蠱惑 イルカ視点

 週末の居酒屋はいつも以上に込み合っている。ほろ酔いで気持ちよさそうにビールを傾けるイルカの前で、同期が焼き鳥のネギマを頬張りながら、嬉しそうに、でさ、と話しを続ける。
「今度、ついに初めて二人で会う事になったんだよ」
 その台詞に周りにいた友人達が反応を示した。合コンでそこまで上手くいく事は少ない。それでも挫ける事なく、幾度となく飲み会に参加した一人の同期の花咲く話に、素直に一緒に喜ぶ奴もいたり、自分にはない好機に羨ましがる奴もいたり。盛り上がりを見せる中、初デートを掴んだ同期が、イルカへ視線を向けた。
「イルカ、お前聞いてる?」
 そこまで反応を示さなかったイルカに、視線が向けられる。自然と周りの視線も集め、イルカは慌てて、当たり前だろ、と笑顔を浮かべた。で、どこ連れてくんだよ、と聞けば、そこからまた同期の初デートの話題が盛り上がる中、イルカは同じように話に耳を傾けながら。本当は上の空だった事を誤魔化せた事に内心安堵した。
 恋人であるカカシが夜半の任務にちょこちょこ駆り出されるようになったのは先週からだった。
 当たり前だが、内勤と違い任務は常に依頼人と里長からの命令であり、日時の調整も、選ぶは出来ない。だから、仕方ないのは分かってはいるが。
 受付の業務もしているから、カカシと顔を合わす事があっても、交際を公にしていないからろくに話す事だって出来ないし、仕事の時間がすれ違えば会うことだって出来ない。
 自分も忍だ。そこはきちんと頭では分かっているつもりだ。と心の中でひとりごちながら、イルカはそこでグラスを傾け、ビールをちびちびと飲みながら。考えるのはカカシの事だった。
 カカシとのつき合いは上手くいっているつもりだし、不満もない。今はちょっと生活がすれ違っているだけで、会いたいとか、寂しいとか、それもあるが。それ以上に自分の中で膨らむのは、ーーカカシと肌を触れ合いたいと言う事。
 触れ合うとか、そんな言葉で片づけられない。要は、セックスしたいって事で。
 そこまで考えて、丸で十代の若造のような自分の欲に一人赤面し、それを誤魔化すように、またビールを飲んだ。
 正直、こんな自分が恥ずかしい。
 ちょっと会えてないだけなのに。そりゃあ男だから、一人で事済ませるのも簡単だ。
 でも、やはり、物足りなさが残るだけで、先述の通り、カカシの肌が恋しい。
(いやいや、何言ってんだ俺は)
 自分に突っ込むと、こんな事をもんもんと考えてるとは知らない、同期の初デートに盛り上がっている友人達に合わせるように、その会話に相づちを打った。

