任務から里に戻ってきたのは正午過ぎ。
執務室で報告を済ませカカシが足を向けたのはアカデミーだった。アカデミーに向かうのはあの人を探すため。顔を合わせるつもりはない、いつも通りにあの人をこっそりと覗くだけ。そう。あの人は誰にでも笑顔を向けるから、その笑顔を見て、ーー。
カカシは歩きながら足下へ目を伏せる。
イルカを見るだけで安心して満たさせるのに、虚しさが募るのも分かっている。
逃げていると、自分でも分かっていた。
それに、ーーあんな風に抱き潰すつもりはなかった。
カカシはわずかに眉を寄せる。
あの日はただ、イルカに会いたかっただけだった。
でも。
ふとイルカと過ごしたあの晩が蘇る。途端カカシの鼓動が早くなった。
意識が戻ったのはきっと翌朝。隣に俺がいない事を知りイルカ先生はどう感じただろうか。
別にあれは逃げた訳じゃない。翌日早朝から任務が入っていたからで。
カカシはぼんやりと視線を漂わせた。
元々口下手な上に人がどう思ってどう感じているかとか、そんな事を考えた事もない。
今の現状を見つめ直すだけで焦りと自分に対する憤りが沸き上がり、思わず舌打ちしたくなった。

ただ、今はちょうど昼休み。子供達が遊ぶ楽しそうな声や笑い声が校庭や今自分が歩いている裏庭で響いている。
そんな子供達を横目で見ながらカカシは裏口から建物の中へ入った。
先生がいるのは職員室か食堂か、それとも教室か。
保健室や書庫室が並ぶ廊下は他の場所よりも窓が少ない事から、薄暗く元々人のいる気配はない。その通り、子供達も、もとより教員さえも見かけなかった。その廊下を歩いて階段へ向かおうとした時、カカシは腕を取られた。
アカデミーの建物内と言うこともあったし、自分には珍しく考え事をしてそっちの方に気を取られていた。
え、と思い振り返ったカカシはそのまま部屋に引っ張り込まれる。
少しじめっとした書庫室の扉を閉めてその前に立っているのは、イルカだった。
自分が探していた相手ではあるが、ちょっとこれは予想していなかった。
驚きに目を見開いてイルカを見つめる。
イルカはどう読めばいいのか分からない、複雑な表情をカカシに向けていた。
それはカカシを緊張させるのには十分で、逃げ出したい気持ちになった。ふとイルカは扉から離れないまま顔を下へ伏せる。途端イルカの表情が見えなくなり、カカシは更に緊張が高まった。
イルカが意味もなくこんな場所に連れ込むなんて考えられない。しかも人気もなく誰も来そうにない書庫室なんて。
そこまで思って、イルカが自分に何かを伝えようとしている事に気がつく。イルカの性格から会いたいのなら探して堂々と会いにくるはずなのに。そこまで思って、カカシの背中がひやりとした。
誰にも顔を会わさない場所で、伝える事なんてだいたい決まっている。
「カカシさん」
イルカの声が静かに書庫室に響き渡る。まだ、イルカは顔を伏せたまま。
「俺あなたに色々話したい事がたくさんあったんです」
話し始めたイルカの声は至って冷静だった。
「でもなんかどうでも良くなっちゃいました」
ふっとイルカが笑ったのが分かる。
「でもまあ、よく分かんない理由で綺麗な女性に責められるのも結構辛いんですよね。こっちの都合関係なく職場に堂々と来るし、本当、いい迷惑です。それに……」
言葉が途切れる。意味が分からず首をわずかに傾げると、昼休みの終わりを告げる予鈴がなり、少し離れた書庫室にもその音は聞こえる。
授業が始まるというのに、イルカはその予鈴には動じない。ただ、ゆっくりと顔を上げた。
「ねえカカシさん、キスしていいですか?」
「・・・・・・え?」
子供たちが教室がある二階へ駆け上がる音や話し声が遠くで聞こえる。
とても今目の前にいるイルカから出た言葉だとは思えなかった。ただ、目を丸くしてイルカを見つめる事しか出来ない。
呆然と立ち尽くしているカカシの耳に、かちりと音が聞こえた。イルカが後ろ手で書庫室の扉の鍵を締めた音だと気がついた時、イルカはその扉からゆっくり離れる。
カカシの目の前まで来たイルカは自分の額当てを外して床に落とした。カツンと金属音が聞こえる中、今度は結っていた髪を解くとイルカの黒い髪が肩辺りまで落ちふわりと漂うのはイルカの匂い。
イルカの姿に瞬きさえ出来なくて目の奥がちかちかする。
この前もこれでうっかり自制が効かなくなったっていうのに。
「・・・・・・イル、」
言い掛けたカカシの覆面をイルカが下げ、口を塞いだ。
宣言されていたとはいえ、思わず喉が引き攣る。
熱い舌がカカシの口に入り込む。イルカのキスは勢いがあるようで動きは拙い。口づけに慣れていないイルカのそのままの動きにカカシはもどかしくなってそのキスを受け入れるようにイルカの舌に、自分の舌を絡ませた。
とろとろとした唾液も熱くなり、それと共に身体の芯が熱くなる。カカシの首に腕をまわそうとしたイルカに、慌てて唇を離した。
「ね、先生授業は?」
「ないです。同僚に代わってもらいました」
言ってすぐまた唇を塞がれる。ちゅ、ちゅ、とカカシの唇を舐めて吸っては重ねる。
気がつけばカカシの息も上がっていた。
「待って先生。ね、どうしたの?」
どうしても流されきれない。カカシの問いに、イルカは小さく笑った。
「どうしたのって、別に理由なんてないです。ただ、俺はあなたとキスがしたいんです」
カカシが目を見開くと、イルカは間近でカカシをじっと見つめ微笑んだ。丸で何もおかしい事はないでしょと言わんばかりに。正直、ここに連れ込まれてからこの流れに、ただカカシは呆気にとられていた。
「あとセックスもしたい」
そんなカカシを無視するかのように、イルカはゆっくりと潤んだ黒い目を緩ませた。

