果報②


午後ぎりぎりの時間に任務報告に向かうと、イルカが自分を見つけた。いつも以上に冷たい眼差しは、昼から引きずっているんだろう。自分達2人の関係を伏せていたい。この人がそう望んでいる事で、自分は一向に構わないのだが、こんな冷たい目は堪らないなあと。内心苦笑してイルカの前まで来て、報告書を手渡した。
「お疲れ様です」
いかにも関係ありませんなんて態度は、カカシから見たら大袈裟に見えなくもない。時々だってカカシに甘える事があるあの眼差しや声はどこにもない。静かに見下ろしながらイルカの動作を眺めた。
ペンでチェックを入れながら、ここ記入漏れですよ、と言われカカシは屈んだ。
「どれ?」
近づけば反射的に顔を上げたイルカと目が合った。迂闊に顔を上げて間近のカカシにぎこちないくらいに目を反らす。
あ、可愛い。
なんて口が裂けても言っちゃいけない。一瞬動きが止まったイルカの手からペンを取り、漏れた箇所を埋める。
「これでいい?」
聞いたと同時にうつむき気味にペンを取られて、「問題ありません。お疲れ様でした」とイルカは頭を下げた。



「何でここにいるんですか」
報告を済ませてアカデミーにほど近い、イルカが通る道端で立っているカカシにかけられた声は不機嫌が露わになっていた。
「えー、だってどうせ同じ部屋に向かうんですからいいじゃない」
時間帯だってそんな変わってないでしょ。
そう言ってイルカを見ると、ますます不機嫌な顔を見せた。
「別に一緒に住んでる訳じゃないですから」
言ってソッポを向く。可愛くない返答にカカシは眉を下げイルカに歩み寄った。同棲なんて甘ったるい状況を求めてる訳じゃないが、はっきり言われるとそれはそれで辛い。今日の仕返しのつもりなんだろうなあ。
ぼんやり思いながら、ふと思いついてイルカを見た。
「じゃあさ、うちに来る?」
カカシの思いついて口にした台詞に、イルカは目を丸くした。
「え?」
「週末だし、たまには自炊なしで俺んちで寛いだっていいじゃない。好きな惣菜買って、酒買って」
一楽でラーメンでもいいよ。
などとイルカ寄りの台詞を選ぶ自分が、途中から意外に必死だと気がつく。
カカシから出た言葉からどうしようかと思案した顔を見せた。真面目な性分だから、色々と考える事があるのだろうが。
カカシは自分で提案しておきながらも、浮いた気持ちになっていた。我ながらすごくいい考えだ、とも思った。イルカの家に行くことばかりで、自分の部屋で過ごす事は一度もなかった。恋人として自分のテリトリーに招き入れようと思ったのはイルカが初めてだった。イルカと自分の部屋で過ごす。考えただけで、気持ちが高まる。顔には出さないが。それほどイルカに許しているんだと、改めて自覚した。
気がつけば手に汗を握っていた。任務でさえ汗を滅多にかかない自分が、だ。断られたら、一緒にイルカの家に行くだけの事なのに、きっと断られたらそれはそれでショックなんだろうと予測出来てしまう。行くって言いなよ、と内心強くイルカに語りかける。踏み入れていないイルカの中にある部分を、こうして手探りで見つけていくのだ。
そんなカカシを知らず、イルカはふむと考えてから、カカシの顔を窺い見た。
「いいんですか?」
「勿論」
笑顔を作ると、イルカも警戒のない素直な笑顔を見せた。
「じゃあ、お邪魔します」
「決まりだ」
連れ立ってカカシが促す道へ歩き出す。
すごく恋人っぽい。いや、恋人だけど。今までにないシチュエーションが高揚に拍車をかける。
「で、どうします?夕飯は。惣菜?一楽のラーメン?」
あまり自炊する器具ないから、ごめんね。
と付け足してみる。いつもの冷静さが今はまだない。沈黙してしまう自分が嫌で口を開いていた。
イルカは。またうーんと悩む顔つきを作った。カカシの質問をしっかりと考えているようだ。
「…じゃあ、ラーメンにしますか。最近行ってなかったですし」
ナルトにも似たラーメンに期待する笑顔を見せる。自分と付き合うようになってから、家に行くようになってから、夕飯はイルカの作る物を食べることが殆どだったから、カカシ自身も久しぶりだと思った。恋人という関係になってからは、一緒に外で食べる事を進んで選択していなかったのは事実。
食べている間もイルカの表情も少しだけ照れているようで、その表情は初々しくて、かわいいなあ、とまた思っていた。

