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職員室でイルカはテストを作っていた。少し前に残っていた上司も先に帰り、職員室にはイルカが一人。
ペンで頭を掻きながら、ため息を吐き出す。
ここ最近生徒の成績が良くないのが原因だった。今回のテストの結果次第では留年も免れない生徒も出てくる。
だからと言ってテストの内容のレベルを下げる訳にもいかない。テストの結果が全てではないが、このテストで自信を持って欲しいとも思う。そうなればどの傾向で作成すべきか。悩みペンが止まり。結果、中々進まなかった。
この問題を作ったらもう帰ろう。そう思いながら作成用紙に目を落とした時、廊下から足音が聞こえた。
少し早足で歩いている。勿論生徒ではなく大人の歩幅だ。
職員室に忘れ物でもしたのだろうか。
顔を上げたと同時に扉ががらりと勢いよく開いた。
イルカはペンを持ったまま首を扉へ向け、驚き、思わず席から立ち上がっていた。
「綱手様」
「イルカ、ちょうどよかった」
綱手は入り口からただ一人職員室に残っていたイルカへ目を向けた。
こんな時間にどうしたのだろうか。
執務室には綱手がまだいる時間だとは知っていたが、ここに来ることは滅多になかった。
それにまるでイルカで良かったとも取れる言い方に、少し不安を感じる。それを顔に出してしまっているイルカに褐色の目を向けた。
「残業してる中悪いけど、ちょっといいか」
はいともいいえとも返事を言う前に、綱手はひらりときびすを返し背を向ける。
「あ、はいっ」
その背に少し遅れて返事をすると、イルカはペンを置き慌てて綱手の後を追った。
「ちょうど待機してる奴が全員出払っててね」
後を歩くイルカに、綱手は背を向け大股で歩きながら口を開いた。その足は執務室に向かうのかと思ったら、建物を出る訳でもなく、奥の廊下を真っ直ぐ歩く。その足は受付へ向かっていた。
綱手が言うとおり、先代の頃とは違い人手は常に足りていない状況だった。残業中であろうと休みであろうと、投げ出して任務に駆り出される事が多くなってきている。アカデミーの教員の職についている事で今までそれもなかったが、いつ声をかけられてもおかしくないと思っていた。
その人手を確保する為に、今度は受付に向かっているのだとも既に理解していた。ただ、この時間。夜間当番の受付が一人いるだけで、他にはいない。よっぽど切迫しているのだろうと思えば、自然イルカの心の中は緊迫する。
一体どうしたんですか、と声をかける前に二人は受付に繋がる扉の前まできていた。先ほど職員室を開けた時と同じように、綱手はその扉を勢いよく開ける。
薄暗い廊下から光が灯る部屋へと足を踏み入れる。イルカもそれに続き、さっきイルカが予想した通り受付に夜間当番である中忍が一人ーーではなかった。
その目の前で任務から帰り報告をしている男。
「カカシか。いいところにいるじゃないか」
綱手が顔を輝かせ、そこに立っているカカシの名前を呼んだ。
振り返る受付の男と共にカカシも一緒に綱手へ顔を向ける。眠そうな目が里長である綱手を映した。
「何です、いきなり」
綱手を見て驚き立ち上がった自分とは違い、全く動じる事なくカカシは静かに口を開いた。
「俺今帰ってきたばっかりなんですけど」
「そんな事は分かってる」
その通り、カカシは今任務を遂行し里に帰還したばかりなのだろう。しかし、カカシにかぶせるように返した綱手は労いの言葉をかけるわけではなく。少し苛立っていた。
「どうしてもこの書信をすぐに運んで欲しくてね」
綱手は大きな胸がある懐に手をもぐり込ませ、その書信を取り出した。
「ここにいるイルカと共に行ってくれるか」
え、と思わずイルカの口から言葉が漏れていた。意思とは関係なく、とは言えない。意思とは合っている言葉だったからだ。
カカシは。え、なんて言葉は口から出さなかったが。イルカと同じように目を丸くした。そこから、カカシは綱手から視線をずらしイルカをその目に映す。わずかに眉を寄せたのが分かった。
それを表すようにイルカから視線を下へずらした。
言葉では言い表せないような変な空気を感じたのか、綱手が眉を潜めた時、
「いいですよ」
カカシはあっさりと口にした。
綱手は力強く頷く。
「じゃあ頼むぞ」
カカシに声をかけた後、イルカへその書信を手渡した。
イルカはもやもやした気持ちを抱いていた。
綱手から命を受けた時、嫌だと思った自分がすごく嫌だと感じた。忍びとしてそんな事を思ってはいけないと頭では分かっているのに。
それなのに、任務を受け、遂行している今も気が重い。
それはカカシが原因だと、イルカは前を飛躍しているカカシを恨めしそう見た。
イルカはカカシが苦手だった。
忍びとしては尊敬しているが、人としてはどうなんだろうかと。上忍相手にそう思っていた。
そう感じるようになったのは、カカシがナルトの上忍師になって直ぐの頃だった。
名前だけ知っていた頃は、もっと怖い人だとばかり思っていたがカカシは違った。
どちらかと言えば穏やで最初顔を合わせた時から、イルカ相手に敬語で、ににこにことしていた。
高名な忍びなのに自分相手に腰が低く、申し訳ないと思ったくらいだ。
話す時に距離が近いなあ、とか。やけに身体に触れてくるなあ、と感じる事もあったが、それはカカシなりの自分に対するコミュニケーションだと思っていたから気にしないようにしていた。
でも。カカシが入院したある日。別の用事で病院にきていたイルカはカカシが入院している事を知り、顔を出す事にした。
自分なんかが行っても迷惑かもしれないと思ったが、カカシはイルカを見るなり破顔した。
イルカ先生が来てくれるなんて思わなかったです。嬉しいと言わんばかりの表情を見せられ、そんなカカシにイルカも嬉しくなった。
自分はたまたまここの病院内でカカシの事を耳にして、と言いたかったのだが。あまりにも嬉しそうなカカシの顔にそれを言い出せなかった。
カカシに促されるままにパイプ椅子でカカシの前に座り、特に話す事がなかったから、生徒の話やナルトの事など、他愛のない話題をカカシと話した。その話も終わり話題に困る前にと、イルカが席を立とうとした時、すっとカカシの手が伸びイルカの手に重なった。
一体何だろう、と不思議に思いそのカカシの手を見つめていると、ぎゅっと手を握られ驚いた。急にどうしたのだろう、気分が悪くなったんじゃないのかと心配になったイルカが顔を上げた時、上半身をイルカに近づけたカカシが目の前に迫っていて、思わず顔を引いていた。
どうしたんですか。と言おうとして、どう、まで口から出かけて。その言葉が止まった。
止まったのは。イルカの手を握るカカシの手に力が入ったからだった。自分の無骨な手を、カカシの白くて長い指が優しくも強く握る。
「ねえイルカ先生」
ひどく甘えた声だった。今までこんな言葉で自分に話した事がないのに。それでも、さすがのカカシでも今回の入院で気弱になっているのかもしれない。そう思い、はい、としっかりカカシを見つめ返し、返事をした。その後だった。
「また明日も来てくれますか」
(・・・・・・・・・・・・え?)
