唇 〜イルカ視点〜

カカシが入ってきた。
報告書に目を通しながら視線を横に移動させた時に、扉から入ってきた人が。視界に入った銀色に。それがカカシだと気がつく。
入ってすぐ、横にある椅子に座っていた上忍がカカシに話しかけたのが聞こえた。
カカシはその声に足を止めた。少し話しをして、そこから自分の列に並ぶ。
いつものように片手はポケットに入れて。ぼんやりと、でも眠そうな目が自分に向けられているのも、分かる。てきぱきと、手際よく処理を進めて、列が短くなりカカシの順番が近づいてくる。カカシの後ろに一人いるだけで、もう並んではいないのも、視線を上に動かした時に気がついた。
イルカはチェックし終わった報告書に判子を押した。
「お待たせしました。次の方」
声は平坦に。いつも通りに。目を伏せながらカカシを見ずに呼ぶと、カカシが目の前までくる。
どの人間とも違う。側に来るだけで分かる。彼の匂い。土埃や、血や、任務で付いてしまった匂いの中に、カカシの匂いがある。
それだけで胸の奥が疼いた。
顔には出さない。
目の前に置かれた報告書。カカシの書いた字に目を通す。
カカシは、自分にとって初めての恋人だ。
それまで誰ともつき合わずに過ごしてきた。
欲しいと思った事もあったが、自分の心の中に入り込まれるのが嫌だった。だから自然壁を作ってしまうし、それに気が付いて深くまで近づいてこない事もしょっちゅう。それにも慣れてしまっていた。
友人がいて、仕事仲間がいて。可愛い生徒がいる。それが自分に十分な環境だった。
皆適度な距離を保ってくれる。
でも、カカシは違った。
にこにこと愛想がいいのは上忍にしては珍しいと思っていた。でも人当たりがいいのは自分も同じ。
話しやすいのも良かった。
2、3回一緒に飲みに行った帰り、カカシが言った。好きです。つき合ってください。
最初、この人の冗談だと思った。それか酔ってない風でも酔っているのか。
何言ってるんですか。冗談はやめてください。
そう言った時のカカシの顔に、イルカは内心驚いた。酷くさみしそうで。丸で自分が悪い事をしてしまっているんじゃないかと、思えた。
本気だとカカシの顔で悟る。
でも。自分は同性と言うことだけで守備範囲外。恋愛対象は女だけ。
だから、そんな顔をされても困る。
でも、カカシは諦めなかった。時間をあけて、カカシはイルカに会いにきては話しにくる事もあるし、報告だけで顔を合わす事もある。
ふっと、今日は来ないのかな、そう思った頃カカシは現れた。
今思えば。あれはカカシの作戦だったのかもしれない。
自分の好きな適度な距離を保ちながら。でも確実に距離を縮められていた。それに気が付いた時には、自分はカカシの事ばかり考えるようになっていて。
俺とつき合って。
言われた時には、頷いてしまっていた。
こんな事は一度だってなかったのに。いや、こんなに自分を諦めずに求めてくる人がいなかった。
自分を必要とし、暖かくなる気持ちにさせてくれる。
逆に、カカシが自分から離れていくのが怖い。そんな事を思った。
でもこの人は、いつもは顔を隠しているけど、男の自分が見ても整った顔立ちで、経験ほとんどない自分でも思うが、キスもセックスも上手い。稼ぎだってある。それに、優しい。
こんな人が何で自分を好きになったのか。
今も不思議でならないけど。
同時にこの人がいなくなったら。
そう、自分に飽きたらこの人はきっと離れてしまう。
だったら、その時を考えてつき合ってるのをバレないように。もし別れても、カカシに捨てられたと哀れんだ視線なんか欲しくない。何事もなく過ごせるように。
だから、日常仕事をしている時は知らぬ存ぜぬを通す。
