賭け
秋晴れの午後、イルカは外を歩いていた。ハロウィンのイベントを知ったのは数年前で、商店街はそのイベントの飾り付けがちらほらと目に付くものの、自分にはまだ馴染みがない。そもそもバレンタインやクリスマスにさえ興味がそこまでなく、当たり前と言えば当たり前だが。オレンジ色のカボチャの飾りに目を向ける。
「イルカ?」
不意に名前を呼ばれ振り返ると、そこには紅が立っていた。まだ子供が小さいものの、仕事に復帰したのは最近で。仕事に育児に忙しいからか、ここ最近顔をあまり合わせる事もなかったから。少しだけ顔を綻ばせれば、
「どうしたの?」
そう問われイルカは後頭部を掻いた。いや、もうすぐハロウィンなんですね、と答えれば、そうじゃなくて、と否定される。
「浮かない顔してたじゃない」
続けられ、内心驚く。顔に出していたつもりはもちろんなかった。忍びとしての多少のブランクがあろうと紅の鋭さは変わらない。カカシの事?そう追加された言葉にイルカは思わず苦笑いを浮かべた。
「はい」
近くにあったベンチに座るよう促され、自販機で買った缶コーヒーを渡される。こういう時は甘えとけばいいのよ、と自分が買うと言ってもそれを譲らない、世話好きなようでさばさばした性格は相変わらずで。イルカは礼を言って缶コーヒーを受け取った。紅もその隣に座る。
何となく気持ちが落ち着かなくて。それを誤魔化したくて、紅の子供の話題を振ろうと思うも、今はそのタイミングではないのは、自分でも分かっているし、紅にずばり言い当てられているのには変わらない。イルカはプルトップを開けたコーヒーを一口飲んだ。
カカシが綱手から次期火影に打診された事を聞いたのは、カカシの口からではなく、サクラだった。
それを聞いた時、サクラは当たり前に自分がその事を知っているんだと思っていて話していたし。それより前に、なんとなく、噂にもなっていたから、別に驚く内容でもなかったが。
出来れば、カカシからその事を聞きたかったのが、素直な気持ちだった。
恋仲になったのはカカシが上忍師を辞めた頃だった。それまでは何となく一緒に飲んだり、夕飯を一緒に食べたりするような関係で。それ以上でも以下でもなく。自分でもこの関係がなんなのか分からなかったし、考えないようにしていた。カカシが上忍師を御役御免になり、任務も増え、自分も仕事が忙しくなり、顔を合わす理由も、機会も少なくなった。そんな時、カカシから気持ちを伝えられた。
情けない事に、カカシに伝えられてから、自分の気持ちに気が付いたのはその時で。実感して、つき合いが始まった頃、夢見心地と言ったら変かもしれないが、しばらくふわふわした気持ちだったのも覚えている。
サクラに打診の件を聞いてから、何日経ってもカカシからその話題が出ることがなくて。痺れを切らして自分から言った時、カカシは浮かべたのは困惑するような笑みだった。勝手にカカシから話してくれるだろうと待っていた分、憤りを感じた。
それでも、自分は大人だ。そう言い聞かせてその気持ちをぐっと飲み込みながらも、何で話してくれなかったんですか。そう聞いた自分に、まだちょっと悩んでるから、と答えるカカシの苦笑混じりの声に、憤りを通り越し悲しくなった。
昇進は自分とは縁遠いものの、アカデミーを卒業し、下忍になり、中忍に昇格し、教員になり、それらは自分の人生の節目節目にあたり、言わば人生の分岐点だ。悩んでいる事を相談して欲しいと思うのは間違っていることなのか。恋人として同棲をしてはいるが、それだけの関係にそんな事を求める自分がおかしいのか。それが顔に出たのか。
「先生に話そうと思ってたんだけど、中々言い出せなくて」
ごめんね。
