったが、イルカはそのまま続ける。
「カカシさんなら、大丈夫ですよね」
え？とカカシがそう言ってイルカを見た。視線を向けると、青みがかった目が少し驚いたような目でこっちを見つめている。イルカは苦笑いを浮かべた。
「俺もよく幹事まかされるんで、分かるんです。アスマさんも困ってるみたいですし、俺はまたいつでもいいですから」
少し早口になっていた。アスマは、二人が約束をしいていた事に今更ながらに気がつき一瞬戸惑うような顔をしたが、イルカの言葉に、悪いな、とイルカの肩を叩く。
カカシは。僅かに眉根を寄せ何か言いたそうな顔をしていたものの、イルカの笑顔を受け、黙っていた。申し訳ないと思うものの、これが一番正しい選択だと分かっている。分かっているからカカシもまた何も口にしない。その通り、アスマは沈黙を肯定と受け取ると、カカシを促すように、行くか、と声をかける。
イルカはそのまま頭を下げるとその場を離れた。
仕方がないよな。
イルカはため息が出そうになる度に自分にそう言い聞かせる。そこから、どうしよっかなあ、とぼんやり黒い空を眺めながら呟いた。
カカシは今頃アスマと店に着いただろうか。上忍だから、きっと飲み会で自分が行くような安い居酒屋ではないだろう。もしかしたら、給料日後にしか行けない焼き肉屋とか、料亭とか。
気取った店は好きじゃないとカカシは以前そう言っていた。イルカ自身、足を運ぶ店は低価格で。でも美味くて、綺麗でもお洒落でも何でもない。そんな居酒屋しか知らないが、連れてきた時、カカシは酒を呑み白い頬を微かに赤く染めながら、俺こーいう店好きだよ、とそう嬉しそうに言ってくれた。それが本当に嬉しくて。それが、自分に合わせてくれているだけだとしても、やっぱり嬉しかった。
黒い目に、ゆっくりと流れる雲を映し、視線を前に戻す。
今日は外で夕飯を済ませるつもりだったから、家に買い置きした食料はそこまでない。だからと言って食材を買い込んでこのまま家に一人帰って自炊する気にもなれない。一番妥当なのはコンビニだ。缶ビールとつまみと、弁当。それか、カップラーメン。そんな事を考えながらイルカは家に近いコンビニ向かって歩き出した。
翌日、書類を持ってアカデミーの建物から出て、執務室へ向かって歩いている時、ふと前を見たらカカシがいた。
今日は火影直属の任務があるのか、数人の上忍仲間と一緒になにやら話している。
昨日の今日で、少し申し訳ないと思うのは、正しい事をしているものの、カカシの前で出しゃばって勝手な事をしてしまったのかもしれないと、そう思っているから。
ただ、ここで顔を合わせたからと言って話しかけるわけにもいかない。イルカは書類を抱え会釈をして通り過ぎる。その直後に、名前を呼ばれた。
少し驚いて足を止め振り向くと、カカシが歩み寄ってくる。静かな眼差しを向けられ、いつもと違うと感じるのは微笑んでいないからか。とにかく、せっかく声をかけてもらったのだから。昨日はどうでした、とそう聞こうとした時、カカシが、あのさ、と先に口を開いた。
「先生、今日は？」
「え？」
聞き返すとカカシはじっとイルカを見つめる。
「だって、昨日駄目になっちゃったじゃない」
だから、先生が良ければ俺都合つけるから。
まさかそんな言葉をかけてくれると思っていなかった。イルカは一瞬瞬きをして、そして、笑顔を浮かべる。
「でも、カカシさん昨日の今日だとお疲れじゃ、」
「別に昨日は大して飲んでないし、夕飯食べるだけならいいでしょ？」
微かに首を傾げて聞かれ、じゃあ、と言い掛けた時、ねえ、とまた声がかかった。
上忍仲間の一人のくノ一が後ろに立っている。
「カカシも任務達成の打ち上げ、行くわよね？」
腰に手を置いて、栗色の髪を耳にかけて問いかけるくノ一の言葉に、イルカは言い掛けた言葉を止めていた。ここで行きます。行きたいです。なんで言葉を選ぶほど自分は馬鹿じゃないし、空気を読めないヤツではない。落ち込みそうになる気持ちに内心そうじゃないと打ち消し、口を結ぶ。一回落としかけた視線を上げ、笑顔を作った。
「あの、俺今日は予定あったの、思い出しました」
