蠱惑 カカシ視点

 昼下がり、時折北の山から吹く風は冷たいものの、日差しは暖かい。ポケットに手を入れたまま歩きながら、春が近づいてきてるんだと、カカシは何気なく口にしたイルカの言葉をふと思い出した。
 イルカは並んで歩きながら、この時期になると行事続きで忙しくて、と、そんな事を苦笑いを浮かべながらも嬉しそうに口にした。自分は四季や季節の移り変わりに特に興味もなにもなかったから。イルカのその言葉に、桜の細い枝の先にある小さな蕾に向ける眼差しに、そこで初めてそんなものなんだと思った事も思い出す。ただ、自分は、淡々に任務をこなすだけだったからか、思っても、冬は寒くて夏は暑いな、くらいで。他の季節に何か思うこともなく、ましてや桜が咲くのが待ち遠しいとか思った事もなかった。興味、と言うか草花に関心があるのは基本任務でも使う事が出来る野草の知識くらいだ。
 上忍師になってまだ間もなくて、昼夜逆転した生活に慣れるのはそう難しくもなかったが、もう慣れた、と言ったらそれは嘘だった。先輩は暗躍している方が様になってますね、なんて後輩に嫌み混じりな事も言われるが、それも間違ってはいないと自分でも感じる始末。
 そんな中、気軽に声をかけてきたのは自分の部下であるナルトの元担任のアカデミー教師のイルカだった。
 満面の笑みでカカシ先生、と自分を先生付けで呼ぶイルカに対照的な物を感じたのは事実で、忍の世界にしては変わった人だとも思ったが。それは、全く他人に対して興味がなかった自分がそんな事を思うのは珍しい事で。イルカに告白された時には本当に驚いたが、今まで何人もの女性に言い寄られたが、初めて頷いた。
 四つ年下の出来た恋人は、情緒豊かで、真っ直ぐで、見ていて飽きない。つき合うと言う事は初めてだから正直手探りな事が多いが、後悔はしていない。恋人なんて煩わしいものだとばかり思っていたのに。
 不思議だなあ、と思いながら、カカシは報告書を片手に報告所の扉を開ける。そこにいたイルカの姿に、カカシが少しだけ驚くと、イルカもまた同じように少しだけ目を丸くし、そこから笑顔を浮かべる。その笑顔にカカシもまた目元を緩めながら、椅子に座るイルカに歩み寄った。
「早かったですね」
 そう言われ、そう言えば帰還予定は夕方だった事を思い出す。ただ、任務予定表は予定であって予定通りに終わる方が逆に少ない。だから、そうだね、とだけ返すと、イルカはそこから渡された報告書に目を落とした。
 イルカの予定を細かく聞いていなかったが、勝手にアカデミーにいるのかと思っていたから、今日ここにイルカがいるとは思わなかった。予想外だが素直に嬉しい。そう思いながら報告書に目を通すイルカを見つめる。
「今日はずっとこっち?」
 報告書を確認し終わったのを見計らいそう声をかけると、イルカは顔を上げた。
「いえ、ヘルプを頼まれてここにいるんですが、ちょっとしたらあっちへ戻ります」
 新入生を迎える準備があって、と続けるイルカに、また素直に感心する。確かに、今この報告所にいるのはイルカ一人で、他の中忍も何か別の業務をしているのだろう。
 そして、イルカとつきあい始めて知ったのだが、内勤と言えど色々な業務でこき使われているの事実。それは素直に大変だと思わざるを得ない。でも、それを口にしたところで当のイルカは何のことはないと、そう笑顔で返してくるのも分かっている。
 ここ最近残業続きなのも知っていた。この業務で終わりだったら。今日は一緒に夕飯を食べたいと思っていたが、忙しいのを分かっていて無理はさせられない。まあ明日は自分は七班の任務だから、明日にでもまた声をかけようと割り切る。頑張ってね、と声をかけるだけに留め、そこから背中を向けようとすれば、あの、と声がかかり、カカシは足を止めた。
 なに?と聞くと、ペンを持ったままのイルカは声をかけたままの少し開けた口を一回結ぶ。その動きに自然に目を向けた時、イルカが再び口を開いた。
「今日は、どうですか」
 少しだけ強めの口調に、その台詞に、カカシは一瞬きょとんとした。イルカの黒い目を見つめながら、言われた台詞を頭の中で反芻する。
 いつも夕飯に誘ってくるイルカの口調とは全く違うものを感じるのは、イルカだったら、素直に夕飯一緒にどうですか?と聞いてくるからだ。だから、でも先生、と言いかけながらその意図を探ろうと見つめれば、目の前にいるイルカのその眼差しに、少しだけ赤らんだ頬に、その言われた意味に気がついた。
 嘘でしょ、と思うも、訴えるイルカの眼差しは間違えようのない事実で。思わず軽く自分も口布の下で口を結んでいた。
 身体の関係を持って一ヶ月は経つが、イルカから誘ってきたことはなかった。だから、そんなものなんだと、気にもしていなかったのに。
 過去女に何度も誘われたが、今までにないくらいに胸が騒いだ。
 今すぐ押し倒したい衝動に駆られるのを抑えようとすればするほど、滅多に変化のない自分の体温が上昇するのが分かった。そんな些細な自分の変化にイルカが気がつくはずがないが、表情を出さないようにしながら、うん、と返せば、そんな内情に気がいていないイルカは、承諾したカカシに素直に輝かせる。
(うわ、)
 純粋に嬉しそうな笑顔を見せられ、に思わず赤面していた。
 慣れない自分の反応に、カカシは誤魔化すように銀色の髪を掻くしかなかった。

<終>
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