時々話して、時々ご飯を食べるくらいの間柄だと。
カカシはそこに関しては何も言わない。その方がカカシもいいと思っているからだろうか。
自分と同じように、別れた後も後腐れなく仕事がしやすいように。

イルカはカカシの報告書の最後の項目のチェックを終える。感じる視線に目を向ける。ほとんど隠された顔で唯一露わになっている青い目が自分を映している。胸が高鳴るのを抑えて、口を開いた。
「問題ありません。お疲れ様でした」
他の人と同じように。そう静かに告げる。
判子を押した。顔を上げずに書類を仕舞い、次の順番を呼ぶ。
目の前にいるカカシの手。自分の目線からちょうど目に入る。アンダーウェアからは白い肌に筋張った腕が見える。
胸が、簡単に締め付けられる。
カカシはくるりと向きを変えると受付から出て行った。

あの腕に包まれたい。
仕事を続行しながら思う。
あ、でも今日はまたカカシは任務にでかける。
それだけでふっと落胆しながらイルカは報告書に判子を押した。

「先生またねー」
「さよならだろ」
イルカの言葉に生徒が鞄を背負いながらはーい、と笑いながら返事した。
最後の一人が廊下を走っていく音が聞こえる。
本当は廊下も走るなと言いたいところだが。授業が終わった帰りほど嬉しい物はないと、自分でも知っている。
そこまで口うるさく言うつもりはない。
教材を揃えながら教室を見渡した。床に落ちている紙屑を見つけてイルカは眉を下げながら息を吐き出した。
掃除当番を決めているが、また生徒によってはむらがあったりなかったり。
仕方ないと、それを拾って後ろのゴミ箱に入れる。
教壇に戻って黒板を見れば、それと同じく雑に消されたままだ。イルカは窓を開けると、黒板消しを取りゆっくり消し始めた。
窓からは気持ちのいい暖かな風が入り込む。
誰もいない教室。ふと気が緩んで思い浮かぶのは。
「イルカ先生」
驚きイルカは黒板を消す手を止めて振り返った。
カカシが開けた扉にもたれ掛かるように立っている。
カカシの笑顔を見たら、思わず抱きつきたくなった。たった2日顔を合わさなかっただけなのに。
そんな事をしたら、カカシはきっと笑うだろう。
でも、優しく抱き留めてくれる。それも分かっている。
この人は、そう言う人だ。
それだけで、失いたくないなあ、と思った。
それを思うのがこんな何でもない瞬間に訪れるものだったのだろうか。
それとも自分がおかしいのか。
イルカは黒板消しを置いた。
「任務終わられたんですね。報告は?」
まだって事はないだろうが。そう聞くと、カカシは微笑む。
「うん。今日の報告はあっちだったから」
指さされた方向にあるのは執務室。ランクの高い任務だったのか。そこで初めて知る。
手をポケットから出すとカカシはイルカに向かって歩いてくる。どんな戦闘をしてきたのか、それすら何も感じ取れない。
いつも通りの笑顔。
「お疲れでは?」
そんな問いにもカカシは微笑みを返した。
「ううん。平気。イルカ先生は今日はもうこれで終わり?」
頷きながら一緒に帰りたいと思う。
言えばカカシは一緒に帰ってくれるだろうし、待っていてくれる。
言ってみようかと、考える間もなく、カカシはふっと身体の向きを変えていた。
「じゃあ、先に帰ってるね」
何か買い物とかある?もしあったら買ってくけど、と言うカカシへ腕を伸ばしていた。伸ばして手に触れたいのに、そこにも躊躇が出る。
カカシの袖の裾を掴んだ。
同時に見せるカカシの驚いた顔。やるべきじゃなかったと、そこで悟るのに。離したくない。
少し首を傾げてどうしたのかと、そんな顔をされ、ますますイルカは困った。
カカシは素で驚いている。