誘っていただいたのに、すみません。カカシの顔を見れなかった。だから、そのまま頭を下げるとイルカは背中を見せ、執務室がある建物へ向かって歩き出す。
顔に出さないように努めてたが、ひどく落ち込んでるようだと思われただろうか。
だが、幸いな事に。笑顔を作る事は得意だ。そう安堵した時、腕を取られ驚いた。
驚き振り返ると、腕を掴んでいるのはカカシで。そしてその表情は深刻そうで。何か間違った事を言っただろうかと思う。
不思議に思ってる間にも、くノ一がまた後ろでカカシの名前を呼んだ。
行くんでしょ？そう問いかけるくノ一に、カカシは肩越しに振り返る。
「行かない」
短く答えた。自分が知っているカカシらしくない、随分突き放した言い方だと感じていると、カカシはイルカを見る。
行かないとはどういうことなのだろうか。今の状況が理解出来ず、あの、と言い掛けたイルカの腕をカカシはぐいと引っ張る。
「来て」
そう口にすると、え、と戸惑うイルカを無視して、カカシはそのまま腕を引っ張り歩き出した。
カカシは建物の陰になっている裏道まできて、手を離す。
然程歩く距離はなかったものの、話すことなく、何も言わないから。戸惑うイルカを前に手を離したカカシは、ただ、ため息を吐き出した。
それが少し不機嫌そうで。それだけで胸の奥がざわざわとしてイルカは書類を持っていない手の指先をきゅっと丸める。見つめる先で、カカシが少しだけ伏せていた目をゆっくりとイルカへ向けた。緊張するイルカを見つめ、先生さ、と口にする。
「俺に、言いたい事あるよね」
カカシの言葉に、イルカは何を言われているか理解しているものの、どう捉えたらいいのか分からず、思わず泳がせた視線を地面へ落とした。
カカシの言う言いたい事が、何なのか。考えたくなくて沈黙を選んでいると、カカシがまた小さく息を吐き出したのが聞こえた。がしがしと髪を掻いたのが分かる。イルカは軽く唇を噛んだ。視線をおずおずと上げる。
「俺は、別に、」
「じゃあ何であんな顔するの」
言い終わらないうちにそう口にされ、イルカは閉口した。心臓が、嫌な予感を感じ取ってるかのように、どくどくと激しく心音を鳴らす。
どんな顔したのかなんて分からないし、言いたい事なんて何もない。カカシの顔を見る事がきなくて、視線が自然と下がる。
だって、言っても良い事と悪い事の区別くらい、そんなのは自分でもよく分かって、ーー。
「俺と一緒に飲みに行きたいって、言ってよ」
懇願するような眼差しに、イルカは眉を寄せていた。開きかけた口を結び、そしてゆっくり開く。
「･･････だって、そんなの、ただの俺の我が儘で、」
「それでいいじゃない」
「そんな、」
思わず顔を上げていた。青みがかった目がイルカを見ていた。
「俺はね、先生。あなたが寂しそう顔をしたり、落ち込んだ後ろ姿を見る方が辛い」
かあ、と体が熱くなった。そんなカカシが言うような顔や態度を取ったつもりなんかないのに。
「俺は先生にその我が儘を言って欲しいの」
想像もしていなかった。カカシのその言葉に、瞬きを忘れてただ、カカシを見つめた。目の奥がひりひりとする。でもどうしても信じられないくて、言葉が、出てこない。でも、
俺の言っている意味、分かるよね？
そう口にする言うカカシの口調は優しく訴えかける。
自分のと約束なんて、カカシの上忍仲間と比べたら、いや、比べるものでもないとすら思っていたのに。
「俺、･･････カカシさんと飲みに行きたいです」
今までずっと言いたかった言葉を、おずおずと口に出す。言ってはいけない、そう思っていたのに。
カカシは。うん、と口にしてふわりと笑った。嬉しそうに。
瞬間、胸がどきんと高鳴った。
そしてまだ戸惑う表情を残したままのイルカにカカシがじゃあ行こっかと声をかける。
顔を赤くしたまま、イルカはカカシと並んで歩き出した。
薄々気がついていたけど、気のせいだと胸の奥に押し込んでいた気持ちがゆっくりと動き出す。
カカシと恋人同士になったのは、この半月後の事だった。
<終>
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