その台詞は予想外だった。
何でそんな事を言い出すのだろうか。
よく分からない。勿論明日カカシの見舞いにくる予定なんかない。しかし、怪我をして入院しているカカシを目の前に、何て言えばいいのか。
困っているイルカをカカシはじっと見つめ。
カカシの指の腹が、ゆっくりとイルカの指を撫でた。その瞬間、ぞくぞくと得体の知れない寒さが背中を走った。かあ、と身体が熱くなる。
それが怖くて、反射的にカカシの手を払いのけていた。
驚き目を丸くするカカシを前にイルカは立ち上がる。
この男は今、自分に何をした?
信じられないとカカシを見下ろしたまま、イルカは何でこんな事をするのかと、責めたい気持がわき上がる。
でも、驚きに目を丸くしているのを見たら何故かその言葉が口から出てこなくなり、イルカは唇を噛んだ。
前から感じていた会話する時の距離や、彼が自分に無意味に肩をや腕に触れたり。そして今のカカシの言動。
頭が混乱した。
「・・・・・・っ、すみません、失礼しますっ」
イルカはそれだけ口にすると、早々にカカシの病室から飛び出した。
ショックだった。
元々変わっている人だと思っていたけど、あんな事までする人だったなんて。
ああ、上忍なんて元々変人の集まりだと誰かが言っていたっけ。
イルカは落胆に肩を落とした。
現に、同僚に相談したら、笑われた。そんな事をされたのはどうやら自分だけのようで。
お前は真面目で反応が面白いからから、からかわれたんだと、可笑しそうに言われた。
カカシにからかわれた。
その言葉に傷つき憤りを感じ、同時に悲しくもなった。
確かに過去、イルカをからかってくる上忍がいたことはあった。カカシのようにあからさまにセクハラ紛いの事をしてくる事はなかったが。
そこからカカシは変わらず話しかけてきたが、イルカはできるだけカカシと距離を置くようにしていた。
ナルトからカカシの事を聞かされても、どうしても真っ直ぐな気持ちで聞けなくなってしまっている自分が嫌だった。
でも、どうしようもなかった。
だってそれはカカシが悪いのだと自分に言い聞かせた。
イルカの目に映るカカシは、しなやかにそして素早く身体を飛ばしている。闇夜にその銀色の髪が輝いているように見える。
何故かそれだけで別人に見えた。
いつもは普段カカシを目にするのは里の中だけで。彼が里一の忍びだと分かっていても、それを目の当たりにする機会は今までなかった。数日前に降っていた雪が枝や葉に残っているが、それすら落とすことなく先に進む。
里外への任務は久しぶりになるイルカにとって、火影直々に頼まれた任務に緊張していたが。
カカシのその背中が頼もしく見えるのは事実だった。
綱手が危惧してい敵との遭遇もなく、無事書信を渡したのは日付が変わった頃だった。
そのまますぐに帰還するように言われていた為、カカシと里へ向かう為に村を出る。
雪が降り始めていた。
「大丈夫?」
村から出てすぐカカシに声をかけられ、イルカは少し驚きカカシを見た。
今まで言葉少なく行動していたから、それは里に帰るまでそうだとばかり思っていた。
またしても、え、と言葉少なく、ぎこちなく反応したイルカに、カカシは眉を下げた。
「だってずっと緊張していたでしょ?」
それは里から出て初めて見た、そして久しぶりのカカシの微笑みだった。
その通りだった。カカシが一緒にいると分かっていても。いや、一緒にいるからこそ、失敗したり自分が足をひっぱったらどうしようと不安に駆られていたのは事実だった。
微笑むカカシを見て、ふっと緊張が解ける。
いや、まだ里には着いていない。イルカは首を振った。
「大丈夫です」
短く答えると、カカシは微かに目を細め頷く。
「じゃ、行くよ」
カカシは再び華麗に枝に飛躍する。イルカもその後に続いた。
そのまま里に帰る予定だったのだが。
吹雪が二人を襲っていた。
最初は風もなく雪がしんしんと降っているだけだった。それが次第に北風が強く吹き始める。カカシはスピードを落とし、イルカ合わせるようにしてくれていたが、やがてそのカカシの後ろ姿も見えなくなった。
これはやばい。
普段里の中で内勤をしていただけの自分に、この吹雪に焦りを感じた。天候悪化における中での行動や、悪天候の際の心得も授業の一環として生徒に教えているくせに。たかが吹雪で視界が悪くなっただけで焦るなんて。
しっかりしろと自分に言い聞かせるも、カカシからどんどん離れて行ってしまっている。自分に合わせるようにスピードを落としてくれているにも関わらず。
情けない気持ちに押しつぶされそうで、そんな自分を奮い立たせようと唇を強く噛んだ時、
「イルカ先生」
肩を叩かれた。
気が付けばカカシが横に来ていた。先にいると思っていたカカシ驚き、ビクリと身体を揺らしたイルカに、カカシが微かに目を開き、そこからすっと手を離した。
「あの・・・・・・」
そんな顔をさせるつもりはなかったと、口を開くとカカシはまた眉を下げた。
「無理しないでいいから。どこかで休みましょう」
「え、でも」
その選択に否定の表情を浮かべると、カカシは小さく微笑む。
「大丈夫、さっき里へ忍犬を走らせました。もう少し進んだ先に大きな洞穴があったはずです。そこに行きますよ」
カカシに言われ、大丈夫です、と言えなかった。正直緊張からくるせいか、チャクラのコントロール不慣れか。疲れと不安がピークに達していたのは事実だった。
素直にカカシに従うしかたなかった。
「昔ね、一回ここを使った事があるんです」
任務でこんな嵐に見舞われた時ね。
竹林によって上手く風が遮られている洞穴で、黙ったままのイルカに腰を下ろしたカカシはそう口にした。
カカシさんが?と里からの距離を考えたら信じられなくその目を向けると、カカシは微笑んだ。
「あの時はけが人を抱えてたから」
言われて、何故か自分が墓穴を掘った気分になると。