どうしようか。離さなきゃいけないけど、離したくない。
でもこれをどうやって言えばいいのか。
素直になれないまま黙り込むイルカに、カカシのもう片方の手が動いた。
目線を向けると、その手は口布をゆっくりと下げ。露わになったカカシの唇が自分に向けられる。唇が触れ、ちゅっと、音が鳴った。そこからもう一度軽く触れる。
丸で自分を宥めるような。窺うような目で。そこで優しく微笑まれて。イルカの胸がきゅーんと鳴った。どこぞの少女漫画の一場面のような自分が、いる。
して欲しいと言ってないのに。
でも嬉しい。
触れた時の感じたカカシの息がまだ近くにあるようで。
離れていく彼の唇を目で追っていた。
この唇が好きだ。
普段誰にも見せる事のない彼の唇。自分とは違って薄くて形がいい。
色気さえ感じる。裾を持ったままの自分の手に、カカシの手が重なった。少しだけ息を詰めていた。
顔を上げると、カカシと目が合う。首の後ろに手が当てられる。
そこから再び唇が塞がれる。さっきとは違う深いキスにカカシの暖かく柔らかい唇に夢中になる。
よくよく考えたら、ここは教室で。教壇に立ち、子供たちに教えを説いている自分にとっては神聖な場所でもあるのに。
うっとりキスに身を任せている自分に恥ずかしさも残っていても。
それは、自分の頭の隅に押しやった。
濃厚なキスから、ふと解放される。絡んでいたカカシの舌が抜かれ、薄っすら赤らんだ頬でカカシはじっとイルカの目をのぞき込んできた。
「どうしたの?今日は」
積極的。そのままの台詞に恥ずかしさが一気に高まった。確かに。いつもだったらこんなこと、しない。
「寂しかった?」
聞かれて、納得する。
そうだ。寂しかった。
恋しかったのだ。
恥ずかしさに顔を顰めながらもイルカは頷いた。
ふわ、と気が付けば抱きしめられていた。カカシの腕の内に包まれ、どうしたらいいのか。そっと手をカカシの腕に触れる。
ぐいと、押しつけられた、カカシの下半身。そこは既に熱い。
それが分かって身体が熱くなった。
耳たぶを甘噛みされ、カカシの息がかかる。ぞくっと首筋が震えた。
でも、そんな事されるなんて思ってもみなかった。
「カカシさん、ここじゃ駄目です」
口でして。身を固くして拒んだ次に言われた言葉。耳を疑った。
嘘だろ。
未だ校庭から生徒の声が聞こえてくる、こんな明るい教室で。
何を言い出したのか。
冗談じゃない張りつめた股間を再び押しつけられて、背中が震えた。
カカシの真意が分からない。
キスしてきたのはカカシだし、でもそれに応えてした深い口づけは自分も求めていた。
でも。自分が拒んだら。カカシはこのまま帰るんだろう。股間をぱんぱんにしたまま。
そんな姿を勝手に想像したら、嫌だと言えなくなっていた。
何て答えたらいいのか黙ったイルカに、カカシは微笑んだ。
「ごめんね。言ってみただけ」
申し訳なさそうに。その顔がまた寂しそうで。
今まで自分勝手に甘えて、外では素知らぬ顔をして。それでもカカシは合わせてくれていた。
ここは教室とか。もし誰かが入ってきたらとか。
考えるべきものを再度頭の隅に押しやる。
「仕方ないですね」
そう言ったイルカに返ってきた言葉はカカシの、え、と言う声だった。自分から仕掛けてきたのに。
声が裏返り、本当に驚いている声をカカシが出した。
でも、冗談だったと、そこで初めて気が付いた。
結局自分はカカシに踊らされている。いや、告白に頷いた時点で。いや、この人に出会った時点でカカシにすっかり心を奪われている。その時点で既に不利だ。
絆されていなきゃ、男なんかとつき合わない。
引くに引けない。
イルカは驚くカカシの手を引いて教室の隅に連れて行く。
