靴が鳴る

「あ」と、声を出したのは同時だった。そこまで広くない執務室の前で、扉を開けようとした時に、扉が開かれ、出てきたカカシとぶつかりそうになった。お互いに顔を見て少しだけ驚き、階級差は大いにあるが、お互いに半身をずらして譲り合い、会釈をしながら通り過ぎる。
第四次忍界大戦も終戦を迎え、慌ただしさが里を包んでいる。雑務に追われる毎日の自分然り、カカシはそれ以上に忙しそうだった。
「ごめんね」
それでも通り過ぎる時に向けられた自分への表情や言葉は、そんな雰囲気を感じさせない、いつも通りの優しさが含まれている。
「あ、ねえ」
開いた扉から執務室へ入ろうとした時、カカシに呼び止められた。振り返る。
人が往来する廊下でカカシはまたにこりと笑みを見せた。
「久しぶりじゃない?」
改めて言われた言葉に、自分はただこくんと頷いた。
「ええ、そうですね」
この会話をする間にも、距離があるからか、人が二人の間を肩を竦め気味にすり抜けて行ったりもしている。カカシとは上忍師として知り合ってから食事に誘われたり誘ったりする程度の仲だったが。ペイン戦の後一回飲んでからは、なかなか顔を会わす機会もなかった。殊に、彼は時期火影となる身でもある。身分相応にしなければ、とブレーキがかかっていたのは事実だ。
構えてしまったのが顔に出てしまっていたのだろう。カカシは眉を下げながら情けない笑みを浮かべた。
「どうです、今度一杯」
手で猪口を飲む仕草をする。場所が場所なだけに近くにいる人間はちらと窺う気配を見せた。でも、こんな場所でも、口に出さなければ、次会う時は彼は里長になっている。それを彼自身もわかっていたから、人が往来する場でも構わず誘ってきたのだ。
イルカは迷う事なくまた頷いた。
「ええ、是非」
「よかった。じゃあ、また声かけます」
イルカはそれに笑顔で応え背を向けようとしたところに、あー、とカカシが声を発し、イルカは窺うようにカカシへまた顔を向けた。
「そう言えばさ、今月のーー、」
カカシの台詞は、綱手のワザとらしい咳払いによって止められた。開け放たれたままの執務室から、いい加減イルカをこっちによこせと、不満げな表情をカカシに向けている。
「それはまた今度って事で」
苦笑いして、ポケットに片手を入れるとカカシは背を向けて歩き出す。

カカシが言いかけた台詞の先は、その日の午後、サクラから知らされた。


「ええと....あとは、もうないよな」
片手に買い物袋を持ち、もう片方の手にあるメモも見ながら、買い物漏れがないか頭の中で確認する。
カカシから渡されたのは野菜中心の買い物リスト。内容からしてメニューも想像つくけど、量が2人分ではない事にも気がついていた。久しぶりに誘われ指定された場所はカカシのアパートだった。
何回か訪れた事のあるカカシの家。その上忍アパートの前で足を止める。ここに来たのは片手数えるくらいだ。
その一回一回は鮮明にイルカの記憶に刻み込まれている。だって、初めてここを訪れたのは今日と同じ月日。
季節の変わり目に香る草木や空気の匂いで胸が締め付けられる時と同じ感覚が、脳と心を刺激する。
なんて心地いいんだろうか。
イルカは立ち止まって目を瞑る。深呼吸した。そこからまた目を開けゆっくりと部屋に向けて歩き出した。

「ありがとね。入って」
扉を開けると、カカシが優しく出迎えてくれた。最後ここに訪れてから何年も経っているのに、デジャヴのような不思議な感覚に胸が締め付けられる。
変わらない彼の部屋に足を踏み入れ、ベストを脱いでキッチンへ向かう。手を洗って買い物袋から買ったものを取り出し、広いキッチンカウンターへ並べて。カカシが冷蔵庫から買っておいた肉を取り出した。
「俺も手伝っていい?」
「嬉しいですが、やることなんて限られてますから」
苦笑いすれば、だよね、とカカシは肩を竦めた。
「じゃあ皿ならべとくから」
カカシもベストを脱いだだけのラフな服装で準備を始める。その後ろ姿を横目で眺めながら、イルカは白菜を刻んだ。

