上等

怪我した仲間を担いで帰ってきたカカシが里に帰還した時、みぞれ混じりの雨が降り出していた。怪我を負った仲間を他の上忍と共に病院へ向かわせ、自分は受付に向かう。
多少残る肩のだるさにカカシは片腕を回しながら受付を見渡すと、時間にしては人が少なく閑散とした空気だった。
カカシはポケットから報告書を取り出すと受付をしている人間へ渡す。相手から挨拶と労いの言葉をかけられたカカシは、ん、と短い返事をして、確認が終わるのを待った。
壁にかけられている時計の針の音が、かちかちと部屋に響く。カカシはその時計から目の前の受付の男に視線を戻した。
「なんか今日やけに静かだよね」
何気ない会話のはずなのに、目の前の男はびくりと反応を示した。
顔を上げ、少しの間の後にようやく口を開く。
「今日は飲み会で、」
「飲み会?」
聞き返した直後、あ、とカカシは声に出した。
そう言えばイルカがそんな事を言っていた気がする。いや、言っていた。それが今日だったとは。
任務に里を出てから遂行する事に没頭し、飲み会の事はすっかり自分の頭から抜けてしまっていた。
それで帰ってきた今、目の前の男に聞いて思い出すと言う自分の失念ぶりに、額に手を当て小さく息を吐き出した。
そこから改めて受け付けの男へ顔を向けた。机の上に置かれた報告書に指をさす。
「それ、問題ないよね?」
「え?あ、はい」
「じゃあ行くね」
片手を上げそう告げると、カカシはさっさと部屋を出た。

親睦会と言う名の飲み会があると、イルカが口にしたのは先週、任務で里を出る前の時。
身仕度を整えていたカカシはアンダーウェアを首から通し袖へ腕を通す。そのままぐいと下へ引っ張ると白い肌に残る古傷が隠れた。
親睦会。その薄っぺらい表現にカカシから一気に興味が削がれていく。
「へえ・・・・・・そーなんだ。俺はパスかな」
「え?」
イルカに聞き返され、ベストを身につけたカカシはジッパーを上げるとイルカへ顔を向けた。
「だって苦手だし」
事実、その手の飲み会に参加した事は片手で数えるくらいしかない。
「俺だって苦手ですよ」
「え、そうなの」
意外だと思うとイルカが口を尖らせた。
「誰だって友人や気の合う者同士の楽しい飲み会の方がいいに決まってます。俺だってそうです。ただ、この世界にいて様々なつきあいに柔軟にならなきゃいけない事もあるんですよ」
それに、選択の自由がある上忍とは違いますから。
もっともらしい言葉の最後に、嫌味にもとれる台詞に。カカシは少し目を丸くしてイルカを見た。少し拗ねたような、それでいて寂しそうな表情のイルカ。
そこから今の言葉は嫌味ではなく本音だと気が付いたカカシは、密かに微笑み、イルカへ視線だけ向ける。
「じゃあ・・・・・・間に合ったら顔を出そっかな」
「え?本当ですか?」
嬉しそう。それが顔に表れていた。それが子供用で。ついカカシは目を細める。
「うん、約束」
そう言った。


今何時だっけ。
カカシは顔を上げてみるが、時計らしきものは目に入らない。そのまま雲に隠れつつある月へ視線をずらした。
ーーたぶん一次会が終わるぎりぎりの時間だろか。
間に合ったら。そう約束したのだから、間に合わなくてもイルカが怒るわけではないのは分かっていた。
でも、あの時見せた寂しそうな顔と、嬉しそうに目を輝かせたイルカ。それが脳裏に浮かぶと、カカシの足は自然と早くなった。