ひざまづいてカカシの張りつめているそこをそっと手で触れた。
ごくりと唾を飲み込む。
名前を呼ばれても、イルカはそれを無視した。
「誰か来たら教えてください」
それだけはとりあえず念を押しておく。
カカシのズボンから性器を取り出した。何度も見ているはずなのに、固くなったものを触れながら明るい場所で見れば見るほど場違いに思えるのに。
這わせた手を添えるそうにしてイルカは先端から咥えた。
カカシが息を詰めたのが分かった。
唇で扱くように動かせばたちまち固さと大きさが増す。筋張った裏を舌で確かめるように舐める。
やがてカカシの呼吸が荒くなる。カカシが感じていると、そう思ったら自分の身体が熱くなった。
涎でべたべたになったそれを再びくわえ込む。何度も扱くと、苦しそうに息を吐き出した。
カカシの手が頭に触れる。名前を呼ばれ、優しく撫でられ、イルカはカカシを見上げた。
それがカカシから見たら、ひどく厭らしいものだと思うのに。ただ、触れられた手が優しくて。カカシの顔を見たくなった。
昼間見る事がない、カカシの火照った頬に、熱を帯びた目。息を吐いている口は薄く開いている。
それだけで身体がさらに熱くなる。
窓から風が入り込み、イルカの頬を撫でた。
カカシの側面を舐め上げて唇で吸う。柔らかい先端を唇で何度も扱きながらもう一度くわえ込む。
そこから動きを早めると、質量を増したそれはイルカの喉を苦しいくらいに圧迫した。
カカシが短く呻く。
吐き出されたものがイルカの喉奥にたたきつけられ、流れ込む。
咽せそうになり、イルカはそれをなんとか耐えて眉を寄せた。時間をかけて吐き出され口の中が青臭くなる。
まだ口の中にあるこれをどうしようか、身体も火照って頭もぼんやりしたままで。カカシに名前を呼ばれて上を向こうとして、
ガタン
真後ろから聞こえた音に驚いた。同時にごく、と喉を鳴らして飲み込んでいた。
カカシを見ると、カカシも音に驚いていたのだろう。
目が丸くなっている。
あんな事をしいていた挙げ句、掃除当番の生徒がきちんと立てかけていなかったモップが倒れた音に、二人してびっくりしている様がなんとも可笑しくて。
イルカは笑った。
そこでまた目を丸くしたままのカカシに、
「びっくりして飲んじゃいました」
告げた時のその顔が、驚きと申し訳ないような複雑な、顔。
初めて見た。
色々悩んでいたのに、どうでもよくなる。
この人と一緒に並んで帰りたい。
そう言ったらまた驚くんだろうか。
廊下で誰かが歩く気配にカカシは顔を上げた。
ズボンを直して、ふとイルカの顔を見る。困ったような顔をされ不思議に思うと、
「先生、口元がてかてか」
頬を赤らめながらカカシは腕を伸ばし、袖で口を拭かれイルカも頬が熱くなった。
「じゃあ行くね」
「あ、待ってください」
窓へ向かおうとしたカカシが背を向け、イルカは慌てた。腕を掴む。
「...どうしたの?」
「一緒に、一緒に帰りましょう」
カカシの右目が見開いた。
少しだけ待っててもらうことになりますが。と、尻つぼみに言葉を続ける。
驚いたままのカカシをおずおずと見つめると、カカシはそこからふにゃと顔を緩めた。
嬉しそうに微笑む。
「うん。待ってる」
そんな顔をされ、イルカも思わず頬がゆるんだ。むずむずするような不思議な感じ。
恥ずかしいのに、嬉しい。
自分のたった一言が、カカシをこんな顔に出来るなんて。
不安だらけだったはずなのに。
この人のこんな顔をみたら一気に吹き飛んでしまったみたいだ。
恥ずかしいのか、銀色の頭をがしがしと掻くカカシに、この人とずっと一緒にいたい。
イルカも白い歯を見せて笑って、鼻頭を掻きながら、そう思った。

<終>