恋と知る

 阿吽の門をくぐりひたひたと里の中心街へ向かって歩いていたカカシは、ふと目に入る景色にすっかり正月も明けたのを感じる。里を出た時は神社や町並は正月を祝う飾りが付けられ、餅をついたり正月の挨拶を交わしたり、そんな正月らしい風景を目にしながら、里を出たのは数日前。
 綱手は人使いは荒いが、忍に盆正月があるわけがないのだから、そこに不満も何もない。任務報告をする為に、冷えた風を頬で感じながらカカシはそのまま執務室がある建物へ向かった。

 報告を終えた後商店街へ向かったのは、何か適当に食べて帰ろうかと思っていたから。
 三が日が過ぎ買い出しの客であふれる商店街をぶらぶらと歩き、適当に店を決めようとしていたものの、どの店もそれなりに込み合い順番で並んでいる店もある。外食で済ませてしまいたかったが、並んでいる客に混じって並ぶのは時間も勿体ない気もしてくる。しかもこの任務帰りの格好だ。こりゃあ弁当を買って帰った方が良さそうだね、とため息混じりに思った時、少し先に見えた顔に、カカシは視線を止めた。
 店先でその店の店主と会話をしている。相変わらず忙しい人だなあ、と思うのはちょうど自分が今回の任務で里を出る前に見かけた時もこの近くで見かけていたから。あの時は、教員として、商店街の人に混ざりもちつきをしていた。その時のイルカの楽しそうな表情も思い出す。
 恋人である自分がいてもいなくても、イルカは楽しそうに過ごせている。今年は当番なんだと、正月早々肉体労働に駆り出されるんですよ、と言っていたのだから、喜んで参加している訳ではないと知ってはいるが。ただ、ああして今も誰かと世間話をしているイルカを見て、寂しさを覚えないと言ったらそれは嘘だ。
 でもイルカ自身はどうだか分からない。今回の正月も然り、去年のクリスマスも自分は里にいなかった。元々行事に興味もなく疎い方でイルカとつき合うようになって意識するようになったものばかりだ。正月にもちをつくなんて事も、イルカに聞いて初めて知った。
 兎に角、自分が任務で里にいなくても、その行事うんぬん以前に仕事なんだからと、イルカは至って冷静だ。互いにいい大人で忍として割り切ってはいるが。少しくらいはいちゃいちゃしたいとか、そんな事を思うのは自分だけなのか。
 なんて事を考えていた時、会話をしていたイルカがふとこっちへ顔を向けカカシを見た。いや、見つけた、に近いのか。
 人混みの中カカシがいる事に気がついたイルカに、ただにこりと微笑むだけに留める。そんなカカシに、イルカは会話をしていた相手に頭を軽く下げるとカカシへ向かって歩き出した。
 目の前まできたイルカは、カカシさん、と名前を呼んだ後、任務お疲れ様でした、と続ける。カカシはそれに、うん、と返した。
「先生も今日は仕事だったの?」
 格好を見て聞けば、イルカは眉を下げて笑い、まあそんなところです、と頷いた。
「休みだったんですが、ちょっと生徒の事で呼び出しがあって」
 そう言われ、そうなの?と反応を示したカカシに、今さっき子供達が迷惑をかけた店の人に謝ったんで、これで終了ですとイルカは何でもない風に答える。
 どんな年明け早々に問題を起こしたのかは知らないが、イルカはそこまで困った顔をしていないのだから大丈夫なのだろう。しかし問題を起こしてもそれがアカデミーの外であればそれは教師の管轄ではない。そう思うがイルカは違う。些細な事であっても自分の目に入れば叱り諭す。一緒にいる事でイルカのそんな姿を何度も目にしてきた。知り合って間もない頃、子供達に愛情深く接する事が出来る事に深く感心した事を思い出す。
 獅子の子落としではないが、それに似たような事ぐらいしかとうてい自分には出来ない。まあ、それでも。部下も皆それなりに育ってくれたとは思っているが。
「カカシさんは昼はもう済ませたんですか?」
 ぼんやりと思っていれば、イルカにそんな事を聞かれ思考を中断する。カカシは、ああ、と相づちを打った。
「適当に済ませようと思ったんだけど、思った以上に込んでたから。どうしようかなと思ってたとこ」
 そう素直に答えると、俺もまだなんで少し買い物して家で食べますか、イルカはそう口にして微笑んだ。
 