「わあ。いい匂い」
と入ってきた第一声に言い、
「私一番乗りね」
と、今回の催しを企画したサクラは嬉しそうに笑った。
一番乗りの中に、イルカはその数に入っていない。サクラはカカシへ白い箱を差し出した。
「おめでと、先生。これは私から」
作る練習する時間がなかったから、市販だけどね、愛嬌ある微笑みにカカシは嬉しそうに目を細めた。
「食べるのはほとんどお前らなんだから、いいんじゃない?」
そう言われて、うふ、とまたサクラは微笑む。
「うん、だから気になってたお店のにしちゃった」
女の子らしい台詞にカカシもイルカも思わず笑う。イルカはカカシからからケーキを受け取る。
「じゃあ、冷蔵庫に入れておくな」
箱を持ってイルカはキッチンへ向かった。
すき焼きの準備が粗方出来たところで今度は秋刀魚に塩を振りグリルに入れる。
「あ、秋刀魚」
サクラと話をしていたと思っていたカカシが、後ろに立っていた。
でも俺、秋刀魚なんて頼んでなかったのに、とカカシに言われてイルカは手を動かしながら笑いを零した。
「これは俺からです」
何にもいらないなんて言われても、さすがに手ぶらじゃ来れないですよ。
「色気なくてすみません」
言って、内心はたとする。
「あ、色気なんていらないですね」
すみません。無理に笑ってそう続ければ、すこし沈黙の後、ううん、とカカシが背後で小さくつぶやくのが聞えた。
背中から感じるカカシの少し照れくさそうな気配に、顔が熱くなりそうで、イルカは必死にそれをやり過ごして料理を続ける。
実は刺身の盛り合わせも買ったんですよ。お手塩出してください。と、言うイルカに、え?おて...なに?、と、聞き返された。
イルカはそこで要約カカシに振り返る。耳まで赤くなっていないと思うが。
「おてしょう。です。えと、醤油入れる小皿ですね。俺の親、昔からそう言ってたからつい出ちまって。すみません」
謝るイルカに少し驚いた風のカカシは、少し顔を緩めた。
「お手塩....そっか。イルカ先生の親もそう呼んでたんだ。実は俺の親もです」
随分と忘れてましたけど。
懐かしそうに目を細める。
ガチャ。次の来客がドアを開ける。誰かと顔を向ける間もなく、
「サスケくんっ」
サクラの声ですぐに分かった。
この日だけは。彼がここに来るのは許されているのは、今の火影である綱手の恩赦の他ならない。
「ほら」
ぶっきらぼうな物言いは今も昔も変わらない。
カカシは手渡された黒い布袋。カカシはその袋を開いて取り出した。その手には真新しいクナイ。蛍光灯の下で鈍い光を放っている。
「これって、」
黒鉈の、とカカシの口にした名匠とされる鍛冶職人の名前に、サスケは軽く頷いた。カカシの感動もそこそこにサスケは床に座る。
「せんせーっ」
ただ一人大声で玄関の扉を開けたナルトに全員の視線が送られた。
「あんたおっそいのよ!」
サクラの一言にナルトがにししと笑い頭を掻く。
「主役は遅れて登場なんだってばよ」
主役じゃない。
全員に突っ込まれ、ナルトは靴を脱ぐと笑いながら部屋に上がってきた。カカシのところまで真っ直ぐ来る。
「先生、俺から」
見たことのない壷酒。カカシだけは分かったのか。目を見開き、おお、と唸った。
「カカシさん、それって...有名な酒ですか?」
問うとカカシは、両手で壷を大切に持ちながらイルカに顔を向けた。うん、と頷く。
「これって砂隠れの里の秘蔵と言われる酒なんですよ」
感動気味に言うカカシに、ナルトはそうそう、と相づちを打った。
「我愛羅がさ、カカシ先生の誕生日プレゼントなにが良いのか相談したらこれだって教えてくれたんだってば」
お前にしちゃ上出来だ。
サスケの一言に、ああん?と、ナルトが食ってかかる。
やめてよ2人とも。サクラが間に入ってため息をついて。
カカシの家で久しぶりに揃う、三人が並ぶその光景を。カカシは貰ったプレゼントを抱えながら見つめていた。
イルカも微笑み、腕まくりをしながら口を開く。
「ほら、お前ら手伝え。始めるぞ」