「あっ・・・・・・ああっ」
揺すり上げられて壁に押しつけられながらイルカは涙目で声を漏らした。
理由を聞けないままイルカの言葉だけで理性は簡単に揺さぶらせて、結局このざまだ。
理性が本能に勝る、それを身体で実感するかのようにカカシはイルカの中に深く埋め激しく突き上げ、中を擦り快楽に溺れる。
セックスしたいとか、そんな言葉を言われて理性を保つ事なんて出来るわけがない。でも、そんな言葉がイルカ先生の口から出るなんて。
汗ばむ額に、カカシは眉根を寄せた。
ーーだって先生をこんな風にしたのは俺だ。
自分を酷く虚ろにさせる。
もしイルカが自分の知らない所でそんな甘い言葉を他の人に吐いていたら。淫らに誘う目を自分以外の誰かに向けていたらーー?
「っ、カカシ・・・・・・さん」
名前を呼ばれる。
ふと目を向けると、イルカが閉じていた目を開けカカシに向けていた。
「俺はカカシさんが俺に飽きても・・・・・・構わないですから」
動きを止め目を見開くカカシにイルカは続ける。
「他にいい人が出来たら、」
「なにそれ、何言ってるの」
それ以上聞きたくなかった。思わずイルカの手首掴んでいたカカシの手に力が入る。イルカは顔を顰めた。それでも尚、イルカはカカシから目を逸らさずに青い目をじっと見つめた。
ふとイルカの表情が緩む。イルカが困った表情を見せるかのように苦笑いを浮かべた。
「・・・・・・別にちゃかしてる訳じゃないです。俺だって俺なりに考えて言ってるんですから」
目を細めるイルカは微笑んでいるのに今にも泣きそうで、思わずカカシもつられそうになる。
それを寸前で堪えた。誤魔化すように挿入を再開させる。
「んっ・・・・・・あっ、」
イルカから嬌声が漏れた。
少し前からイルカの様子がおかしいのは知っていた。自分のせいだと分かっている。
それでも離れたくない。離れたくないからこの前もイルカに会いにアパートに行ってーー。
なのに何でそんな事を。
どうしようもない不安に駆られ、怖くなり今ある快楽に縋りたくなる。
何で分かってくれないんだろうか。
誰でもいいなんて思った事もない。たまたま相手を選んだわけでもない。
イルカ先生だから。
ーーそう、
「あんたが・・・・・・好きだから・・・・・・」
追い上げながらカカシの口から言葉が零れた。
耳に聞こえたのは息を漏らすようなイルカの声。動きを緩め伏せていた顔を上げると、イルカが頬を火照らせながら微笑んでいた。その目に涙が浮かんでいる。
イルカの手が伸びカカシの頬に触れた。

「・・・・・・きっとそれは、一番最初に言う言葉です」

カカシの目が見開かれる。
困った人ですね、と優しくイルカがカカシを撫でる。
どうやら、ようやくスタート地点に立ったのだと。
その時初めてカカシは気がついた。



<終>