恋の色

 書類を両手に抱えて歩きながら、太陽の暑さにイルカは僅かに息を吐き出す。書類を抱えてアカデミーを出たことろで、子供達に頑張って、などと声援を送られて出てきたが。この距離となると落としたら拾うのも大変な量だ。横着しすぎたかなあ、と内心少し後悔しながらも仕事が山積みだ。
 さっさと運んでしまおうと足を早めた時、少し先に銀色の髪が目に入り、イルカは目線をそっちへ向けた。カカシがくノ一と一緒に歩く後ろ姿を眺めながら、色気漂うくノ一とその二人の距離感に。おお、と野次馬めいた言葉が思わず浮かぶ。
 受付や報告業務を兼任してようと、基本はアカデミー勤務だ。アカデミーは事務仕事も多い事からか、女性の年齢は高く、普段から綺麗なくノ一に接する事もないから。目で追ってしまうのは、仕方がない事だ。
 羨ましいと思うが、相手はあのはたけカカシだ。相応と言えばその通りで、当たり前だよなあ、とイルカは二人の姿を眺めながら、書類を運ぶ為に足を建物へ向けた。
 
「え?俺を見た?」
 カカシはイルカに言われて、ビールを飲んでいたグラスを口から離した。居酒屋で、向かい合って座っているイルカに目線を向ける。いつ?と聞かれてイルカは昼間です、と答えた。昼休憩の前だったんで十二時ちょっと前くらいですかね。そう言うと、カカシは思い当たったのか、ああ、と軽く頷いた。そこからまたグラスを傾けるカカシに、イルカはテーブルに両腕を乗せながら、体重をかけるように少しだけカカシへ顔を近づけた。
「良い人なんですか」
 つき合ってるんですか、と聞いても良かったのだが、いくら酒を酌み交わす関係と言えど立場を弁えない言動はしたくない。一応言葉を選んだイルカに、カカシは、まさか、と笑った。
「昼飯に誘われただけだよ」
「あんな綺麗な人なのに?」
 不思議そうにすれば、カカシはまた笑いながら、グラスを傾けビールを飲んだ。流し込まれたビールによってカカシの喉仏が動くのを何となく目で追えば、
「昔よく任務で一緒だったってだけ」
 そう追加され目線を戻せば、青みがかった目が自分を映している。イルカは少しだけ肩を竦めた。勿体ないなあ、と素直な気持ちを言えば、カカシは可笑しそうに片眉を上げる。
「何、先生、あんな感じの女がタイプなの?」
 タイプと言われイルカは困った。綺麗な女性に縁がない、それは事実だが、タイプと言われたらまあ、そうかもしれない。昼間見たくノ一の綺麗な身体のラインを思い出す。どこかの夜のお店に足を向けない限り、義理でもあんな綺麗な女性が自分に目を向ける事はないだろう。自嘲気味に思うイルカに、カカシから、聞いてる?と言われ、思考を止めれば、カカシがじっとこっちを見ていた。慌てて首を振る。
「いや、タイプって言うか、まあ、男から見ればやっぱりあんな感じの方は魅力的な女性だなって、思うじゃないですか」
 笑うと、カカシは、そっか、と軽く頷く。
「でも、あーいうのは面倒くさいよ」
 言われて、合わせるように、ですよね、と言いながら、やっぱ関係があったんだなあ、と何となく察する。イルカはビールを飲み干した。


 大体、自分にタイプなんてあっただろうか。翌日、職員室でテストの採点をしながら自問する。
 仕事ばかりの毎日で恋人を作る以前に出会いがあるわけでもないから、自分にタイプと聞かれてそれに反応出来ないのは確かで。昔自分がここの生徒だった時には、それなりに好きな子がいた。その子の気を引きたくて悪戯したりちょっかいを出し、それで逆に嫌われるのがオチで。まあ、今でもアカデミーでは似たような光景が繰り広げられている。
 結婚はしたい願望は漠然的に持ってはいるけど、タイプは未だに真っ白のままだ。
 だから俺は駄目なんだよなあ。
 バツの多い答案とにらめっこしながら、イルカは手に持った赤ペンの後ろで、ため息混じりにこめかみ辺りを掻く。
 そう、だからせっかく飲み会に誘われてもよく分からないまま、ただ飲んで終わるだけ。何かが誰かと始まると言う事がない。
 最初からこんな女をものにする、と宣言している友人が羨ましくも思えてくる。同じように、カカシの事も。