「その事態に応じて臨機応変に決断する事は大切な事だし、今回は俺は判断したんだから。だからそんな顔しないでもいいよ」
その台詞にカカシへ落としかけていた視線を向けると、優しく微笑まれる。それだけで居たたまれない気持ちと共に胸が締め付けられる。イルカは眉を寄せ俯いた。
背負っていたリュックをおろすと、その中からフード着きのコートを取り出す。カカシが立ち上がりイルカに差し出した。
「え、いや俺はいいです」
慌てて首を振るイルカに、カカシもまた首を振る。
「体が震えてるでしょ」
はっきりと言われ、寒さで震えているその通りの事実にぐうと押し黙ると、コートをイルカの膝の上に置く。少し離れてカカシは座った。
イルカはそのコートを静かに羽織る。携帯用の防寒具だが、もともとカッパに近い簡易的なものしかなかった。だが綱手の代になってからすぐに改良された。それはしっかりとした生地で軽く暖かい。一度も使った事はなかったが、その機能性に内心驚く。
吹雪がおさまるのはまだ時間がかかるだろうか。イルカは自分の膝を抱えながらぼんやりと考えた。
さっきから、自分の心の中が落ち着きがない。何かが合点しないと言えばいいのか。
任務を共にしてから今ここに至るまでのカカシの言動は。上忍として頼もしく、常識的で、それでいて自分に紳士的で。優しい。
それは、自分がカカシに抱いていた気持ちが丸で間違っているような感覚に襲われる。
変な人で、嫌な人だと。そう認識していたのに。
自分がそんな目で距離をとっていた事に気がつき、態度を変えたのだろうか。
あの病院の件以来、ろくに会話もしてこなかったのだ。
あまりにも久しぶりすぎて。ーーそう、カカシが自分に微笑みかけてくれるのも久しぶりだった。
嫌な感じがしないのは、自分の心が弱っているからだろうか。
でもあの時、病院で自分にカカシが言い、してきた事は間違いのない事実だ。
「災難でしたね」
カカシの声で思考が遮られる。イルカは顔を上げると、こっちを見つめていた。
「ええ、まさかこんな吹雪になるとは思っていなかったですね」
「違いますよ」
笑いながら言われて、え?とイルカは聞き返した。
「俺なんかと一緒に任務になって、こんな状況になって、って意味です」
面と向かってはっきりと言われ、イルカはひどく居心地が悪い気持ちになった。苦手だと感じてからそんな事は口にしなかったが、それはしっかりとカカシに伝わっていたのだ。
と言うことは、カカシがあの病院の件で自分の態度が変わったのだと、認めているようで。イルカは複雑な気持ちになった。
こんなはっきりと言われ、ええそうですとも言えないし、違いますよ。なんて明らかな嘘をつける自信もない。
それとも、これもカカシのからかいの一部なんだろうか。
困る中忍を見て心の中であざ笑いたいのか。
ずらしていた視線をもう一度カカシにゆっくりと戻す。だが、さっき思ったカカシが自分を笑いたくて、と言うような目には到底思えなかった。
笑うと言うより笑ってはいるが悲しそうな眼差しを帯び、イルカはさらに返答に困る。
その時、ふっと任務を言い渡された受付の場面が思い浮かんだ。
「・・・・・・カカシさんこそ、そうなんじゃないんですか?」
「え、俺?何で」
きょとんとして返される。
「だって、綱手様に言われた時、すごく嫌そうな顔をしたじゃないですか」
そう、あの時、カカシは明らかに眉を寄せた。
それがカカシの気持ちだと気がつき。ショックだった。カカシは自分と任務に行くのが嫌なんだと。
「違うよ」
はっきりと断言された言葉。カカシを見ればイルカをじっと見つめていた。
「あれは、・・・・・・だってほら。あなたが嫌なんだろうなって。でも任務は任務だし。俺はあなたに対して嫌だと思った事なんて一度もないですよ」
銀色の髪をがしがしと掻きながら。そこから視線をそらさずに答える。その視線は揺るぎない真実を語っている目であり口調だった。
それぐらいは分かり、でもまた自分の心の中で混乱し、
「・・・・・・そうですか」
そう返すのが精一杯だった。俺を嫌だと思った事が一度もないなんて。それに反して自分がカカシに抱いていた気持ちは。
すみません、と思わず口から漏れた。
カカシは首を傾げる。
「なんで謝るんですか」
聞かれイルカは困った。丸で純真な生徒を相手に会話している気分になった。
この人を苦手だと思い、距離を置いていたのは紛れもない事実で、それは間違っていないはずなのに。自分がカカシに悪い事をしている気分になった。
目の前のカカシは、自分が抱いていたイメージのカカシのかけらもない。
だって、と呟くものの、そこから言葉が続かない。
でも、カカシはじっとイルカを見つめ、その先の言葉を待っている。辛抱強く。
それにイルカは観念した。
一度ちゃんとは話すべきだと、自分でも分かっていた。目の前にいるカカシはきちんと自分から距離をとり、優しく、良識のある上忍だ。
説明すれば、きっと分かってくれるだろう。
イルカはふうと、息を吐くとカカシへ顔を向けた。
「俺は、・・・・・・カカシさんを勘違いしてたみたいで・・・・・・だって、ほら、あの病院の、」
「病院?」
「何年も前ですのでもうお忘れかもしれませんが、カカシさんが入院して俺が見舞った時の事です」
そこで思い出したのか、カカシが、ああ、と呟いた。
「忘れませんよ」
胡座をかき自分の足の上に手を置いたまま、カカシは言った。そこから何故か微笑んだ。
「すごく嬉しかった」
言われ、イルカは眉を顰めた。
記憶のままの、あの時破顔したカカシが再び蘇るが、それでもイルカは眉を寄せた。
「嬉しい?面白かった、の間違いですよね?」
言えば、微笑みがカカシから消える。
「面白いってなに?俺は嬉しかっただけですよ。あなたが見舞いに来てくれるなんて思ってもみなくて。嬉しくて仕方がなかったのに」
心外だとそう顔に出され、イルカは言葉を失った。
「からかったんじゃないんですか?」