そう口にするカカシはやっぱり苦笑していたけど、その優しい瞳に嘘はなく、安堵した。
「ほら、カカシはどっちかと言えば完璧主義だから」
紅の言葉にイルカは顔を上げた。
それはその通りで。融通も利くし頑固な自分よりも柔軟な考え方を持ってはいるが、その一面も感じてはいた。
「今はそれほどでもないけど、昔はね」
カカシが暗部にいたと噂で聞いたことがある。昔とはその頃を指すのか。
肩を竦めるようにして言う紅に、イルカは黙ってコーヒーを飲んだ。
綱手から次期火影として打診される事はカカシも分かっていたはずだ。それでも、大戦後の復興や引き継ぎに色々不安が残るから悩んでいるのか。
その不安や重圧は自分では想像も出来ない。それを分かっているから綱手もそれ以上なにも言わないのか。それを分かってあげる度量が自分にあるかは分からない。それでも、恋人だから、支えて上げたいと思うのは正直な気持ちだった。
いや、恋人だからどうこうではなく、カカシが悩んでいたら相談に乗ってあげたいし、支えたい。しかしそれは自分の勝手な都合だ。
もっと言えば、カカシはそんな性格だと分かっていたくせに、誰よりも早く自分に相談して欲しかったとそんな勝手な気持ちが先行していた。自分が満足したいが為の勝手な感情だ。
そこまで思って、気が付いた事に、今さらながらに自分とカカシの立場の違いに情けない気持ちがわき上がった。
自分の言わんとしている事が分かったのか、内省し口数が少なくなってしまったイルカを見つめながら。でもね、と紅が言葉を繋げた。
「今回の事でさえこんなに悩んで、答えを出さないカカシが、たぶん、絶対に振られるかもしれないと思ってたのに、告白したって、それってすごい事よね」
最初で最後の賭けってやつ?
急に紅が何を言い出したのか分からなくて、でも、それが何の話なのか。動揺を隠せなく、しかしその言葉が頭の中でゆっくりと紐解かれ、誰の事を言ってるのか、嫌でも分かり、じわじわと口では言い表せないような気持ちにイルカの胸が熱くなる。黒い目を隠すように伏せた。
紅が去った後も、イルカはその場に一人座っていた。
そんな事思いもしなかった。
勝手に、カカシは、自分の心を読めていて、確信していたとばかり思っていたが。あの時は予感なんてものはなく、自分でも分かっていなくて。気持ちの踏ん切りがつかなかったら、もしかしたら、自分は断っていたのかもしれないが。
そもそも自分がもしカカシへの気持ちに気がついたとしても、きっと自ら気持ちを伝える事はなかった。今の関係が壊れる事が怖かったから。
だから、きっと、カカシもそんな気持ちだったはずなのに。
あの時、告白を受け入れた時、カカシに抱き寄せられた。その逞しい腕の内で温もりを感じながらも、そのカカシの腕が、身体が、確かに微かに震えていたのを思い出した時、その時の緊張や喜びが鮮やかに蘇り、途端胸が苦しくなった。
嬉しさに視界が滲む。
人が買い物で往来しているこんな場所で泣きたくなり、イルカはぐっと口を結んだ時、
「先生?」
その声にイルカは顔を上げた。
誰でもない、そんな風に優しく呼ぶのはただ一人。カカシだけで、その通り、目の前に立っていた。
顔を見つめたまま動かないイルカに、不思議そうに、カカシは歩み寄る。
上忍師として出会った頃とは違い、制服も額当ての場所も変わってしまっているけど。自分を見つめるその表情は何も変わっていない。いつものカカシを見つける事が出来て、あの頃感じていた甘酸っぱい気持ちが胸に広がった。
あの時はそれがなんなのか分かりもしなかったし、分かろうともしなかったけど、今ならはっきりと、その意味が分かる。
イルカは立ち上がった。
「なんでもないです。ちょっと疲れただけで」 だから、帰りましょう?