イルカの横顔は酒で赤くなり、酔っぱらっているせいか表情もいつも以上に緩んでいた。
24時間体制でどこかしら人が出払っている為、参加出来る人数は大体限られている。そこまで広くない宴会場の真ん中にイルカはいた。
イルカの周りには人が集まる。それは宴会で限られた事ではない。
カカシは頭をがしがしと掻きながらイルカを見つめた。
外を歩いていてもそうだ。二人で歩いていても子供たちや商店街の人、生徒の父兄だとか、誰かしらに呼び止められる事が多い。それもイルカの人柄だと分かってはいるが、寂しい気持ちにもなったりする。
そして酒の席とはいえ無防備に緩んだ笑顔を周りに振りまいているのを見たら、さらに複雑な気分になった。
イルカを独占したくもなるし、誰かに察してほしいとは思ったりもするが、ただ、二人の関係を公言している訳でもないのだから、仕方がない。それをイルカが望んでいないのは知っていた。
だから直ぐに声をかけるのは慮ってやめる。イルカから少し離れた席に腰を下ろした。
近くの中忍がカカシに気がつき、すぐにビールを注ごうとしたがそれを断り、カカシは手酌でビールを注ぎ、一口飲んだ。
その時、イルカが声を立てて笑い、ふっとイルカの視線が動く。
動かした先にカカシを見つけたイルカは、てっきり酔っぱらいらしく、ふにゃりと笑みを浮かべるのかと思っていた。
が、確かにさっきまでそんな感じで微笑んでいたのに。カカシを見た途端、表情が少し堅くなった。わずかな表情の変化で、それに気がついたのは自分だけで、当たり前だがそれを見逃すはずがない。
イルカは、ちらりとカカシを見てすぐ、ふいと顔をそらす。カカシは面食らった。そして眉を少し寄せる。
今のは一体何だろう。
自分に対して機嫌を損ねているようにも見てとれた。それは、思った以上に自分が遅かったから拗ねているとかなのだろうか。
しかし大らかな性格のイルカが、普段から些細な事で腹を立てる事はまずなかった。どちらかと言えば、自分の方がイルカに対しての限定でどうでもいいことで器が小さくなる事が多かった。
だから。
えー、俺何かやらかしちゃった?
恋人のつれない態度に悲しさ覚えつつ、ビールを飲みながら考えてみても、イルカの家を出てから今まで任務で里外にいて、そのまま真っ直ぐここに向かっている。その短い経緯の中で思い当たる事は何もない。
ちなみにイルカが恋人になってから浮気なんて論外だし、合コンだって行っていない。特に物欲もないから目立つ散財だってしていない。
彼が一回怒ったのは、次の日の勤務に支障が出るくらいに抱き潰した時だけだ。
それからは自分なりに抑えたり、イルカのスケジュールを把握した上で行為に至っている。
よって自分に非があるとは考えられない。
なんて物思いに耽っていると、同僚と会話していたイルカがくるりとカカシへ振り返った。
お、と反応を薄く示せば、イルカはカカシの目の前に座る。
にこりとイルカが微笑んだ。それがいつもの笑みではないと分かる。酔っぱらっているものなのか、何なのか。その顔をじっと見つめた。
「カカシさん聞きましたよ」
「え?何を?」
「写真を撮られたそうじゃないですか」
「・・・・・・はあ」
イルカが向ける唐突で、漠然とした言葉に間の抜けた返事をした。
「写真は嫌いとばかり思ってたんで、意外です」
イルカは笑顔だが、明らかに目と口調にはカカシへの非難が込められていた。
カカシは目をぱちくりさせる。
テーブルで向かい合って座っている、イルカの意図が掴めない。
「いや、写真撮られるのは嫌いですよ」
「ええ、俺もそう思ってました」
そう返されると首を傾げるしかなかった。
「イルカ先生、ちゃんと説明してくれなきゃ分かんないよ。どうしたの?」
埒があかない会話にカカシは、いい加減に、と思いながらそれでも優しく促した。
イルカの眉にわずかに皺が寄る。しぶしぶ、と言った感じで口を開いた。
「今日見たんですよ。昼に一楽に行った時に、」
「一楽?」
「ああ、あの写真の話か」
近くにいた中忍が突然二人の話に割って入ってきた。
「何の話?」
カカシが聞くと、その中忍は続ける。
「今日こいつと昼飯食いに一楽に行ったんですよ」
給料日の後だったしな。と言ってイルカの背中を叩いて笑う。
「それで、どうしたの」
イルカを叩くその手に苛辣な眼差しを向けながら問うと、男はそれに気がつく事なく頷く。
「ええ、そこでアヤメさんがはたけ上忍と一緒に撮った写真を見せてくれたんですよ」
その言葉で思い出した出来事に、カカシは思わず、ああ、と声を漏らしていた。
確かにそんな事があった。
一人遅めの昼飯にと一楽へ向かった先で、イルカの言うように、確かにそこで写真を撮る羽目になった。
でもそれはもちろんカカシの意志ではない。
偶然やもろもろの事情が重なっただけで。
「あれは木の葉丸が撮ったんだって」
「聞きました」
即答するイルカの口調は厳しい。
「それにどうしてもって言われたし、ほら誕生日だからとかどうとか言って」
そう。カカシが一楽に顔を出した先に木の葉丸とエビスが先客として座っていた。そこから何故か話の流れで木の葉丸の買ったばかりのカメラで、店員であるアヤメと一緒に写真を撮る事になった。
アヤメには手を合わせてお願いをされ、仕方なく頷いたのは、イルカが常連として顔を出している店の看板娘だったからだ。
そこらの店の女だったらもちろん断っている。
理由があってこその事だったと、イルカは分かってくれるとは思っていたが、ここでは説明不足であるのは否めない。その通り、納得できない顔をしていた。
参ったな、とカカシは内心困りイルカを見つめた。
まあ、納得出来ないと思うイルカの気持ちも分かる。
少し前に、当のイルカに一緒に写真を撮りましょうと言われて断ったからだ。元々忍びであれば基本記録に残るようなものは好ましくない。それに。
 一緒に撮ってもいいけど、それナルト達に見つかったら先生どう言い訳するの?
当たり前の質問に、イルカはぐっと眉根を寄せた。
イルカの家にはしょっちゅうとまではいかないが、ナルトが来たりする。ナルトならまだいい。サクラに見つかったらどうするのか。そこまで深く考えていないくせに、写真が見つかり問いつめられれば、イルカが困窮する姿はありありと目に浮かぶ。
二人は恋人同士だと、誰にも知らせる事が出来ない状況なのにだ。
そこでイルカがあきらめて、この関係をぶちまけるのも、それはそれでいいとは思うが。やはりそこまでは出来ないと断念したのか。イルカはカカシに言われた言葉に、そうですね、と力なく呟いた。