「からかう?先生、さっきから何言ってるんですか?」
問いかけられ、胸が詰まる思いがした。自分が間違っていたのだろうか。いや、でもあんな事。あれは間違っても自分にする態度ではなく、好きな人にすべき事で、だから好きでもない人以外にするって事だから、
(あれ?、じゃあ・・・・・・からかってないって事は・・・・・・)
口に手を当て思考を漂わせながらも要約合点しそうな結論に、イルカはゆっくりとカカシへ視線を戻した。
「カカシさん、あの時なんで俺にまた明日見舞いに来てほしいなんて・・・・・・言ったんですか」
「え?そりゃあなたに会いたいからです」
「・・・・・・それって・・・・・・つまり、」
その先の言葉はどうしても怖くて自分で言葉に出来ない。だってそんな事って、
ぐるぐる頭が回るイルカを前に、カカシはイルカの促そうとしている意図に気がついたのか、ああ、と笑い。
「あなたが好きだからです」
恥ずかしそうにそう言った。
好き。
俺を好き。
だからか。
イルカの身体から力が抜けていく。
同僚に言われて、カカシは自分をからかっているのだと信じ込んでいた。
なのに、やけに自分に優しく微笑むのも、少し距離が近いのも。肩や腕に触れたのも。
そしてあの病室でのカカシは。
俺が好きだったから。
男に好きだったと言われていても、不思議と嫌な気持ちなんて少しも感じなかった。だって。勘違いだったけど、カカシにからかわれていると知った時や、任務に一緒に行く事になって嫌な顔をされた、あの時の方がよっぽど傷つき悲しい気持ちになった。
「なんだ・・・・・・良かった」
ぽつりと本音が口から零れていた。
「え?」
「だって・・・・・・俺はカカシさんがどうして俺にあんな事をしたのか、今日のこの機会がなかったら、ずっとからかわれているとばかり勘違いして、そう思いこんでいたから。そっか・・・・・・好きだったんですか・・・・・・」
気の抜けた声でそう説明するのを、カカシはじっと静かに聞いていた。
しばらく黙ってイルカを見つめ。ふと手を口元に添える。考え込むような戸惑うようなカカシの姿に気がつき、イルカが目を向けるとふっと青い目が動きイルカを見た。
「あのさ・・・・・・好きだったって過去形なんかじゃなく、好きだから、なんだけど。でも・・・・・・そしたらに先生は困る?」
「・・・・・・え?」
イルカから離れた場所で、少し不安そうに見つめられ言われたまさかの言葉に、イルカの頬に血がのぼるのを感じた。
ちょっと何もかも急すぎて収集がつかない。それでも、どくどくと心臓が鳴るこの鼓動は、感じた事のない期待と恥ずかしさからくるもだと、経験から分かった。
さすがに男から、しかもカカシから告白されるなんて。でも、困ってはいない。そう、困るよりもはやり、良かった。が先にくる。
良かったーーそれはカカシに告白されて嫌じゃないと言うことだ。
困ってない。そう答えてもいいのだが。
イルカは答える代わりに立ち上がる。そしてカカシの前まできた。
「隣に、座ってもいいですか?」
とりあえずは距離を縮めるところから。
だって、今まで勘違いしていたその時間を埋めるのに、時間はかからないと自分でも分かる。
カカシは頬を赤らめながら、少し驚きに目の前に立つイルカを見上げ、そこから嬉しそうに微笑み、うん、と頷いた。
カカシと肩が触れる距離にイルカは座る。
どうしよう。隣に座ったものの、恥ずかしくて堪らない。
自分の行動にどうしたらいいのか顔を真っ赤にして俯くと、カカシが、あ、そうだ。と呟いた。
リュックの中をカカシはまた探り、今度は濃褐色の小さな箱を取り出した。
これね俺の非常食。そう言って手渡されたのはスティック型のチョコだった。
食べると甘さがほとんどなく、ほのかにミントの香りがする。
「俺ね、甘いの好きじゃないんだけど、これは食べれるから」
「あ、俺も持ってるんです」
携帯食として生徒に教えているように、イルカはズボンのポケットに入れていたチョコを思いだし、取り出した。
「これは普通のチョコですけど、食べますか?」
「うん」
カカシは甘いのが苦手だと言いながら躊躇なくイルカから受け取り口に入れる。口内でチョコを溶かすように動かして、眉を寄せた。
「あま、」
本当に甘いものが苦手なんだと、カカシの事を知っただけでイルカは嬉しくなった。カカシの微笑みに、イルカもつられるように微笑む。
ふと目が合う。カカシの顔が自然に近づき、イルカは迷うことなく目を閉じ受け止めた。
こんな事まで急ぎ過ぎなくてもいいんじゃないのかと思うけど。受け止めたいとイルカは思った。
唇が優しく触れ、そこから深く重なる。
それはカカシのくれたミントの香りと、自分のあげたチョコのような甘いキスだった。
そして。その日が2月14日だと気がついたのは、吹雪がおさまり里に帰還した数時間後の事だった。
<終>
ペンで頭を掻きながら、ため息を吐き出す。
ここ最近生徒の成績が良くないのが原因だった。今回のテストの結果次第では留年も免れない生徒も出てくる。
だからと言ってテストの内容のレベルを下げる訳にもいかない。テストの結果が全てではないが、このテストで自信を持って欲しいとも思う。そうなればどの傾向で作成すべきか。悩みペンが止まり。結果、中々進まなかった。
この問題を作ったらもう帰ろう。そう思いながら作成用紙に目を落とした時、廊下から足音が聞こえた。
少し早足で歩いている。勿論生徒ではなく大人の歩幅だ。
職員室に忘れ物でもしたのだろうか。
顔を上げたと同時に扉ががらりと勢いよく開いた。
イルカはペンを持ったまま首を扉へ向け、驚き、思わず席から立ち上がっていた。
「綱手様」
「イルカ、ちょうどよかった」
綱手は入り口からただ一人職員室に残っていたイルカへ目を向けた。
こんな時間にどうしたのだろうか。
執務室には綱手がまだいる時間だとは知っていたが、ここに来ることは滅多になかった。