言えば、その言葉にカカシは微笑む。うん、と頷いた。
すっかり日が暮れた道を一緒に歩き出す。
でも、最初で最後の賭って。
今さらながらに紅の言葉に可笑しくなれば、カカシにまた、どうかしたの?と聞かれる。イルカは、いいえ、と首を振った。
カカシが答えを出すまで、待てばいい。
そう。一緒に、ゆっくり歩いていこう。カカシが、そして自分が選んだ道を。
イルカはそう思いながら、カカシの横顔を見つめ密かに愛おしそうに微笑んだ。
<終>
「イルカ?」
不意に名前を呼ばれ振り返ると、そこには紅が立っていた。まだ子供が小さいものの、仕事に復帰したのは最近で。仕事に育児に忙しいからか、ここ最近顔をあまり合わせる事もなかったから。少しだけ顔を綻ばせれば、
「どうしたの?」
そう問われイルカは後頭部を掻いた。いや、もうすぐハロウィンなんですね、と答えれば、そうじゃなくて、と否定される。
「浮かない顔してたじゃない」
続けられ、内心驚く。顔に出していたつもりはもちろんなかった。忍びとしての多少のブランクがあろうと紅の鋭さは変わらない。カカシの事?そう追加された言葉にイルカは思わず苦笑いを浮かべた。
「はい」
近くにあったベンチに座るよう促され、自販機で買った缶コーヒーを渡される。こういう時は甘えとけばいいのよ、と自分が買うと言ってもそれを譲らない、世話好きなようでさばさばした性格は相変わらずで。イルカは礼を言って缶コーヒーを受け取った。紅もその隣に座る。
何となく気持ちが落ち着かなくて。それを誤魔化したくて、紅の子供の話題を振ろうと思うも、今はそのタイミングではないのは、自分でも分かっているし、紅にずばり言い当てられているのには変わらない。イルカはプルトップを開けたコーヒーを一口飲んだ。
カカシが綱手から次期火影に打診された事を聞いたのは、カカシの口からではなく、サクラだった。
それを聞いた時、サクラは当たり前に自分がその事を知っているんだと思っていて話していたし。それより前に、なんとなく、噂にもなっていたから、別に驚く内容でもなかったが。
出来れば、カカシからその事を聞きたかったのが、素直な気持ちだった。
恋仲になったのはカカシが上忍師を辞めた頃だった。それまでは何となく一緒に飲んだり、夕飯を一緒に食べたりするような関係で。それ以上でも以下でもなく。自分でもこの関係がなんなのか分からなかったし、考えないようにしていた。カカシが上忍師を御役御免になり、任務も増え、自分も仕事が忙しくなり、顔を合わす理由も、機会も少なくなった。そんな時、カカシから気持ちを伝えられた。
情けない事に、カカシに伝えられてから、自分の気持ちに気が付いたのはその時で。実感して、つき合いが始まった頃、夢見心地と言ったら変かもしれないが、しばらくふわふわした気持ちだったのも覚えている。
サクラに打診の件を聞いてから、何日経ってもカカシからその話題が出ることがなくて。痺れを切らして自分から言った時、カカシは浮かべたのは困惑するような笑みだった。勝手にカカシから話してくれるだろうと待っていた分、憤りを感じた。
それでも、自分は大人だ。そう言い聞かせてその気持ちをぐっと飲み込みながらも、何で話してくれなかったんですか。そう聞いた自分に、まだちょっと悩んでるから、と答えるカカシの苦笑混じりの声に、憤りを通り越し悲しくなった。
昇進は自分とは縁遠いものの、アカデミーを卒業し、下忍になり、中忍に昇格し、教員になり、それらは自分の人生の節目節目にあたり、言わば人生の分岐点だ。悩んでいる事を相談して欲しいと思うのは間違っていることなのか。恋人として同棲をしてはいるが、それだけの関係にそんな事を求める自分がおかしいのか。それが顔に出たのか。
「先生に話そうと思ってたんだけど、中々言い出せなくて」
ごめんね。
そう口にするカカシはやっぱり苦笑していたけど、その優しい瞳に嘘はなく、安堵した。
「ほら、カカシはどっちかと言えば完璧主義だから」
紅の言葉にイルカは顔を上げた。
それはその通りで。融通も利くし頑固な自分よりも柔軟な考え方を持ってはいるが、その一面も感じてはいた。