すき焼きも、秋刀魚も、刺身も、ケーキも。皆で食べ尽くした。
どうしても味見がしたいと言うナルトとサスケに、酒を少し味見させ。ほんのりと顔が赤いサスケが立ち上がった。
「帰る」
「え、もう?」
サクラが素早く反応を示した。
「24時過ぎるまでには戻るって決まりだからな」
またな。ここの誰もが知っていた綱手の恩赦を口にすると、ほろ酔いになっているナルトが立ち上がった。
「じゃあ、途中まで送るってばよ」
「私も」
いい、と断るサスケを無視して三人狭い玄関に向かう。同時に向かえば当たり前なのに、三人ともに邪魔だとぶつぶつ言いながらも靴を履き、サスケが玄関のドアを開ける。途端ふわと外気の匂いが部屋に入り込んだ。
部屋に残されたカカシとイルカに、三人が振り返った。
「お邪魔しました」
「またな、先生っ」
「...じゃあな」
片手を上げてそれに答えると、扉は閉められる。
サスケを見張っている暗部も一緒に連れて行ったのか、気配が散っていく。カカシもその気配を感じ取っているのか。じっと閉められた扉を見つめている。
「さてと」
イルカは先に沈黙を破るように一言言うと、くるりと向き直り、テーブルの片づけを始めた。カカシもそれに従う。
粗方片づいたところで、カカシがグラスを持って現れた。
「先生、飲もっか」
ナルトから貰った酒壷を軽く上げた。
やっと落ち着いて飲めるねえ。そう言うカカシに苦笑しながら口に手を当て頷いた。
カカシの向かいに座る。
何年も寝かせてあるからだろうか。とろみのある酒をグラスに注いで口内を湿らせるように含んだ。軽い飲み口だが、アルコールがじわりと胃に染み込むのが分かる。
「うまーい」
カカシが顔を緩めて嬉しそうにグラスを傾ける。本当に美味しい時に見せるカカシの緩んだ、幸せそうな表情は好きだ。そうですね、とイルカは静かに答えた。2人でじっくり酒の美味さを実感する。
同時に感じる言葉にできない心が暖まる感情に、カカシへ視線を向ければ、目が合った。写輪眼ではない、青い両目を細めて微笑む。
「先生、覚えてる?」
「覚えてますよ」
即答され、カカシは驚きに目を丸くする。その顔を見つめ、イルカはグラスを傾けながら、小さく笑った。
「俺がカカシさんの家に初めて来た時の事、でしょう」
あいつらが下忍になったばかりの時、今日と同じように、あの三人でとカカシさんの誕生日を祝いましたよね。
懐かしい眼差しで呟くと、カカシは眉を下げ嬉しそうにゆっくりと頷いた。
そう、あの時はまだ下忍になったばかりで。アカデミー生徒と何ら変わらないくらい幼さがあって。
ーーそこから、一言では言い表せない時間をここまで過ごしてきた。
「俺が、こんな風にあいつらに祝ってもらえるなんてね。…それに、一丁前にさ、酒の味なんかみたがっちゃうんだもんねえ」
この酒で味見だなんて、あいつらには勿体無いけどさ。
ゆったりとした口調が、心地いい。カカシの言葉に耳を傾けながら、イルカは優しく微笑む。
走馬燈のように頭に浮かぶ記憶が夜空の星のように、頭の中で輝く。シンクロするように、カカシはぽつりと呟いた。