それにまるでイルカで良かったとも取れる言い方に、少し不安を感じる。それを顔に出してしまっているイルカに褐色の目を向けた。
「残業してる中悪いけど、ちょっといいか」
はいともいいえとも返事を言う前に、綱手はひらりときびすを返し背を向ける。
「あ、はいっ」
その背に少し遅れて返事をすると、イルカはペンを置き慌てて綱手の後を追った。
「ちょうど待機してる奴が全員出払っててね」
後を歩くイルカに、綱手は背を向け大股で歩きながら口を開いた。その足は執務室に向かうのかと思ったら、建物を出る訳でもなく、奥の廊下を真っ直ぐ歩く。その足は受付へ向かっていた。
綱手が言うとおり、先代の頃とは違い人手は常に足りていない状況だった。残業中であろうと休みであろうと、投げ出して任務に駆り出される事が多くなってきている。アカデミーの教員の職についている事で今までそれもなかったが、いつ声をかけられてもおかしくないと思っていた。
その人手を確保する為に、今度は受付に向かっているのだとも既に理解していた。ただ、この時間。夜間当番の受付が一人いるだけで、他にはいない。よっぽど切迫しているのだろうと思えば、自然イルカの心の中は緊迫する。
一体どうしたんですか、と声をかける前に二人は受付に繋がる扉の前まできていた。先ほど職員室を開けた時と同じように、綱手はその扉を勢いよく開ける。
薄暗い廊下から光が灯る部屋へと足を踏み入れる。イルカもそれに続き、さっきイルカが予想した通り受付に夜間当番である中忍が一人ーーではなかった。
その目の前で任務から帰り報告をしている男。
「カカシか。いいところにいるじゃないか」
綱手が顔を輝かせ、そこに立っているカカシの名前を呼んだ。
振り返る受付の男と共にカカシも一緒に綱手へ顔を向ける。眠そうな目が里長である綱手を映した。
「何です、いきなり」
綱手を見て驚き立ち上がった自分とは違い、全く動じる事なくカカシは静かに口を開いた。
「俺今帰ってきたばっかりなんですけど」
「そんな事は分かってる」
その通り、カカシは今任務を遂行し里に帰還したばかりなのだろう。しかし、カカシにかぶせるように返した綱手は労いの言葉をかけるわけではなく。少し苛立っていた。
「どうしてもこの書信をすぐに運んで欲しくてね」
綱手は大きな胸がある懐に手をもぐり込ませ、その書信を取り出した。
「ここにいるイルカと共に行ってくれるか」
え、と思わずイルカの口から言葉が漏れていた。意思とは関係なく、とは言えない。意思とは合っている言葉だったからだ。
カカシは。え、なんて言葉は口から出さなかったが。イルカと同じように目を丸くした。そこから、カカシは綱手から視線をずらしイルカをその目に映す。わずかに眉を寄せたのが分かった。
それを表すようにイルカから視線を下へずらした。
言葉では言い表せないような変な空気を感じたのか、綱手が眉を潜めた時、
「いいですよ」
カカシはあっさりと口にした。
綱手は力強く頷く。
「じゃあ頼むぞ」
カカシに声をかけた後、イルカへその書信を手渡した。
イルカはもやもやした気持ちを抱いていた。
綱手から命を受けた時、嫌だと思った自分がすごく嫌だと感じた。忍びとしてそんな事を思ってはいけないと頭では分かっているのに。
それなのに、任務を受け、遂行している今も気が重い。
それはカカシが原因だと、イルカは前を飛躍しているカカシを恨めしそう見た。
イルカはカカシが苦手だった。
忍びとしては尊敬しているが、人としてはどうなんだろうかと。上忍相手にそう思っていた。
そう感じるようになったのは、カカシがナルトの上忍師になって直ぐの頃だった。
名前だけ知っていた頃は、もっと怖い人だとばかり思っていたがカカシは違った。
どちらかと言えば穏やで最初顔を合わせた時から、イルカ相手に敬語で、ににこにことしていた。
高名な忍びなのに自分相手に腰が低く、申し訳ないと思ったくらいだ。
話す時に距離が近いなあ、とか。やけに身体に触れてくるなあ、と感じる事もあったが、それはカカシなりの自分に対するコミュニケーションだと思っていたから気にしないようにしていた。
でも。カカシが入院したある日。別の用事で病院にきていたイルカはカカシが入院している事を知り、顔を出す事にした。
自分なんかが行っても迷惑かもしれないと思ったが、カカシはイルカを見るなり破顔した。
イルカ先生が来てくれるなんて思わなかったです。嬉しいと言わんばかりの表情を見せられ、そんなカカシにイルカも嬉しくなった。
自分はたまたまここの病院内でカカシの事を耳にして、と言いたかったのだが。あまりにも嬉しそうなカカシの顔にそれを言い出せなかった。
カカシに促されるままにパイプ椅子でカカシの前に座り、特に話す事がなかったから、生徒の話やナルトの事など、他愛のない話題をカカシと話した。その話も終わり話題に困る前にと、イルカが席を立とうとした時、すっとカカシの手が伸びイルカの手に重なった。
一体何だろう、と不思議に思いそのカカシの手を見つめていると、ぎゅっと手を握られ驚いた。急にどうしたのだろう、気分が悪くなったんじゃないのかと心配になったイルカが顔を上げた時、上半身をイルカに近づけたカカシが目の前に迫っていて、思わず顔を引いていた。
どうしたんですか。と言おうとして、どう、まで口から出かけて。その言葉が止まった。
止まったのは。イルカの手を握るカカシの手に力が入ったからだった。自分の無骨な手を、カカシの白くて長い指が優しくも強く握る。
「ねえイルカ先生」
ひどく甘えた声だった。今までこんな言葉で自分に話した事がないのに。それでも、さすがのカカシでも今回の入院で気弱になっているのかもしれない。そう思い、はい、としっかりカカシを見つめ返し、返事をした。その後だった。
「また明日も来てくれますか」
(・・・・・・・・・・・・え?)