その事があって、イルカが不機嫌になってしまったのだろうが。
何を言い訳しようと今は無理だとカカシは判断したが、イルカは抗議するような眼差しをカカシに向けたまま。
「あんなに嬉しそうに写っちゃって。カカシさんはあんな子がタイプなんですね」
イルカの言葉にカカシは目を丸くした。
拗ねたイルカも可愛いが、そんな言葉をこんな席で投げかけるなんて。
「別に。タイプではないですよ」
片肘をついてグラスのビールを飲むと、イルカが小さく笑った。
「でも鼻の下伸びてましたよ?」
意地が悪いなあ、とカカシは思った。
そこまでイルカにとっては根に持つ事だったのだろうか。
酔っぱらいの言葉だと流すしかないと、カカシはそうですかねえ、と答える事を選ぶ。
「アヤメさん、すごく喜んでましたよ。今もきっと嬉しそうにその写真を見てるんじゃないんですかね」
「・・・・・・」
言葉を選べなかった。カカシは黙ってイルカをじっと見つめる。
イルカが喜ぶと思って急いでここに向かったのに、それも恋人の喜ぶ顔がみたいが為だ。なのに、何が悲しくてこんな事を言われなければならないのか。
悪かったとは思うが、自分に非がそこまであるとは思えない。
低温ではあるが、ふつふつとわき上がる納得出来ないものを飲み込もうとする。
「きっと色んな人に見せちゃったりして」
イルカのその挑発的な台詞に、カカシは銀色の髪をぼりぼりと掻いた。ゆっくりと息を吐き出し、イルカへ視線を戻す。
「・・・・・・まあねえ。あの子に限ってそんな事はないからいいけど、確かにあの写真を他の女がどんな目で見るかなんて分かんないよね」
言い返されると思ってなかったのか。イルカの黒い目が反応し、丸くなる。
「でもさ、どんなにその写真を色ついた目で見られようと、俺に触れるのはイルカ先生だけだよ」
喧噪の中、ここの周りだけが布に包まれたように静かになった。
イルカはさっきよりも目をまん丸にして。数秒後、その言葉を理解したのだろう。顔が真っ赤に染まった。
売り言葉に買い言葉は自分らしくないと思うけど、関係を露出出来ないと分かってこんな場所で責めるイルカだって十分狡い。
つき合って2年。もういいじゃない。
カカシはまさかの言葉に目を白黒させ汗をかかんばかりに耳まで真っ赤にしているイルカに、そう心で投げかけ。薄く笑みを浮かべる。
何でこんな状況で薄ら笑っているのかと、理解不能になっている恋人を見つめ、カカシは目を細めた。
尾を踏まば頭までだって言葉、先生なら分かるでしょ。心でそう続けて投げかけ、カカシは口布を下げ目の前で固まっているイルカへ、テーブル越しに上半身を近づける。
唇を合わせた。
一瞬の出来事に、イルカやカカシの近くにたまたま居合わせた数人の中忍は、今のはなんだったのかと、ぽかんをして二人を見ていた。
カカシはにっこりと微笑む。
「今のは忘れてもいいし、忘れなくてもいいから」
投げかけたカカシは、素早く片手で印を組む。
その場からカカシとイルカが煙と共に消えた。