「でもホントに。…あと何年かしたら一緒に酒飲めるんだもんねえ」
カカシの言葉に、手に持つグラスに目を落とした。不覚にも鼻の奥がツンとした。胸がいっぱいになり視界が滲む。カカシが泣いていないのに、泣くわけにはいかない。イルカは誤魔化すようにぐいと酒を飲み干した。静かにグラスをテーブルに置く。
「じゃあ、俺もそろそろ帰ります」
明日仕事が休みってわけじゃないですし。
ごちそうさまでした、と頭を深く下げると立ち上がる。カカシは座ったまま、グラスと手から離すことなく、イルカを目で追っていた。
額宛をきつく縛り直すと、脱いだベストを羽織る。
今過ごしている慌ただしさを残してきただけで、明日からまた雑務に追われる日々が始まる。カカシもまた。自分以上に。
「これで最後なんて言わないでよね」
向けた背中にかけられた言葉に、イルカは動きを止めた。振り返ると、カカシが真っ直ぐ自分を見つめている。その真剣な眼差しに心がざらざらと舐め上げられるような感触を覚え、薄く開いた口を結んでいた。
その姿を、カカシが座ったまま見つめ、ふっと微笑んだ。
「住む場所もここじゃなくなって、立場も変わるけど、俺はこれからもあんたを誘うよ」
それがどんな意味か、イルカにはよく分かっていた。
でも正直、参ったな、と思う。
胸が熱くなるのは、酒を飲んだせいなのか。それとも別のものか。それも既に分かっているイルカは、ゆったりと微笑みを返した。
「望むところです」
カカシは一瞬目を丸くしてから、ふにゃ、と眉を下げて笑った。嬉しそうに。
玄関の扉を開ける。
「じゃあ、また」
「うん。おやすみ、イルカ先生」
「はい、おやすみなさい」
外に出て扉を閉めようとして、目に入るカカシが手を振っているのが見えて、イルカも手を振った。
扉を閉めた途端、身体は外気に包まれる。
イルカは歩き出す。嬉しそうに手を振るカカシがまだ脳裏に焼き付いて、イルカは目を伏せながら笑いを零した。
見上げる夜空には星が幾つも瞬き、明日が晴れだと伝えている。
並んで帰って行ったナルト達の後ろ姿が不意に頭に浮かぶ。同時に歌も。
それは、サスケが里を去り、ナルトが修行に里を出てしまった日、カカシがイルカと飲みながら零した歌だった。
口ずさむ歌は、今の子供は知らないだろう、昔の童謡。
唯一親から聴かされた記憶のある歌だと言った。
不思議なんだけどね。あの三人を思うとこの歌が浮かぶのよ。
カカシは物悲しい表情でぽつりと言った。それを聞いた時の胸の痛みは今でも忘れない。
ーーでも。
今日こそ、この歌が浮かばない日はないんじゃないだろうか。
カカシもきっと、そう思っている。
イルカの唇から歌が漏れた。

みんな可愛い 小鳥になって 歌をうたえば靴が鳴る

晴れたみ空に 靴が鳴る

ささやくように零れた歌は、秋の空気と共に消える。不思議なくらいに気持ちが晴れやかになっていく。
輝く夜空を黒い目に映しながら、ため息を出すように微笑んだ。


<終>

童謡 靴が鳴るより引用。
原作との時期のずれやおかしいところは、私の妄想ですので暖かい目でスルーしていただけたら。
カカシ先生、お誕生日おめでとうございます。