その台詞は予想外だった。
何でそんな事を言い出すのだろうか。
よく分からない。勿論明日カカシの見舞いにくる予定なんかない。しかし、怪我をして入院しているカカシを目の前に、何て言えばいいのか。
困っているイルカをカカシはじっと見つめ。
カカシの指の腹が、ゆっくりとイルカの指を撫でた。その瞬間、ぞくぞくと得体の知れない寒さが背中を走った。かあ、と身体が熱くなる。
それが怖くて、反射的にカカシの手を払いのけていた。
驚き目を丸くするカカシを前にイルカは立ち上がる。
この男は今、自分に何をした?
信じられないとカカシを見下ろしたまま、イルカは何でこんな事をするのかと、責めたい気持がわき上がる。
でも、驚きに目を丸くしているのを見たら何故かその言葉が口から出てこなくなり、イルカは唇を噛んだ。
前から感じていた会話する時の距離や、彼が自分に無意味に肩をや腕に触れたり。そして今のカカシの言動。
頭が混乱した。
「・・・・・・っ、すみません、失礼しますっ」
イルカはそれだけ口にすると、早々にカカシの病室から飛び出した。
ショックだった。
元々変わっている人だと思っていたけど、あんな事までする人だったなんて。
ああ、上忍なんて元々変人の集まりだと誰かが言っていたっけ。
イルカは落胆に肩を落とした。
現に、同僚に相談したら、笑われた。そんな事をされたのはどうやら自分だけのようで。
お前は真面目で反応が面白いからから、からかわれたんだと、可笑しそうに言われた。
カカシにからかわれた。
その言葉に傷つき憤りを感じ、同時に悲しくもなった。
確かに過去、イルカをからかってくる上忍がいたことはあった。カカシのようにあからさまにセクハラ紛いの事をしてくる事はなかったが。
そこからカカシは変わらず話しかけてきたが、イルカはできるだけカカシと距離を置くようにしていた。
ナルトからカカシの事を聞かされても、どうしても真っ直ぐな気持ちで聞けなくなってしまっている自分が嫌だった。
でも、どうしようもなかった。
だってそれはカカシが悪いのだと自分に言い聞かせた。
イルカの目に映るカカシは、しなやかにそして素早く身体を飛ばしている。闇夜にその銀色の髪が輝いているように見える。
何故かそれだけで別人に見えた。
いつもは普段カカシを目にするのは里の中だけで。彼が里一の忍びだと分かっていても、それを目の当たりにする機会は今までなかった。数日前に降っていた雪が枝や葉に残っているが、それすら落とすことなく先に進む。
里外への任務は久しぶりになるイルカにとって、火影直々に頼まれた任務に緊張していたが。
カカシのその背中が頼もしく見えるのは事実だった。
綱手が危惧してい敵との遭遇もなく、無事書信を渡したのは日付が変わった頃だった。
そのまますぐに帰還するように言われていた為、カカシと里へ向かう為に村を出る。
雪が降り始めていた。
「大丈夫?」
村から出てすぐカカシに声をかけられ、イルカは少し驚きカカシを見た。
今まで言葉少なく行動していたから、それは里に帰るまでそうだとばかり思っていた。
またしても、え、と言葉少なく、ぎこちなく反応したイルカに、カカシは眉を下げた。
「だってずっと緊張していたでしょ?」
それは里から出て初めて見た、そして久しぶりのカカシの微笑みだった。
その通りだった。カカシが一緒にいると分かっていても。いや、一緒にいるからこそ、失敗したり自分が足をひっぱったらどうしようと不安に駆られていたのは事実だった。
微笑むカカシを見て、ふっと緊張が解ける。
いや、まだ里には着いていない。イルカは首を振った。
「大丈夫です」
短く答えると、カカシは微かに目を細め頷く。
「じゃ、行くよ」
カカシは再び華麗に枝に飛躍する。イルカもその後に続いた。
そのまま里に帰る予定だったのだが。
吹雪が二人を襲っていた。
最初は風もなく雪がしんしんと降っているだけだった。それが次第に北風が強く吹き始める。カカシはスピードを落とし、イルカ合わせるようにしてくれていたが、やがてそのカカシの後ろ姿も見えなくなった。
これはやばい。
普段里の中で内勤をしていただけの自分に、この吹雪に焦りを感じた。天候悪化における中での行動や、悪天候の際の心得も授業の一環として生徒に教えているくせに。たかが吹雪で視界が悪くなっただけで焦るなんて。
しっかりしろと自分に言い聞かせるも、カカシからどんどん離れて行ってしまっている。自分に合わせるようにスピードを落としてくれているにも関わらず。
情けない気持ちに押しつぶされそうで、そんな自分を奮い立たせようと唇を強く噛んだ時、
「イルカ先生」
肩を叩かれた。
気が付けばカカシが横に来ていた。先にいると思っていたカカシ驚き、ビクリと身体を揺らしたイルカに、カカシが微かに目を開き、そこからすっと手を離した。
「あの・・・・・・」
そんな顔をさせるつもりはなかったと、口を開くとカカシはまた眉を下げた。
「無理しないでいいから。どこかで休みましょう」
「え、でも」
その選択に否定の表情を浮かべると、カカシは小さく微笑む。
「大丈夫、さっき里へ忍犬を走らせました。もう少し進んだ先に大きな洞穴があったはずです。そこに行きますよ」
カカシに言われ、大丈夫です、と言えなかった。正直緊張からくるせいか、チャクラのコントロール不慣れか。疲れと不安がピークに達していたのは事実だった。
素直にカカシに従うしかたなかった。
「昔ね、一回ここを使った事があるんです」
任務でこんな嵐に見舞われた時ね。
竹林によって上手く風が遮られている洞穴で、黙ったままのイルカに腰を下ろしたカカシはそう口にした。