半ばパニックになったイルカは、当たり前だがカカシを責めた。
泣きじゃくるのは酒が入っているからか、そんなにバレるのが嫌だったからか。カカシはソファで責める言葉を口にするイルカを抱きしめ、優しく頭を撫でる。顎に手を添え顔を上に向かせると、ついばむようにキスをした。それに関しての抵抗はイルカにはない。薄く開いた口に舌を入れるとそれは素直に受け入れられた。水音を立てながら深い口づけを繰り返し、唇を離す。
潤んだ黒い目でカカシを見上げ、鼻を啜るイルカは子供のようにあどけない顔をしている。それに加え濡れた唇にそれだけで性欲が煽られるが、この喧嘩をセックスで誤魔化してはいけないと自分に誓いを立てる。
「そんなに嫌だった?」
問うと、イルカは視線をずらした。しばらくの沈黙の後、口を開く。
「最初はそこまでは・・・・・・でもあの写真を見て、時間が経ったらすごく苛々してきて」
カカシは笑う。
「違うよ、それじゃない。俺があの場で公言しちゃった事」
ああそっちか、とイルカは切り替えるようにまた視線を漂わせた。
「正直・・・・・・まだ、心の整理がついてません」
そう言うイルカは心底怒っている訳ではない。カカシは顔には出さないが胸をなで下ろす。これが考えたくもないイルカが自分に愛想を尽かすきっかけになってしまったら、とそれだけが心配だった。
少なくとも、イルカにとって隠したいような交際ではないと分かっただけで、嬉しい。
「ごめん」
安心して緊張が緩む。謝りながらくすくす笑えば、イルカは怪訝な眼差しを向けた。そんなイルカの瞼にキスを落とす。
と、カカシの腕を掴み、ぐぐぐ、とイルカに強い力で押された。
なんだろうと思う間もなく、ソファに押し倒される。イルカはカカシの上に馬乗りになった。
「どうしたの?俺もっとちゃんと話したいんだけど」
イルカは首を振った。
「必要ありません」
目を丸くするカカシをじっと黒い瞳が見つめる。イルカの指がカカシのベストに手をかけた。じじじ、と固い音をたて、下ろしていく。
思わずカカシは小さく息を詰めた。
「イルカ先生?」
「触っていいのは俺だけって言ったのは、カカシさんですよ」
そんな事をさらりと言うイルカは、酒の勢いだけではない。それを証拠にイルカから微かな緊張が伝わる。
つき合って2年を迎えるが、こんな日がくるなんて。滅多にないイルカからのセックスアピールに、単純にも興奮する。どこでスイッチが入ったのか。
「先生、俺まだ任務から帰ってきてそのまま、」
「俺は構いません」
はっきりと言い退けられる。顎辺りで止まったままのアンダーウェアをイルカが下げ、首元をねろりと舐めた。その感覚はカカシの下腹部を直撃する。自分を見下ろす黒く輝く目にカカシは思わず生唾を飲み込むと、イルカが柔らかい唇を重ね、積極的に舌を割り込ませてくる。唇を離したイルカは色情に浮かされた顔で、強請るような目を見せた。
「写真で嫉妬して、あなたの言葉に欲情したんです。責任取れって言ったら狡いですか」
腰を動かしたイルカにズボン越しに股間を擦られ、カカシは白旗を揚げた。
我慢出来るわけがない。
正直、イルカに潤んだ目で迫られて、それだけでイキそうになるってのに。
大体責任なんて言葉は上辺だけで、所詮ヤリたいことの言い訳に過ぎない。
でも、それで上等だ。
さっさと自分の誓いを取り下げたカカシは、いつもとは逆転した立場に苦笑いを浮かべながらイルカの身体へ手を伸ばす。
狡くない、といいかけた言葉は、イルカの荒々しい口づけによって塞がれた。


<終>
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