「今はそれほどでもないけど、昔はね」
カカシが暗部にいたと噂で聞いたことがある。昔とはその頃を指すのか。
肩を竦めるようにして言う紅に、イルカは黙ってコーヒーを飲んだ。
綱手から次期火影として打診される事はカカシも分かっていたはずだ。それでも、大戦後の復興や引き継ぎに色々不安が残るから悩んでいるのか。
その不安や重圧は自分では想像も出来ない。それを分かっているから綱手もそれ以上なにも言わないのか。それを分かってあげる度量が自分にあるかは分からない。それでも、恋人だから、支えて上げたいと思うのは正直な気持ちだった。
いや、恋人だからどうこうではなく、カカシが悩んでいたら相談に乗ってあげたいし、支えたい。しかしそれは自分の勝手な都合だ。
もっと言えば、カカシはそんな性格だと分かっていたくせに、誰よりも早く自分に相談して欲しかったとそんな勝手な気持ちが先行していた。自分が満足したいが為の勝手な感情だ。
そこまで思って、気が付いた事に、今さらながらに自分とカカシの立場の違いに情けない気持ちがわき上がった。
自分の言わんとしている事が分かったのか、内省し口数が少なくなってしまったイルカを見つめながら。でもね、と紅が言葉を繋げた。
「今回の事でさえこんなに悩んで、答えを出さないカカシが、たぶん、絶対に振られるかもしれないと思ってたのに、告白したって、それってすごい事よね」
最初で最後の賭けってやつ?
急に紅が何を言い出したのか分からなくて、でも、それが何の話なのか。動揺を隠せなく、しかしその言葉が頭の中でゆっくりと紐解かれ、誰の事を言ってるのか、嫌でも分かり、じわじわと口では言い表せないような気持ちにイルカの胸が熱くなる。黒い目を隠すように伏せた。
紅が去った後も、イルカはその場に一人座っていた。
そんな事思いもしなかった。
勝手に、カカシは、自分の心を読めていて、確信していたとばかり思っていたが。あの時は予感なんてものはなく、自分でも分かっていなくて。気持ちの踏ん切りがつかなかったら、もしかしたら、自分は断っていたのかもしれないが。
そもそも自分がもしカカシへの気持ちに気がついたとしても、きっと自ら気持ちを伝える事はなかった。今の関係が壊れる事が怖かったから。
だから、きっと、カカシもそんな気持ちだったはずなのに。
あの時、告白を受け入れた時、カカシに抱き寄せられた。その逞しい腕の内で温もりを感じながらも、そのカカシの腕が、身体が、確かに微かに震えていたのを思い出した時、その時の緊張や喜びが鮮やかに蘇り、途端胸が苦しくなった。
嬉しさに視界が滲む。
人が買い物で往来しているこんな場所で泣きたくなり、イルカはぐっと口を結んだ時、
「先生?」
その声にイルカは顔を上げた。
誰でもない、そんな風に優しく呼ぶのはただ一人。カカシだけで、その通り、目の前に立っていた。
顔を見つめたまま動かないイルカに、不思議そうに、カカシは歩み寄る。
上忍師として出会った頃とは違い、制服も額当ての場所も変わってしまっているけど。自分を見つめるその表情は何も変わっていない。いつものカカシを見つける事が出来て、あの頃感じていた甘酸っぱい気持ちが胸に広がった。
あの時はそれがなんなのか分かりもしなかったし、分かろうともしなかったけど、今ならはっきりと、その意味が分かる。
イルカは立ち上がった。
「なんでもないです。ちょっと疲れただけで」 だから、帰りましょう?
言えば、その言葉にカカシは微笑む。うん、と頷いた。
すっかり日が暮れた道を一緒に歩き出す。
でも、最初で最後の賭って。
今さらながらに紅の言葉に可笑しくなれば、カカシにまた、どうかしたの?と聞かれる。イルカは、いいえ、と首を振った。
カカシが答えを出すまで、待てばいい。
そう。一緒に、ゆっくり歩いていこう。カカシが、そして自分が選んだ道を。
イルカはそう思いながら、カカシの横顔を見つめ密かに愛おしそうに微笑んだ。
<終>
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