 普通どの男も振り向くような綺麗なくノ一に、興味もないと、そんな感じだった。あれだけ全てが整っていれば困る事がなく選ぶ相手はいくらでもいる、それは紛れもない事実だ。この前はたまたま飲む機会が会ったからあんな話題になったが。カカシはこの手の話題を出す事はなかったものの、元々カカシが女と一緒に歩いているところは何度も目にしていた。噂もまた然り。
 まあ、そんな事より今は目の前のこのテストの点数をどうにかしないと。
 イルカは気持ちを切り替えると息を吐き出す。テストへ目を落とした。

 
「それで、テストはどうだったの?」
 カカシに聞かれてイルカは苦笑いを浮かべた。
「良かったです、って言えたらいいんですけど。合格ラインぎりぎりがほとんどで」
 それで上司にも平均点が低いと釘を刺されたばかりだ。情けない笑みを見せるイルカに、そっか、とカカシが答えた。そこからビール瓶を向けられ、イルカは自分のグラスを差し出す。ビールを注いでもらった事に礼を言いながら、
「まあ、でも、テストが全てじゃないと俺は思ってるんで、そこまで気にはしてないんですけどね」
 小さく笑うイルカに、カカシは一瞬驚いたような顔をした後、目を細める。そうだね、と微笑んだ。
 上官であるカカシと酒を飲む関係になったのは、たまたま居酒屋で顔を合わす事が何回かあった後、どうせなら一緒にどうですか、と自分から声をかけたのが最初だった。
 一人も気楽だが、誰かと一緒に何かを食べると、またそれはそれで楽しいからと言うのが自分の中であったから。でも半分社交辞令も含んでいたのは事実だ。嫌なら嫌だと言うタイプだろうし、まあ断られるだろうと、そう思っていたが、カカシは断らなかった。特に悩む事もなく頷いたから、内心拍子抜けしたくらいだ。普段隠している口布も躊躇なく下ろして一緒に酒を飲むカカシに、誘ったくせにこっちが逆に戸惑った。
 その後、先生今度いつ飲む?とカカシから聞いてくるようになって。気がつけば週に一回は一緒に夕飯を食べるようになっていた。
 意外性があると言えばナルトの専売特許だったはずなのに、カカシも実はそうだったとか。
 分からないもんだなあ。
 普段外で見るカカシからは想像出来ない、人懐こい笑みを見せるカカシを見つめながら。イルカはビールを飲んだ。

 あ、何か言われるな、と思ったのは普段受付や報告所での業務経験が長いからだ。上忍と言えば、大体普段忍びとして気配や先を読ませない戦術とか、当たり前に長けているはずなのに、ここではダダ漏れで。今からお前に文句を言うぞというオーラ全開でくるから、こっちは嫌でも分かる。
 任務スケジュールか、その内容か、それともチーム編成の事なのか。一体何のクレームかと構えるイルカに、つかつかと歩み寄ったくノ一が不機嫌に、ねえ、あなたがイルカ?と口を開いた。
 こんな時、こっちの名前を聞いてくる事はほぼない。受付や報告所に座っている中忍なら誰でもいいからだ。顔に覚えもない上忍に名指しでくるって事に内心動揺する。何かやらかした覚えはないが。もしかして新しい新入生の親?そんな風にはとても見えないけど、もしかしてそうなのか、とか、若いくノ一を前にしてぐるぐる考えながら、そうです、と答えれば、くノ一が不快な顔を隠そうともせず、イルカを見下ろした。
「いい加減カカシにつきまとうのやめてくれない?」
 予想外の言葉に、イルカは、は?と思わず聞き返していた。何を言い出すのかと思ったら、カカシの事で。しかもつきまとうとか。時々飲んでいるだけの自分に何を言い出すのか。どちら様ですか?と聞きたいが相手は上忍だ。それに下手に何か言ったらカカシに迷惑がかかる。困りながらも、別に俺はつきまとっては、と否定を口にした言葉に、くノ一の目つきが鋭くなった。
「いいから、もうカカシに関わらないで」
 同じ部下の元担任ってだけのくせに。そう言うと、受付から出て行く。
 なんだあれ、大丈夫か?と隣にいた同期に驚きながら声をかけられ、ああ平気だって、と返す。仕事を再開した。

