喧嘩未満④ (そういうところ)

 報告所に留まっていたのは上忍仲間に声をかけられたから。この後一緒に執務室に向かう事も分かっていたし、煙草を吸い終わるまでだとも分かっていたから。次に受けるだろう任務の事を話すアスマに耳を傾けながら、相づちを打っていたら、カカシ、と下の名前を呼ばれて肩越しに顔を向ける。くノ一が部屋の隅にいる自分達に歩み寄ってきた。紅とたまに一緒にいるのを見かけるそのくノ一は、自分のポケットから煙草を取り出すと当たり前のようにアスマに火をもらう。細い煙草を赤い口で咥えたまま息を吸い、煙を吐き出した。上忍が話す内容は基本情報交換だ。暗部にいる頃にはそこまで興味もなく、必要ともしなかったし、進んで人の輪に入る事もなかったが。表に立つようになってきた今はそう言ってもいられない。くノ一の話す他国の忍びの情報を耳に入れながら。雑談をしながらも次の自分の任務に必要な情報も聞き出す。先に煙草を吸い終わったアスマが、じゃ行くか、と軽く顎でカカシを促し、二人で報告所へ向かうべく扉へ向かった。
 部屋を出る時、肩越しに見えたのはイルカが報告所の自分の席に座りながら、報告をしている上忍と会話をしているところで。楽しそうに、白い歯を見せながらイルカは笑う。その明るい笑顔を視界に入れながら、カカシは扉を閉めた。


 自分が居酒屋に着いた時には既にイルカがカウンターの席にいた。
「ごめんね、遅くなって」
 隣に座りながら声をかけると、イルカはいつものように、いいえ、と気にする事なく首を振る。先に飲んじゃってますけど、と飲みかけのビールのジョッキを軽く上げるイルカに、カカシは微かに目元を緩めた。カウンター越しにビールを頼み、つまみも何点か注文する。
 今日もなんだかんだで慌ただしく時間が過ぎて、約束をしていたものの、こうしてイルカと一緒に過ごす時間が持てるのは素直に嬉しい。同じ里で同じ忍であっても、ゆっくり顔を合わせて話す機会なんてごく僅かだ。自分が気を許せる人間なんて本当にごく僅かで。イルカもまたその中の一人になるなんて、出会った当初は自分では夢にも思っていなかった。ましてや恋人同士になるなんて事も。イルカと並んで心穏やかに酒を飲みながら、不思議だなあ、と思う。そして幸せだ。
 カカシさんはモテるから、なんてイルカが揶揄するように口にするが。今まで身体で繋がる人間はいても、恋人にするような相手はいなかった。と言うか、元々恋人にしたいと思う相手がいなかった、と言った方が早い。だから、誰かに気になったのも初めてで。興味を持ったのもイルカが初めてだった。
 中忍選抜試験で、イルカがあんなにぶつかってこなかったら。きっとここまで発展しなかったと、今でも思う。
 イルカの事は、それ以前から気にはなっていた。他人の笑顔に興味を持った時点で、たぶん自分はこの人に気があるんだろうなあ、なんて他人の事のように自分の関心に気がついてはいた。
 でも話すきっかけがなかった。なかったからそのままにしようとしていた。ーー中忍選抜試験の件があるまでは。
 声をかけてからは、早かった。仲良くなれば、きっと自分は恋に落ちるんだろうと分かっていたから。幸いにもイルカは自分を拒絶することもなく反応も良かったから、そのままの勢いで気持ちを告げた。
 カカシがビールのジョッキを傾けた時、イルカが頼んでいた唐揚げがカウンターに置かれる。唐揚げにレモンを絞るイルカを見つめながら、そう言えばさ、とカカシは口を開いた。
「今日報告所で上忍と楽しそうに話してたじゃない?何話してたの?」
 ふと思い出した事を聞いた時、イルカがぴくりと一瞬反応した、が、直ぐに、ああ、と相づちを打つ。おしぼりで手を拭きながら、大したことでもないですよ、と笑いながら返すから、カカシは首を傾げる。
 大した事ないと言うが、白い歯を見せてあんな楽しそうに笑っていたのに。そんなはずないでしょ、と言いたくなったカカシに、麻雀です。とイルカが口にした。
「なんか久しぶりに麻雀に勝ったみたいで。嬉しかったみたいですよ」
 なんの事はない、ただギャンブルで勝った自慢話だと分かり、興味が薄れる。へえ、と答えれば、カカシさんは?と逆に聞かれて、カカシは顔をイルカへ向けた。何が?と素直に聞くと、黒い目がカカシを映す。
「話してじゃないですか。報告所で。楽しそうに」
 語尾を強めに、そう口にしたイルカは唐揚げを箸で取り口に放り込む。大好きな唐揚げを食べているにも関わらず、面白くなさそうに。そして、明らかに変わった口調から、アスマではなく、くノ一の事を言っているんだと、気がついた。楽しくも何ともない、弾むわけもない会話しかしていなかったが。イルカにはそんな風に見えていたのかと思うだけで、心の中をくすぐる感覚に、カカシは顔に出さずともそっとイルカを見つめれば。もぐもぐと唐揚げを咀嚼しながらちょっとだけむくれているようにも見える。カカシは密かに頬を緩ませた。イルカの心が分かっていながらも、そう?と敢えて答えてみると、そうですよ、とイルカから直ぐに返る。
「正直、妬いてます」
 唐揚げを食べ終え、ビールを喉に流し込んだイルカがジョッキをカウンターにどん、と置きながら。はっきりと口にした言葉に、カカシは少しだけ驚いて横に座るイルカへ顔を向けた。思わず、そんな場面があったかと、と昼間の場面を思い出してみるも、イルカがやきもちを妬くような、そんなところはなかったはずだ。
「仕事の話くらいで大した事話してないよ」
「そんな事は知ってます」
 否定するもそれも直ぐに返され、不思議に思うカカシにイルカもまた、こっちに視線を向けた。
「だって、あの人カカシさんに微笑んだから」
「・・・・・・そうかな」
「そうです」
 そうだったかもしれないが。ただ、そう肯定するイルカは不快そうで。ただ、普段のイルカが口にはしない事を、今こうして言ってしまうあたり、酒の力は凄いと思う。カカシは立て肘を突きながら、銀色の髪を掻いた。
「でもさ、俺に微笑む女はあの女が初めてじゃないって知ってるでしょ?」
 そう、自分に微笑んでくる女はいくらでもいる。平気で色目を使ってくる女だっている。たぶんこれからも。
 そこまで思った時、それが顔に出したつもりはないが、イルカが、そうじゃなくて、と言った。
「カカシさんが微笑み返すから嫌なんです」
 酒で頬を赤くしながら。むくれた顔でイルカは言う、そんな恋人の可愛い顔を見つめながら、カカシは瞬きした。
「・・・・・・俺が?」
 確かめるように聞くと、イルカは頷く。正直覚えがない。覚えはないから、ただ、カカシは肩を竦めて、ビールを口にしながら、
「じゃあ、先生には?」
 覗き込むと黒い目と視線が交わる。答えを催促するように微かに首を傾げながら目元を緩めると、イルカの健康的な肌が赤みを増した。ふいとカカシから顔を逸らす。
「・・・・・・外では駄目です」
 耳まで赤くしながらも、生真面目なイルカらしい答えに、カカシは笑った。