ビールやつまみを買い込んでカカシの部屋に着いた頃はすっかり陽も落ちていた。
ポケットを探り鍵を開け扉を開ける。入って、とイルカに先に入るよう促すと、軽く頭を下げ遠慮気味に下足を脱いで部屋に上がった。
電気を付け買った袋からビールとつまみを取り出しテーブルへ置く。多めに買ったビールは冷蔵庫へ仕舞おうとキッチンへ向かう。イルカを見れば、黙ってキョロキョロと部屋を見渡していた。そんなイルカと目が合えば、苦笑して頬を緩ませた。
「すみません。初めてなので、見ちゃったりして」
「いーえ、何か面白いものであった?」
「いや」
首を振って、提げていた鞄を肩から下ろす。
「あ、いいよ。適当に置いて寛いで」
「はい」
大人しい。流石に気持ちに余裕が出てきてはいたが、先ほどから見せる初々しさはカカシに微かな緊張感を与える。イルカの家に初めて上がった時はどうだったろう。イルカのように顔や態度に出さなかったが、多少緊張していた気がする。頭を巡らせながらイルカの待つテーブルへ向かった。
ラーメンで腹ごなしは出来ているから、つまみはそこまで買ってこなかった。
「じゃ、乾杯ね」
ビールをイルカに手渡して、自分もビールを持ちイルカのと軽く合わせた。
買ってきたチーズを剥いて口に入れる。
「ホントは俺が家で作った方が良かった?」
「カカシさん料理出来るんですか?」
「まあ、普通に」
笑って、
「でもイルカ先生料理上手いから、それには劣るんですけどね」
言えばはは、とイルカは笑った。
「俺もちゃんとした料理とまではいかないですよ。我流です。農家の方から教えてもらったり、八百屋さんや魚屋さんも、無駄なく簡単な料理法を教えてくれるんですよ。あとは本を見たり」
自分は本は読んだりはあるが、人に聞いたりはない。イルカらしい習得に納得し頷きビールを飲んだ。
「でも、俺イルカ先生の作るご飯好きだよ。なんて言うのかな…ほっとする?」
聞いていたイルカの頬が赤くなったのが見えた。健康的な肌に熱を持ったのが分かる。
「そー、…ですかね、まあ…そう言ってくれるなら嬉しいです」
ああ、照れてる。それだけでドキドキとした。自分の言葉に反応するイルカを見ているだけて嬉しい。
いつもなら何言ってるんですか、何て返されてたのかもしれない。嬉しいその反応を素直に受け止めて、カカシはイルカを見つめた。
恥ずかしさを誤魔化すようにイルカはまた部屋を眺め始めた。
「でも、やっぱ部屋は広いですね」
「無駄にね」
「こんな部屋だったんですねー」
「んー、まあこんな部屋だよ。もっと違う部屋を想像した?」
言葉に困った顔を見せてイルカは笑った。
「何て言うか…想像も、してなかったから」
聞いてさみしいとカカシは思った。想像すらしなかった。イコール興味がなかったと言うのだろうか。どう返答したらいいか、カカシは分からずビールを飲み苦味を嚙みしめる。
「何て言うか、まだ追いついていないんです」
付け加えられた言葉と共に、カカシへ視線が戻された。
「追いついていないって?」
「あなたと付き合うって事に、です。だって、ほら、まさかあなたとこんな関係になるなんて…夢にも思っていなかったんですから」
最後は尻つぼみになりながらも、そう言い切った。
夢にも。
真っ直ぐ過ぎるイルカは無意識に選択した言葉なんだろうけど。
照れるどころじゃない。
胡座をかきながら舞い上がる気持ちを抑えてカカシは銀髪を強めに掻いた。
カカシがどれだけ動揺しているかなんて分かっていないのか、「あ」とイルカは小さく声を上げた。
何かを思い出したと、またカカシを見た。
「俺歯ブラシ買い忘れちゃいました」
「………」
2回目の絶句。
またしても無意識に発した言葉には、泊まっていくと意味を付けられていて。自分から泊まっていってと言うつもりだったし、もちろん誘った時からそのつもりだったけど。
でもこの人は、なんの考えもなしに発したように感じてならない。確かめるようにカカシは口を開いた。
「……買い置きがあるから。あと、パジャマは俺のでいい?」
「え、」
驚きの目をした後、頬に朱を走らせた。
やっと自分の言った意味を理解したのだろう。
笑顔を作ってイルカを見た。
「いや、俺は嬉しいですよ?ゆっくりしましょう」
優しく、突っ込まない言葉を選ぶが、顔のにやにやが止まらない。
気まずい顔で唇を噛み顔を背けた。
「あれ、泊まってくれないの?」
「……泊まります」
首まで赤いイルカを目を細めて眺めて、我ながら恋をしていると、改めて思った。
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