寡黙な男

「イルカー、さっきなんだった?」
 受付に戻って早々に聞かれたのは、アカデミーの女性教員に声をかけられたのを知っているから。ああ、と口に出しながらイルカは自分の席に戻り、座る。
「アカデミーで残業?」
 そう聞かれてイルカは首を振った。
「いや、特に。大した事じゃなかったから」
 笑顔を浮かべながら答えるイルカに、深く追求はない。そりゃ良かったな、と同僚が答える。イルカは手元の書類を手に取った。
 突然呼び止められたかと思ったら、まさか告白されるなんて思わなかった。誰かに好意を持たれる事は決して悪い気分でもないが、正直今回みたいなのは困る。イルカは小さくため息を吐き出した。
 まだアカデミーに配属され日は浅いものの、仕事をする限り素直で賢い女性だと思っていたが。そこまで知りもしない自分を好きと言う、その真意が分からなかった。
 だって、数回、仕事でしか会話もした事がなく、たぶん自分の事をほとんど知らない。それなのに、一体どこを好きになるようなとろこがあったのか。よく知りもしない相手に告白し、つき合って最悪な男だったらどうするのか。
 大方、誰でも良いから、とかなんだろう。それかどんな要求でも、いいよ、と言ってくれる相手だと思っているのだ。そんな考えの女性が意外に多いんだと気づかされたのは少し前からで。だから、またか、と思った。優しそうなら誰でもいいなんて、あり得ないのに。
 そこまで思ってイルカは心の中で苦笑いを浮かべた。
 とにかく、あの女性も次からは慎重に相手を選ぶようになるだろう。
 イルカは思考を切り替えると、早く仕事を終わらせるべく、書類にペンを走らせた。

 受付がある建物を出た時、約束の時間は少し過ぎてしまったが、カカシはそこにいた。猫背で壁にもたれているカカシの姿と、銀色の髪やその横顔を見つめ、微かに心音が鳴る。
 カカシに出会ったのはナルトの上忍師として顔を合わせた時。最初は不思議な人だと思った。今まで色々な上忍と接してきたがその誰かと重ねる事が出来ない感じで。そして何度か酒を一緒に飲むようになり、カカシは基本お喋りな方でもない。言うなれば寡黙な人だ。それを同じ上忍であるアスマに言ったら、何故か分からないが、笑われた。でもカカシは聞き上手で、話が弾むわけではないが、一緒にいる時間が居心地がいいと思った。
 そして好きだと気がついたのはカカシがふわりと笑う顔を見せた時。それを見る度に年甲斐もなく胸がときめいた。同時にやばいなあ、と思った。過去に女性と何人かつき合った事があったが、その女性達とは違う。到底言葉では言い表せない感情だったから。
 そして、絶対に叶わない恋なんだと分かっていた。だからそれは心の奥に押しやって、顔見知りから一緒に酒を飲むという関係になっただけでも嬉しいと、そう思った。
 だから、告白された時は心底驚いたし、自分が頷いた時のカカシの驚いた顔を今でも忘れられない。まさかずっと密かに片思いをしていたなんて、カカシも知る由もなかったのだ。逆に、いつからか、自分に想いを寄せてくれていたのには本当に驚いたが。
 カカシの笑顔をみる度にかけがえのない人だと思う。
 イルカは頬を赤らめながら、カカシに歩み寄った。
 