 授業が終わり子供たちに配るプリントを職員室で作る。カカシに言った通りテストが全てではないと自分は思っているが、上司はそうではない。そうではないとは思うが、イルカは上に言われた通り黙々と宿題を作る。確かに実践や経験に勝る物はないが、ここアカデミーで教える事が土台になっている事は確かだ。
 そこまで成績の良くなかった俺が言ったところで、何も説得力はないが。一人苦笑いを浮かべながら、紙に目を落としていた表情がふと曇る。
 同じ部下の元担任。
 昼間受付に来たくノ一のその言葉は、イルカの胸を重くさせる。
 その言葉の通り、カカシとはそれだけの繋がりだ。だけど、自分がそれを上手く利用してカカシを飲みに誘っているつもりはこれっぽっちもなかった。
 名声があり、この里では誰もが認める忍で。カカシに媚びを売るような相手も実際にいるだろうし、それを見た事もある。カカシと話しているだけで、羨むような、妬みを含んだ言葉を上忍からかけられた事もあったが。
 こんな風に直接言われたのは初めてだ。
 まあ、でも。ナルトの名前が出なかっただけ良かった。
 イルカはそこで息を吐き出す。だからと言ってこういう事でカカシから距離を取ると言うのはどうかと思うが。カカシに迷惑がかかるなら、考えなければならない。
 昼間のくノ一の剣幕を思い出しながら、イルカはペンを止め顔を上げる。
 女ってこえーなあ。
 心の中でぼんやりと呟いた時、
「イルカ先生」
 声をかけられびくりとしたのは。女性の声だったから。
 はい、と反射的に返事をして顔を向ければ、そこには女性教員が立っていた。自分より年下なのは知っているが、歳は聞いてないから分からない。驚いたイルカにすみません、と謝られ、イルカは慌てて首を振った。
「いや、こっちこそ。ちょっとぼーっとしてて」
 素直に認めるイルカにその女性教員が小さく笑う。イルカも合わせるように笑って後頭部を掻いた。
「で、なんでしょう」
 職場でも、もう定時を過ぎている。同じ職場だがそこまで接点のない相手だ。どうしたのかと、切り替えて聞けば、女性教員が少しだけ改まった表情に変わる。
「今度、・・・・・・一緒にご飯でもどうですか?」
 大人しそうな女性教員はイルカにそう口にした。

 お酒でもお茶何でも、イルカ先生と一緒だったら、何でもいいんです。
 女性教員はあの後、そう付け加えた。
 イルカは鞄を肩にかけたまま、ぼんやりと家路に向かう。
 こんな事もあるんだなあ、と暗くなった空を眺めた。
 生徒からは可愛い告白や、大きくなっても結婚してなかったら私が結婚してあげる、なんて生意気な事を何度も言われた事があったが。
 ちゃんとした、と言ったら失礼だが普通の女性からはこんな事が一度もなかったから。ついさっきの事なのに、真実味を感じていない。
 直ぐに返事を出来なかったのは、自分の経験のなさからくるもので。今日でもと言われたが、残業をしてる手前、いいですよ、と言えず。そうだなあ、と困ったまま苦笑いすると、また今度でいいので、とその女性教員は頭を下げるとその場を後にした。
 思い出しただけで情けない自分の対応にため息が漏れる。自分でもこんな場面を何度も期待していたはずなのに。そこまで思ってイルカは首を傾げた。違う、ただ漠然的に思い描いていただけで、こうなる事を期待していたわけでも何でもない。だからなんだろうか。初めて女性から好意を向けられたのに、そこまで気持ちが上向かない。そこまで思ってあの教員の女性に申し訳ないとさえ感じてくる。
「先生」
 視線が下を向いた時、名前を呼ばれる。その声にイルカは振り返った。
「カカシ先生」
 薄暗い道でカカシが立っていた。銀色の髪はその暗闇で溶けずに月夜に薄く輝いている。
 歩み寄るカカシにイルカもまた向き直った。
「今日任務だったんですよね?」
 単独任務で里を出るとカカシから聞いていた。その通り、カカシは、うん、と答える。さっき報告書を出してきたことろ。そう言われてイルカは頷いた。お疲れさまです、と付け加える。
「先生は残業?」
「ええ、まあ」
 カカシの任務に比べたら大した内容でも何でもない。答えるイルカに横に並んだカカシがこっちへ顔を向けた。
「ね、今日どっかで食べてかない?」
 先生も飯まだでしょ?