 一緒に歩き出した時、先生、と背中から声がかけられイルカは勿論、自分も同じように反応し振り返ったのは聞き覚えのある声だったから。振り返るとその通り、ナルトが立っていた。
「先生この前は餅ありがとな」
 嬉しそうに歩み寄るナルトに、何のことはない、この前イルカがもちつきをしていた事だとすぐに分かる。案の定、お前は食い過ぎだ、とイルカから呆れ混じりの声が返った。だってつきたてのお餅なんかそう食えないだろ、とナルトは笑う。そこから毎年この餅が食えるのを楽しみにしていると続けるナルトに。その何気ない会話がひどく羨ましく思えた。
 だってよくよく考えたら、イルカと一緒に正月らしく過ごしたのはそう何回もない。今年こそは、とこっそり期待はしていたがこの通りで。でもまあ、今からゆっくりと二人で過ごせるのは正直嬉しい。そう思いながらナルトの服装に目を留めた。
「お前は今から?」
 任務で里を発つのかと聞けば、そうそう、とナルトから声が返る。自分の後にナルトが任務を受ける事は綱手からはなんとなく聞いてはいた。相変わらずだと思っていてもこうして自分から手が離れ任務に行くようになったのはやはり大きな成長だ。同じ様に感じているのか、ちらと横を見ればイルカが目を細めている。キバかシカマルか、サクラか。仲間を含めたスリーマンセルだとも聞いてはいる。だからなのか、やけに楽しそうにも見えてカカシは内心ため息を吐き出した。
「まあ頑張んなさいよ」
 激励とも言えないその台詞にもナルトは元気よく頷く。一回背中を見せかけたナルトが、あ、そうだ、とこっちへ振り返った。
「今度また任務行く時があったら、あの温泉にまた一緒に入ろうってば」
 カカシに向けて思い出したようにそう口にされ、何の事はない、イルカとの餅の話と変わらない催促だ。はいはい、と眉を下げカカシが答えれば、ナルトはイルカと自分に手を振って駆け出し、二人でその後ろ姿を見送った。
 
 イルカに用意してもらった風呂に入り、出たときには既にちゃぶ台に昼飯が用意されていた。大きな椀に人参や白菜が入り、そして三つ葉が乗った雑煮に里芋とイカの煮物が置かれてた。煮物は昨日の夕飯の残り物なんですけど、と言うが、カカシにはそれで十分だった。手を合わせた後湯気が立つ椀を手に取り雑煮を口に入れる。
「美味いね」
 幸せだと感じていたら、嬉しさに思わず口に出ていた。イルカもまた同じように雑煮を食べながら、そうですね、と答える。
「これ先生がついたお餅?」
 聞けばまた、そうですよ、と言葉が返ってくるが、いつもと同じ様で違うものを感じ、カカシは視線をイルカへ向けた。そういえば、商店街から帰って来る時も少しだけ元気がないようにも感じていたが。
 カカシは椀をテーブルに置きながら、ねえ、とイルカに声をかける。そこでイルカもまたカカシへ顔を上げた。
「どうかした?」
 聞くとイルカは少しだけ面食らったような顔をした。でもそれは一瞬で、直ぐにその表情は消える。いいえ、と首を横に振るが、全てが自然に見えて、そうではない。その表情の消し方からどうかしていないのは、カカシから見たら明らかだった。しかし思い当たる節がない。このまま聞き流してもいいのだが、あまりない事だから、気にならない訳がない。
 どうしようかと思いながらも、それ以上何も言わずに、もそもそと雑煮を再び食べ始めるイルカの顔をじっと見つめていたら、当たり前に感じるカカシ視線に、イルカの眉が僅かに寄った。一回口を閉じ、またゆっくりと開く。
「ナルトと温泉に行ったってやつですが、」
 そう口にしたのと、黒い目がカカシへ向けられたのは同時だった。振られた話題は、商店街から帰りながら任務のついでにナルトが目敏く見つけた温泉に寄ったんだと、イルカには説明済みだ。そこに何が引っかかるのか。はあ、と間の抜けた返事をすると、怪訝そうにイルカの眉根がまた寄った。
「やっぱり何でもないです」
 そう言われてカカシは内心慌てた。だって、こんなに曖昧な会話をするイルカは初めてだった。
 いつもはこんな空気になった事すらない。と言うかイルカがさせなかった。駄々をこねるとしたら自分の方で。それをイルカは笑って穏やかに、受け流す。
 元々は飲みに行く間柄だったこんな関係にしたのは自分だった。酒の勢いに任せて押し倒した。半ば強引に、自分の持っていた好意をイルカに無理矢理受け止めてもらったような。それでもイルカは頷いてくれた。そりゃあ自分と同じくらいの気持ちを持ってくれているなんて思っていないけど。
 だから尚のこと、初めて見せたイルカの感情をカカシは見逃せなかった。
 食べかけていた雑煮の椀をちゃぶ台に置く。
「そりゃないでしょ、先生」
 大した事ではないのかもしれないが、そこで気持ちに蓋をされては堪らない。
 その言葉にもイルカは気まずそうに口を結んだままで。でも、と言うイルカに、いいから、と促せばイルカは観念したのか。落とした視線をカカシへ向けた。
「いくら相手がナルトでも、あなたの肌を誰かに見られるのは、嫌だって、そう思っただけですから」
 消えそうな声で話すイルカの言葉に、カカシはぽかんとした。
 俺も温泉に行きたいとか。その程度だと思っていたのに。
 予想を飛び越え、それがナルトへの嫉妬だと気がついた途端、かあ、と下腹から燃え上がるような感情がわき上がった。自分が今までイルカとナルトの関係に羨む事は何度もあった。でも、まさかイルカが自分にそんな感情を向ける事は、あるわけがないと思っていたから。この台詞で初めてイルカが自分に恋をしているんだと、口にしたようなものだ。
 嬉しさが込み上げる。
 かわいい。
 どうしようもなく、かわいい。
 それがカカシに浮かんだ言葉だった。でも、その言葉をこの状況でイルカが好まないのは分かっていたので、口に出すのを我慢する。
「……うん」
 自分から出たのは、短い肯定の言葉。それが精一杯で。
 初めて吐露した事で居た堪れないような恥ずかしさに顔を赤らめるイルカの顔を、カカシは浮かされたような目で見つめるしかなかった。


<終>


 
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