 カカシと知り合ったのはナルトが下忍になった頃。新しい師として初めて顔を合わせたのは受付だった。
 ナルトから話は聞いてはいたが、名前だけは知っていて、尊敬する忍で、どんな上忍なのか、想像もしていなかったからなのか、内心すごく驚いたのは確かだった。
 愛想も良くなく何を考えているのか分からない。そんな印象しかなかったのに。別の日に見かけて挨拶をしたら、カカシはその挨拶に普通に応えてくれた。そして他愛のない会話の後、じゃあね、と口にしたカカシがにこっと目を細めた。
 その顔を目にした瞬間、迂闊にも胸が高鳴り、それだけなら良かったのだが、カカシの事をもっと知りたいと思ってしまった。
 自分でもそうとうチョロいんだと思うし、思った以上に自分が面食いだと、気がついたのもその時だ。
 素顔を初めて見た時顔がもろ好みだったとか、なんて口が裂けても言えっこない。
 イルカは思い出したように笑いを零す。
 ともかく、あの時は向こうはそんな気なんて微塵も持っていないのは分かっていたが、会えば会うほど気持ちが膨らみ、可能性ゼロの片思いなんかさっさと終わらせるべきだと思っていた。
 そうしたら、ある日会話の延長で、カカシに恋人がいないと、そんな流れになったから、じゃあ、俺なんてどうですか、と、冗談混じりに本音をぶつけたら、カカシは一瞬驚いた顔をしたものの、いいよ、とすんなり頷いた。
 都合の良い幻聴か、聞き間違いかと思った。何言ってるの、先生。そんな台詞で自分の恋に終止符が打てるとばかり思ってたから。でも目の前のカカシは本当に付き合う事に前向きで。心底驚きながら、じわじわと喜びが湧き上がったのは言うまでもない。
 そこから交際が始まり、もしかしたら向こうは遊びなのかもしれない、と思っていたが、カカシは想像以上に優しくて、自分だけを見ている感じで。
 なんだかんだで気がつけば三ヶ月。びっくりするくらいに順調だ。
 そんな事を思い出しながらイルカは一人、報告所で書類を纏める。纏めながら報告書に見落としがないか目を通していた時に扉が開き、顔を上げ驚いたのは、そこに夜帰還するはずだったカカシがいたからだ。
 ただ、少しでも早く、そして無事に帰ってきてくれたのは嬉しい。目を緩めながら、早かったですね、と声をかければ、そうだね、とカカシは目を細めて自分に返す。また顔が自然に緩みそうになり、顔に出てしまうのが嫌で、イルカは手渡された報告書に目を落とした。必要事項にきちんと書かれた内容を確認しながら、今日は久しぶりに一緒に過ごせるんだと、勝手に嬉しさがこみ上げた時、
「今日はずっとこっち?」
 聞かれてイルカは顔を上げた。優しそうな青みがかった目がイルカを見つめている。胸の高鳴りを抑えながら、イルカは口を開いた。
「いえ、ヘルプを頼まれてここにいるんですが、ちょっとしたらあっちへ戻ります」
 あっちとは、アカデミーの事で。それを説明するように、新入生を迎える準備があって、と言えば、それを理解したように、へえ、と相づちを打ったカカシに、イルカははっとした。
 素直に説明するのは良かったが、それをカカシがどう受け取るとか、そこまで考えていなくて。案の定、しまったと思うも、カカシは自分の多忙さに遠慮するかのように、優しくイルカに微笑む。頑張ってね、と言われイルカは青くなった。
 いや、そんなつもりで言った訳じゃない。それでも嘘はつけない。だからどうする事も出来ない。
 ーーでも、空気を読んでじゃあね、と言いながら背中を見せるカカシを見たら。思わず握っていたペンに力を入れて口を開いていた。
 あの、といつもより大きな声が報告所に響きわたり、当たり前に、呼び止められたカカシは足を止める。イルカを見た。呼び止めたくせに、自分の如何わしい気持ちとは裏腹に、カカシの素直な、不思議そうな眼差しをこっちに向けられたら、どうしようもなく情けなくなって、戸惑いが心の中に広がる。イルカは思わず眉根を寄せた。
 でも、自分だって男で、恋人で。正直、カカシを目の前にして、顔を見たら、我慢出来そうにない。そう、カカシの顔を見ただけで浅はかに性欲が沸き上がるとか、どんな恋人だよ、と内心自分に突っ込みながら、イルカはペンを持っている手にぎゅっと力を入れる。一回閉じた口をゆっくりと開けた。
「今日は、どうですか」
 自分では、結構選んだ言葉だった。恋人同士と言えど、ここに自分達以外誰もいないと言えど、ここは職場で。だから控えめに、でも少しだけ強い口調で尋ねる。
 だが、言葉足らずの台詞で、カカシは、当たり前に何のことなのか分からなかったのだろう。口布の下で小さく口を開き、え?と聞き返したのが分かった。
 そこから焦りが一気に広がった。でも、これ以上説明する事なんで自分で到底出来ない。何が?とカカシに聞かれたら、何でもないです、と言って話を無理矢理終わらせるしか、ーー自分の言動の羞恥さに、頬が熱くて、目が勝手に潤む。と、その瞬間、カカシの露わな右目が自分を見つめながら、はっきりと変わったのが分かった。僅かに驚きに目を見開いた後、じっとこっちを見つめる。しばらくの間の後、自分の言いたかった事を理解したのか、戸惑いを見せながらも、カカシは、うん、とそう返した。
 その言葉を聞いただけで、嬉しさと安堵感でイルカの顔が綻んだ。瞬間、カカシの白い頬が赤く染まったのが見え、またしても自分がうっかり顔に思い切り出してしまっていた事に気がつき、でも嬉しくて。イルカはカカシに眉を下げながら、恥ずかしそうに微笑みかけた。

<終>
 
 
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