「あ、そうだ」
 イルカはカカシと並んで歩き出して直ぐ、思い出した事に口を開いた。自分のポケットを探り、目当てのものを探り当てるとそれを取り出す。
「これ、今日同僚から仕事手伝ったお礼にって貰ったんですよ」
 手のひらの中には一楽の割引クーポン。それをカカシへ見せた。
「だから、今日の夕飯ラーメンにしませんか?俺奢りますよ」
 少しだけ得意げに、そして笑顔でカカシへ視線を向ければ、イルかの手にあるクーポンを見て、そして、うん、と口にしたのが聞こえた。そしてすぐに外される視線に、そこからイルカは少しだけ眉根を寄せた。
 薄々感じ取っていたが、ーーさっきからカカシがおかしい。
 それは、待ち合わせで顔を合わせた時からだった。はっきりとどこがおかしいとは言い切れないものの、元気のないような、表情が固いような。そわそわしているような。そしていつも以上に無口だ。
 もしかして体調が悪いのだろうか。不安が過ぎる。
 元々出会った時からそうだったが、カカシは自分の事をあまり口にはしないタイプだ。怪我をした時もそうで。情交する雰囲気になり、カカシが服を脱ぎ、そこで初めて怪我を負っていたいた事に気がつき、驚いた事も少なくはない。言ってくださいよ、と言えば、大した怪我じゃないのに何で?と不思議そうに返される。腹をばっさり切られているのに、大した怪我じゃないとか、本当にあり得ないが、冗談で言っていないのは目を見れば分かった。
 なのに、こっちが授業の体術やたまの任務で負ってしまった些細な怪我には目敏く、直ぐに気がつき、そして深く追求してくる。そこは少し面倒くさいとは思ったが、素直に心配してくれているだけなのだから、口にはださない。
 まあ、とにかく、前述の通り、カカシはあまり自分の事を口に出さないから。イルカは心配になりじっと横顔を見つめた。
 ラーメンが食べれないくらいに体調が悪いとかだろうか。午前中に会話をした時には特にそんな感じではなかった。
「カカシさん」
 並んで歩きながら名前を呼ぶと、視線だけがこっちへ向けられる。その青い目を見つめれば、何?と短く聞いてくる、その口調も少しだけ早口な感じでいつもと違う。ただ、その涼しげな目だけでは、流石に分からない。
「どうかしたんですか?」
 素直に聞くと、カカシはまた目線だけイルカへ向けられる。何で?と聞かれ、眉根を寄せた。
 いや、何でって。だって明らかにいつもと違うだろう。なのに、カカシはそっけなく、そんな言葉しか返してくれない。イルカはその真意に気がつきたく、カカシの横顔を食い入るように見つめた。
 何かあったのなら、自分に頼ってくれてもいいはずなのだ。
 そう思ったら、手をカカシに伸ばしていた。イルカの手は、心配しているのに、さっさと歩いていこうとするカカシの指先に伸び、そして触れ、掴む。その瞬間、カカシの身体がぴくりと反応を示したのが、その指先から伝わった。
 カカシが足を止め、そして自分も同じように歩いていた足を止める。
 やっと理由を話してくれる。そう期待したのに、触れていた先のカカシの手がイルカの手を掴んだ。予想していなかった行動に、え、と意識が掴まれた手へいく。その手をカカシがぐいと引っ張った。わ、と間抜けに声が出てしまうのもつかの間。気がつけば裏路地へつれてこられていた。
 今回は最初からそうだったが、さっきから思わぬ展開になっている気がして、ますます疑問しか浮かばない。急にこんな場所につれてきて一体どうしたと言うのか。
「あの、」
 流石に困惑したイルカが口を開きながら正面にいるカカシへ視線を向ける。青い目と視線が交わり、ーーイルカは目を少しだけ開いた。待ち合わせてからずっとまともにカカシの目を見つめていなかったからなのか、その眼差しがいつもと違う事に今更ながら気がつく。ドクンと心臓が大きく高鳴った。
「ーーあ、・・・・・・」
 開いた口から思わず小さく声が漏れたのは、カカシの目の奥に欲火に近い、色がはっきりと見えたから。
 身体を交えている時にしか見せないその目で、自分を見ている。こんな時間に、しかもこんな場所で。混乱するのに、その目に明らかに反応している自分がいた。頬が赤く染まる。
 思わずイルカはこくりと喉を鳴らしていた。同時にカカシの手が再びイルカに伸び、
「カカシさ、」
 名前を上げる間もなく唇を塞がれた。引き寄せられ、ぬるりと入り込む舌に身体が震える。不用意に舌を吸われ喉の奥が引き攣った。いつも冷静で自分を見失う事がないカカシとは、とても思えない。
 どうしたのか理由を聞きたいのに。口づけは深くなる一方で。それに路地裏でも誰かが通らない訳でもない。いつもなら。夜、情事に伴うキスであれば、あらがうことなく受け入れるが。とても同意出来なかった。なのに、だめだとも言えないくらいに荒々しくて、壁に背中を押しつけられ、カカシの身体が密着する。身体の芯が熱くなった。
 キスの合間に唇を浮が離れ、ふと間近で目が合う。潤んでしまった目にも、明らかに自分を求めているのが分かり、更にかあ、と身体が熱を持った。再び塞がれる。
 情けない事に口づけだけで頭の奥がぼーっとなり、腰がくだけそうになった時、カカシの口がようやく離れた。膝に力が入らなくて思わずカカシの腕を掴みながら、目線をカカシへ視線を向けると、同じようにカカシの頬もまた赤く火照っている。顎下まで下げていた口布を引き上げ、さっきまで自分の唇と重ねていた形のいい薄い唇が隠される。
 状況を把握しきれない。涙目のままぼんやりと見つていれば、ぎこちなくカカシは視線を外し、表通りへふいと身体を向けた。
「夕飯、ラーメンにしようか」
 ぼそりと、そんな言葉を口にされ、イルカの目が丸くなった。
「・・・・・・ぇ、は?」
 聞き返しても、カカシは返事をくれない。
 いや、待て。
 今のキスは?
 違うだろ。ラーメンとかそんなんじゃなく、なんでこんな事になったのか、ちゃんと説明を、ーー。
 身体がもどかしいし、意味が分からない。
 それなのに、耳まで赤くしながらも背中を見せてしまうカカシに、イルカも同じように顔を真っ赤にさせたまま、訴えた眼差しでカカシを追う事しか出来なかった。
 
 <終>
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