 言われて、思わず頬が緩んだ。いつもだったらその勢いで直ぐ頷くのに。一瞬昼間の事が頭を過ぎる。イルカは開きかけていた口を結んでいた。
「あー、でも、カカシさんお疲れじゃないんですか?」
 窺うようにカカシへ聞けば、きょとんとした顔をした。
「そこまでじゃないよ。先生、疲れてるの?」
 逆に聞かれてイルカは困った。そうじゃない、と言いたいが説明出来るはずもない。いや、自分は所詮机に向かってただけなんで、と口を濁すと、カカシがじゃあいいじゃない、と言う。そのまま促されるままにラーメン屋へ足を向けた。

 昼間の事はとてもじゃないけど言えないが。実は自分には珍しくこんな事があったんですよ、と女性かた食事に誘われた事をカカシに言えば、カカシは麺を啜りながら目を少しだけ丸くした。カカシは前へ顔を戻し、そのままラーメンを食べ、しばらくした後、そうなんだ、と呟くように言った。
「ええ」
 恥ずかしそうに笑って答え、イルカも麺を啜る。
「まあ、そういうのは最初で最後なのかもしれないですが」
 笑いながら付け加えた。だからと言ってその女性の気持ちが素直に嬉しいと思っているわけでもなく、そこまで到達出来ていないというか。自分でも消化しきれていないものに対して、それをカカシに何て言ったらいいのか分からない。報告のようなものになってしまったが。
「カカシ先生はこういうのに慣れてそうだけど、俺は、」
「え、俺慣れてないよ」
 話途中で遮るように言われてイルカはカカシを見た。カカシは相変わらず涼しげな目元をイルカに向けている。
「じゃあ誰かに告白されたりとか、」
 訝しむように言うイルカに、カカシは興味がない感じで、どうだっけ、と呟く。自分の食べているどんぶりへ目線を戻した。
「前手紙はもらった事あるけど、」
 けど?と聞き返すイルカに、レンゲでスープを飲んだカカシが口を開く。
「読まずに捨てた」
 どうでもいいような口調で、カカシはさらりと言った。今までカカシとこうして会話をしてきたが、体温のない言葉をカカシが発したのは初めてだった。
「・・・・・・読まずに捨てたんですか」
 思わず同じ台詞をイルカは繰り返していた。カカシは、うん、と答える。
 男だったらそんな言葉、一度は言ってみたくなるような。でも、その言葉に何故か胸が痛んだ時、カカシは小さく笑った。
「ま、こんな話はもういいじゃない」
 気がつけばカカシは食べ終わり、口布を元に戻している。イルカも慌てて残っていたスープを飲み干した。

 帰り道、さっきの話題はやめて、いつも通り他愛のない話をするが。いつもよりカカシの相づちが少ないのは気のせいか。やっぱりさっきの会話はカカシにとって好ましくないものだったのか。内心後悔ながら田畑が広がるわき道に入った時、へこんだ地面に躓く。カカシの手がイルカの腕を掴んだ。
 大丈夫?そう聞かれ、すみません、と返事をしながらも、さっきに加え、自分の失態に気分がますます落ち込み始める。
 今日は途中まで普段と変わらない一日だったのに、昼間のあのくノ一から始まり、最後はこれだ。
 気が滅入るが、性格的に翌日に引きずるのは好きじゃない。さっさと帰って風呂に入ろう。それで冷蔵庫で冷やしてあるビール飲んで、寝て、ーー気持ちを切り替えようとしながら、腕からカカシの手が離れない事に気がつく。よっぽどの事がない限りもう転ぶことはないのに。
「あの、もう大丈夫ですから」
 申し訳なく声をかければ、目の前が陰る。暖かい感触に包まれた。
 ん?なんだ?
