金木犀

 イルカは窓を開け、洗い終えたばかりの洗濯ものをハンガーごと外に出す。今日は久しぶりの晴天だ。金木犀の匂いにイルカは息を吸い込みゆっくりと吐き出すと、窓を閉めた。寝室の布団は窓側の日の当たる場所に置いてあるから、今はこれでいいだろう。
 そう思いながらイルカは居間にいるカカシへ顔を向けた。スウェット姿のカカシは朝起きたままで、胡座を掻き、背中を丸めるようにして巻物を黙々と読んでいる。それはいのの父親であるいのいちからの借りてきた巻物で、明日返さなければいけないと、それだけは聞いているが、どんな内容のものかは聞いていない。ただ、家にいる時は基本くつろいでテレビを見たりご飯を食べたり。何か読むと言ったらいつも持ち歩いている小冊子ぐらいで、熱心に何かを読み耽る姿は珍しかった。
「カカシさんはその格好でいいんですか?」
 そう声をかけると、カカシは顔を上げた。もう時間?と問われ、時間をそこまで把握していないほど集中しているんだと内心感心しながらも、イルカは首を振った。
「いえ、まだですよ」
 言えば、そっか、と壁にかけられた時計へ目を向ける。
「着替えるのはこれ読み終わってからでもいい?」
「ええ、勿論」
 答えるイルカにカカシは再び巻物に目を落とす。
 今日はナルト達が家に遊びに来る。寒くなったら鍋をしようと約束していたのだが、そこまで寒くないのに食べたくなったとナルトにせがまれたから仕方がない。せっかくの休日にすみませんと謝るイルカに、カカシは一緒に過ごせるからいいよ、と快く了承してくれた。だから、せめてナルト達が来る時間まではカカシがゆっくりと過ごしてくれているのは嬉しい。
「じゃあ俺は今の内に鍋の準備しちゃいますね」
 袖を捲りながら台所へ向かおうとするイルカに、カカシから声がかかる。
「俺も手伝う?」
「いえ、そんなにやることもないんで、大丈夫ですよ」
 イルカは笑ってまた首を横に振った。

 鍋の準備もあらかた出来上がり、ご飯が炊ける時間はお昼にセットしてある。イルカが台所から顔を覗かせれば、カカシはまだ同じ体制で巻物を読んでいた。同じ格好をしていたら筋肉が固まって肩も凝るだろうに、と思うが、そんな事も忘れてしまうくらいに集中しているんだろう。
 自分も家に仕事を持ち帰って来るときも大抵そうで。そして凝った肩の痛みでペンを止めたりしているから、似たようなものだが。
 カカシは大きな背中を丸め、じっと巻物を文字を目で追っている。少しだけ伏せられた銀色の睫毛が時折瞬きで動き、巻物を開く度に長い指が動いた。
下に俯く、カカシの銀色の髪は、部屋に入り込む太陽の光で柔らかな色合いで。実際その髪は柔らかいのも、知っている。
 その姿をイルカはじっと見つめながら、心の奥がむず痒い感じに少しだけ眉を寄せた。
 なんか、変な感じがするのは、いつもこんな風に何かに集中しているのは自分で、待っているのはカカシさんで。だから、立場が逆転しているからなのか。
 とにかく、何故か。いつも見せないその姿に、無性にこみ上げるものがあった。イルカはカカシをじっと見つめながら、口を結ぶ。座っているカカシに足を向けた。
「カカシさん」
 名前を呼ぶと、カカシが顔を上げた。
「手伝う?」
 そんな事を聞かれ、イルカは、もう終わりましたから、と答える。そう答えながら、カカシ前に急にしゃがみ込み、同じ目の高さになるイルカに、カカシは少しだけ不思議そうな顔をした。
「ごめんね、これあともう少しだから、」
 言い掛けたカカシの言葉が止まったのは、自分がカカシの手に触れたから。そこからカカシの持っていた巻物を取ると、それを横に置く。まさか取り上げられるとは思ってなかったのか、カカシは戸惑いながら僅かに首を傾げた。
「先生、俺あれを今日中に、」
「知ってます」
「じゃあ、」
「駄目です」
 カカシの上に跨ぐように乗ったイルカに、カカシは僅かに目を見開いた。
 そりゃそんな顔になるだろう。だって、こんな事、一度だってしたことない。いつもは。仕事持ち帰った自分にカカシが甘えてきてそれに怒ったり、中断されたり。
 熱がこもった目になっているのくらい自分でも分かっている。カカシが戸惑っているのも。白い頬を赤くさせながら、驚いた表情でカカシはこっちを見上げた。
 でも、そんな顔をみたら、尚更気持ちが収まらなくなった。カカシの腹の上に乗ったまま、顔を近づけると、腕に触れていたカカシの手がぴくりと動いた。イル、と名前を言い掛けたカカシの唇をイルカは塞ぐ。欲求が満たされるのは気持ちがいい。唇を離し、もう一度カカシを見ると、まだ少し困ったような顔をしていた。
「先生、あと三十分しないうちにナルト達が来るよ・・・・・・?」
 そう口にする、薄い形のいい唇をイルカはじっと見つめた。困った顔をする理由が分かったが、そんなのは知っていた。青みがかった目へ視線を向ける。
「あと三十分あります」
 頬を熱くさせながらイルカはそう言った時、窓から風が吹き金木犀の香りが入り込む。
そこから、目を丸くしたままのカカシの唇をイルカは塞いだ。


<終>
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