恋文

見上げた桜の枝はまだ寒さが残る風情を見せてはいるが、枝の先には蕾が膨らんでいる。
まるでそれは今日卒業した生徒たちのようだ。イルカは微笑み目を細めた。
春は別れと出会いの季節と言うが。教師になってから毎年訪れる生徒の旅立ちに、忍びとして巣立っていく姿を見て、祈らずにはいられない。生徒の顔を思い浮かべただけで涙腺が緩み、イルカは小さく一人笑った。
全く、こればっかりはどうしても慣れない。涙なんて必要ないだろ。
腕の中にあるのは卒業した生徒の書類と、新しくアカデミーに入学する生徒の書類。新しく迎える生徒で直ぐに忙しくなる。そう、だから泣いている暇なんてないんだよ、俺は。自分に言い聞かせながらもふと頭に過ぎる言葉。
 先生きっと泣いちゃうんでしょ
数日前に会った時に言われた台詞にぐっと顔を引き締めて見るが、イルカの頬は赤く染まった。
何故かあの上忍とよく顔を合わせる。気が付けば自分の隣にいて、笑ってる。階級差を考えればこんな風に中忍の自分に壁もなく話しかけてくれるのは嬉しい事なのだが。里一の忍びであり、写輪眼と他国にも恐れられているのに。彼はいつもにこにことしている。優しい顔で、声で俺を呼ぶ。

門の陰に壁にもたれて立っているカカシの姿は見慣れた光景で。俺を見つけると嬉しそうに微笑んで、読んでいた本を閉じポーチに入れる。
「イルカ先生、一緒に帰ろう?」
週に一度は見る光景。それが続いた時、イルカはいい加減訊いてみた。
「どうして俺にそんなに声をかけるんですか?」
その言葉にカカシは頬を染めた。そして俯いて銀髪を掻く。
「だって一緒に帰りたいから」
不思議だった。そんな言い方されたらどうしていいのか、さすがの自分でも困った。照れて言うカカシに嫌な気はしない。もしかしたら。俺を好きなのかもしれない。少しだけそんな考えが浮かんだが。頭の隅に追いやった。まずあり得ない。カカシが同性をそんな対象にするはずがない。ただ、一緒にいるのが楽しいと、思ってくれているだけだ。
それがもう一年続いている。
数日前はいつものように飲みに誘われて、いつもの居酒屋でビールの飲みながら、卒業する生徒に思いを馳せ、つい熱くなっている自分の話しを、カカシはジッと訊いてくれていた。その日は何故かカカシは口数も少なくて。いつもより目が合う回数が多くて。その度カカシは恥ずかしそうに笑った。
2人席のテーブルは大人の男2人には狭かった。イルカの膝がカカシの脚に当たった。カカシはさして気にしていなかったのに。それだけで何故か胸が跳ねた。目を上げると、カカシは優しい目で自分を見て、
「どうしたの?」
と訊いた。言おうか迷ったが。ビールを喉に流し込んでカカシを見た。
「カカシ先生って不思議な人だな、って思って」
言うとカカシは首を傾げた。
「何で?」
「だって、上忍の方で友達もいるのに、俺なんかといて」
カカシは訊きながら不思議そうな顔をした。
「そう、かな」
「そうですよ」
「でも俺は先生といたいから」
本当に嬉しそうに笑った。
イルカは思わず視線をテーブルに移し誤魔化すように箸を持って笑った。
「そうですか」
それって。どういう意味ですか。
訊きたかったけど、訊けなかった。訊いちゃいけない、気がした。だってこの関係は俺にとってもとても心地よくて。それでもその先があるのかと、勘違いしてしまう。
上官相手にこんな気持ち持ったらおかしいだろ。
そこから、上手く会話が出来たのか自信がなかった。俺が思っている事とカカシの気持ちが同じだと思いたいのは俺の勝手で、自分もその気持ちに気が付いてはいけない。
その後カカシと別れた後も、そんな事ばかり考えて。深いため息を何度も落として家に帰った。


イルカは書類を抱えながらアカデミーへ入る。今日はさすがに授業もないせいか、子供たちのいないアカデミーは閑散としている。階段で二階に上がり、そこで脚を止め廊下から教室へ目を向けた。誰もいない教室。もうここには来ない生徒を思うと胸がきゅうと締め付けられる。卒業すると言うことは忍びに一歩近づいたと言う事で。嬉しい事なのに、非情な世界に背中を押すのは素直に喜びだけではいられない。
職員室に向かおうとして。イルカは脚を止めた。もう一度教室へ目を向ける。何故か、教室の中に入りたいと思った。不思議に思うがゆっくりと脚を向け教室に向かう。
カラと小気味言い音を立てて扉を開けて、ふと目に飛び込んだ光景にイルカは笑いを零した。そして直ぐ眉を寄せる。
「アイツら....」
黒板一面に書かれた生徒たちの落書き、否、寄せ書き。ふざけた絵も描かれてはいたが。イルカへの言葉が生徒によって残されていた。
これを見て泣かずにはいられるか。浮かぶ涙を袖で拭いて。
イルカは少し離れた場所に移り、生徒の机に座って黒板をしばらく眺めていた。一人一人自分の言葉でイルカに感謝の言葉を残している。その全てに目を通して。
一番左隅に書かれた言葉に目を止めた。イルカは机から立ち上がり、抱えていた書類をその机の上に置くと黒板へ向かう。
前まで来て、ジッとその書かれた言葉を見て。息を呑んだ。
くしゃりと顔を歪めたが裏腹にじわじわと顔が赤く染まっていくのを止められない。

イルカ先生大好き

名前もない。ただそれだけの一文は。紛れもなくカカシの筆跡。いつも自分に報告書を持ってくるカカシ。
だから、間違えるはずがない。
彼は俺がこれを読むと分かっていたのだろうか。
「こんなの...狡いだろ」
でも本当に欲しかった言葉。
求めていた言葉。

「イルカ先生」

背中にかけられた声。 身体がぴくと反応した。
変な顔をしていないだろうか。泣きそうだったのを悟られたくない。間を置いたイルカにまたかかるカカシの声。
「イルカ先生?」
その声が優しくて。
それだけで苦しくて。
ゆっくりと息を吐き出す。
イルカは高鳴る鼓動を感じながら振り返った。

<終>


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