 イルカは内心首を傾げた。気がつけば、カカシが自分を前から抱きしめている。分かるけど、状況が掴めない。当たり前だがカカシの顔は見えないし、どうしてこうなっているのか。よく分からないままでいれば、少しだけ背の高いカカシの腕が自分の背中に回った。ああ、思っていた以上に肩幅広いんだなあ、と感心しながら、いやいやいや、と首を振った。
「カカシ先生?」
 どうしたのかと名前を呼ぶが、答えない。代わりに背中に回っていた腕が動きベストの下に潜り込み、アンダーウェア越しにそろりとカカシの手が腹辺りを撫でる。驚きに、わ、と声が思わず出た。ようやく、と言ってはなんだが、ちょっとこれは変ではないか、そう思い始める。
「カカシ先生、あの・・・・・・何、やってるんですか?」
 服の上からでも慣れない感触に身を捩りながら聞けば、決まってるでしょ、とカカシが口を開いた。
「分かるでしょ。あなたの身体を触ってるの」
 やらしい事したいから。どうしてですかと問う前に続けられた言葉が余りにも衝撃的で、一瞬で頭が真っ白になった。しかし相手はカカシだ。そう、さっきまで和やかに一緒にラーメンを食べていた。そんな事あるはずがないと思いたいのに、カカシが言い間違えるはずもないし、聞き間違いではない。通常通り動いていた心臓の鼓動が早くなった。言わばパニックだ。
 信じられない事が起きている。そう、信じられないのに、やらしい事をしたいと宣言した通り、カカシの長い指が厭らしく動き脇をなぞりながらアンダーウェアの中から素肌に触れる。あ、と思わず声が出た。その声が、自分の声なのに、自分でないようで。発した事もない言葉を反射的に出してしまった事実に、かあ、と一気に身体が熱くなった。顔もどんどん熱くなる。イルカは困惑した。ここになってカカシから離れようともう一度身を捩り、待って、と言うが、解放されるはずもなく、カカシの腕の内から抜け出せない。そうしている間にも、自分の腹から上へにカカシの指が直で這う。触れられる肌が引き攣った。
「まってまってまって、ちょ、待って、」
 雰囲気なんてあるのか分からないが、この場の空気らしくない、待ってを連呼するイルカにカカシの手が止まる。短く、何、と言われて、待ってと言ったくせにイルカは困りながら、口を開いた。
「急に、どうしたんですか、」
 らしくない。そう言いたくて口にした言葉に、カカシは一瞬間を置いた後、抱き込んでいた腕の力を緩める。
「分かってないね」
 抱き込まれながらも、手の動きが止まった事に安堵した時、カカシに言われ、イルカは僅かに眉を寄せた。申し訳ないが何も分からない。それが顔に出てはいるが、見えていないはずなのに、カカシは小さく息を吐き出した。
「女の話されて俺が喜ぶとでも思った?」
 言われ、必死に頭の中を回転させる。そんなにさっきの話を振ってしまった事が嫌だったとは。後悔するも遅い。
「・・・・・・カカシ先生に女性の事を聞いてはいけないんだって言うのは分かりましたが、」
 そこまで言った時、俺?と聞き返された。
 腕が離れカカシがイルカの顔を見つめる。
「違うよ。俺の事なんてどうでもいいし気にしてない。ホント、先生何も分かってないね」
 思った以上に真剣な眼差しに、その言葉に、イルカは困惑した。カカシは不機嫌に銀色の髪を掻く。
「・・・・・・今日誘いを断ったのは俺に気遣ってくれてるからなんだって思ったのに、女が出来そうだからだったのかと思ったら、そりゃ腹立つでしょ」
 その言葉に驚いてイルカは落としかけていた視線を上げていた。カカシを見つめ返す。
「俺、そんなつもりは全然、」
「そうでしょ」