カカシさんが?と里からの距離を考えたら信じられなくその目を向けると、カカシは微笑んだ。
「あの時はけが人を抱えてたから」
言われて、何故か自分が墓穴を掘った気分になると。
「その事態に応じて臨機応変に決断する事は大切な事だし、今回は俺は判断したんだから。だからそんな顔しないでもいいよ」
その台詞にカカシへ落としかけていた視線を向けると、優しく微笑まれる。それだけで居たたまれない気持ちと共に胸が締め付けられる。イルカは眉を寄せ俯いた。
背負っていたリュックをおろすと、その中からフード着きのコートを取り出す。カカシが立ち上がりイルカに差し出した。
「え、いや俺はいいです」
慌てて首を振るイルカに、カカシもまた首を振る。
「体が震えてるでしょ」
はっきりと言われ、寒さで震えているその通りの事実にぐうと押し黙ると、コートをイルカの膝の上に置く。少し離れてカカシは座った。
イルカはそのコートを静かに羽織る。携帯用の防寒具だが、もともとカッパに近い簡易的なものしかなかった。だが綱手の代になってからすぐに改良された。それはしっかりとした生地で軽く暖かい。一度も使った事はなかったが、その機能性に内心驚く。
吹雪がおさまるのはまだ時間がかかるだろうか。イルカは自分の膝を抱えながらぼんやりと考えた。
さっきから、自分の心の中が落ち着きがない。何かが合点しないと言えばいいのか。
任務を共にしてから今ここに至るまでのカカシの言動は。上忍として頼もしく、常識的で、それでいて自分に紳士的で。優しい。
それは、自分がカカシに抱いていた気持ちが丸で間違っているような感覚に襲われる。
変な人で、嫌な人だと。そう認識していたのに。
自分がそんな目で距離をとっていた事に気がつき、態度を変えたのだろうか。
あの病院の件以来、ろくに会話もしてこなかったのだ。
あまりにも久しぶりすぎて。ーーそう、カカシが自分に微笑みかけてくれるのも久しぶりだった。
嫌な感じがしないのは、自分の心が弱っているからだろうか。
でもあの時、病院で自分にカカシが言い、してきた事は間違いのない事実だ。
「災難でしたね」
カカシの声で思考が遮られる。イルカは顔を上げると、こっちを見つめていた。
「ええ、まさかこんな吹雪になるとは思っていなかったですね」
「違いますよ」
笑いながら言われて、え?とイルカは聞き返した。
「俺なんかと一緒に任務になって、こんな状況になって、って意味です」
面と向かってはっきりと言われ、イルカはひどく居心地が悪い気持ちになった。苦手だと感じてからそんな事は口にしなかったが、それはしっかりとカカシに伝わっていたのだ。
と言うことは、カカシがあの病院の件で自分の態度が変わったのだと、認めているようで。イルカは複雑な気持ちになった。
こんなはっきりと言われ、ええそうですとも言えないし、違いますよ。なんて明らかな嘘をつける自信もない。
それとも、これもカカシのからかいの一部なんだろうか。
困る中忍を見て心の中であざ笑いたいのか。
ずらしていた視線をもう一度カカシにゆっくりと戻す。だが、さっき思ったカカシが自分を笑いたくて、と言うような目には到底思えなかった。
笑うと言うより笑ってはいるが悲しそうな眼差しを帯び、イルカはさらに返答に困る。
その時、ふっと任務を言い渡された受付の場面が思い浮かんだ。
「・・・・・・カカシさんこそ、そうなんじゃないんですか?」
「え、俺?何で」
きょとんとして返される。
「だって、綱手様に言われた時、すごく嫌そうな顔をしたじゃないですか」
そう、あの時、カカシは明らかに眉を寄せた。
それがカカシの気持ちだと気がつき。ショックだった。カカシは自分と任務に行くのが嫌なんだと。
「違うよ」
はっきりと断言された言葉。カカシを見ればイルカをじっと見つめていた。
「あれは、・・・・・・だってほら。あなたが嫌なんだろうなって。でも任務は任務だし。俺はあなたに対して嫌だと思った事なんて一度もないですよ」
銀色の髪をがしがしと掻きながら。そこから視線をそらさずに答える。その視線は揺るぎない真実を語っている目であり口調だった。
それぐらいは分かり、でもまた自分の心の中で混乱し、
「・・・・・・そうですか」
そう返すのが精一杯だった。俺を嫌だと思った事が一度もないなんて。それに反して自分がカカシに抱いていた気持ちは。
すみません、と思わず口から漏れた。
カカシは首を傾げる。
「なんで謝るんですか」
聞かれイルカは困った。丸で純真な生徒を相手に会話している気分になった。
この人を苦手だと思い、距離を置いていたのは紛れもない事実で、それは間違っていないはずなのに。自分がカカシに悪い事をしている気分になった。
目の前のカカシは、自分が抱いていたイメージのカカシのかけらもない。
だって、と呟くものの、そこから言葉が続かない。
でも、カカシはじっとイルカを見つめ、その先の言葉を待っている。辛抱強く。
それにイルカは観念した。
一度ちゃんとは話すべきだと、自分でも分かっていた。目の前にいるカカシはきちんと自分から距離をとり、優しく、良識のある上忍だ。
説明すれば、きっと分かってくれるだろう。
イルカはふうと、息を吐くとカカシへ顔を向けた。
「俺は、・・・・・・カカシさんを勘違いしてたみたいで・・・・・・だって、ほら、あの病院の、」
「病院?」
「何年も前ですのでもうお忘れかもしれませんが、カカシさんが入院して俺が見舞った時の事です」
そこで思い出したのか、カカシが、ああ、と呟いた。
「忘れませんよ」