 翌日、日が暮れかかった頃、カカシはアカデミーにいた。今日は珍しく早く上がれたから。声をかけようとイルカを探す。残念ながら職員室には姿は見えず、カカシはそのまま階段を上りゆっくりと廊下を歩く。授業が終わり、昼間の子供達の声もなく静まりかえる中、聞こえたのはイルカの声だった。怒鳴っているわけでもないが、確かに誰かと話すイルカの声が聞こえ、カカシはその教室へ足を向ける。そっと開いている扉から顔を覗かせると、その通り、イルカの姿が見えた。
 こっちに背中を向けたイルカは上級生らしき生徒に話しかけている。落ち込んだ顔をする女の子の頭に、イルカは自分の手をぽんと乗せた。
 少しだけ屈むのは子供と目線を合わせる為だと知ったのは、イルカとナルトとのやりとりを見た時。些細な事だが、感心した。
 イルカが昨夜自分に見せた、酒で頬を赤くしてむくれた顔は、当たり前だが今はなく、子供に見せている教師の姿からは微塵にも感じられなくて。思わず目を細めた時、カカシに先に気がついたのは女の子だった。見たことのない顔に目を丸くする女の子にイルカも気がつき、こっちに振り向く。同じように驚いた顔をして、カカシさん、と名前を呼ぶ。どうされたんですか?と聞かれカカシは困った。先生と一緒に帰りたくて、なんて生徒の前で素直に言うわけにもいかない。
 今日早く上がれたから、先生はどうかなあって、髪を掻いて言いながらも感じるのは、隠す事もない自分に真っ直ぐに注がれる子供の視線だった。
 上忍師と言えど子供は基本苦手だ。同じ忍びだが、イルカとは違い見た目が怪しいと、それだけで戸惑いを含んだ眼差しを向けられれば尚更で。イルカからふと視線を向けると、やはり、茶色の澄んだ目がこっちを見ている。怯えさせたくなくて、カカシは目元を緩める。微笑むと、その茶色の瞳が少しだけ大きくなった。
 警戒の解かれた表情にほっとした瞬間、カカシさん、と名前を呼ばれる。視線を戻すと少しだけ険しい目つきをしているイルカがいた。
「そう言うところです」
 静かに怒りのこもった声で言われて、でも一瞬なんの事か分からなくて。視線を向けると、頬を赤く染めている女の子がこっちを見ていた。
 自分の中では明らかに守備範囲でもない少女が惚けた顔をしているのに改めて気がつき、そんなつもりはないと思っても、女の子の顔がそれを証明していて。カカシは眉を下げて笑うしかなかった。

<終>
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