 直ぐに言い返され、イルカはムっとした。そんなつもりは本当になかった。今回自分の事で舞い上がっていたつもりもないし、嬉しいとかそんな気持ちにさえなれていなかった。ただ、話題のつもりで話しただけだ。
 そんな嫌な人間だと思われていたのかと思うと、悲しくなるし、分かってほしいと、否定しようと顔上げれば、
「違うならなんで」
 言われてイルカはそこで口に出そうとした言葉を飲み込んだ。
 カカシに好意を持ったくノ一に嫌みを言われたなんて忘れてしまいたい事だし、ここで言えば、まるでカカシに自分がチクっているみたいで嫌だ。
 説明なんて出来るはずがない。口を閉じれば、認めたと思ったのか、カカシは微かに眉を顰めた。明らかに怒っている。中忍試験の事はあったが、カカシが自分といて、ここまで感情を露わにした事はなかった。いつも静かで穏やかで。隣にいても心地よくて。
 それなのに、何でここまでカカシが不機嫌になるのか。大体何で自分の話題なんかで。そこまで思ってイルカは気がついた事に顔を上げる。
「・・・・・・何で俺の事でそんなにカカシ先生が怒るんですか」
 腹が立つとカカシはそう自分に言った。自慢するように言ったつもりもない、ただの話題だった。そう、自分の事だ。なのに、カカシがそこまで怒る理由が分からない。
 少しだけ責める口調で言えば、カカシは青みがかった目を逸らす事なくイルカを見つめ、少しだけ首を傾げる。
「俺が何の考えもなしに先生を夕飯に誘ってたと思ってるの?」
 予想していなかった問いに、イルカは内心驚いた。ただ聞かれただけのに、心臓が変にどきどきする。どういう事なのか分からない。質の悪い間違い探しをしているようで、考えたくない。そう思うが答えないわけにはいかない。
「俺は・・・・・・カカシ先生と一緒に酒飲んだり飯食べたり、話するのが楽しかったので、カカシ先生もそうなんだと、そう思ってました」
 素直な気持ちを口にすれば、カカシから、そうだね、と言葉が返った。
「それは俺も一緒だよ」
 カカシの口から出た言葉に心底安堵する。改めて言う言葉ではないと思っていたが、直接言われると、こんな状況でも素直に嬉しい。緊張していた気持ちが緩むイルカに、でもさ、とカカシは続けた。
「俺はそれ以上をあなたに望んでるの」
 言われてイルカは瞬きをする。それ以上。カカシと出会ってから、知り合いになり、酒を酌み交わすような関係になり。そしてそれ以上?思考を巡らせるイルカに、カカシはため息混じりに鈍いねえ、と呟く。
「もう少しこの関係のまま我慢しようと思ってたけど、あなたを他の女に取られるくらいだったら、こうするしかないでしょ」
 カカシの腕が再びイルカに伸びる。下に押され、その力に逆らえず、気がつけば地面に尻餅をついていた。田畑の広がる道は整地されているはずもなく、土や伸びた草だけで。その冷たい感触がズボンからでも伝わる。
 さっきのカカシの台詞の意味が分からないまま押し倒され、今度は手がズボンに伸びる。
「ちょっ!な!」
 思わず大きな声が漏れた。
 そこからさっきより強引な力でズボンが下着ごと引っ張られ、陰毛が外気に触れる。イルカは目を剥いた。そのカカシの力に冗談でも何でもない、それが分かり焦りが広がった。必死に自分のズボンを押さえる。自分は勿論必死だが、カカシも必死だ。それが伝わるが、何でこんな必死になるのか分からない。困惑が加速しそうになった時、
「俺とセックスしたくない?」
 聞かれ、イルカは抵抗していた手を止めた。気がつけば、カカシは押し倒したまま、こっちを見下ろしている。
 イルカもまたじっとカカシを見つめた。
 セックス?