胡座をかき自分の足の上に手を置いたまま、カカシは言った。そこから何故か微笑んだ。
「すごく嬉しかった」
言われ、イルカは眉を顰めた。
記憶のままの、あの時破顔したカカシが再び蘇るが、それでもイルカは眉を寄せた。
「嬉しい?面白かった、の間違いですよね?」
言えば、微笑みがカカシから消える。
「面白いってなに?俺は嬉しかっただけですよ。あなたが見舞いに来てくれるなんて思ってもみなくて。嬉しくて仕方がなかったのに」
心外だとそう顔に出され、イルカは言葉を失った。
「からかったんじゃないんですか?」
「からかう?先生、さっきから何言ってるんですか?」
問いかけられ、胸が詰まる思いがした。自分が間違っていたのだろうか。いや、でもあんな事。あれは間違っても自分にする態度ではなく、好きな人にすべき事で、だから好きでもない人以外にするって事だから、
(あれ?、じゃあ・・・・・・からかってないって事は・・・・・・)
口に手を当て思考を漂わせながらも要約合点しそうな結論に、イルカはゆっくりとカカシへ視線を戻した。
「カカシさん、あの時なんで俺にまた明日見舞いに来てほしいなんて・・・・・・言ったんですか」
「え?そりゃあなたに会いたいからです」
「・・・・・・それって・・・・・・つまり、」
その先の言葉はどうしても怖くて自分で言葉に出来ない。だってそんな事って、
ぐるぐる頭が回るイルカを前に、カカシはイルカの促そうとしている意図に気がついたのか、ああ、と笑い。
「あなたが好きだからです」
恥ずかしそうにそう言った。
好き。
俺を好き。
だからか。
イルカの身体から力が抜けていく。
同僚に言われて、カカシは自分をからかっているのだと信じ込んでいた。
なのに、やけに自分に優しく微笑むのも、少し距離が近いのも。肩や腕に触れたのも。
そしてあの病室でのカカシは。
俺が好きだったから。
男に好きだったと言われていても、不思議と嫌な気持ちなんて少しも感じなかった。だって。勘違いだったけど、カカシにからかわれていると知った時や、任務に一緒に行く事になって嫌な顔をされた、あの時の方がよっぽど傷つき悲しい気持ちになった。
「なんだ・・・・・・良かった」
ぽつりと本音が口から零れていた。
「え?」
「だって・・・・・・俺はカカシさんがどうして俺にあんな事をしたのか、今日のこの機会がなかったら、ずっとからかわれているとばかり勘違いして、そう思いこんでいたから。そっか・・・・・・好きだったんですか・・・・・・」
気の抜けた声でそう説明するのを、カカシはじっと静かに聞いていた。
しばらく黙ってイルカを見つめ。ふと手を口元に添える。考え込むような戸惑うようなカカシの姿に気がつき、イルカが目を向けるとふっと青い目が動きイルカを見た。
「あのさ・・・・・・好きだったって過去形なんかじゃなく、好きだから、なんだけど。でも・・・・・・そしたらに先生は困る?」
「・・・・・・え?」
イルカから離れた場所で、少し不安そうに見つめられ言われたまさかの言葉に、イルカの頬に血がのぼるのを感じた。
ちょっと何もかも急すぎて収集がつかない。それでも、どくどくと心臓が鳴るこの鼓動は、感じた事のない期待と恥ずかしさからくるもだと、経験から分かった。
さすがに男から、しかもカカシから告白されるなんて。でも、困ってはいない。そう、困るよりもはやり、良かった。が先にくる。
良かったーーそれはカカシに告白されて嫌じゃないと言うことだ。
困ってない。そう答えてもいいのだが。
イルカは答える代わりに立ち上がる。そしてカカシの前まできた。
「隣に、座ってもいいですか?」
とりあえずは距離を縮めるところから。
だって、今まで勘違いしていたその時間を埋めるのに、時間はかからないと自分でも分かる。
カカシは頬を赤らめながら、少し驚きに目の前に立つイルカを見上げ、そこから嬉しそうに微笑み、うん、と頷いた。
カカシと肩が触れる距離にイルカは座る。
どうしよう。隣に座ったものの、恥ずかしくて堪らない。
自分の行動にどうしたらいいのか顔を真っ赤にして俯くと、カカシが、あ、そうだ。と呟いた。
リュックの中をカカシはまた探り、今度は濃褐色の小さな箱を取り出した。
これね俺の非常食。そう言って手渡されたのはスティック型のチョコだった。
食べると甘さがほとんどなく、ほのかにミントの香りがする。
「俺ね、甘いの好きじゃないんだけど、これは食べれるから」
「あ、俺も持ってるんです」
携帯食として生徒に教えているように、イルカはズボンのポケットに入れていたチョコを思いだし、取り出した。
「これは普通のチョコですけど、食べますか?」
「うん」
カカシは甘いのが苦手だと言いながら躊躇なくイルカから受け取り口に入れる。口内でチョコを溶かすように動かして、眉を寄せた。
「あま、」
本当に甘いものが苦手なんだと、カカシの事を知っただけでイルカは嬉しくなった。カカシの微笑みに、イルカもつられるように微笑む。
ふと目が合う。カカシの顔が自然に近づき、イルカは迷うことなく目を閉じ受け止めた。
こんな事まで急ぎ過ぎなくてもいいんじゃないのかと思うけど。受け止めたいとイルカは思った。
唇が優しく触れ、そこから深く重なる。
それはカカシのくれたミントの香りと、自分のあげたチョコのような甘いキスだった。
そして。その日が2月14日だと気がついたのは、吹雪がおさまり里に帰還した数時間後の事だった。
<終>
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