 カカシ先生と?
 目の前にいるのは間違いもない、カカシで。このカカシが自分とセックスを出来るのかと、聞いている。イルカはゆっくりと口を開いた。
「わ、からないですよ、そんなの・・・・・・」
 そうだ。分かるはずがない。急にそんな質問、あるか?いい加減にしてくれ、と上官のカカシに口悪く訴えそうになるが、カカシは、イルカの言葉を聞いて、だよね、と頷いた。
 良かった、自分は間違っていない、そう安堵すれば、
「先生はさ、嫌じゃないんだよ。それに気がついてる?」
 聞かれ、頭にハテナが浮かぶイルカにカカシは続ける。
「素直だもんね、先生は。嫌なら嫌って言うはずなのに、分からないって答えた。だから嫌じゃないんだよ」
 無意識に答えていたから、自分がさっき答えたはずなのに分からなくなってくる。また混乱しそうになるイルカに、カカシは顔を近づけた。口布を下げる。
「先生、俺とキスしたい?」
 いつも食事する時にしか見る事が出来ない、カカシの口元が露わになる。見慣れているはずなのに、薄い形のいい唇から目が離せなかった。左目を隠していようと、端正な顔立ちだと嫌でも分かる。涼しげな目元が自分をじっと見つめていて。イルカの心臓どくどくと鳴り始める。思わず喉を鳴らしていた。カカシが目を細める。
「したいよね」
 宣言するように言われ、顔がかっと熱くなった。いや、元々熱かったのか。自分の事なのに、分からなくなる。
「先生、何も気がついていないみたいだけど、顔に出てるんだよ?俺が誘った時の嬉しそうな顔とか、目で俺の仕草を追ったり、帰り際寂しそうにしたり」
 耳で覆いたくなる言葉にイルカは顔が熱くなるのを止められなかった。
「ちが、」
「違う?嘘ばっかり。今はキスしたいって顔に書いてあるよ?」
 顔から火が出そうになる。同時に泣きたいような気持ちになった。
「したいなんて、」
「いいじゃん、俺もしたいんだから。好きならしたくて当然だもん」
 カカシのその言葉に、イルカは反応を示した。逸らしてした視線をゆっくりと戻す。
「好き・・・・・・?」
 繰り返せば、満足そうに微笑んだ。
「そうだよ。俺はあなたが好き。先生も俺が好き」
 ふざけんな。そう言いたいのに。悔しいくらいにその言葉が自分の中で合点していた。
 同じ教員の女性に好意を向けられても、これっぽっちも嬉しいとか、そんな気持ちが沸き上がらなかった。嬉しいどころか、憂鬱だと感じていた。どんな女性がタイプと言われても真っ白で、何も浮かばなかった。
 なのに、カカシに抱きしめられて、嫌悪感どころか、心地良いと感じてた。
 やばい。
 こんな風に気がつかされるなんて。
 自分の気持ちに気がついたのが分かったのか、カカシはじっとイルカを見下ろしながら、可笑しそうに小さく笑いを零すから。勝ち誇ったようかカカシの顔が憎たらしい。睨み返すと、また可笑しそうに笑った。
「恋に夢でも見てた?始まりなんてこんなもんだよ?」
 悔し紛れに言い返そうとするイルカに、カカシは軽く手でその口を押さえる。
「いいから、目を閉じなよ。じゃなきゃ何にも始まらないよ?」
 カカシがイルカの口から手を離し顔を近づけるから、キスされるんだと、そこで気がつく。
 緊張よりも何よりも期待が上回っている事にはもう分かっている。それを認めながら、目を閉じる。
 カカシの柔らかい唇が自分の唇に触れた時、閉じた瞼の裏で恋の色が広がった。


<終>
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